此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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霧は晴れ、やがてその実態は明かされゆく

飛翔する幼体、共に歩めると笑顔に

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【1】

「やっと、やぁ・・・っと、着いたぁ~・・・」
 薫風が吹き抜ける、午後が迎えられようとしていた時頃、セントガルド城下町の門がゆっくりと開けられた。遥か頭上に構えられた門枠を潜ったのは一人の青年。
 青い短髪、褐色の肌は様々な汚れと軽傷を負う。その衣服も汚れ、傷を残したままの恰好で到着を果たす。安楽の地に辿り着けた際の極上の歓喜、それを再現するように息を零して崩れ込んでいた。
 その身を包む衣服は大量の涙にも見えなくもない、雨水が乾いて皺だらけの姿はみすぼらしく映る。勇ましい防具で身を包み、大剣を背負っていると言うのに虚ろに映るのは外見にも原因があろう。
 頬はこけ、腹の虫は鳴り、疲労感を隠し切れないほどによろよろと覚束ない足取り。元々、精悍な顔立ち、まだ年若くとも鍛え上げられた肉体を有していながら、今は圧し折れそうなほどに弱々しい姿を晒していた。
 見る限りに何処からか逃走してきたであろう彼、背負う剣の重みに負けるように座り込む。潰されるようにも映るだろうその様を、行き交う住人の何人かが心配の視線を向けて。
「はぁ・・・さて、先ずは、帰ろっかな?」
 誰かに助けを求めるように、疲れ切った声を、羽虫の羽音の如きそれを零しながら立とうとする。その途中、見慣れた衣服がその目に入った。
 白を基調とし、縁を青くした修道服で身を飾ったのは小柄な身。細い腕は薄茶色の紙袋を抱える。時折、その背には外見と合わない剣を携える時があるその子は、女の子。
「ガリード、さん?」
 傍に寄った少女は屈んで容態を確認しつつ、青年の正体を正確に言い当てるその子はラビス。
「ガリードさんですよね?如何したのですか?まさか、怪我を負ったのですか!?」
 普段とは異なる様子を、病気か負傷と判断し、直ぐにも治癒の準備に取り掛からんと抱えた荷物を置く。
「ラビスか?いやいや、大した事じゃねぇんだよ。ちょっと、疲れた、だけだ・・・」
 大袈裟な様子で心配させ、情けない姿を見せてしまったと彼は恥じながら直ぐにも否定する。直後に空腹の音が響いた。
「あ、お腹、減っていたのですね・・・」
 疲労困憊気味を再確認し、空腹も認知した事で重篤な状態ではないと判断して少女は安堵する。
「えっと、これ、食べて下さい」
 微笑みを見せたラビスは抱える荷物を探り、片手で持てるお菓子が差し出される。その厚意、即座に対応して胃袋に納めていた。
「・・・良し、大分マシになった!ありがとうな、ラビス」
 僅かに食欲を満たしただけで元気を取り戻したガリードが感謝を述べる。一生の恩を抱いたように、頭を撫でて気持ちを存分に伝えて。
「大した事じゃないですよ」
 そう過激な感謝を断るのだが頬をやや赤くして照れていた。
「でも、まぁ、腹はまだやばいままだ。な、ラビス。そろそろ昼だよな?ちょっと、食べに行くか?」
「え?でも、私、買い物の途中で・・・」
「良いって、俺が手伝うからよ。良いから来いって、奢るからよ。って言うか、そろそろ、限界だしよ」
 元気を取り戻してもそれは束の間。そのまま時間を消費してしまえば、再び行き倒れ状態になるだろう。その前に栄養補給をしたいと少女を強引に連れ出していく。
「でも・・・」
 仕事を優先したいとするラビスだが彼の力には到底叶わず、引き摺られるように最寄りの飲食店へ直行していった。

「・・・よぉし、食った!やっと、満足したぜ!」
 大満足と飲食店の隅、大量の皿を机上に飾ったガリードは椅子に仰け反って預ける。至福と言うような幸せそうな笑顔を浮かべ、腹部を撫でていた。
「凄い、食べましたね・・・」
 今迄は料理人や気さくなお兄さんみたいな印象があった。けれど、際限ないと思えるほどに大食漢ぶりを披露されれば開いた口が塞がらなくなるほど驚愕しようか。それはラビスの中、ラギアも同じように驚いていた。
「いや~、本当に助かったぜ、ラビス。此処に来て直ぐにあの菓子をくれなかったら、本当によ」
 多少はマナーを知ったのか、子供を前に弁えたのか、目に見えた粗相を抑えた彼は命の恩人だと語る様に喜びを見せる。
 その隣では大量の食器を片付ける職員の姿が映る。多くの女性が運ぶのに少々苦難していた。その行き交う店員の間を縫うように近付く者が二人。
「今日は随分と食べたようだね、ガリード君。余程お腹が減っていたようだ。若いのは良いね」
「ガリードお兄ちゃん、お久し振りだね!」
 話し掛けてきたのはバーテルとレイナの親子。偶然、親子もこの飲食店で食事を摂っていたようだ。
 肉体労働が得意そうな肉体を有しながらも温和な笑顔を浮かべたバーテル、巨大な謎の卵を大事そうに抱えながらも溌溂とした様子でツインテールを揺らすレイナ。
「バーテルさん、レイナも同じように食べてたんスね」
「レイナちゃん、こんにちは!」
 ガリードとラビスは友好的に挨拶を交わし、親子も和やかに挨拶を交わしていた。
 ラビスと親子が知り合いなのは天の導きと加護セイメル・クロウリアを介している為。主に、娘レイナと遊んだ事が始め。そして、ガリードも同じである。天の導きと加護セイメル・クロウリアに手伝いに赴き、孤児と同じくレイナに料理を振る舞い、遊んであげた事で親であるバーテルとも知り合っていた。
 故に、娘伝手にラビスは良い子供だと聞かされ、それを確かめ、料理を振る舞って遊んであげる面倒見の良い青年と認識し、実際に話して好青年と理解したバーテルは感謝も込めて接していた。
「そう言えば、暫く見なかったけど何処かに行っていたのかな?」
「そうなんスよ、沼地地帯に行ってたんスよ。それで・・・」
「これは如何したの?」
 鬱憤を発散させるように事情を話そうとした時、レイナが抱えている荷物を指摘する。それに少女は自分に任されていた仕事を思い出す。
「あっ!買い物をしなきゃ!」
「お、そうだった!悪いっス、バーテルさん。これから買い物をしなきゃいけないんスよ」
 会話を止める事は心惜しいと席を立ち、急ぎ足で立ち去ろうとする二人。
「そうだったんだね。じゃあ、手伝おうか」
「え、でも・・・」
「良いんスか?」
 即座の申し出にラビスは申し訳なさそうに、ガリードも悪いと言うように。
「日頃のお礼も兼ねて、だね。何時もレイナがお世話になっているし、見掛けたら気になっちゃうよ。それに・・・」
「手伝うからね!ラビスお姉ちゃん、ガリードお兄ちゃん」
 心優しい親子はそう申し出る。少女の純真な言葉に心が温まる感覚に浸れた。
「じゃあ、お願いします」
「お願いするっス!」
 ラビスが頭を下げ、ガリードも感謝を伝え、快く頼みながら席を立っていった。

 料理を頼めば当然料金を払う訳だが、思った以上の料金にガリードは驚いていた。だが、落胆も狼狽もせず、粛々と受け入れていた。それどころか、喜びすらも見せていた。それは解放される事への代償と切り替え、その痛みで実感するように。

【2】

「話を戻すけど、沼地地帯に行ってたんだね?」
 ラビスの買い物を手伝い、天の導きと加護セイメル・クロウリアに向かう一行。その道中でバーテルが飲食店での話を戻す。
「それがっスね、沼地地帯のローレルって言う村に居たんスけどね、毎日毎日、飯を作らせる奴が居たんスよ!」
「君の料理は美味しいからね。せがんでしまうのは、仕方ないね」
「うん、美味しいよね!今日も作ってくれるの?」
「そうっスか?じゃあ、食べてってくださいよ!・・・まぁ、それは置いといて」
 褒められて喜ぶガリードは一瞬気持ちを緩ませるも再起させて口を動かす。
「朝昼晩、俺が疲れて帰ってきても、遠慮なしに作らせるんスよ!それも何十人分の飯を作れって、強制させるんですよ!ノラって奴はっ!!」
 雑踏にも負けないほどの声を出す。鬱憤を解消している事は普段は見せない、憎しみを含んだ顔が示す。
「野良?猫の事?それとも犬の事なのかな?それとも別の動物の事を指しているのかな?何にせよ、何かを飼っているのかい?」
「私、ワンちゃんが良いな!何処に居るの?今は居ないの?」
 彼女を知らぬ者が聞けばそう言う反応をするかも知れない。とは言え、大体は人の事を指している事は分かる筈だが。
 微笑ましい会話だとガリードは一笑を零す。だが、動物が言葉を発して強要してこないと苦笑も零す。
「そりゃ・・・どっちかって言ったら猫っぽいスけど・・・ちゃんとした、人間ですよ」
「そう言う名前なんだね、失礼しちゃったね」
「そうなんだ。ちょっぴり、残念」
 愛くるしい動物、愛玩動物だと想像していたのだろう。少しだけ肩を落とした。
「んで、そのノラが、遠慮とか、全然してくれねぇんですよ・・・そのくせ、仕事はちゃんとしろ、って言うし・・・」
 期待を裏切って悪いような気分に晒されながらも愚痴を零す。その鬱憤を前にバーテルは表情を和らげた。
「それだけ、君の事を信用しているって事だね」
「そうだったら、良いんスけどね・・・」
 良い方向に取られてもガリードは喜べない。実際に扱き使われた身にしてみれば、そう取れないから愚痴は零れ続ける為に。

 楽しく会話を交わし、戻って来た実感を感じながら歩いていたガリードを含めた一行は目的地に到着する。接近するにつれ、心が弾んでくるのは子供達の声が聞こえてきた為であろう。
 西洋の教会を模した建物が、十字架を象徴に建ち、その後方から件の子供達の声が聞こえてくる。耳にすれば胸が騒ぐような、心が躍るような子供達の声。それに惹かれるように迂回していけば運動会に着く。
「よう、お前等!元気にしていたか?迷惑掛けてねぇだろうな」
 踏み入った直ぐにガリードが声を張り上げて挨拶を繰り出した。その声は少々五月蠅く、けれど嬉しそうに。
 遊びの真っ只中であった子供達はその声に注意を引かれて個々の遊びを中断する。ガリードが来たのだと理解した時には一斉に動き出していた。先までの笑顔はより一層明るく、そして待ち侘びたかのように彼の下へ飛び掛かっていった。
「遊べぇっ!」
 同行者を跳ね除ける様な勢いで突進、同じような台詞で第一声を揃えて彼に襲い掛かる。
 その波に彼は瞬く間に飲まれてしまう。その一瞬、生き甲斐を感じる様な爽やかな笑みを浮かべていたのは気の所為ではなく。
「あら、ガリードさん。お久し振りです。病気もなく、元気そうで良かったです」
 職員も先の声で気付き、表情を和らげて挨拶を交わす。子供のみならず、大人も彼を歓迎していた。
 そうした、実に平和的で微笑ましい光景の中、彼の人徳と行いの良さを把握したバーテルは賞賛、認めるかのように微笑んでいた。当人は、子供達の思いもよらない数の総攻撃に顔が若干引き攣って。
「久し振りっス!お前等も、元気にしていたんだな・・・つつ・・・」
 手痛く、暖かい歓迎を受け、子供達に遊ぶようにあらゆる箇所を引っ張られて請われる。引っ張り凧どころか、最早そういう玩具のような姿は人気者の証拠と言えるのだろう。
「今日は、疲れているから勘弁してくれ。代わりにレイナと遊んでくれ。いや、本気で頼む」
 何時もなら率先して遊びに参加する彼だが、今日は苦しい顔で頼み込む。見た目こそ平気そうに見えるが沼地地帯での生活が響いている様子。
「え~・・・」
「良いんじゃない?」
「じゃ、遊ぼ!!」
 切願に小さな会議じみた会話が開かれるのだが即決、直ぐにもレイナの手を引っ張る。
「うん!何して遊ぶの!?」
 同年代の子供達と遊べるとレイナは歓喜して皆に加わる。抱える卵を注意深く気を払い、また子供達もそれを重々承知、負荷を掛けないようにしながら。
 直ぐにも子供達と遊ぶ我が子を、至極喜ばしいとバーテルは満面の笑み。体格が良く、鉄筋を担いでいてもおかしくない者の笑みは少々怖く見えようか。
「さて、俺は菓子でも作ってやるかな・・・」
 腹部を擦るガリードは荷物を届けようと離れていくラビスに続こうと歩き出す。それをバーテルは気付く。
「おや?何かを作るのかな?」
「そうっスね。俺、さっきの飯屋に行く前にラビスに菓子を貰ったんスよ。だから、そのお返しに作らねぇと思ったんですよ」
「良いね、それ。手伝おうかい?」
「いや、良いっスよ。その代わりに子供達を見ててもらっても良いっスか?無茶するんスよね、知っていると思いますけど」
「そうかい?なら、此処で見守っているよ。子供達が遊んでいる姿を見ているのも楽しくなるからね」
 子供の成長を見守れる時が至福の時と表現する笑顔を見せて彼は運動場の端へ向かう。敷地の花壇や植木の傍のベンチに座る為に。
 先述の通りに菓子を作る為、敷地の奥に建てられた離れに向かう。生活住居としても機能する其処のリビングへ踏み入れば、白いシーツに掛けられた食卓に迎えられる。少し前に食事が終わったようで食器は片付けられている最中であった。
 此処の職員は象徴である白い修道服で身を飾る女性ばかり。誰もが温和そうで、けれど動きはテキパキとする。今も子供達の食べ終えた食器を積み上げ、台所にせっせと運んでいた。
「あら?ガリードさん。御久し振りですね。何か、用事があって来れなかったのですか?」
 途中、職員の一人がガリードに気付いて手を止めて話し掛けた。それを切欠にその場の者全員が出迎えた。
「は、ははは、いやまぁ・・・うん、仕事で沼地地帯行ってたんスよ。まぁ、疲れたっスね」
 一瞬見せた形相、激しくげんなりとした面と発言に気に留めながらも無病息災の様に彼女達は喜んで。
「ちょっと前にラビスに菓子を貰ったんスよ。そのお返しに菓子を作りに来たんスよ。台所と食材使っても大丈夫っスか?」
「それは良いですね!私達の分もお願いして宜しいですか?ガリードさんの料理は美味しいですから」
「良いっスよ!皆食べて下さいね!でも、その前に・・・」
 周りを見渡しながら話をしていた彼はひょいと女性の食器を取り上げる。
「まずは食器洗い、っスね」
「これは私達がしますので、ガリードさんは・・・」
「良いっスよ、先に終わらせましょう」
 端正な顔付きの笑みは爽やかに映る。純粋な善意が彼女達を納得させ、少し酷い有様の恰好を、上着だけでも脱いで意気揚々と片付けに合流する。彼女、ノラと離れられ、羽根を伸ばせる事は実に開放的である事を、終始浮かぶ笑みが示して。
 隣の部屋に設けられた台所、設置された大きな食器棚の所為で少々狭く感じる其処。それでも人が活用する空間は確保される。其処には二人の女性が立つ。
 赤い長髪の女性、知的な眼鏡を掛けた彼女は此処の責任者アニエス。此処では一番に機敏に手を動かす彼女。隣にはラビスが立ち、アニエスが洗った食器を受け取って布巾で水気を拭き取る。その流れは流暢に行われ、熟練すら感じる。その流れにガリードが近寄る。
「これもお願いします、アニエスさん。手伝いに来たっスけど、洗えないっスね」
「ガリードさん、御久し振りですね。仕事でセントガルドを離れていたのですか?子供達が首を長くしていましたよ」
「そう・・・っスね。沼地地帯にちょっと居ました」
「それは、お疲れ様です。そして、御協力ありがとうございます」
 食器洗いの片手間でも、微笑み掛けてながら労いと感謝を告げる。何時も落ち着いた面持ちだからこそ、それには破壊力があるのかも知れない。
「良いっスよ、これぐらい。それよりも菓子を作っても良いっスよね?さっき、ラビスに助けられたから、そのお礼に」
「そうなのですか?貴方がそうおっしゃるなら、是非お願いします」
「任せて下さい!美味い菓子を作るっスから、アニエスさんも食べて下さいね!」
「ええ、是非頂きます」
 ラビスの小さな頭を撫で、自信満々に宣言するガリード。撫でられた少女は照れを見せ、アニエスも微笑みを零していた。

【3】

 食器を洗い、その片付けは十数分程度で終えられ、終えたと同時にガリードは皆に振る舞う菓子作りに取り掛かる。ラビスの買い物と同時進行で買っていた材料を傍らに、彼も少々危なげでも熟練した動きで始める。
「何か手伝える事はありますか?」
「いや、特にないかな?」
「ガリードさんの手伝いは私がしますから、気にしなくて良いわ」
「はい、分かりました」
 手が空いたラビスはアニエスからの承諾を得ると笑みを浮かべて外へと出て行く。直ぐに外へ向かうのは遊びたい訳でなく、幼い子供達の面倒を見る為である。
「確りしてるっスよね、ラビス。なんかもう、俺より大人って感じだ」
「そう、ですね・・・あの年、なのに」
 嫌気を出さず、率先して子供達の面倒や雑用紛いでも立派な仕事をこなす少女にガリードは感心を寄せる。けれど、アニエスは沈んだ表情を見せる。
「・・・此処は子供を預かっているから如何しても人手が足りなくなります。あの子は、力もあります。如何しても、頼ってしまいます。そうした事が、あの子に無理をさせているのではないかと、思いまして・・・」
 小走りに子供達の下へ駆けていく少女の姿を見て、不安を吐露していた。自分達が負うべき不安を負わせているのではないかと。だが、それは不意に零れてしまったものだと、
「も、申し訳ありません。私の考え過ぎ、ですね。気にしないで下さい」
 そう直ぐにも否定して誤魔化そうとする。それでも表情は変わらない事を、横目で見たガリードは小さく考える。
「そんな事ねぇんじゃないっスか?ラビス自身がそうしたいと思ってやってる筈っスから。俺も、好きで此処に来て、遊んでいる訳ですからね。お?ラビス、遊んでんな」
 楽観的ではあるが、嫌々で行っている訳ではないと判断してそう励ます。そうしながら外を見て、面倒を見る名目でも何だかんだ遊んでいる姿に気を留め、笑みを零す。続けて眺めるアニエスは更に表情を暗くした。
「まぁ、でも、やっぱり子供なんスね、楽しそうにしてやがる」
「・・・あの子にとって、遊ぶ事は、それも他の誰かと遊ぶ事は、とても特別な事、大切で、掛け替えの無い事、ですから・・・」
 憐憫、それを感じさせる声と意味深な言葉が呟かれる。その意味をガリードは朧に察して難しい表情を浮かべる。その意味を噛み砕こうとしながら食器棚からボウル等を取り出そうとした時であった。
「んだぁ?」
 急に外が騒がしくなり、察知したガリードが疑問の声を零す。窓から外を確認すると、子供達が一ヶ所に集まり、何やら慌てている様子。詳細は分からないものの、問題が生じた事は確か。
「アニエ・・・!」
 彼女に伝えようとするも、当人は知ると否や既に外へと動き出していた。それを見て彼も急ぎ続いていった。
 外に飛び出し、運動場の片隅で子供達が輪を描くように何かを囲んでいる事を確かめる。何かを心配する様子から怪我の類と考え、駆け寄れば様子が違う事に気付く。
 中心から聞こえてくるのは泣き声、レイナの感情のままに泣くその声が響く。微かにバーテルの慰める声も聞こえる。ただの怪我ではなく、それ以上の事態が発生したと二人は駆け寄ると子供達の上から様子を確かめた。
 白い卵の傍、レイナは蹲って喉を嗄らすほどにワンワンと泣き喚く。大量の涙で自分の腕を濡らすほどに悲しむ。その理由は常時抱えていた卵にある。表面に亀裂が刻み込まれ、凹んでいたのだ。欠片も散らばり、下手をすれば割れていたかも知れない。
 こうなってしまった経緯は大方読めよう。遊んでいる途中で何かの拍子で落としたのか、何かが当たってしまったのだろうと。
「もう泣くんじゃない、レイナ。お前は何も悪くない、悪くないから・・・」
「でも、でも・・・」
 親に慰められても少女の号泣は止まらない。それだけ大事であった証拠。例え、それを手にして日が浅いとしても。
 見てるだけでも居た溜まれず、子供達も辛さを痛感し、涙目で傍観するしかない。中には感化されて泣き出してしまう子も。
「ああ・・・」
 小さく零した。少女が抱く強烈な痛み、それを推察して同情を抱く。決して同じとは言えないが、大切な何かを失う辛さ。存分に感じ、立ち直れなくなるそれに唇を噛んだ。そうなっていると、思って眺めるしかなく。
 取り返しの付かない事への深い悲しみ、誰もがそれに囚われて悲しげに卵を眺めた。そうした最中であった、亀裂の入った卵が微かに揺れを起こしたのだ。見間違いではなく、確かに。
「・・・ああ?」
 確かな異変に気付いて凝視しても動いている事実は変わらない。その事は皆気付き、驚いて言葉を失う。レイナだけは泣き続けて。
 呆気に取られている内に、卵に刻まれた亀裂は大きくなり、内部から音が聞こえ、次第に亀裂は崩れて大きくなっていく。そうした不可解な変化を前に子供達は声を上げ、バーテルは目を見開いて眺め続ける。依然、泣く少女だけが気付けず。
 卵はカタカタと揺れ動き、内部から亀裂は広がり、殻は崩れていく。そして、中から何かが姿を現す。出てきたそれは確かに生物であり、ちょこちょこと外に這い出て、大きく伸びて欠伸を上げて見せた。
 その生物、以前は日常的に見掛けるほどに生活に融け込んでいた動物と、犬種のそれと相違なかった。だが、生まれたばかりでなく、数ヶ月ほど経過してある程度成長した子犬。抱えるには不自由のない大きさ。
 卵から命が生誕する、それは不思議な事ではない。けれど、胎生の動物が卵から産まれると言う常識から外れた事実に、それを知る者は困惑に囚われる。子供達の多くは知らず、神秘に映った光景に言葉を失って。
 視線を浴びている事に気付かず、産まれた子犬は顔を上げてクンクンと周囲を嗅ぎ始める。その直後に何かを察したのか、ガリードに対して元気な声を発した。紛れの無い犬の吠え、それが涙で濡らす少女に気取らせた。
「・・・え?」
 しゃっくり雑じりのレイナは一旦涙を止め、声のした方向を見て子犬を発見する。少女も理解が追い付かずに停止する。瞬きを繰り返している内に、子犬はパタパタと宙へ浮かぶように飛び上がった。
 白い小さな背には、犬種には決して存在しない小さな、けれど身体を浮かせるほど強靭な翼が生えており、それで飛翔していたのだ。最早、全員が理解が出来ず、漠然と眺めるしか出来ない。その注目の中、子犬はガリードに向けて進む。羽ばたき、宙を横切って彼の腕にしがみ付く。するなり、唐突にその手に噛み付いた。
いだだだだッ!?」
 想像外の出来事の上、想像以上の痛覚に訳も分からないまま彼は喚く。その悲鳴など露知らず、子犬は噛み切れない事を悟ると、今度は舐め始める。丹念なそれは食欲を満たすように。良く見れば、菓子作りの材料に手を掛けていたばかりの彼の手は僅かにそれが付着していて。
「・・・!初めまして!」
 次に顕著な反応を示したのはレイナ。困惑していた目が卵を、崩れたそれを見て瞬時に察していた。この子犬は自分が抱えていた卵から産まれて来たのだと。それは本能的な理解であり、直ぐに出した言葉は感謝を込めた挨拶。
 少女の声に瞬時に反応した子犬は振り返り、一直線にレイナへ飛び出す。そのまま腕に抱かれて甘えた声を出す。そして、涙を零す。少女も噛み締めるように涙を零す。漸く再会出来た様に、強く。
「・・・良かったね、レイナ。今日からその子と一緒に暮らしていこう。ちゃんと世話をしないと駄目からね」
 色々と疑問が残るも事態は良い方向に収束し、誰も禍根を残すような結果にならなかったと安堵したバーテルが言い聞かせる。
「うん!」
 元気を取り戻したレイナは弾ける様な笑みで答え、良い子にすると言いたげに子犬も元気に吠えていた。
 生まれてきた子犬を抱き締め、これでもかと可愛がる娘の頭を、慈愛を篭めた表情のバーテルが撫でる。微笑ましき光景に、子供達も安心を浮かべる。緊張が解けると瞬く間に可愛いらしい子犬に群がっていく。
「可愛いね!」
「ワンちゃん!ワンちゃん!」
「名前は如何するの!?」
「僕にも触らせて!」
 瞬く間に人気者となった子犬は子供達にもみくちゃにされそうになる。其処をバーテルを含めた大人達が制して落ち着かせ、過度なストレスにならないように言い聞かせて子供達と触れ合わせていく。
 すっかり良い空気に満たした光景を眺めるガリードはうんうんと頷く。感動する景色は傍に居るだけで心が潤み、笑みが零れてしまうと言うものか。
「いやぁ~、良かっ・・・っ!」
 一時は如何なるかと思った彼は息を吐こうとした時、誰かに肩を叩かれる。それに反応して振り返った時、安堵した台詞を絶句させ、表情を凍結させて直立してしまった。思考もまた急停止した。後ろに居たのは、一人の女性。
 眠たそうな表情、茶色の頭髪は肩程に、頭部付近の二箇所が上に持ち上がって猫に見えなくない。その彼女は何も語らず、無表情のままガリードの襟を掴むとスタスタと、施設の外に向けて歩き出す。
「オ、オイ!?ちょっと、待、いだッ!」
 ガリードの抵抗も無駄、そのまま後ろに引き倒され、引き摺られていく。待てと叫んでも彼女は耳を貸さない。
「ちょ、いてぇって!ちょっと、待てって!ノラッ!聞けよッ!!」
 その場の者達を再び呆気に取らせる声を張り上げるのだが、彼女ノラは耳を貸す事は無い。感情の少なきその顔は怒っているようにも取れた。
「勝手に居なくなったら駄目。まだ、やる事は残っている。御飯を作らないといけないのに・・・」
「やる事って飯作る事かよ!それって、お前の為の飯だよな!?なあ、オイッ!前にも言ったけど、俺はお前の専属料理人じゃねぇんだからな!?なのにすげぇぞんざいな扱いをするんだな!?って!いだッ!!いいから!とりあえず、一回放せッ!ケツいてぇんだよ!だから放して!俺にも自由する権利ってあるよなっ!?逃げないから、一旦離してくれって!!」
 何度も大声で全力で喚き、嵐の様に怒号と悲鳴を散らす。騒音を、悲痛な嘆きを喚き散らす。
「あ、お菓子は・・・」
 誰かが呟いた。作ってくれる約束、それがまだだと。その呟きが彼女の足を止めた。
「・・・お菓子?」
「そ、そうだよ!俺、菓子を作ってる途中だったんだよ。だから・・・」
 一瞬の気の緩み、説得させる機会を逃さまいと畳み掛けようとした瞬間、彼の身体は別方向に引き摺られ始める。
「なら、早く作って」
 それを所望と早急に作らせようと台所に向けて連行し始めるのだ。其処に解放と言う概念は無く。
「だったら、離せ!逃げねぇから!」
「駄目」
「駄目って、良いからぁ・・・」
 そうして、騒々しく彼は離れへ引き摺られていった。最後に響かせた声はまるで、魔王にでも捕まった虜囚が如き声はとても悲惨に聞こえ、子供達の笑いを誘っていた。

 それからの時間、ガリードは休みを与えられたかのように天の導きと加護セイメル・クロウリアの子守りを許されていた。無論、ノラの監視の下。それは大層窮屈に感じたであろう。
 途中、ノラも子犬が産まれた事を知り、微笑みを浮かべて接していた。誰でも、生命の誕生には感動を覚えるのだ。
 けれど、それはそれ。夜手前、夕食を振る舞ったガリードは再びノラに拘束され、沼地地帯へと連行されていった。近所迷惑だと猿轡を加えさせられ、悲鳴も出来ないまま、涙目で。
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「クラス全員で転移したけど俺のステータスは使役スキルが異常で出会った人全員を使役してしまいました」 気がつけば、クラスごと異世界に転移していた――。 しかし俺のステータスは“雑魚”と判定され、クラスメイトからは置き去りにされる。 「どうせ役立たずだろ」と笑われ、迫害され、孤独になった俺。 だが……一人きりになったとき、俺は気づく。 唯一与えられた“使役スキル”が 異常すぎる力 を秘めていることに。 出会った人間も、魔物も、精霊すら――すべて俺の配下になってしまう。 雑魚と蔑まれたはずの俺は、気づけば誰よりも強大な軍勢を率いる存在へ。 これは、クラスで孤立していた少年が「異常な使役スキル」で異世界を歩む物語。 裏切ったクラスメイトを見返すのか、それとも新たな仲間とスローライフを選ぶのか―― 運命を決めるのは、すべて“使役”の先にある。 毎朝7時更新中です。⭐お気に入りで応援いただけると励みになります! 期間限定で10時と17時と21時も投稿予定 ※表紙のイラストはAIによるイメージです

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