此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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知らない地、異なる世界

草の香、巨大なる壁

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【1】

 暗闇が広がり、微睡に融けた山崎の意識。複数の違和感に襲われて魘されてしまう。硬質な何かを触れる感触、意識は揺れ、音と思しき何かが聞こえて。
「・・・ん、んん?」
 宛ら、囁かれ、揺り起こされたかのよう。目覚めを促され、答えるように彼は目を覚ました。
 まず視界に映り込んだのは木製の天井。少し汚れたそれに見覚えが無く、心当たりも無かった。
 寝起きでぼやけた思考を定めつつ身体を起こして周囲を確認する。直後に発見したのは、隣で気持ち良さそうに眠り付く新藤の姿である。安眠を越え、惰眠を貪るように身体を掻き、ちゃむちゃむと気持ちの悪い唾を噛む音を出す。
 凝視しなくとも無事である事を知り、溜息を零してから視線を周囲に移された。
 其処は知らぬ場所であった。壁も床も木造りであり、小屋のように狭く、何も無かった。窓や出入り口と思しき囲いは白い布で二重に仕切られる。それらは赤く滲み、赤い光が漏れて入り込む。時頃は夕暮れ時か、それとも明け方か。
 彼が次に気付いたのはこの小屋の特質。不規則に且つ、仕切る布が揺れ、不定期に軋む事から移動式であると。また、付近で車軸の摩擦音や歯車が噛み合うような音も聞こえる為、この小屋の正体に大抵の予測を着けていた。
 立ち上がる事で震動を確かに感じ、予測を確信に変えながら仕切られる箇所に向かう。ミシミシと軋む床を過ぎ、両手で左右に退けた時であった。
「っ!」
 射し込んできた光に眩み、思わず顔を逸らした。明暗の差、視界が一瞬で赤に染め上げるほどの光力を受け、治まるまでその場で立ち止まってしまう。
 程無くして、穏やかな風を受けていた山崎は手で光を遮りながら瞼を開く。開けた視界に映り込んだ光景に、目を奪われてしまった。
 煌々と、鮮やかな朱色と黄金の輝きを放つ太陽が沈みつつあった。彼方に浮かぶそれは全てをその色に染めていく。
 遠方には山と思しき巨大なそれが聳える。上方は少し霧が掛かっているのか滲む。気温差が激しいほどに山々はかなりの高さを誇るのだろう。
 群がるように木々を始めとした植物が広がる。茶色と緑が平行を保つかのように並び、正面の端まで展開される為、その広大さが窺い知れた。
 それらも朱に染め、影が幻想的に映る。そして、一番に恩恵を受けていたのは彼の周辺に展開される環境であった。
 周辺の地帯は穏やかに起伏し、彼方に至るまで開けていた。吹き抜ける風は縦横無尽に駆け抜くだろう。その地は端に至るまで、びっしりと草が敷き詰められていた。踵位置ほどしかないほど低く、芝生かその類であろうか。
 元々の色と朱色が混じり、色鮮やかな地平は動くように映る。それは駆け巡る風に煽られた草の表面の反射が作り出した動き、言うなれば草の波浪と言った処か。幾多に、徐々に広がるように流れ行く光景は目を奪われる魅力があった。
 誘われるように山崎は小屋から歩み出す。地面との高低差に思わず転倒しそうになったのだが、何とか堪えて体勢を立ち直す。小さく溜息を吐いて気を落ち着かせてから周辺を見渡した。
 心地良い風が優しく彼を撫で、朱色が滲む草原に綺麗な曲線が幾多に流れゆく。その一つが彼に近付き、ふわりと接触した。赤い頭髪、その毛先を揺らし、衣服を揺らしながら何処かへと消えていった。
 これまでの生涯、目の当たりにした事のない美景を前に、山崎は見惚れていた。その最中にも鼻を擽る草の香り。呼吸をすれば肺は満たされ、爽やかなそれに心は癒されていた。
 十分に堪能した彼は振り返る。後方もまた同じ景色が広がっており、一部を遮る動く物体が映った。
 巨大な車輪が二つ、木造の小屋の側面に備わり、何かに曳かれて前方に向けて進む。それはまさしく馬車、彼が先程乗っていたものである。
 それを発見した彼は直ぐに近付き、先頭に向けて回り込んでいく。すると、何処か既視感を抱く、初めて目の当たりにする生物が歩を刻む。それが小屋を力強く、平然と曳いて歩いていた。
 その生物は簡潔に言えば馬。だが、全体的に肥えている様に太く大きい。それは輓馬よりも巨大、特に四肢が太く大木のようで、蹄鉄が地面に減り込む程の脚力を有する。
 艶やかな黄土色の皮膚、白く長く蓄えた鬣と尾毛と、立ち振る舞いや立ち姿次第では一枚の絵になるだろうか。逞し過ぎる体躯を除けば。
 近付くにつれて見える頭部、耳がピンと立ち、顔は前に長くと馬の特徴を強く残す。それに代わる生物である事は確かである。少なくともあの化け物、スケェイストの類ではない事は明らか。
 後に彼等は知るのだが、その生物の名はレイホース。馬と同様の存在であった。
「ん?ああ、起きたようだね。身体の調子は如何?」
 馬車や生物と観察していた山崎に向けて誰かが話し掛けた。不意のそれに驚いた彼はその方向を睨んで身構えた。
 馬車の先頭、曳く生物に指示する為の運転席から降り立つ誰かの姿が映る。柔らかな笑みを浮かべて近付くその者は、あの森の中で出会った青年であった。
「・・・俺達に、何か用があるのか?」
 助けて貰った矢先、訳も分からぬまま眠らされた。そして、また違う場所まで連れてこられた。誘拐紛いな事をされ、警戒するなと言うのは無理な話であろう。
 警戒し、疑惑の視線で睨み付けて身構えていると、青年は残念そうに首を傾げた。
「何の用って、成り行きだよ?君達をあの場所に置いて行ったら魔物モンスターに襲われちゃうし、多分来たばっかりだから連れてきたんだよ・・・ああ、もしかして、僕が危害を加えるって思ったの?そんな事しないって!」
 きょとんとした彼は愉快に笑い出す。その姿を見て、山崎は反応に困ってしまった。少なくとも言葉や様子に演技等の嘘が感じられない。また、知らぬ者を如何こうして益があるとは思えない。
 そして、首筋を触れた事が決定打であった。驚く事に傷が消え失せていたのだ。それも傷跡すらもなく、触れても違和感は一切無かった。
 原因はあの飲み薬であろう。治癒を促進させると言ってもこの短時間で治ると言うのは異常としか思えなかった。だが、これは事実であり、現実。この事実が青年を信じる要因となった。
「・・・疑って悪かった。助けてくれたと言うのに」
「まぁ、無理も無いよ。此処に来たばっかりで、色んな目に遭ったでしょ?疑心暗鬼になっちゃうよ」
 青年はかなり寛容で表情を変えないまま許していた。
「・・・それで、あんたは色々知っているんだろ?聞きたい事が・・・」
「まぁまぁ、気持ちは分かるけど、野宿の準備をしても良いかな?日も暮れちゃったし」
 そう言って馬車を指差す彼。見上げれば、陽は先以上に傾いていた。周辺は暗がりに更に落とし込まれ、近付く夜が実感出来た。
「ああ、分かった」
「じゃあ、手伝ってくれる?」
「構わない。えっと・・・」
 手伝う事は吝かではない。だが、それ以前の問題に足踏みしてしまう。その心情を察したのだろう、青年は思い出すような仕草を挟んだ。
「名乗るのが遅れたね、僕はレインって言うんだ。君は?」
「俺は・・・俺は・・・」
 名乗る事を躊躇った。混合してしまいかねないほどに、自分のものではない名に侵食されていた為に。その不快感に表情は歪んで。
「・・・それも含めて、休みながら話そうか。先ず、野宿の準備をしようか」
 その心境も察し、先ずは野宿の準備をする事を優先させる。手を動かせる事で少しでも紛らわせようとして。
 それでも彼の不安が紛れる事は無かった。そして、野宿の準備が終えるまで新藤は目覚める事は無かった。

【2】

 この世界を照らし出す太陽は地平に消え、平坦な草原にも夜が訪れていた。
 雲が疎らに浮かび、星々が覗く。神々しき光を纏い、太陽にそれとは違った優しき光を地上に降り注ぐ満月が浮かぶ。
 ただただ広大なる草原の何処、月光とは異なる光が灯る。それは赤く揺らめき、強き風に吹かれてしまえば消えかねない。
 不安定な形とは異なり、狭い範囲だが周囲を赤く塗らし、温もりを与えるほどの火力を持っていた。
 その温もりに、明かりに預かるように人影が三つ集まる。やや離れた位置に馬車が停車され、その付近に馬型の生物、レイホースが地面に伏して身体を預けて寝入っていた。
「いや~、ほんに助かりましたよ!ありがとうございます!!」
 あの後、山崎に足蹴と言う乱暴な行為で起こされた新藤はレインと名乗った青年と顔を合わせていた。
 レインが用意した薪を燃やした焚火を介し、感謝を述べる。深々と頭を下げ、全力で謝意を示すのは大袈裟とは言えないだろう。
 とは言え、山崎の敬語ではない言葉遣いは如何なものか。隣の山崎が眉間に皺を寄せ、指摘をしない事からこれまでが想像出来ようか。そして、それは山崎も言えたものではなく。
「大袈裟だって。偶々通り掛かっただけだからね。助けられて良かったよ。それに、ごめんね、こんなものしかなくて」
 戻る途中だったと語る彼は、口の寂しさを紛らわせる程度の携帯食料、乾燥させた肉を振る舞った事に小さく謝る。
「何言ってんスか、助けてくれた上に飯くれたのに、文句なんて言うわけないスよ。貴方が居なかったら俺達、くたばってたかも知れねぇんスから!本当に、ありがとうございます!」
「その通りだ。ありがとう」
 再度山崎も感謝を告げる。それにレインは少し照れを見せた。救えた喜びも感じての事だろう。
「改めて自己紹介するね。僕はレイン。そうだね、支援を目的にしたギルド、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダに所属しているんだよ」
「レインって言うんスね!宜しくお願いします!えっと、俺は・・・」
 名乗ろうとした新藤は言い淀んだ。それは山崎と同じ理由であろう。
「・・・二人共、別の名前が混同しちゃうだよね?どっちを名乗って良いのか、分からないんだよね?」
 迷いを的確に衝く発言に二人は息を詰まらせた。
「僕もね、同じ経験をしたから良く分かるよ。今はもう一つの名前の方を名乗っているんだ」
「何で名乗っているんスか?」
「前の名前は、捨てたんだ」
 返答された瞬間、場の空気が一瞬だが凍り付いた。 
「え?そうなんスか?でも、親から貰ったのに、良いんスか?」
 場の空気の変化に鈍感な新藤は構わず踏み込む。それに山崎は睨んで。
「良いんだ。思い入れはあったけど、もう、戻れないからね」
 後腐れが無いのだろうか、表情は陰る事は無く、躊躇を見せない。その彼を強いとも、悲しいとも言えた。
「それだけじゃなくて・・・」
「姿が変わったり、見覚えのない物を持っていたり、知らない記憶を思い出したりする事にも、見当が付かないんだ。何か原因がある筈なんだけど・・・ごめんね、これらには答えられないんだ」
 問いたい事を先読みして防がれてしまう。考えが面に出ていた訳ではなく、彼も同様の思い故であろう。
「何方を名乗ってても構わないよ。それで?」
 促され、二人は深く、深く考え込む。本名ともう一つの名、どちらも自身を示し、己がものと認知している。だからこそ、困惑するのだ。
「・・・山崎、和也だ」
「新藤晃、っス・・・宜しく」
 再三に迷った末に二人はそう名乗る。それでも気に喰わない様子は違和感を残し続ける為か。
「・・・うん、和也に晃だね。これから宜しくね」
 これからの付き合いを喜ぶように満面の笑みを浮かべ、利き手が差し出される。それは握手、二人には無い習慣だが、おずおずと応じ、確りと握り合っていた。
 彼の手を握ると、その手の平には幾つかの突起があった。それは肉刺、それもかなり硬くなっており、相当鍛錬を重ねている事が解った。
 三人の間で燃える焚火が音を立てる。水分が熱で弾けた故のそれは、静かになったその場に、不安を抱く二人には良く響き渡った。
「さて、本題に入ろうかな」
 重い溜息を挟み、静かに語り出す。それに二人は耳を傾け、意識を集中させた。
「この世界は、不思議な力や魔物モンスターが棲息していたり、本当に色々な要素が溢れている場所なんだよ」
「・・・モンスター?」
 それに一つの化け物の姿が浮かぶ。導き出されるように。
「姿形は様々だけど、一概に言えば、人に危害を加える動物を指しているんだ。まぁ、直に分かるよ。もう、会っているしね。あのローウスに」
「ああ、あれもそれに含まれるのか」
「気を付けてね。魔物モンスターの多くが凶暴で好戦的なんだ。こっちを発見したら襲い掛かってくる奴が多いんだよ」
「へぇ~、そうなんスね」
「まぁ、時期に思い出すと思うし、気長に慣れていけば良いよ」
 気楽と取れるのか、成るべくしてなると長い目で見ているのか。励ましの言葉を受け、頷く新藤ととある言動に山崎は気を留めていた。
「それで、これまで、僕を含めた多くの人がこの世界に連れてこられて、各地で生活しているんだけど、皆、突然に此処に来たから、原因が分かっていないんだ」
「詰まり?」
「先に言うけど、僕が所属するギルドは調査を生業としててね。この世界を逐一調査をしているんだ。だけど、分からない事ばかりなんだ。如何して、この世界があるのか、如何してで来たのか、とか、あんな化け物が居たり、見た事がない物がある意味とかをね。でも、調べても調べても全然分からない事だらけなんだ」
 肝心な部分は分からない。そこで拍子抜けや期待外れと思うは失礼であった。その点は彼とて知りたくて止まない事だろうから。
「・・・って、事はレインさんの他にも一杯人が居るって事スよね?」
「そうだよ。僕が向かっている所はセントガルド城下町って言われててね、数少ない人が住める場所の中では一番人が住んでる場所なんだ」
「城下町?この世界に元々人が居たのか?」
「城、って事は王様とか居るんスよね!?もしかして会えたり出来るんスか!?」
「いや、居ないんだ。僕より先に来た人にも聞いたんだけど、無人だったんだって。だから、それを間借りしている感じなんだ」
 謎か深まる言動に二人は眉を顰めた。
「明日には着くけど、絶対吃驚するから楽しみにしてて!」
「ええ!?気になるじゃないスか!教えてくださいよ」
 勿体振った言動に新藤がはしゃぐ。怪しみ、睨む山崎だが悪巧みではないと判断して、水を差す事はしなかった。
 話しつつ、細やかな食料を齧っていれば、無くなるのは自明の理。
 その事に物足りなさを感じた新藤が残念そうにする。それを見て、レインは申し訳なさそうにし、失礼な態度を行った彼の頭部は軽く小突かれた。
「まぁ、知らない事ばっかりで不安はあるとは思うけど、心配しなくて良いからね。皆もそうだったし、僕達が支援するからね」
「手伝ってくれるんスか?」
「人と人を繋ぐ架け橋__ライラ・フィーダ__#はね、調査の他にも支援活動をしているんだ。君達みたいな新しく来た人達が、不自由なく生活出来るようにある程度の事をね」
「頻繁に来るものなのか?俺達みたいな奴」
「そんな事はないね。滅多に来ないよ」
 そこで新藤がある事を思い出して、息を小さく吸い込んだ。
「じゃ、じゃあ!他にも人が来てないスか!?」
 その言葉にレインの面が変わる。
「君達の他にも沢山居たの?」
「どれぐらい居たのか分からないが、居る筈だ。もう、何人かは・・・」
 そこで思い出す。あの時、確かに目の当たりにしたのだ、人の死を。血に染まった姿を思い出し、山崎の表から感情が消え失せた。感情が麻痺していた事を自覚し、なけなしの明るさは夜に消えた。
「それで、君達は何時ぐらいに来たの?」
「昨日ス。朝に何時の間にか居たんス」
「そっか・・・やっぱり昨日、か」
 難しい面でもの思う。何かに納得したようで思考を巡らせていた。
「・・・君達を見付けたとか、その位置とかの情報を送っているし、僕の仲間も調査しているから、安心して」
「お願いして良いスよね!?俺の母さんを、親を助けてくれるっスよね!?」
「・・・分かった」
 明るく見せて、親の安否が知りたくて気が気でなかったのだろう、胸が詰まる思いであったのだろう。レインに掴み掛かり、切羽詰まった面で懇願した。その姿に、山崎は羨むような、同情するような顔で見つめていた。
 一身に受けるレインは深刻な顔で答える。笑顔で答えられないのは確実性がない為であろう。過度な期待をさせてしまえば、裏切られた時、互いが深く傷付くから。
「お願いします、レインさん」
 強く、強く願う。それに彼は良心の呵責を感じてか、切ない面を反らしていた。
「・・・兎も角、明日はセントガルドに着くし、忙しくなるから、寝ようか」
 それは本当なのだろう。けれど、快諾出来ぬ不甲斐なさもあっての事か。
「・・・そっスね、じゃ、寝ましょっか!」
「明日も如何か頼む」
 安心した新藤は気分を良くしたままで横になり、再度謝意を示した山崎も横となる。
 直ぐに寝付けないのは、今の不安と今後の憂いか。それでも寝静まったのは抜け切らぬ心身共の疲労からだろうか。
 二人が眠り就くのを眺めたレインは悲壮を宿す。それは二人を憐れんでいる、特に新藤を眺めて。行き着くであろう結末を想像し、固く瞼を閉ざして、溢す息を震わせていた。

【3】

 翌日が迎えられた。天候は変わりなく、朝焼けが凶兆を告げるような禍々しい光でもなく。
 赤々とした光は次第に薄れ、世界は鮮明になっていく。流れる風に因って響く草の音が、目覚めを促すように。
 静かに佇む馬車、寝静まったレイホース、白い煙を立ち昇らせる鎮火した焚火の傍には三人が眠る。しかし、うちの一人が魘されていた。
「・・・ぅ、ぅう・・・ハァッ!!」
 飛び起き、呼吸を荒げるのは山崎であった。汗を流し、顔色を悪くする。余程の悪夢を見てしまったのか、額を抑えてかなり気分を損ねていた。
「また、あの、夢か・・・」
 沈鬱とし、哀切を表情に滲ませて声を震わせる。何度も深呼吸を繰り返し、汗が引くまで抱えた感覚は消える事はなかった。
 その原因を彼だけが知る、彼だけしか知らず。そして、誰も告げず、二人の起床をただ静かに待っていた。二人が起きても平静を保って見せていた。

「さて、行こうか!」
 レイホースと馬車を、専用の馬具で繋ぎ、焚火の後始末を済まし、各々の仕度を終えた事を確認したレインが意気込んだ。
「そう言えばセントガルドって、何処にあるんスか?レインさん。今日には着くって言ってましたけど」
 出鼻を挫くように質問が投げられた。それは山崎も思っていた事、口を挟む事無く一部始終を眺めて。
「ああ、言ってなかったね。でも、此処からでも場所が分かるよ。ほら、進行方向を見たら、ね」
 反応を楽しむように促され、二人は正面に視線を映す。すると、二人は目を見張った。信じられぬものを見て仰天していた。遥か向こうに立ち聳える何かは、有り得ているとは到底思えなかった。
 一概に例えて、世界を区切る壁とでも言おうか。その存在感は何人たりとも無視出来ず、凌駕する事も出来ないだろう。そして、それを製造する事は人の身では出来ないだろう。
 一面とは言えず、如何表現しようか。視界を埋め尽くすほど、何町にも渡ってそれは延び、何丈にも超えてそれは聳える。遥か高く、空をも断絶するほどのそれは壁であった。
 黒よりも黒く、その表面は艶やかに。反射に一切の澱みは無く、遠目であろうと歪みなど一切ない。破損など論外、絶えずして在り続ける事を定義付けられた様に。
 その重厚感たるや、巨峰たるや。難攻不落では生温い、踏破など不可能、越境など許させず、破壊など以ての外。絶対を宣言するように、其処に在った。
 その巨大さは何を目的として作られたのかを想像させる。何かから途絶させる事は確実だが、首を捻らせるばかりであろう。
 昨日、それに気付けなかったのは暗がりに落ちつつあった為か。まだ、調子が整っていなかった為であろう。今はただただ、驚くしかなかった。
「何だァ!?ありゃッ!?」
「あれが、昨日言っていた奴か!?」
 二人して仰天する。思わず尻餅しかねないほどの衝撃を受ける姿を見て、レインは予測通りととても楽しそうに笑う。
「皆あれを見て驚くんだ。僕も驚いたんだ。あの大きな壁も、何の為にあるのかも分からないんだ。来た時から在ったからね」
「崩れたりしないっスよね?あんなの崩れてきたら、避けようが無いっスよ!?」
「大丈夫、ダグ・パネツィアの壁って呼ばれているんだけど、今迄揺れた事すらないからね」
 それを見ての不安は当然だが、レインはその壁に絶対的な信頼を寄せているよう。恩人がそう言うので二人は一先ず信用していた。
「でね、足元?かな。下に、今から僕達が行こうとしている場所があるんだ」
 促され、確認すると壁とは異なる色が存在していた。
 目的地はその巨壁の足元、ぽつんとあった。影に隠されつつも建つ。遠目ながらも灰色の建造物があるのを確認出来る。およそ半日を要する距離間で視認出来る為、其処もまた巨大である事は確か。それでも目に映り難いのは、後方の壁が原因である事は言う間でもなく。
「なんか、こう・・・パッとしないスね」
「まぁ、後ろの壁が大きいからね。でも、近付いてみたら、大きな場所だと分かるから。さ、出発するから乗って」
「分かりました、お願いしますね、レインさん」
「宜しく頼む」
 レインの指示に二人は応じて馬車に乗り込む。それを確認した彼は運転席に乗り込み、手綱を振るった。ピシャリと身を叩く、軽快な音が響き、レイホースは歩き出す。
 最初の一歩は地面を軽く震わすほどに力が篭められ、次第に車輪が音を立てて回り始める。ゆっくりと、正面に向けて。

 馬車に揺られて数時間が経過した。緩やかな歩行の為、時間は余計に必要としよう。その間、手慰み程度の剣を眺めていたとしても無聊の慰めにすらならない。退屈を感じるのは避けられず。
「そう言や、レインさん。俺、こんなの拾ったんスよ」
 耐え切れなくなったか、運転席を仕切る布を取り払った新藤が唐突に差し出した。
「ん?どれ?」
 特に驚く事無く、平気な様子で差し出された投身が砕けた剣を眺める。凝視すれば投身を固定する鍔、取っ手の柄も触れば痛覚を感じるほどボロボロに。
「俺も偶々手に入れた。いや、何時の間にか持っていた。服もそうだが、これも分からないのか?」
 話題に出された為か、山崎は見せる事無く、拾った鞘に納めれた剣を眺め始める。
「・・・そう、だね。何か意味があるとは思うんだけどね。因みに僕の場合は何も持ってなかったけどね」
 その点に関連性はないと、剣を見つめて。眺めているうちに、山崎は不思議な感覚に襲われていた。
 不思議な形状の剣の表面には汚れが付着しているのだが、それは乱暴な扱いをした為。それでもその表面、白い鞘、鍔に柄と傷一つ付いていない。何体かの骨身の魔物モンスター、スケェイストを葬ってきたにも関わらず。
 眺める彼は不思議と安心感を抱く。同時に、胸の奥から込み上げる熱さも感じた。湧き立つ思いは悲しみ、それを自覚しても理由を、彼には分らなかった。

 各々に時間は費やし、人の目線でも目的地の巨大さが見て取れるようになっていた。その頃になれば、二人は馬車から降り、並行して向かっていた。
 近付くにつれ、巨大な黒壁は威圧感を増し、歴史的凄みが感じ取れた。巨大な波が押し寄せるような圧力は息が詰まりかねないだろう。
 その押し潰されかねない圧力の下、まさに下敷きに目的地は構えられていた。
 白き石壁が並ぶ。人を易く越え、並大抵の建物を包み隠すに容易き高さを有する。隠す幅は都市程度でも易いだろう。何千、何万と人や生物を収容したとしても、持て余すほどの余裕があろう。
 しかし、背後の威が凄まじく、矮小に見えてしまうのは仕方ないのだろう。
「確かに、凄いには凄いが・・・」
「後ろのあれが無かったらなぁ」
 二人は正直に気持ちを吐露した。それにレインが苦笑いを零す。
「ま、まぁね。でも、気にしなくなるよ、実際、素晴らしい場所だからね」
 擁護する彼だが、事実と彼も同じ思いだから強くは言えていなかった。

 更に時間を掛けて漸くに到着した。間近に立たなくとも黒壁を隠せる為、比べなくとも巨大である事は変わりない事が示された。
 そして、二人は二つの事に気付く。遠目では気付けなかったのだが、壁は大理石のような艶やかな石材を使われ、とある部分は異なる材質が使われて境目が出来ていた。確認すれば、それは門であった。
 傷など許さぬ、硬質で厳重な石門は艶やかに。どれ程の年月を経過させたのかを読ませぬほどに美しく、そして強く在るそれは頼もしさを感ずるばかり。だが、それ故に開ける事は困難を強いるだろう。
「この壁の中にセントガルド城下町があるんスか?レインさん」
 目の前に存在する壁を殴り、無意味な硬度を調べながら新藤が問う。
「そうだよ、この壁はセントガルド城下町を守る外壁になっているんだ」
「へぇ~、楽しみだ!どんな風になってんだろ」
「漸く、落ち着けるな」
 喜ぶ横、山崎は静かに安心を抱き、溜息を吐きながら外壁を見上げていた。
 気を休めると言う点もそうだが、他の誰かを見る事が出来る。誰かに安息を求めてしまうのはやはり人恋しさであろうか。
 目まぐるしい事態に襲われ、死を覚悟するほどの極限な事態を経験したのだ。そうなってしまうだろう。そして、それは新藤とて同じだろうか。
「本当に、感謝している、レイン」
「お礼なんかいいよ、そうするのは人として当然だしね」
「いやぁ、レインさんに会えて本当ほんとに良かったっス!感謝し切れないっスよ!!」
 二人は再度助けて貰えた事を感謝する。本当に人が良いのだろう、恩を着せようとはせず、照れ臭そうに笑うだけであった。
 最初に会えた人物がこの人で良かったと、助けてくれた人がレインであった僥倖を、二人は噛み締めるように喜んでいた。
「さぁ、入るよ。着いてきてね」
 笑顔のレインはそう言って、人の身に余る巨大な門に手を掛ける。
「え?こんなの、一人で開くん・・・」
 疑う間に彼はゆっくりと身体を前に移動させた。すると、いとも簡単に門は動くではないか。耳障りな音を発する事無く、大した力も込められていないと言うのに。
「行くよ」
 知っている為、レインは手綱を持ち、レイホースを引き連れて平然と中へ踏み入っていく。その一部始終を二人はただただ驚くばかりであった。
 二人の耳には騒がしい物音も届かず、開かれた門の内側を確認する。だが、特に変わった箇所は見られず、疑問は深まるばかりであった。
「・・・兎に角、行くぞ」
「あ、ああ・・・」
 二人はこの点について、あまり物事を深く考えない事を選択した。考えた所で解決に至れないと判断して。
 納得出来ない事でもやもやとした気持ちを抱えたのだが、その思いは直ぐに迎えた景色を前にして全てが吹き飛ばされる事となっていた。
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「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」 気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。 しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。 「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。 だが……一人きりになったとき、俺は気づく。 唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。 出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。 雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。 これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。 裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか―― 運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。 毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります! 期間限定で10時と17時と21時も投稿予定 ※表紙のイラストはAIによるイメージです

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