此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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寒く凍て付く雪、温もりに厳しさは和らいで

悲劇の跡、感情は入り混じり

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【1】

 セントガルド城下町のみならず、世界を文字通り震撼させたであろう大地震。直後に飛来した、灰銀を伴う焔カサシスの異名で恐れられるインファントヴァルム。この翼龍が齎した被害たるや、現実を直視したくない想いに駆られよう。悲しみが、この町を包み込んでいた。
 銀龍は荒廃した町中に横たわり、咽返るような血の臭いを漂わせる。周囲は流血で赤黒く汚れる処でなく、最早小さな川を作り。戦いの烈度を物語る、崩壊した建物と延焼が広がる中で沈黙する。
 人々の命を護る為、或いは生き残る為に、人々は立ち向かった。多大な犠牲を出したものの、これを討った。故に亡骸となった銀龍、向けられるのは総じて憎悪の念。
 一つの災厄は人々に恐怖を植え付け、混乱を招いた。宥めようとも中々治まるものではない。混乱は一朝一夕に消える訳がなくとも、ゆっくりと、時間と共に過ぎるだろう。そして、悲しみも同じように。
 だが今は、時間が過ぎ、訪れた夜の中で再び向き合うしかなかった。

 炸裂しそうな感情が交錯し、滅入りそうな夜を明け、トレイドを含めた大勢が人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの建物で目を覚ましていた。
 其処は見掛けとは違って頑丈だった為、ある程度形状は保たれていた。とは言っても、建物の東側、通路から向かって左側が崩れると言う、言わば半壊状態。天井の一部が欠損、外壁と内壁、その垣根は一切取り払われてしまった。
 そんな悲惨な状態ながらも何とか現存する、それだけも喜ばしい事。修復出来る部分は応急処置を施し、安全を確認し、空間を確保した後に寝泊まりの為に使用されていた。
 人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの人間に加え、魔族ヴァレスも活用した為、狭くなったのは仕方なく。その上、ベッドや毛布などの寝具は崩壊に巻き込まれ、充分に行き渡らず、硬い床での睡眠は身体の節々を痛ませる結果となっていた。それでも、屋根の下で眠れた事は幾分か安心感を覚えて。
「・・・今後、先々の、これからの方針を話し合うとしよう」
 崩壊の波に呑まれそうになった、自らの施設を背にして、職員の過半数を集めたステインが切り出す。
「既に他のギルドと話し合っている。赫灼の血カーマは念の為に他の魔物モンスターに備えた警戒、そして瓦礫の撤去に取り掛かっている。天の導きと加護セインクロスは昨日に引き続き、負傷者の治療に加え、炊き出し等を行ってくれている。法と秩序メギルは生存者と死者の区別、その数の集計し、記録に残す事と治安維持の警邏、瓦礫撤去に当たっている」
 涼やかな面、冷静沈着と言った様子の彼は淡々と話す。それを聞く皆は相応の面で応じて。
「俺達、人と人を繋ぐ架け橋ラファーは食料の確認や確保、炊き出しの手伝いを担っている。それに付いては既に指示を送って動かしている。今此処にいる人間で取り組むのは瓦礫の撤去が主となる」
「確かに、その通りですね。何をするにも通行箇所の確保は最優先、物資を運ぶにしても、遺体を運ぶにしても、道が無かったら如何しようもねーわな」
 神妙な面持ちのフーが返答する。何をするにしても瓦礫が邪魔となる。先ずはそれの撤去が最優先事項であろう。
「言うまでもなく、だな」
「確かに、瓦礫を撤去しないとな。邪魔とは言いたくないが、そうなってしまったからな・・・」
「それも重要だけど、住む所を確保するも大事じゃないんですか?」
「まぁ、そうっスね。でもあの龍、邪魔じゃないんスか?解体したら、かなりの食料になるっスよ?」
「そんな事をする暇はないだろ!瓦礫を撤去し、被災者、遺体を救出する事が先決だ!」
「そ~、なるよね。頑張りましょか」
 皆が口々に議論を行う。すべき事は様々だが方向性は大方決まっている。町の至る所に散乱した、銀龍が暴れた後の瓦礫の撤去。それをしなければ、何事も始められない。
魔族ヴァレスの皆には、その撤去を始めとして様々な事に協力して欲しい」
 議論を傍に、ステインは集めた彼女達にそう協力を促す。それを断る意思は一切無く。
「あの、操魔術ヴァーテアスを使用しても、宜しいのでしょうか?」
 銀龍との戦いの時の使用は緊急時故に行った事。今もそれは続いているものの、様々な要点から危険ではないかと危惧して尋ねていた。
「ああ、却って、寧ろ、それどころか積極的に使用してほしい。その方が、此処に住む者全員の為になる。責任を問われたら、俺が負う」
「・・・分かりました」
 対応するアマーリアは神妙に、重役を任されたと緊張して了承する。それは他の魔族ヴァレスも同様、下手を打たないよう、誰かを傷付けない事を胸に刻み込んで。
「・・・それと、もう一つ宜しいですか?」
「如何した?」
「・・・広場の、遺体は如何なさるのですか?」
「・・・何時かは埋葬する予定だ。だが、今はその余裕が無い」
 切り出し難いその内容に触れ、その場の空気は重くなる。それが今の状況を物語るから。
 遺体は広場に放置した状態。埋葬したい気持ちは誰しもだろう。だが、今はそれに手を回している余裕が無い。埋葬するには人手を削られ、放置し続けていれば其処から衛生が損ねられ、病気や伝染病の発生の原因になりかねない。分かっているものの、極力人員を避けられないのが現状であった。
「・・・操魔術ヴァーテアスを使えば墓穴の作成、墓石作成も早く済みます。私達に任せて頂いても、宜しいでしょうか?」
 その提案にステインは躊躇う。悲しい目に遭った彼女達に、其処までさせるのは酷ではないのかと。しかし、発言した彼女を、彼女に同意する皆を見て、小さく首を横に振る。彼女達の意思は、善意は折れないと悟って。
「・・・分かった。死者の管理は法と秩序メギルがしている。協力を仰いでおく。念の為、護衛として人と人を繋ぐ架け橋ラファーの者を連れて行ってくれ」
 魔族ヴァレス法と秩序ルガー・デ・メギルに接触する、それだけで杞憂が生まれよう。しかし、今は緊急事態、余計な真似はしないだろうと判断してか、そう命令を下して。
 当然、彼女達は困惑すれど了承していた。明確に敵意を示す者達にも歩み寄ろうとする姿勢は尊敬しようか。
「大方、粗方、ある程度の方針も決まった所で・・・何だ?」
 役割を取り決め、状況を開始させようとした時、妙な騒がしさを耳にする。聞き流せないそれに誰もがその方向へ視線を向けた。
 瓦礫を乗り越えながら大勢が、数え切れないほどの大人数が接近する。誰もが不穏な空気を纏い、一直線に半壊の施設を、その前に立つ者達を目指す。早足で近付くなり、皆は口々に言葉を吐いた。
 それは陳情、いや切望か。己が不満を解決して貰おうと、犇めき合いながら騒ぎ立てる。その誰もが此処の住民であり、それなり歳を取った者等が血相を変えて。
 彼等が頼る先がギルドなのは当然の帰結なのかも知れない。自分達の過失がないままに失われた、魔物モンスターに因る災害。加えて、自分達は技術者ではなく、自分達の能力が及ばないのなら他者を、ギルドに頼るだろうか。
 しかし、それは自分勝手な言い分と言えた。寝る場所がない、食料が無い、何時になったら町は直る?もうあんな事は起きないのか?あの龍が恐ろしいから何処かに移動させてくれ、血の匂いが堪らない、と言った不平不満。
 この状況下ならではの出てくるものばかり。けれど、その不満は投げ掛ける者達も同様。一方的に捲し立てられる中、不満を抱いて。
「それは俺だって同じだってのによ・・・」
「抑えろ、ガリード」
 暴動に近いような勢いにガリードがぼそりと呟き、隣のトレイドが潜めた声で諫める。
 けれど、人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの皆がそれに心中で同意した。あの出来事で鬱屈を抱えたのは分かる。けれど、状況を分かっていながら他人に縋ろうとする根性、憤ろうか。弁え、気持ちを抑えていてもその目は少々厳しいもので。
「・・・何にせよ、色んな事が滞っている。動くなら早めにしないとな」
 不満は尤も。けれど、状況を解決しなければ如何にもならない。内輪揉めのように足を止めるより、手を動かして少しでも脱却するようにと、溜息を吐きながらトレイドが口にする。それにも賛同して。
「そうね。それじゃ、私は職人の方々に会って来るわ」
「んじゃ、俺等は瓦礫除去からするか」
魔族ヴァレスは俺と始めとする数人が付き添うわな。一旦集まるか」
天の導きと加護セインクロスは何処に居るの?知っている人居る?」
「道具を引っ張り出さねぇとな、残ってるか・・・?」
 皆が復旧に向けた相応の意思を以って動き出す。その目はただただ頼るだけの住民は目に入っておらず。今日の為に、明日の為に足早に。
 人の為に、それを指標に掲げたギルドの者達が聞く耳を持たない、その態度に住民は唖然とし、暫くして怒りが湧き立っていく。
「私達を無視する積もりかっ!」
 放置される住民達は憤った思いで咎める。確かに無視するのは無礼ではある。けれど、今の彼等に気に留める余裕はなく、寧ろ押し退けるようにして走り去って行く。
 その背に文句が往々に吐き出される。そうした彼等に冷めた表情で眺めていたステイン、内心は冷めた気持ちであったのだろう。静かながらも、悲しげにする彼はゆっくりと歩み寄る。その足音で視線を集めて。
「頼みに、要望に、期待に応えられなくて悪かったな。今、如何なっているかは分かっているだろう。個人個人の頼みに動ける状況じゃない。だから、暫くは、仕事を控えさせてもらおう」
 ステインの謝罪を受け、住人達は口々に文句を語る。ギルドとして如何なのか、教育がだの、人としてだの、と喧しく騒ぐ。それを静かに聞く彼、ゆっくりと息を吐き、押し寄せた住民を冷めた目で見渡す。それが自然と威圧する事となり、徐々に口を閉ざして。
「だが、これだけは言わせて貰う。俺達に頼る、誰かに頼るよりも、まずは自分達で出来る事をしたら如何だ?今は、誰もが苦しいんだ」
 冷めた声でそう指摘する、突き放すように。
 静かになった皆を見渡した後、彼はゆっくりと施設を後にしていく。その背に向け、少しずつ気分を取り戻していく住民達は叫ぶ。横暴と見なし、怒りに罵倒を口にした。
 何を言っても無駄かと、怒りと諦め気味に溜息を吐き捨てられて。
 辛抱強く住民達は望みを口にすれど、今は復旧や被災者の救出を優先する姿を目の当たりにして、諦めたのか、それとも他のギルドに頼る為に見切りを付けたのか、徐々に立ち去り始める。その群れを、多くが呆れを零していた。

 外に、町中を見れば埋め尽くすように散乱する瓦礫の海。戦闘、いや理不尽の跡を前に、気が滅入ろうか。
「・・・理不尽だな」
 誰かがぼやいただろう。目の前に広がる光景に辟易とし、憤っていた筈。それでも仕方ないと、その手を動かすのであった。

【2】

 人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの施設の前に出れば自ずと現実は押し寄せてくる。
 多くの建物は薙ぎ倒され、強烈な力を以って打ち砕かれて瓦礫と化す。それは道のみならず、路地の一辺の境界すらも飲み込み、崩壊の海は酷い有様を作り出す。
 理不尽な光景に胸を痛め、葛藤を宿して瓦礫を持ち上げていく。息を吐きながら自身と同程度の大きさの瓦礫を担いだガリード、周囲を見渡しながら歩き出す。置き場を求め、自然と町の外を目指して。
 この時、彼は、いや彼だけでなく、周囲で疎らに見える人々に変化が生じていた。それは身体能力の向上として。彼は顕著に、周りの者も顕著に、全ての者に差異もあれども。そして、不思議と違和感を抱かせず、気付いて驚きはすれども自然と受け入れていた。状況が、気持ちを抑制していた。
 周囲から呼び掛ける声が聞こえる。瓦礫の中に埋もれてしまった生存者を助ける為に。懸命な声は間隔を置き、静かな時間を故意に作る。その間、誰もが耳を澄ました。瓦礫を退ける者も、運ぶ者も。
 生存者、或いは故人を探す集団にトレイドも参加する。けれど、容易に発見出来るものではなく、歯痒い思いを抱き、遣る瀬無い表情を浮かべつつ瓦礫の撤去に務めていた。
「・・・さっさと除けて、見付けねぇとな」
「・・・ああ」
 急き、焦れるトレイドを宥める意図も込め、被災者を想う声を掛けるガリード。普段所有する大剣以上以上の重さを担いで。
 受けたトレイドは険しい表情のままに。
「・・・そういや、あれ、あのでけぇ龍、食わねぇのか?」
 僅かな気晴らしの意味を込めて話を振ったのだろう。けれど、それは一つの問題に対する答えにも触れて。
「龍・・・灰銀を伴う焔カサシス、か・・・」
 表情を荒めて反応する。振り返れば、開けてしまった荒れた地では何処でも見る事が出来よう。その存在を見て、憤り、済んだ事でも悔やんで。
「・・・あれはあらゆる方面で使用、出来るな。牙に爪、鱗、皮に骨に、あらゆる箇所が素材としてな。武器や防具、装飾品やあらゆる分野の補強や強化として扱えるだろう。だが、見た目通り、戦った通り、解体は面倒だ。そんな時間もないだろう・・・それより、食えるのか?」
「おお、美味うめぇぞ?どんな部位も火を通しゃあ食える。味付けしなくても十分美味いし、それなりに調理したらかなり美味くなる!って言うよりも、高級品だぜ?龍の肉ってよ?」
「・・・そうなのか」
 自慢げに語るガリード、その情報に感心するトレイド。それらの発言、知識は十中八九、遺伝子記憶ジ・メルリアに拠るもの。信憑性は無くとも、それが確立した事実として信じていた。
「・・・後で、ユウか・・・ステインに伝えた方が良いな。何か手を打つだろう」
「そん時になったら、俺も手伝おうかな」
「お前は、力仕事だ」
「・・・だよな」
 軽口を叩いた積もりだが、この状況下では真面目な話すら気持ちは沈んで。
 そうして、瓦礫撤去に取り掛かっていた者達は示し合わせるように、城下町の外へに到着して。
 開け放たれた向こう、緑の平地は変わらず在り続けている。何の変化も無く、それが時に恨めしく感じて。
 外に出て直ぐ隣に瓦礫は詰まれていく。中には再利用出来る部分、或いは物もあるかも知れない。それでも、誰もが積む。今は、悲しい記憶を少しでも思い出したくなくて。
 多くの人が同じ道、瓦礫を踏み締めて、使い物にならない瓦礫を持ち運ぶ。大小様々なそれを運搬するのは如何しても苦労する。小さければ袋や手押し車等に入れ、一人で四苦八苦して運ぶ。支柱程の大きさになれば人数が必要になる。時間が掛かろうとそれは仕方の無い事。それでなくとも一人では重いものばかり。命よりも重いとは誰も思えずに。
 時間の経過により、状況は少しずつ変化を見せる。各場所では声が上がる。喜びの声、悲しみの声。騒がしくなれば、涙を零して。抱き合う場面もあれば、黙して運び行く光景も。それは、多くの者が目の当たりにし、実際に重さと消えた温もりを感じ、安堵か事切れた面が脳裏から離れなくなっていた。
 比例して、戦いを経て汚れた衣服や鎧は更に汚れ、表情は暗く、荒みゆく。悲しみに触れれば、触れるほどに。何度居合わせ、何度力を合わせたか、数えていない二人は大きな石柱を担ぎ、外へ運び出していた。十分過ぎるほどに人の重みを知った二人、その顔は悲哀感に苛まれ、酷くなるばかりに。石柱は遥かに重いと言うのに、それも気にならない重さに苛まれ続けて。
 肩の痛みの耐え、石柱を積み上げた二人はそれを取り出した場所へ戻っていく。行方不明とされる住人の住居、その瓦礫を撤去する作業中であったその折り、差し掛かった広場にて足を止めて。
 数人が人命救助の為の呼び掛けを行っていた。近くに居れば神妙な空気に息苦しさも感じる。
「トレイドさん、ガリードさん」
 足を止めた二人に呼び掛ける誰か。振り向くと近付いてくるシャオを発見する。瓦礫の上を慎重に渡る彼は二人以上に汚れて。朝、ギルドの施設に居なかった為、更に早くから捜していたのだろう。
「すみません、トレイドさん、ガリードさん。手伝って貰っても宜しいですか?力が足りなくて・・・」
 彼の言う通り、確かに力仕事が出来そうな者は見受けられない。白い修道服の女性が数人、天の加護と導きセイメル・クロウリアの女性以外は近隣住民であっただろう女性。男はシャオしか居なかった。
 遣る瀬無い思いにトレイドは溜息を零し、隣に立つガリードに視線を向ける。目が合うと言葉よりも先に頷く。
「分かった、どれを運び出せば良いんだ?」
「こっちです」
 表情の暗いシャオに案内されながら瓦礫の山を上がっていく。崩さぬよう慎重に上り、女性陣が集まる場所へ向かう。
「・・・この、壁を一緒に除けて貰っても、宜しいですか?」
 蒼褪めた面、息苦しそうな女性が気落ちした声で語る。示す場所は、崩れた鉄筋が通された石壁。数人で頑張れば除けられそうだがとても主婦ばかりでは無理だろうか。
「分かった、ガリード」
「・・・おう」
 頼まれた二人は神妙な面持ちで応じ、その石壁に近寄る。瓦礫同士には隙間があり、覗き込めばその要求に理由は分かる。けれど、場の空気、皆の表情から想像など易く。だからこそ、応じ、気持ちは進まず。
 傍には疲労困憊気味、今にも倒れそうなほど疲弊した修道服姿の女性が膝を着く。聖復術キュリアティを酷使した影響だろう、その顔は口惜しそうに歪ませて。
 その理由を確認する事無く、瓦礫に手を掛ける。他の者が近付こうとするよりも早く、それをゆっくりと持ち上げていく。その重さ、二人だけでは不可能を思わせるほどに重く。けれど、想いが為すのか、静かに、持ち上げ、小さな音を立てながら反対側へ重き音を立てて除けられた。
 息を飲み、言葉を失う。今日、散々目の当たりにしたと言うのに、高鳴りする心拍音、身体は冷め、気が遠くなる感覚に囚われた。それは、静かに横たわる姿を見て、諦め抱くしか他なく。
 反応も無く下敷きになっていたのは妙齢の女性、一見、無事にも見えよう。けれど、その腹部から下は無かった。赤き色で辺りは汚され、その下は瓦礫の埋もれたか。見ただけで理解するしかない。もう、手の施しようがないと。
 哀惜に囚われ、落涙してもおかしくない憐れな姿。何度見ただろう、抱く思いはもう憐憫しかない。二人は胸が張り裂けるような思いに気持ちは沈むばかり。
 凄まじい激痛だった筈。苦しみ、もがいたのだろう。地面を掻いた指先は血塗れに。その顔は酷く歪み果てる。
 皆が悲しむ中、トレイドは痛ましい姿に近付き、そっと触れる。硬直した身体は冷たく、胸は更に痛んで。
 ゆっくりと見開かれた目を閉ざし、ウェストバッグから手拭いを取り出して欠損部を隠す。
 事切れた彼女、漸く安らかになった表情を眺め、溜息を零す。切実に悲しみ、目に涙が伝う。例え、見慣れてしまったとしても、人の死は慣れるものではなく。
 次に近き天の加護と導きセイメル・クロウリアの修道女が静かに手を合わせた。柔らかく握った左拳に重ねる右手。言葉は無く、黙祷と細やかに送る。
 その場の居る者、各々の形で彼女の冥福を祈っていた。暗き面の二人も同様に。誰にも見られぬままに逝ってしまった、ならばせめての冥福を、鎮魂を願って。それで少しでも彼女の気持ちが晴れるように。
「・・・身元確認は、出来そうか?」
 合わせた両手を降ろし、呟くようにトレイドは口を動かす。熱心に願う彼女は静かに面を上げた。
「・・・お顔が無事なのですが、恐らくは・・・一応、法と秩序メギルに確認して貰います」
「そう・・・か」
 期待は出来ない。法と秩序ルガー・デ・メギルとて、全ての住民を把握しているとは限らない。また、識別出来る家族や知人も故人となっている恐れがある。現実は、辛く、厳しいもの。
 察する声は更に小さく、その胸は鋭い痛みに囚われて。遠くの記憶が甦り、表情は陰りを落とされて。
「・・・運ぶっスよ」
「いえ・・・私達で致します。お二人は、他の方の力に為って下さい」
 涙をぐっと堪えるガリードが申し出るのだが断られる。その言葉に他の女性達も同意して。
 まだこのような現実が埋まっている、助けを求める者は多く居よう、居てしまうのだ。一刻も救い出して貰う為に、悲しむ主婦達が二人の主張を押し退けていた。
「・・・分かった、彼女を頼む。行くぞ、ガリード」
「ああ・・・」
「トレイドさん、ガリードさん。手伝ってくれてありがとうございます」
 暗い表情で遺体を見た後、二人は立ち去っていく。その背にシャオから感謝が告げられる。せめて少しでも元気付けようとして。
 過ぎるトレイドは無意識に、けれど、周囲に聞かせないように溜息を零していた。

 悲しみと涙が尽きる事は無いだろう。昨日、そして今日、これから続く数日の出来事はずっと、心に留まってしまうだろう。恐らく、誰しもがそうなのだろうか。
 犠牲者がまた出るやも、と誰もが不安と恐れを胸にする。覚束ない、或いは犠牲者を想って懸命に瓦礫の海を掻き分ける。心臓の鼓動と息切れの中、現実逃避したい思いに駆られながら、出来るなら生きていてくれ、そんな淡い希望を抱く。無残、残酷な現実の結果を掘り出すように、皆は手を動くしかなかった。

【3】

「・・・トレイド、見付けたから、運んでくる」
「・・・ああ」
 道を開けようとして瓦礫撤去に取り組む二人。ガリードは大きめの瓦礫を除けた時、一瞬動きを止め、静かに語る。トレイドも同じように一瞬静止し、重々しく了承していた。
 亡骸、冷たくなった少女。一人寂しく命を失った小さな身体、抱きかかえたその重みはとても軽く、ガリードは込み上げる熱さを必死に堪えた。
 少女を抱えた彼は重い足取りで埋葬場に向かう。その道程、途中で広場に差し掛かる。どの場所も、救助の声以外は響かない、静けさに包まれている。特に、広場は静寂に落とされる。それは町の中心であり、多くの者が行き交い、多くの何かが置かれて。
 この広場に経由する他に多くの者は用途を見出さない。明確な目的を持って来るのはギルドの者か、それに関係するものぐらいか。
 中央に建設された、特徴とする噴水は昼夜問わず水を噴き続ける。原型を留めたそれは煌びやかな水飛沫に纏われ、けれど、付近にある何かすらも隠し切れずに。見ている者が居なければ、音が響くだけで虚しい時間だけが過ぎていた。
 難しい表情で過ぎようとした彼は不意に足を止める。少し前までそれが無かった為に。広がる瓦礫に隠れるように、それは在って。
 青く染められたそれの形状、大きさに起伏。思い浮かんでしまうのは一つ、状況故にそれに帰結するのは簡単で。それを見て、彼は表情に影を落とす、落とすしかなかった。
 端的に言えば、それは死体袋。原形を留めていない誰かを眠らせる為に。調べなくとも、隣で五体満足に眠る者を見れば察するだろう。
「・・・こんなに、人が、死んじまったんだな・・・」
 切なく呟く。目を伏せ、現実逃避したくなるほどの思いを抱く。其処に寝かされた故人、数は昨日と変動しており、移動が指し示される。詰まり、今彼が目の当たりにする以上の死者が居る事を指す。それも彼は理解して。
 胸の中で感情は錯綜し、入り混じり、息が詰まるような現実に眩暈を起こしたように気が遠くなる。
 改めて見たとは言え、知ってしまえば放って置く事は出来ず、衝撃を受けたように立ち止まった彼は暫く眺めていた。そんな彼の元に足音が近付く。それに惹き込まれるように振り返って。
 近付いてきたのは、アニエス。知的な眼鏡を掛け、何時もと変わらぬ様子で歩く。けれど、眼鏡の奥から覗く眼差しは遣る瀬無い思いで満たされ、ガリードが抱えた小さな身体を見て、一瞬瞼を閉ざした。また発見されてしまったのね、そう語るように。
「・・・一杯、居るっスね」
「そうね・・・」
 交わせる言葉がない。目の当たりにする現実を否定したい思いが思考を埋めた。
 誰もが様々な思いを抱いて生きていた。喜怒哀楽、色とりどりな感情を見せ、誰かと会話して笑い合い、時には対立した時もあっただろう。その中での姿勢は如何であれ、懸命に生きていた。同じ場所、同じ世界で知り合わなくとも隣り合って生きていた。それが、今、呆気なく命を落とし、彼等が居た証明だけが取り残される。
 拒否しようと、受け入れまいとしても、目の前に晒された現実に感情で湿ってしまった言葉しか出来ず。
「・・・アニエスさんは、何で此処に居るんスか?」
「・・・一応、見守っているのよ。誰もが此処を通るから・・・足を、引っ掻けないとも限らないでしょう?」
 埋葬は始まっているだろう。それでも増えていく遺体、その管理としての役割を担う。見れば気が滅入る役割、そんな彼女にガリードは敬意を払う。
「・・・俺、この子運んで来たら、運ぶの手伝うっスよ」
 瓦礫撤去、生存者や死者の救出も大事だが、改めて目の当たりにしてしまえば戻る事は出来ない。彼ほど、力仕事には適した者は居ないものの、あらゆる面で埋葬もまた大事。それを咎める事は無い。
「・・・ありがとう、人手がずっと足りなかったの。貴方が手伝ってくれるだけで、随分と違うわ」
「・・・手伝ってくれる人、居ないんスか?」
 尋ねると暗い表情は俯かれた。その反応は肯定、憤る気持ちが生まれるのだが、その表情、難色を示した悲しき顔に大方を察して。
「・・・皆、自分の事で手一杯、誰かの為に動けるのは、早々出来ないでしょう。私達はギルドに所属しているから、こうして、割り切って動けますが・・・」
 苦しいのは誰しも。だからこそ、自分の事で精一杯なのだ。他に手を回す余裕はない。それは彼とて分かる。けれど、激しく憤った。
『・・・そんでも、手伝うとか、思わねぇのか?・・・可哀想とは思わねぇのか?こんな冷たい所で寝かせて、可哀想ってよ・・・仕方、ねぇのか?こんな、ひでぇ状況に、なんだからな・・・」
 歯噛みして憤っても、抱える幼子を見て気持ちは萎える。それが全てだ。死にそうな経験を経た、誰もが精神的に参っているのだ。その上で誰かに手を差し伸べられる余裕の方が余程だ。
「おい、まだ見付からないのか?そろそろ、腹が・・・」
「何だ、これは?不気味な・・・」
 そろそろ歩み出そうとした時、誰かの声が聞こえ、その方向へ視線を向けた。
 数人、片手で足りる数の集団は全て男性。歳は三十代半ばか。程良い体格の彼等は妙な雰囲気を纏って近付きつつある。会話から何かを求め、此処に彷徨い着いたと言った様子。その目は死者を視認せず、盲目的に求め続けて。
「お、お前等!食料、食料は持っているのか!?少しで良い、食いもんをくれ!腹減って、しょうがねぇんだ!」
 二人を発見すると否や追い縋る様に駆け出して質問を浴びせ掛ける。その勢いは後退りさせる程に。
 彼等の恰好はあの災厄の後だと言うのに大した汚れや傷が無い。如何言った行動を取ったかは大よそ予測出来よう。言葉通り、これ見よがしに腹部に手を当てて状態を誇示していた。
「いや、俺達は・・・」
 圧倒され、返答が遅れる。その間に別の誰かがある物に機敏に反応した。
「あっ!もしかしてあれは食料なのかッ!?」
 会話を遮り、焦燥した声は希望を見付けたように嬉しそうに。それはあの死体袋をそう判断した為に。思い込めばもう疑えず、一目散に駆け寄る。その言葉に触発され、他の男性も駆け出して。
「それは違う!開けんなッ!!」
「開けないで下さい!その中は・・・!」
 即座に否定し、大声で制止するのだが誰一人聞き入れなかった。或いは、略奪行為が起きてもおかしくない悲惨な状況、自分の事で聞ける余地が無かった。
 隣に亡骸が置かれていながらもそう判断した男達。それほど視野が狭まり、精神も相当追い込まれていたのか。制止の声も振り切り、チャックを勢い良く開らけ、そして驚愕して叫び出した。
 想像が至らなかった彼等は惨たらしい姿となった同胞に仰天する。想像と掛け離れた中身に顔を蒼白に染め、尻餅を着いて慌て返った。
「何だコレェッ!?」
「し、死体ッ!?如何なってんだ!?気持ち悪ィッ!!」
 かなり肝を冷やし、驚き返った連中だが、そうと認識すれば冷静になるのは早く。そして、その態度は急変する。
「ふざけやがって!紛らわしい事しやがってよォッ!!」
「気持ち悪いんだよッ!!こんな所に置いてんじゃねェッ!!」
 次に繰り出したのは文句であり、身勝手な罵倒。それも大声、鬱憤を晴らすように感情のままに、亡骸に対して理不尽極まる言い分を吐く。
「か、勝手に決め付けて、人の話を聞かねぇで、なんだそりゃ・・・!」
 連中に対して激昂しかねないほどにガリードは義憤する。辛うじて怒りを抑え、連中を宥めようとした矢先、信じられない光景を目の当たりにした。
「ボケがッ!!こんな所に、こんなの、置いてんじゃねぇよ!!」
 自分勝手を振る舞う連中、その一人が感情のままに、勝手に思い込んで怒り心頭に蹴り飛ばしたのだ。物言わぬ、無念のまま息絶えた亡骸を。力任せに、良心の欠片も無い音を響かせて。
 その光景を眼前にした瞬間、ガリードは言葉を失い、それ以上の思考を止めた。
「アニエスさん、この子、頼みます」
「ガ、ガリードさん、冷静に・・・!」
 強引に子供を押し付け、彼女の抑止の言葉も振り切って連中に接近する。力の限りに拳を作り、蛮行を見せた男へと。
 蹴り飛ばす、最早状況を楯に出来ない行為をした男。肩を掴まれたと思いきや、力の限りに引っ張られて振り向かされたと思いきや、意識が一瞬遠退くほどの衝撃を頬に受け、その場に転倒していた。
 言葉を口にする間すらも与えず、ガリードもまた感情任せに拳を振るった。力任せに頬を殴り抜いていた。その手、様々な感触を受けながら、男を地面へ殴り飛ばしていたのだ。それでも怒りは収まらず。
 あまりにも唐突の出来事、けれどその連中は瞬時に状況を理解して彼に敵意を向ける。
「ふざけんじゃねェッ!!そんなに、自分が可愛いのかッ!生きている事が偉いのかッ!!何も出来ないこいつ等蹴り入れて、如何してそうもひでぇ事が出来んだよッ!?自分勝手にして居られんだ!クソッタレッ!!」
 怒鳴って咎める。憤激する彼は別の熱を、涙を流しそうな熱を抱く。憐れな彼等を蹴る、そんな行為が許せなく、こうも自分本位に動ける者が理解出来ずに。微かに抱く罪悪感、それを塗り潰すような激怒。わなわなと拳を震わせる彼、こんな流れに、死者を蔑ろに出来る者が居る事が信じられないと顔は歪んで。
 止めきれず、一部始終を見るしかなかったアニエスは唖然とするしかなく。
「クソッ、何だお前はッ!!行き成り殴って来やがってッ!!」
 暴行を受けた男は頬を押さえながら立ち上がり、逆上して吼え立てて接近していく。彼だけでなく、先の一撃が連中の怒りを買い、総出でガリードを取り囲んだ。
 緊迫した状況下、手を出してしまえばこのような事態を招いてしまう。それは分かって居ても、それでも手を出してしまう程に彼は激昂していた。
 怒りに任せて、正面から接近する男の顔面へ握り締めた拳を振るう。容赦を排除した正拳、若いと言えど戦闘をこなす者の拳。重く強烈な一撃、骨を砕いたかと思わせるほどに鼻血を噴き出させて。けれど、その一撃は隙にもなり、後方から羽交い絞めにされてしまう。
「放せッ!!」
 反射的に後頭部を後方の男に打ち付け、肘打ちを行って抵抗する。だが、流石は大人と言えようか、喧嘩の経験も程々にあろう男はそうそうに拘束を解かず。
「舐めてんじゃねぇ、このガキッ!!!」
 別の男が抵抗するガリードの腹部に渾身の一撃を叩き込む。腹部、鳩尾付近に捻じ込まれた激痛に怯み、大きく咽込む。けれど、食い縛って蹴りで反撃を行う。その一撃は下腹部に命中して退かせ、接近する前に再度後頭部を打ち込んだ。
 二度目のそれに怯んだ男性、羽交い絞めにする腕が僅かに弛緩した直後に肘が横腹に打ち込まれ、完全に怯む。その隙にガリードは拘束から脱し、距離を取った。 
「こ、こんな事をしている場合じゃねぇだろッ!」
五月蝿うるせェッ!お前から始めた事だろうがッ!今更、怖気付いてんじゃねぇぞ、ガキがッ!!」
 同時期に生じた二つの災害、一夜を経たとしてもまだ人々に混乱は残る。その中で鬱憤を抑え、誰かの為に動けるのは己を律する強い心、誠心を持てる者のぐらいか。それとも、悲しみに暮れる暇がない者ぐらいか。
 何とか理性で抑えていた精神、それをガリードが崩してしまった。自業自得とは言え、今まさに鬱憤を晴らす術を得てしまった。そうなれば、もう止められなかった。最早暴徒、渦巻く不安を一人の若者に向けて発散するように。
 殴り掛かろうとする男に向けて反撃をしようとガリードは腕を振り被るのだが、途中で別の男に掴まれて阻止される。直ぐにも抵抗しようとすれど、直前に反対の腕も掴まれて再度羽交い絞めにされる。引き剥がそうとすれど、しがみ付くように拘束され、動きもままならなかった。
「こ、この・・・!」
 全力を出そうとした矢先、鼻血を流す男が勢いを付けて殴打したのだ。一瞬の衝撃、生ずる痛みに行動は阻害されて。
 左頬を殴られ、校内に激痛が伝う。口内を切ったのようで血の味が広がり、滲みる痛みが生ずる。それに痛がる間も与えられず、暴力が次々と振るわれる。殴るだけでなく、蹴りも加わり、リンチへ発展した。
 ただの暴行を受けるガリードは硬く瞼を閉ざし、食い縛って耐える。そうするしかなかった。全身に力を篭めて痛みに備える。時折、鈍痛が駆けて呻き声を出しそうになるも必死に耐える。膝を折りそうな連撃を受けながら、不意に如何してこうなったのかを疑問を抱いて。
「止めなさい!今はこんな事をしている場合じゃ・・・!」
「関係ない奴は黙ってろッ!!」
 流石にアニエスが止めに入る。だが、正気を失った連中が応じる訳がない。それどころか、怒りに任せて止めようとした彼女にも暴力を振るった。
「テ、手前テメェ!ッグ!!」
 アニエスの悲鳴に反応し、憤って助けに出ようとすれど、拘束されて身動き出来ず、思うように殴られるのみ。抱く以上に悔しさが募るばかり。
 鬱憤を溜めた連中は執拗に暴力を振るった。口や額から血を流そうとも止めようとしない。いや、もう受けた屈辱を晴らすだけには留まっていない。別の感情が覗く。それは愉しみ。恐慌状態、このような場合も有り得てしまうのだ。
 耐えようとすれど一方に殴られていれば意識は遠退き始める。痛覚もまた。考えが途切れ出し、命の危機を察知する。だが、拙いと思った時にはもう遅く、満足に抵抗も出来なくなっていた。
「・・・?」
 途切れそうだった意識が異変を感知する。何かしらの音が響いたと思いきや、受けていた暴力が唐突に止まったのだ。同時に軽さを、解放された感覚を朧に感じ、地面へ倒れ込んだ衝撃を受けた。
 受け身も取れずに激突した痛みで多少は意識を取り戻し、何とか状況を確認しようと身体を動かす。途中、耳が男達が怯む声を聞き取る。同時に痛がる声も。
 連中は戦慄し、血の気の引いた面で立ち尽くしていた。その周囲、取り囲むように漆黒の細長き物体が伸びていた。前触れも無く出現した、光を僅かに反射する多面の結晶体。鋭き頂点が連中の身体を数ヶ所掠め、傷を与えて直立した為、身を震わせ、立ち尽くさせる程の恐怖を与えていた。
 見上げて確認したガリードはそれに覚えがあり、呼び出した者に心辺りがあった。

【4】

 無数の結晶に取り囲まれて男達は身動きが出来なくなる。不可思議な現象を前に言葉を忘れ、恐怖に囚われて呆然とするのみ。その間を誰かが通っていった。
 淡々とした態度で間を縫う姿を、驚愕の渦中である連中は呆然と眺めるしかなく。その目が、静かな表情を浮かべて歩く青年を眺め続ける。そうする内に、自分達を拘束する結晶を呼び出したのはこの青年だとする推測に至る。
「お前が・・・」
 声を掛けようとした彼等の前を、また新たな誰かが通り抜けた。その者は急いでガリードの傍にしゃがみ、両手を翳して念じ始める。間も無く、淡き光が生じ、倒れた彼を包み込む球状となった。
「シャオに連れられて来てみれば、お前等、何をしていた?」
 冷静に、けれど心穏やかでない事を、呟くような声が物語る。敵意ではなく、殺意すらも感じ取れそうな迫力が篭もった威圧となる。それは威圧となり、決勝も合わせて連中は縮み上がらせた。
 割り込んだのはトレイド、結晶を出現させ、一方的な攻撃を止めさせていた。鋭い視線で連中に睨みを利かせながらガリードの傍へ歩み寄った。
 腹を押さえ、咳き込みと嗚咽を口にして苦しむ彼はシャオに聖復術キュリアティで治癒を受ける。顔も殴られていたので直ぐにはまともには喋られず。
「・・・大丈夫か?」
 次に暴力を振るわれたアニエスを心配する。倒された彼女、その頬は少し腫れて赤く、殴られた事は明白。それ静かに義憤し、それでも冷静に手を差し伸べた。
「え、ええ、大丈夫、です」
 驚く彼女は応じて手を出す。気遣われて引き上げられると頬に気を留めて。
 それでも彼女は再度大丈夫と、憂いを宿した笑みを見せ、ゆっくりと念じ始める。自身に向けて聖復術キュリアティを行い、直ぐにも傷を治していた。傷は治ったとしても、心には・・・
「こ、これはお前の仕業かッ!何の真似・・・」
「少し黙っていろ」
 拘束を解けと言わんばかりに怖気が引いた声は、重ねられた威嚇に妨げられた。抑えた声の後、顔擦れ擦れに結晶が出現し、前髪の数本が散った。それが完全な恫喝となり、二の次は禁じられ、腰を抜かしかねないほど戦慄して唇を硬くするしかなかった。
 その様を含め、トレイドは蔑んだ目で連中を見渡す。委縮し、怯え切った姿に視線は更に冷ややかに。
「・・・な、何ですか?私達はただ、食料を探していただけですよ?」
 驚きと恐れが鎮まったのか、一人の男が口を開く。中心人物とは思い難い彼、連中の中では少々細い体躯であり、度胸などなさそうな気弱な顔立ちをする。恰も自分達は悪くないと言った口振りで話し出した為、トレイドは癇に触って。
「そんな連中が、如何して一人相手を袋叩きにしている?」
 ありのままに起こっていた事実に対し、厳しく、冷静な態度で問い詰める。それに男は怖気付いて口を間誤付かせる。
「そ、そいつが殴り掛かってきたんだよ!だから、少し教育をしてやってたんだ!」
 顎の調子を確かめる男性が代わりに応えた。威勢が良く、ガッチリとした体格をする。気性の荒さが見て取れる彼は怒りを露わにして。
「・・・ガリードがそんな事をしないと思うが・・・実際は如何だったんだ?」
 疑わしく睨めども、流石に自分の判断だけで場を決するのは難癖になりかねない。そこで一部始終を見ていたアニエスに事の真相を尋ね掛けた。
「ガリードさんが暴力を振るった事は間違いありません」
 推測とは違う証言を受け、腑に落ちないトレイドは表情を険しくさせる。
「ほ、ホラな?私達が咎められる理由なんて無いんだ!」
「ったく、人騒がせな奴だ」
 その言葉に堰を切ったかのように男性達は不満を口々に放つ。一方的にガリードを言いたい放題に批難され、怒りは募っていく。
「ですが、この人達は食料を求め、私達の言葉も聞かず、遺体を納めた袋を開け、一方的に憤った後、彼等は遺体を足蹴にしました。その後に・・・」
 流れを断ち切る証言が示された。その瞬間、大きくなった気分で不満を漏らしていた連中は口を閉ざす。更に顔を青褪めさせた者も居て。
 証言を受け、トレイドは安心したと同時にガリードが抱いた同等の感情を以って連中を睥睨した。
「・・・何で、そんな事をしたんだ?」
「し、仕方ないだろッ!食糧が無くて、腹が減ったんだよ!」
 自身の境遇故に、自分の為にだと開き直って主張する。口にしたのは先のやや細い体躯の男。
「だからって、遺体に八つ当たりか?随分と身勝手な事だな」
「それは、私達も必死に成り過ぎて・・・・」
「だから、人を蔑ろにするのか!?故人すらもッ!!」
 怒りで猛る。その迫力に気圧され、連中の誰もが反論がまともに出来ず、喉に言葉を詰まらせて俯くのみ。
 物事の分別が曖昧になるほどに餓えていたのか。その割には今は平然と立つ。状況を差し引いたとしても、そこまで正気を失ってしまった彼等に対して溜息を零す。何より、未だに過失を示されても詫びすら出来ない態度に、嫌気を感じて。
「・・・経験のある大人が、こんな時こそ率先して対処すべき立場だと思うんだがな」
「私達だけを責めるな!私達だって辛いんだ!」
 呆れた様子でぼやくと、その一言に過敏に反応して反論を叫ぶ。周囲の仲間に変化はないが同意しての事だろう。
 その厚かましく、全く悪びれない姿にほとほと呆れ果てて溜息を再三に漏らす。もう、視界に入れるだけで虫唾が走るほどに。
「貴様等だけが辛い立場だと思うな!貴様等以上に苦しい思いをしている者が大勢居るッ!!大切な人を喪い、悲しみに涙する者が大勢だッ!!それでも、生きようと頑張っている!懸命にな!!」
 数歩歩み寄り、説教を述べる。連中は黙って聞き受ける。
「このような状況、気持ちは理解出来る。だが、自分達の不幸を、その不安を他人にぶつけるよりも、やらねばならない事がある筈だッ!!」
 人が違えたかと思わせるほどの迫力を篭めて怒号を響かせる。それに連中は口を閉ざすのみ。その姿に反省の様子は見受けられない。心に響いていないのか、聞く気がないのか。
 心中で呆れ、そして、思い断つ念を抱き、溜息を吐き捨てる。もう、会話を、諭す意欲は失せてしまった。
 すると、連中を拘束していた黒い結晶が砕け散った。トレイドが意図しての事だろう、それでも唐突に砕けたそれの欠片は光を反射しながらと消えていく。困惑に囚われた連中は解放された事を喜ぶより、彼に対する恐怖で後退りを起こして。
「・・・食料に関しては、人と人を繋ぐ架け橋ラファーが対処している。その内に供給が始まるだろう。その手助けとして、瓦礫の撤去を手伝ってくれたら、有り難いが・・・」
 彼等にとっては有益な情報を伝え、同時にその為の対価を求めて。それに連中は僅かに表情を明るくし、トレイドの顔色を伺いながらも喜び始める。
「そ、それなら、良いか・・・」
「だな・・・急ぐ必要、なかったしな・・・」
 意気消沈した連中は納得し、反省した様子を見せてその場から立ち去っていく。謝罪の言葉を残さず、撤去を手伝うと言う選択もしないままに。
 その様を目の当たりにさせられた者達は厳しい眼差しで見送る。無言で、唇を固く閉ざして、冷ややかな思想を浮かべて。
「ありがとうな、シャオ」
「いえ、構いません」
 既に傷は癒えていたのだが、遣り取りに集中していた為に礼は今になっていた。受けた彼は微笑み掛けて。
「・・・一言ぐらい、謝ってくれたらなぁ・・・」
 顔に残った血を拭いながら窮地を救ってくれた友人に歩み寄るガリード。残念そうに呟く彼は根に持つよりも、過失に対しての対応を残念がる。
 それに着いてはトレイドも心中で同意していた。けれども、それ以上に怒りを抱く。鬱蒼とする感情を押し込め、その日何度目かになる溜息を吐いた。
「・・・こんな時に問題事を起こすな、ガリード」
わりぃ。如何しても、許せなかったからよ・・・」
 彼らしくない、汐らしい態度で素直に謝罪の言葉を告げる。真摯に反省している様子で彼は責め立てる気を起こさなかった。
「・・・まぁ、怒らなければ、人じゃないな。お前は正しい事をした」
「・・・だと、良いけどな」
 思い悩むガリードは死体袋を確認して形を整える。尚も傷付けられた事を悲しんで。その肩にトレイドの手が置かれる。言葉は無くとも、慰め、励まして。
「・・・俺も手伝おう」
 成り行きとは言え、また似たような事が起きないとは限らない。それを避ける為に、そう名乗り出る。行動は早く、出来るだけ優しく触れ、最善の注意を払って抱き上げていた。
「ありがとうございます」
 見てるだけしかなかったと悔やむアニエスが深々と頭を下げる。それに首を横に振られた。
「いや、当然の事だ。礼なんて、要らない」
 それは不本意だと切ない面で断り、無念の内に亡くなった人々を抱き、町の外へ運び出していく。その胸には、故人すらも思い遣れない者に対しての憤りを燻らせて。

【5】

 セントガルド城下町の外に広がる緑の光景。至る彼方は其処からは視認出来ないほどに広く、草の爽やかな香りを乗せた緑の波は漣を思わせて何処かへ消える。
 変わらぬ景色を正面にするトレイドとガリードはその胸に亡骸を抱く。時に虚しく感じる光景を見渡す。その行為に意味はない。埋葬地は既存の墓地である為に。
 其処に向け、二人はゆっくりと歩き出す。何度繰り返した事か、思えば気が滅入って。
 そうする二人は遠くに映る墓地の変化に気付く。近付けばそれが鮮明になり、更なる疑問となって視界に映されていた。
 其処には魔族ヴァレスの姿があり、彼女達は実に真剣に穴を作る。人を埋められる大きさと深さのそれを。形成する際に余剰する土は穴の傍に盛り上げられて積載される。人力で行ったなら土の固さにも拠るが半時間程は掛かろうか。それを簡単にやってのけていた。
 けれど、その分消耗も激しいのか、念じて操魔術ヴァーテアスを行う彼女達は目に見えるほどの疲れを示す、それからであった。
「ありがとうな、一旦休憩だ」
 そう言って登場するのは如何にも力自慢と言った、或いは肉体労働が大得意と見える、鍛え上げた肉体美を見せ付けるタンクトップ姿の男達。勲章と言わんばかりに筋肉を示した彼等は出番だと言わんばかりに、シャベル等の道具を持ち出して徐に土を掘り始めていく。
 其処には魔族ヴァレス人族ヒュトゥムが協力する光景が展開されていた。それも気性が荒そうな彼等が友好的な態度で協力する、それには流石のトレイドも驚きを禁じ得ずに。
「運んでくださったのですね、此方にどうぞ」
 足を止めて驚く二人に気付いたのは人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの同僚。彼女に案内され、驚きは残るものの、二人は応じて後に続く。
 男達に余計な気持ちは感じられず、負けず劣らず、真剣な面持ちで地面を掘っては傍へ捨てるを繰り返す。汗を流し、それでもせっせと行う姿に命令されて已む無く、と言った様子は見受けられない。
 掘る最中、彼等は魔族ヴァレスと二言三言と会話を交わす。彼女達の労う言葉に快く答えたり、頼ってくれと筋肉を見せ付けて笑いを誘ったりと、実に友好的な関係が見受けられる。こんなにも二つの種族が歩み寄っている姿は不思議でならなかった。
「これは、如何なっているんだ?一体、何があったんだ?」
 堪らずトレイドが問い掛ける。事情を知っているであろう同僚に問うと、爽やかに微笑みながら答えてくれた。

 それはちょっとした偶然であった。
 彼等は職人達。それは武器であったり、防具であったり、細々とした多少の力を有する職に就いた者達。それ以上に筋肉を付けているのは偏に趣味として。
 そんな彼等は銀龍に拠って工房を破壊され、今迄の作品や製品のみならず、仕事道具すらも使い物にならなくなり、かなりの絶望を抱くほどに落胆していた。そうなれば、他の事に、復旧作業に向ける熱心さはどうしても欠けて。
 それでも、腑抜けてばかりでは駄目だと奮起して取り掛かろうとした矢先、魔族ヴァレスの集団を発見したのだ。
魔族ヴァレス?こんな所で、何してんだ?」
 訝しみ、警戒して偶々見掛けた彼女達を睨む。職人達、全員が敵意を以て、過ぎていく姿を目で追う。
 彼等もまた魔族ヴァレスを良く思わない、寧ろ悪と見定めていた。ならば、見掛けたならば何か企んでいると勘繰ってしまう。その腕に何を抱えているかも知ろうとしないで。
 警戒した彼等は魔族ヴァレス達を追跡する。敵視していようと、まだ悪意は為していない。為す直前で食い止める為、その後を追って。
「外に出て、何をしてんだ?」
 巨壁を越え、外に出た事で更に怪訝に思う。何が意図が読み取れず、継続して追跡する。そして、墓地へ到着した事で益々困惑していた。
「墓地?あそこで何を・・・」
 理解出来ずに眺めている事で理解する。彼女達が此処に来た意味を。
 其処で待っていた人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーの者に指示され、彼女達は抱えていた何かを既に掘っていた穴へ納めていく。その傍らでは疲弊しながらも穴を生じさせる姿もあった。
 魔族ヴァレスが指示の下、率先して死者を埋葬している、その事に職人達は愕然とした。まさか、あの魔族ヴァレスがそんな事をしているとは思っていなかったから。
 また、その面、様子には一切の妥協が感じられない。それどころか、真摯に当たり、全力で取り組んでいる。それを指し示すのが操魔術ヴァーテアスを行使し、倒れ込んだりする姿。例え止められようと、そうして。
 其処に蔑視出来る要素は無かった。寧ろ、誰かの為に身を削る思いで取り組める姿勢は賞賛、尊敬に値した。辛い役目に率先して行える、優しさが読み取れた。それに驚くばかりであった。
魔族ヴァレスってのは、一体・・・」
 全てを知らないからこそ、感心する傍で疑問の呟きが漏れてしまう。知らないからこそ、困惑してばかり。
「ん?頭、如何したんですかい?」
 驚きに囚われる最中、頭と呼ばれた一層体格の良い男性が墓地に向かって歩き出す。それを止める間も無く、彼女達に近寄っていった。
「・・・こいつは借りるぜ。嬢ちゃん達はちょっと、休んでくれ」
 そう、用意されていた少し歪んだシャベルを持ち、息を切らす魔族ヴァレスの一人に声を掛けて穴を掘り出す。突然の登場と協力する姿に魔族ヴァレス達も困惑して。
「頭!?何やって・・・」
「馬鹿野郎ッ!!嬢ちゃん達が懸命にやってんのに、指を咥えて見てるってのか!?そんな不甲斐ねぇ奴は俺がぶん殴るぞ!!お前等も、やるんだよ!!さっさと来やがれ!!」
 震え上がらせる迫力を篭めた声での一喝が響く。身体の内まで震わせるような力強き声、熱が篭ったそれは眺めるだけの職人達に良く響いた。見る見るうちに気力は取り戻され、本来の活力が取り戻された。
「その通りだ、頭!!黙って見てるのは、阿呆のするこった!!」
「お前等、やったるぞ!!」
 魔族ヴァレスの優しさと一喝に心に火を灯した職人達は大声で互いを鼓舞し合う。
「若い連中も連れて来ねぇとな!!そんで、道具を引っ張り出してこい!ちょっと歪んでても、無いよりかはマシだ!!」
「水とか飯も調達してくるわ!!力が出せねぇじゃ笑いものにもならねぇ!!」
 怒鳴り散らすように大声を響かせて職人達は動き出す。その一部始終を見せられて、他の者、特に魔族ヴァレスの女性達は困惑するばかり。
「すまねぇな、俺達の事だってのに、やらせちまってよ」
 凄い勢いで掘り出した頭と呼ばれた男性は手を止め、今の今迄尽力してくれていた魔族ヴァレス達に頭を下げる。それに彼女達は更に困惑するも、近くの者が優しい笑みを浮かべて顔を上げさせた。
「いえ、皆さんが辛い中、見て見ぬふりなんて出来ません。微力でも、お役に立たせてください」
 その言葉に、統一された意識からの台詞に、頭を始めとする職人達は感動する。まさに目から鱗と言うもの。こんな者達を卑下していたのかと、己を恥じて。
「・・・それじゃ、とりあえず交代だ!俺達が穴を掘ってる間は休んでくれ!俺達が休む時は、頼むからな!!」
 今迄を詫びるように、彼等は力の限りに等間隔に土を掘り返していくのであった。

「そんな事が・・・」
 粗方の説明を受けたトレイドはしみじみと感動し、頬を緩めていた。
 こんな状況だからこそ人の本性が表れ易くなる。その中でも直向に自分達を見失わなければ、それが信頼となる。そして、それを見て心が動かされるのも事実。今、まさにまた新たな糸口を掴み、その喜びの内にあった。
 亡骸を運んできた二人、優しく墓穴に納めて離れる。ゆっくりと土が被せられている様を見て、表情を暗くする。新たな墓が立てられるのかと思えば億劫になって。
「兄ちゃん達、まだ死体はあるんだよな?」
 話に上がった頭と呼ばれた男がシャベルを肩に話し掛けてくる。睨めば子供を泣かせるような強面だが、情け深い人柄が滲み出ているように見えた。
「・・・ああ、次々と、発見されている」
「そうか・・・おい!若いの二、三人ぐらい連れてこの兄ちゃん達に手伝え!!」
「分かりました!!」
 不意に張り上げられた声は数人を驚かせ、反応した数人は大声で応答して駆け寄ってきた。
「・・・悪いな」
「良いって事よ。こんな時こそ、協力し合わなきゃなんねぇ。嬢ちゃん達に十分教えられたからよ!」
 そう笑う横、数人の魔族ヴァレスは照れて頬を赤くして。
 状況が作用しての事だろうが、手を取り合っている事にトレイドは喜びを感じて止まなかった。嬉しくてならなかった。冷静に感謝を述べる中、目の奥で熱さを感じて。
「んじゃ、行くか」
 ガリードが音頭を取り、セントガルドへ引き返す。素直には喜べない展開ながらも、一時のものではない事を望みながら、足を急がせていった。

 それから時間は経過した。少しずつ空気は冷え、暗闇が齎される。陽が高山の彼方へ没してしまった。
 訪れた暗闇に包まれた墓地。その数ヶ所で篝火が灯されていた。ゆらゆらと揺らめく幾つもの炎に照らし出される中、作業は区切りの良い所で終了する。まだ、全ては終わっていない事は言うまでも無く。
 時間の経過と共にこれに関わった者達の表情は暗く落とされてしまう。目前に展開された現実を前にして、墓地の領域がかなり広くなった事実を前にして。
 視界に治まり切らない墓石の数。優に、既存のそれを遥かに上回った。それが全てであり、数えたくもない数に言葉を失うばかりであった。
 間も無く、涙が伝った。目の前にする多くの死者。その者達は色んな事を思い、色んな願いを抱え、懸命に生きていた。それを想うだけで涙が込み上げた。無念の内に亡くなったと思えば、悲しまずには居られなかった。
 あまりの多さを前に、トレイドは遠く、悲しい目で見渡しながら静々と涙を流していた。
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