此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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寒く凍て付く雪、温もりに厳しさは和らいで

喜びと哀しみ、それは共に分かち合ってこそ

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【1】

 過ぎ行く時間、人に寄り添う事も突き放す事も無く、緩やかに。それでも、人には、騒動を治め、復旧に心血を注いで進める人々には早く感じるだろう。
 朝が訪れて間もない頃、人知れず出現した城を抱くセントガルド城下町から離れる。遥かに離れる、遠方の空は赤みが差す。空の大部分はまだ夜の黒に染め、鎮められているのだが、彼の陽に照らし出されるのは逃れようもなく。
 赤は黒を霞ませ、鮮やかな蒼と白の麗しい色を映し出す。朝が緩やかに、夜空が静かに明けていく。彼方から覗かせる陽、それは希望の日の出とは言い辛く。見目麗しく、心を奪われるに値する変化の中で垣間見る絶景だとしても、状況がそれに浸る余裕を奪う。
 緩やかな変化を位置、遮蔽物はほぼほぼ無く、目立つほどに小さな弔いの証が敷き詰められる場所。全貌を見渡せてしまう場所でトレイドは、独り立ち尽くす。その様、遥か彼方の記憶を、忘却の彼方に沈めないようにしがみ付く思いで、寂しい眼差しで。
 その胸は軋み、何処までも削り続ける痛みが続く。それは心までも届いて。眺めるのが辛くとも其処に足を運んだのは、現実を忘れない為に。いや、自然と足を運び、悔やみ、悲しみに囚われていた。吐く息に感情の全てが滲んでいた。
 この時間帯に訪れているのは彼のみ。暫く、此処に足を運ぶのは埋葬する者を除けば数えられるほどだろう。自分さえも明日を生き難くなっている現状、墓参りなどの時間は惜しい上に、今は悲しみに囚われたくない為か。ともあれ、彼は今一人、歯痒さを抱きながら涙を伝わせていた。
 小さく溜息を零した彼は惜しむように踵を返し、その場を立ち去っていく。朝焼けの水平線を背に、セントガルド城下町へと。胸の焼けるような痛みを、軋む痛みだけを残して。過ぎ去り、如何しようもない過去の出来事を後にして。

 銀龍の横暴に拠って多くの、尊く、儚い命が散った。犠牲と言えず、計りたくもないほど多大に命が喪われた。数少ない人手の中で弔われ、次の日が迎えられていた。
 天は孤独な雲も浮かばせず、気が遠くなりそうなほど青く澄み切り、緩やかに昇り来る真球が、神々しいだけの光を放つ太陽の存在を強調する。それは残酷なまでの世界の実情を照らし出す。そして、神など居ないのだと、微笑み掛けてすらしてくれない事を、思い知らされていた。
 町の何処かではまだ泣いているだろう、悲しみに嘆いているに違いない。それとも、この理不尽な現実から逃げようと空想に浸ろうとしているのかも知れない。目の前の現実が、触れて、冷たさを実感して身震いしても。いや、解るからこそ現実逃避に陥るのだろう。
 憂鬱を過ぎ去り、町の中は少しずつ陰々滅々とし始める。血の気、生命力すらも失いかねない悲惨さ。それに耐えられるのは既に似た体験を経たのか、強い精神で自己を保っているのか、その暇すらもないほどに追い詰められている為か。
 だとしても、今日もまた人々は動き出す。生きていく為に、逃れたいと、嘘だと必死に否定したとしても少しずつ悪き状況を正していく。進むしかないと、諦めるように。

 響く悔恨の音。耳の奥、脳内の残響し続ける各地の作業音。朝早くとも始められたその音を微かに身に受け、瓦礫の海に埋もれた道を進むのはトレイド。その隣にはセシアの姿があった。
 重く、言い表せない感情を表情に映し、瓦礫を踏み越えながらも目的地を目指す。それはセシアがトレイドに頼んでの事。瓦礫撤去に臨んでいた彼は直ぐにも応じ、その途中である。
 黙々と、ただ目の前を見定め、瓦礫で転ばぬようにそれなりに気を配って歩む。瓦礫を踏む感触は、苛む自責の念がそうさせるのか、まるで故人を踏み付けて行くようで心地が悪く。
「トレイド」
 この城下町を包む空気に相応しき、入り混じった感情と喉が詰まるような声でセシアが呼び掛ける。それにトレイドは足を止めた。
「・・・如何した?セシア。お前達が借り受けている地区に向かうのだろう?それとも、別に用事があるのか?」
 トレイドもまた同じような声で返す。受けたセシアは更に思い悩む表情で向き合った。
「これは・・・俺達の、所為なのか?」
 そう、呵責に囚われながら彼が問い掛ける。それを受けて察して表情を荒める。人族ヒュトゥム、住民達から心の無い、無責任で、無情な言い掛かりを受けて心を痛めたのだと。
「馬鹿な事を言うな。これは魔族ヴァレスの所為じゃない、あの龍、インファントヴァルムが引き起こしたものだ。絶対に、人の所為にはならない、なってたまるか」
 此処まで来て魔族ヴァレスに向けての誹謗中傷を行う愚かな者に義憤を抱き、不当なそれで心を痛める彼を諫める。決して魔族ヴァレスは悪くない、それを力強く強調して諭す。
「だが・・・」
「良いか?お前達の事を良く思わない連中が何と言ようと関係ない。誰かの為に動いているお前達は、尊敬値する。誰かの為にも動けず、この状況下でも人を貶す事しか出来ない連中など、相手にするな。そいつ等は、俺からすれば、じゃない」
 怒りのあまり、見限るような厳しい意見を放たれた。後から考えればそれは失言、感情の余りに出た言葉だが本心でもある。そんな厳格な様にセシアは悲しそうな表情を滲ませた。
 気遣い、想ってくれる事は嬉しい。けれど、それで誰かに見切りを付け、幻滅して突き放すような考えは苦しかった。まるで、自分達の所為で切り捨てている様に思えて、それに少なからず責を感じて居た堪れなく思って。
「・・・どれぐらい、亡くなったのか、分かるか?」
「分からない。数えていないが・・・昨日で二十以上は、埋葬したと、聞いている」
 確認するだけで胸に痛みが走った。それだけ亡くなった、それだけ助けられなかったと。もう過ぎた事、終わった事、如何しようも無かった事と言えど、責を感じて止まずに。
 哀しみに包まれ、重く沈んでしまった沈黙の中を二人は重き足取りで、魔族ヴァレスが暮らす場所へ向かっていった。

 表情に陰を落とした二人は目的地に、生活区の一角に到着し、直ぐにも復旧作業に当たっていた。
 とは言え、行う事は他とほぼ変わらない。単に女の手では運び出せない巨大な物を除けるだけ。一旦は開けた場所に瓦礫を除け、一区切りが付けば、一時的に除けた瓦礫を外へ運ぶのみ。或いは大打撃を受けてながらも何とか形を保った建物の修復程度か。
 その折り、トレイドは少しだけ警戒を周囲に広めていた。先のセシアの会話から、貶しに来る暇を持て余している者が来ないとも限らないから。
 セントガルド城下町の各地に撒き散らされた瓦礫の海、まるで貝を一つずつ拾い上げるように彼等は、多くの者は運び出していく。大小、男女も老若も関係なく、統一した思いで懸命に動く。若しくは、誰かの為にと。そうした思いをトレイドは顕著に感じ取っていた、傍で見られる光景からでもひしひしと。
 汚れて所が敗れてしまった衣服で女性と子供達は自分達が住む建物より、近隣住民の建物を優先して取り掛かっていた。自分達よりも先ずは誰か、何の企みも無く、ただただ善意で。半ば快くないと言った視線を向けられているとしても。
 近隣住民は人族ヒュトゥム、青年や中年は特に訝しんだ面で睨み付けて。けれど、文句を口にする事は無い。真剣な面持ちで、他者を優先する姿勢に多少なりとも認めている為か。
 瓦礫の一端を担いで運ぶトレイドはそうした光景を見て多少葛藤した。良い方向か、それともと。ただ、子供達の敵愾心が少しだけ薄れている事は喜ばしい事であった。
 せめて良い方向に向かっていると淡く期待を寄せながら自分が出来る事を進める。その折りに家具を引っ張り出そうと力を絞り出していた女性を見掛ける。
「手伝おう」
「~っ!・・・え?よ、宜しいのですか?それでは、お願いします」
 話し掛けられた彼女は少々恥ずかしくしつつも、素直に助けを求める。それを受けてトレイドは瓦礫を其処等に捨てるように置いてから家具に手を掛ける。
 それは女性だけでは少々手古摺る小さめの棚。それの一角に手を掛け、力むと同時に持ち上げていく。
 トレイドに掛かれば然程手の掛かるものではなかった。少々両腕に負荷が掛かったものの、女性の指示に従って動けるほどには余裕があり、結果的には易々と棚を掘り出した事になっていた。
「ありがとうございます」
「気にしなくても良い、こんな状況だからな。それよりも他に運ぶ物はあるか?」
 傍らに転げないように置いてから次を求めるも彼女は辛そうな表情で断る仕草を挟む。
「一先ずは大丈夫です」
「分かった、何かあったら言ってくれ」
 感謝を述べる彼女に言い残しながら先の瓦礫を担ぎ直し、外に向けて歩き出していった。
 瓦礫を町の外へ運ぶ途中で眺めた町中。まだ数日程度では大した変化とはならない。けれど、ほんの少しだけ町に広がる空気に変化が生じ始めたかと見ていた。復旧作業に取り組む者の数が増え、ギルドの者のみならず、住人の姿も見られる。少しずつでも現状を如何にかしようと動いているのだろう。
 まだ不安が否めない状況を前にして表情を引き締めたトレイドは寄り道もせずに外へ一直線に向かい、戻る足も別の場所へ向かう事も無かった。

「コラッ!走らないの!待ちなさい!」
 手伝うトレイドはふと、女性の叱り付ける声を聞き取る。言葉からして子供に対してのもの。気に留め、視線を向けようとした寸前に何かがぶつかられて多少体勢を崩していた。
「っと、ん?」
 転ばず、直ぐにも体勢を維持した彼は足元で物音を耳にする。その方向へ視線を向けると、尻餅を着いて痛がる少年を発見した。
 多少だが散らばる瓦礫が少なき地面の上で転んだ為、怪我は負っている様子はないが痛みはあろう。だが、それも転倒した際に少し打ったぐらいか。直後に別の少年が駆け寄り、心配して言葉を掛けていた。
「危ないから走るなよ。今みたいに誰かにぶつかるから危ないからな。ほら、手を出せ」
 比較的優しい声で諭しながら手を差し出す。余計に怖がらせないと気を付けて。
「ご、ごめん、なさい」
 痛みつつ、注意された事で少々怖がりながらも涙目の少年は応じる。引っ張られて立たされた後に怯えながらも謝って。
 子供の身体は片手でも足りるほど軽かった為、引き上げたトレイドは小さく驚いていた。肩に瓦礫を担いだままでも容易かった事も踏まえて。
「分かっているなら良い。それよりも怪我は無いのか?」
「う、うん。大丈夫、だよ」
「そうか。もう一度言うが、次からは気を付けろ。注意されたらちゃんと聞くようにな」
「う、うん!」
 威嚇しないように注意し、決して怒る事無く、優しく言い聞かせて理解させる。その甲斐があってか、少年は真面目に受け答えていた。それでも少々怯えが見えていたが、トレイドが頭を撫でた事で警戒心は解かれていた。最後は笑顔も見せてくれて。
 ちゃんと聞き分けた少年は友達を連れて急ぎ足だが注意して立ち去っていく。それを見送りながらトレイドは運搬を再開する。その際に彼は改めて周りを見渡した。
 先の子供達は注意していた女性に叱られている傍、微笑ましく眺めるのは魔族ヴァレスの女性達だけでなく、人族ヒュトゥムも同じようにしていた。気持ちが治まれば、各々が行っている事へ向かう。集中して取り組む姿は敬われる事。
 けれど、其処にまだ溝がある事は否めなかった。距離があからさまに取られ、一時も視線を合わせようとしない。関心を持とうしていない訳ではない。けれど、歩み寄る意識が希薄に感じられた。
 その事に溜息を零しながら外へと向かっていくのであった。

【2】

「何を、している?」
 魔族ヴァレスの手伝いを行う最中、許容出来ない出来事と遭遇していた。物陰に隠れるように、数人が崩れ果てた建物の中の異変。気付き難かったが、公道沿いから見える位置だから気付けて。
 その中で、数人の大人が一人の女性を取り囲んでいた。それならば、まだ異変ではない。蹲る彼女に恫喝の声を、掴み掛かって暴力も振るって。それを見れば、今行っている事を放り出し、その場に駆け付けていた。
 気付かれ、何かを言い掛けていたが関係なく捻じ伏せていた。無防備な後頭部を掴むと壁に叩き付け、反応した男には鳩尾へ殴り付け、反撃しようとした男の首元を掴んで壁に押し付けて。
 数分も掛けずに制圧、痛みに苛む声や呻き声の中、喉を絞めながら問い掛ける。苦しみもがく姿から視線を移動させて蹲った女性を確認する。
 助けられた事に面を上げる彼女、痛みに耐える際の涙を流し、痣を少し残す。その目、十字の模様があって。如何言った理由で暴力を振るったのか、瞬時に察したトレイドは感情のままに目の前で押さえ付ける男を睨んだ。
「今直ぐ、此処から消えろッ!!」
 その一喝に男達は震え上がった。一瞬で三人を制圧出来る力量を合わせて、叶わないと察して一目散に逃げ出す。仲間を置き去りにする勢いで散り散りに。
 無様に逃げる様を睨んだ後、女性を立たせる。御礼を述べる彼女は思ったより軽傷であり、それには一先ず安心して。
 事情は何て事は無い、魔族ヴァレスである事で難癖をつけられて、と言ったもの。状況故の鬱憤も多少はあろうとも、弱者を嬲って発散する腐った性根に、静かに怒り狂って。
 だが、その事に時間を費やす事よりも女性の怪我を優先し、天の導きと加護セイメル・クロウリアの者を探して共に歩き出す。再度彼女が襲われない為の護衛も兼ねて。
 治安の悪化、住む環境が崩壊してしまえば、それは当然の流れかも知れない。だが、だからこそのギルド、法と秩序ルガー・デ・メギルだと言うのに、それが機能していない。此処まで手が回らないほどに人手が足りないのか、それとも魔族ヴァレスだから放置していたのか。それは分からず。
 想像すれば嫌な方向に考えてしまう。けれど、先の騒ぎで周囲の誰もが止めず、見向きもしない事がそう示しているようで、悔しく、虚しく感じられた。尽力してくれる姿を知っているとしても、理不尽を振る舞える神経を憤り、そして嘆くしかなかった。

 無事に女性の傷を直す事が出来た後、共に借り受ける一角に戻って来たトレイド。それからも復旧の手伝いに取り組んでいた。其処に住んでいた者以上に真剣に。
 操魔術ヴァーテアスを有する彼女達だがそう積極的に使用する事はしない。もしも瓦礫の中に埋もれた人が居て、乱暴に瓦礫を除けてしまえばどうなるかは言うまでもない。また、瓦礫を撤去している時に高所の瓦礫が崩れる、或いは何かの拍子で瓦礫が雪崩を起こした時、使えなければ危機を避けられない。そうした点で、乱用は出来ず。
 だからこそ、彼女達は手作業で奮闘していた。もしもを想定しつつ、懸命に動き回って。
「・・・ふぅ」
 丁度一区切りに差し掛かったトレイドが溜息を零して立ち止まった。この時でも剣を所有しており、邪魔と感じつつも持ち続けていた。それは単に手放したくない思いがあって。勿論、剣自体の危険性も考慮しての事。
 その為か、必要以上に疲れた彼は小休憩を挟んでいた。その折りに思考を渦巻かせていた。無論、この状況下にも関わらず、魔族ヴァレスを虐げようとする意識について。
 それは最早、溝と言うより楔の様なものだろう。年数を掛けて出来上がった敵対意識ではなく、記憶と刷り込みに拠る敵意。今の状況でも一時的な強力すらも出来ない愚かさを憐れとしか言えず、其処まで短慮に慣れる住民達に疑問視してならなかった。
 ふと、周囲に目が行く。黙々と作業に勤しむ姿、子供達や女性達が互いを鼓舞し合い、敵意や距離を置かれようと友好的に振る舞う姿。多少でも変わりつつある今、その変化に水を差すような問題に頭を悩ませ、胸に痛みを感じて止まなかった。
「トレイドさん、此方にいらしていたのですね」
 思い悩む彼は聞き慣れた女性の声を耳にする。反応して振り返ると柔らかな表情を浮かべて近付いてくるクルーエを発見する。
「クルーエか、俺を探していたのか?」
 何時もはふんわりと広げた朱色の頭髪を後方で纏めており、その身形は良く働いた証拠を強く刻む。腕や顔に土汚れや掠り傷が少し。女性の身であろうと懸命に役に立とうとする姿は敬意を抱けよう。
「はい、セシアさんが先程探していました」
 汗を流し、それを拭う彼女は普段の一歩引いて構えるような様子は無く、やや溌溂として発音も普段より切れが良く。それだけで印象は違えて。
「俺を?分かった、ありがとう」
「いえ、構いません。それよりも、手伝ってくれてありがとうございます、トレイドさん」
「気にするな、協力し合うのが当たり前だ。それよりも、怪我をしないようにな」
 互いに労い合った後、彼女が示すよう方向へと向かう。元々空き地があり、銀龍の影響で壊された事で更に開けてしまった通路。其処で人探しをするのは随分と楽となり、直ぐにもセシアを発見する。先程、子供達を叱った手前、気を付けながら近寄っていって。
「セシア、俺に用事があると聞いたが?」
「ああ、トレイド。来てくれたか、ちょっと手伝ってくれ」
 一人瓦礫と向き合って格闘していた彼。呼ばれた事で一旦その手を止め、協力を要望する。頼み事は間違いなく、その瓦礫であった。
 身以上の巨大なそれは嘗て建物の一部、石壁であったもの。目的はそれを除け、下敷きとする食器棚と思しき物体を取り出そうとしているのだろう。それは一人では到底動かせない大きさである事は一目瞭然、加えて操魔術ヴァーテアスを使ったなら一人でも可能だろう。けれど、それでも使わないのは念を入れての事か。
「これを除けて、下の棚を取りたいんだ。多少残っていたら御の字だがな」
 大抵の食器は陶器或いは鉄、木製だが、恐らくは陶器。崩壊に巻き込まれた為、期待は出来ないが投棄の序でに確認しようとして事だろう。
「分かった、合図で持ち上げるぞ」
 了承して瓦礫に手を掛ける。同じようにセシアも手に掛け、ほぼ同時に息を吸い込んだ。直後にトレイドが合図を出し、二人は息を止めて全力で巨大な塊を持ち上げようとした。
 力む声を漏らし、痙攣する両腕は引き千切れそうなほどに痛み、持ち上げようとする身体も悲鳴を上げる。それも堪える食い縛った歯は音を立て、気が遠くなるほどに全力を発揮した。
 二人の全力、知らぬ内の能力向上のお陰か、完全に持ち上げる事は出来なくとも、位置をずらす事には成功する。小さな瓦礫を更に砕く重さのそれは音を立てて降ろされ、周囲に土埃が舞って。
「はぁ、はぁ・・・良くこれを動かせたな。おい、取り敢えず出せたぞ!」
 重い筈、それは嘗て壁に固定されていた。その為、壁の一部がまだ一体化しており、ただの重りにしかなっていなかったのだ。
 二人で何とかずらせたセシアはトレイドを労いながら誰かを呼ぶ。誰を呼び、聞こえているのか分からないのだが、彼は食器棚に近付いて確認を始める。
「・・・これは、如何なんだろうな」
 潰されて変形した扉を強引に抉じ開けて晒す中身。予想通り、陶器のそれは砕け散り、木製の皿や鉄製の匙等と入り混じってぐちゃぐちゃに。それを少しより分けた彼は不安そうに呟いていた。
「まぁ、見た感じだろうがな」
 そのままの感想を述べた時、駆け寄ってくる足音を耳にする。振り返ると魔族ヴァレスの女性が視界に入り、彼女はそのまま食器棚の傍に、セシアの隣に位置する。
「ありがとうね、セシア。トレイドさんも。そろそろ飯時だからってんで、握り飯作ってんだよ。あっちにあるから食べておいで」
 彼女は男勝りな様子で二人の肩を叩きながら感謝を述べ、昼食が出来たと知らせてくれる。
「皆ー!ご飯だよぅ!!食べようよぅ!!」
 感謝を伝えようとした寸前に元気な幼い声が飛び込んで来た。待ち切れないと言った様子で焦れた声に女性は困った顔を浮かべる。
「慌てても仕方ないよ!・・・と言う事だから行っておいで。あたしは先に食べているからさ、気にしなくても良いよ」
「ああ、頼む」
 場の空気を和ませる子供の声に、彼等は微笑みを浮かべて遣り取りを行う。辛気臭かった空気が一新された中、子供達の気持ちに答えるように瓦礫の山を慎重に下っていった。

【3】

 少し開けた場所で二人は振る舞われた軽食を食す。貴重な食料の為、多くないそれを咀嚼すれば少しずつ旨味は薄くとも味わえ、喜びを強く感じていた。
 食べられる喜びの傍、少々寒々しい食事の時でも微笑みが漏れる。辛き現実でも互いに励まし合う姿は感動を覚え、距離を置いてまだ信頼を置かない表情には訝しんで。そうした細かな遣り取りが出来る事さえも、生きている実感と認識して感情を抱いて。
 少し離れた位置でトレイドは食事を摂る。左右を見渡し、その場に居る者を監視するように様子を眺める。兄妹の仲睦まじい姿、隣人と会話する姿、警戒しつつも心は許しつつある姿。それぞれの外には脅威は見られない。様子を窺ったり、敵意を抱く姿はない。
 胸に犇めき続ける不安、葛藤は如何しても抑え切れるものではなく、妹に軽く注意するセシアに近付く。
「セシア。少し、良いか?」
 食事の途中だが、彼の傍に寄って語り掛ける。水を差す事になってしまう事に悪く思いつつも、了承した彼を少し離れた場所に連れていく。
「如何したんだ?」
「この状況下で聞きたくはないが、責任者の一人でもあるお前の意見を聞かせてくれ」
「責任者、か・・・」
 数少ない男性の青年であり、武器を扱える身。年上の者が不幸に遭い、成り行きでそうなってしまった。若いながらもそうなった事を不本意に思い、複雑な表情を浮かべる。
「・・・そうだな。明言出来るほどの、変化はないだろうな」
 次に険しき表情でとある方向を見る。その先には少し前にトレイドが助けた女性が映る。理不尽に暴力を振るわれた事での怯えが残り、働く事で気を紛らわせている様子。知人が気を遣って保たれているような状態にも見えた。
「・・・そう、か」
 尋ねるまでも無かった。改善の方向に進んでいない事は火を見るよりも明らかである事は、トレイド自身が目の当たりにしている。溜息を吐き、顔に陰を落とすしかなかった。
 確かに共になり、協力するようには、なっている。しかし、今は目的が相互一致しているに過ぎない。心底では信頼や信用などしていない事は想像出来た。魔族ヴァレスは禍根も抱かず、困っている者を助けようとする。にも関わらず、人族ヒュトゥムは毛嫌いし、反応は抑えても、行き場を失った鬱憤に託けて暴力を振る始末だからだ。
 それでも確かめたのは別視点、客観的に確かめようとして。けれど、それは淡い期待に過ぎず、沈む気持ちは積もるしかなかった。
「時間を取って悪かったな」
「いや、構わない」
 そう小さく謝った後、彼は妹の元へ戻り、トレイドは物思いながら食事を再開する。程無くして終え、作業に取り掛かるのであった。

 そこそこに楽しく食事を摂り、程良く休憩を挟んだ皆。多少の栄養を補給したお陰か、動きは力が取り戻され、少々機敏に動いて。その軽さ故か、多少の慣れの為か、ちょっとした事件は生じる。
「痛いッ!」
 その場に少女の悲鳴が響く。傍に居た者も、周囲の者もそれに手を止めて即座に振り返る。その視線の先、涙を流し、泣き声を響かせる少女が瓦礫の上で蹲る。膝か肘、どちらかを打ったのか。
「大丈夫!?ねぇ!?怪我したの!?」
 最初に動いたのは子供。駆け寄り、泣きじゃくる少女を心配するその子は此処に住む。
「ティナ!大丈夫か!?転んだのか!?」
 次に駆け寄ったのは兄であるセシア。心底心配し、蹲った妹の様子を確認する。抑える膝には血が流れて赤く。
「痛い、痛い・・・」
「えっと、どうしよう。どうしよう・・・」
 痛がり、涙する少女。その傍で子供が狼狽してあわあわと身体を揺らすのみ。他の者も集まって心配する中、数人の女性が駆け寄った。
「ちょっと痛むけど、我慢してね。直ぐに手当てするからねね」
 と、痛みに涙する子供に優しき声で慰めながら、手にする箱を開けて処置を行い始める。
 先ず持ってきた飲み水で膝頭の傷口を洗って血と汚れを落とし、手拭いで出来るだけ優しく拭う。その後に消毒剤を撒布し、フェレストレの塗り薬を縫った後に包帯を巻き、完了とされた。
 その間更なる痛みで騒いでしまい、兄や最初に心配した子供を更に案じさせる。けれど、様子が治まれば安心して。
「はい、終わり。良く頑張って耐えたね。偉いよ」
「ありがとう。ほら、ティナ、お礼を言うんだ」
 微笑み掛けながら頭を撫でて優しく慰める。同じように兄も撫でながら女性に礼を、そして妹に優しく語り掛ける。
「ありがとう、お姉ちゃん」
 先程までの大粒の涙を拭った後、満面の笑みで感謝を伝える。その顔は可愛らしく、心配していた男の子も喜んで。
「気を付けてね、お嬢ちゃん」
「うん!」
「気を付けろよな!」
 足早に少女は少年に連れられて駆けていく。其処に少年が抱く負の印象は消え去ったのか、少なくとも心配する面、手を繋ぐ姿を見れば言うまでもないだろうか。
「ありがとう、妹の手当てをしてくれて」
「構いません、こうした作業には怪我は付き物ですので」
 兄が再度礼を述べ、処置を施した女性は朗らかに笑ってその場を後していく。その背にもう一度礼を述べ、妹の様子を確認しながら兄セシアは先の作業に戻っていった。
「・・・少しは、な」
 事の顛末、一部始終を眺めていたトレイドは頬を緩めて呟いた。それは不安を押し付けるように、ではなく、希望を抱いて口にして。
「・・・さて、続きをしないとな」
 希望とて、それは願いでしかない。それを実現する為にトレイドは瓦礫を除ける、誰かを助ける為に心血を注いで。

 喜びも悲しみも決して、痛感しても、根強く感じ取ったとしても、完璧に共感する事など出来ない。ただ悪戯に力を振るって傷付け、心すらも傷付ける事もある。
 だが、人である以上、言の葉を交わし、意思疎通が出来る。ならば、思いを交し合う事も出来るのだ。それを示す決定的な時間、機会であろうか。決定的でなくとも、僅かでも、心ばかりでも、兆しに繋がれば喜ばしい事。それを目の当たりにして、現状を変えたい者達を奮い立たせるのには十分過ぎる一部始終であった。
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