此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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霧は晴れ、やがてその実態は明かされゆく

歩み寄って共に歩く、その為には謝罪を

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【1】

 青々と茂り、風吹けばそよぎ、爽やかな香りが鼻を擽る。丈は低いものの、力強く生え並ぶ緑の草。艶やかで瑞々しいその姿は生命の脈動を体現しようか。
 逞しき植物が海を描く平地、背後の巨壁に隠れそうになりながらも確かに建つのは、強固かつ強大な灰色の厚き石壁。囲み、守るのは往々と立ち並ぶ民家、事業を営む物件、人々が使用する建造物、様々、多種多様を見せる居住区。人が織り成す、一端一端の物語が敷き詰められていた。その中で一際目立って壮大白輝なる城が自我の存在を示し、人々の生活の様を感情の移り変わりを勇ましく守っているかの様。
 そんなセントガルド城下町の上空は常に晴天、一時も曇る事もなく、陽射しを余さずに照らしていた。日々、多少は雲が過ぎっても、雨天処か曇天すらもならずに。
 災禍を経て、忌まわしい記憶だと奥底に追いやった人々は活気を見せてその時を生きる。もう、過去の事であったと追想してしまいかねないほどに、誰もが笑顔を見せていた。
 そうした人波を、普段以上に真剣な面持ちで歩むトレイドが居た。目的に取り組む彼は少々近寄り難い空気を放ち、掻き分ける筈が避けられているのは気付いても改めず。
 あの日を境に彼は仕事の傾向を調査中心に変え、各地に飛び回る様に往来を繰り返していた。その理由は無論、深まった謎の究明の為。謎の存在を始めとし、世界が本当に変えられたものなのか、得た様々な情報が確かなものなのかを。
 セントガルド城を起点に、様々な場所に仕事に赴いた序でに、各地の些細な日記同然の物まで手を付けて探っていたのだ。
 しかし、物事はそうそう上手く運ばない。新たな情報、手掛かりは得られぬまま時間だけが過ぎ、またそれに専念出来ない事も多々あった。調査員としての側面を有している以前に、先ずは住人などの支援や依頼を担う事を主としており、それに回されるのは必然。
「もうそろそろか?」
「はい、こっちです!」
 やや慌てた様子の青年に案内されて彼は進む。今日もまた諍いの仲介役として呼び出された次第であった。
 魔族ヴァレス人族ヒュトゥムの関係は大幅に改善したと言える。だが、未だに諍いは絶えない。発生した時に真っ先に頼りにされるのはそうした役目を申し出た事や最初期から関わってきた為であろう。
 事の発端は不注意が原因での怪我。作業中のそれに魔族ヴァレスの女性が心配して応急処置を施そうとし、加害者の方が強烈に拒絶して邪魔をしたのだ。それに騒ぎを聞き付けた数人が割り込み、言い争いになって作業が滞ってしまったのだと。結局は魔族ヴァレスへの拒絶心が残る事でのトラブルであった。
 そして、一向に話が折り合わず、一点から不動を貫いて埒が明かない為、トレイドに助けを求めてきた、と言う流れである。それには呆れを示すばかりであった。
「何時まで拘る気なんだ・・・」
 進歩が出来ない人間が居る事を嘆き、溜息を零す。その嘆きは助けを求めてきた者に聞こえ、苦笑を浮かべて相槌を打っていた。彼が如何思っているのか知らないが、少なくともくだらない事だとは思っているのだろう。
 そんな調子で現場に到着する。まだ、言い争いは継続しており、現場の者達は付き合い切れないと言った表情を示していた。
 新たな家屋を建てている途中の其処、当然様々な道具や工具、資材が周辺に散らばる。ごく普通な作業現場であり、少なくなってきた危険な場所。此処に妙な箇所は見当たらない。諍いを意図的に起こすような配置には見えず、偶然が重なったと推察する。
 一通り眺めた後、今も尚今言い争う人物達に視線を移し、近付いていく。その折りに件の者達を観察する。言い争っていると言うより、一方が声を荒げて非を突き付け、受ける方は聞く耳を持たないと言う、歩み寄りの余地も無い状態。互いが引かない為、堂々巡りのようであった。
 更に、傍で遮れずに立つ者達の中、件の怪我人は居た。軽傷であったようで腕に包帯を巻いた青年が立つ。言い争っている間に処置は済まされており、最早言い争う理由はなく。  
 何時までも終わらない話し合い、だが放置は出来ない為、その場の誰もは手を止めざるを得ず、作業は中断されていた。
 聞こえてくる内容からも馬鹿馬鹿しいとトレイドは溜息を吐く。だが、頼りにされ、目前にした以上放置は出来ないと連中に近付いていく。
「何だ、お前は。部外者は引っ込んでいろ!」
 突然割り込んできた彼に臆せず、直ぐにも威圧して催促する声が上げられた。その者、如何にも肉体労働しか出来ませんと大言するに値する服装と格好の壮年の男性。
 その男性の前には青年。彼はトレイドの登場に少し戸惑い、文句や罵倒を吐き掛ける事はしないが、気まずそうに、居心地悪そうな態度を取った
「・・・良く会うな」
 怒鳴り付けてきた男性は一旦置き、一目で誰なのか理解して話し掛ける。皮肉に似た、実直な感想を受け、かなり不機嫌そうな表情を示して顔を逸らす。
「・・・っとけ」
 気まずそうに吐き捨てる。そう言うしかなくて。
 名こそ知らなくとも何度か面識があったのだ。銀龍が来襲したあの一件、とある魔族ヴァレスに助けられた事を切欠に、それからは改心したのか、その彼女に献身的な関わりを持っていた。その彼が言い争っている理由を、悲しいかな、即座に理解出来てしまった。
「そうか、彼女の為か」
「・・・悪いか?」
「悪い筈がない」
 結局は魔族ヴァレスの共通意識のような他人を気遣う心が切欠であり、何時までも間違った意識を脱却出来ない者の愚かさが招いた諍いであると認識が行き着いてしまった。
「おい!何無視して話してやがる!部外者は引っ込んでいろと言っただろ!」
 騒動を起こす、或いは巻き込まれる。彼も間が悪いと同情を抱いた矢先、男性が喧しく怒鳴り付けて割り込んでくる。昂っている者を放置していれば当然であり、先ずは落ち着かせようとした寸前、
「一々怒鳴るな、あんたは!少し黙ってろよ!」
 挑発が吐き出され、再び怒りが再燃、再び言い争い始めてしまう。
「一旦、落ち着け!そもそも・・・」
 場を鎮めようとした時、我慢の限界が来たのだろう、男性が拳を振り上げて邪魔をするトレイド諸共殴り付けようとした。それを察知し、即座に行動に移される。
 振り被った太き腕、その上腕、下腕との関節部付近を掴んで勢いを殺す。同時に首元も手を添えて一時的に動きを止める。
 瞬く間の行動で動きを封じられた男性だが、見る限りに怒りは治まっていない。依然、気持ちは変える事は無いだろう。
「いい加減にしろ。他人から聞いただけだが、聞くからにあんたが原因だ。魔族ヴァレスに関しても、何時まで拘っているんだ?そうした差別を・・・」
「喧しい!!お前は関係ない!!」
 聞く耳を持たない。正論を受け、逆上した男性は強引に振り払って再び暴行を振る舞おうとする。言っても無駄かと溜息を零した後、男性の拳が振り切られるよりも前に懐へ距離を詰め、顎に手を添えるとそのまま後ろへ押し倒した。
 男性の膝を無理矢理に曲げ、地面へ、打ち付けないように後頭部に手を添えながら倒した後、腕を捻り上げてうつ伏せにして制圧した。
「不注意で他人を負傷させておきながら、治療を施そうとした者を罵倒した挙句、暴行を働くか。反省しろ」
 瞬く間に制圧し、義憤を交えて説教する。その素早き動きに誰もが呆然とする。唯一、壮年の男性だけは更に逆上して暴れて抵抗を続ける。
「悪いが、こいつは法と秩序メギルに送る。一日は空いてしまうが、支障はないか?」
「だ、大丈夫かと・・・」
 トレイドの実力に圧倒され、やや怖気ながらも誰かが答えた。
「なら、作業を続けてくれ」
 話を進めながらウェストバッグから魔物モンスター捕縛用の縄を取り出し、拘束を行った彼は立ち上がる。まだ不服を示し、暴れる男性を持ち上げると法と秩序ルガー・デ・メギルに向けて歩き出す。
「・・・お願い、します」
 淡々と話を進め、立ち去る彼を止める事は出来ず、後姿を呆然と眺める。冷静な様子でも、内心では怒り狂っていた事を察したのか。
 結局、壮年の男性の不注意、差別意識から作業を滞らせた。あまつさえ、暴力行為に及びかけた事を、向こうで懇々と叱責されたと言う。それで反省したのかは分からない。だが、今はそれで済ますしかない。同時に、食って掛かった青年にも反省が促されていた。彼に関しては真面目に受け止め、皆に謝っていた。

【2】

 多少の問題解決に奔走し、同時に仕事や調査を進めていたトレイドは夕暮れに差し掛かった空を見上げて溜息を零していた。一日の始まりを飾ったのは蟠りを残す出来事であった為、精神的に疲労感を感じて。
 けれど、それも済んだ事だと、引き続いて調査に乗り出そうと城に向けて歩き出そうとした時であった。
「・・・おい」
 躊躇いを振り切った声に呼び止められる。聞き覚えを感じたそれに振り返ると、あの若者が立っていた。複雑な感情を抱えているであろう彼の傍には例の女性は居らず。
「如何した?また何か起きたのか?」
「いや、そうじゃない。少し、時間は空いているのか?」
「ああ、大丈夫だ」
 また問題が起きた訳ではないと知り、調査よりも優先すべき事でもあると判断して了承する。
「なら、来てくれ」
 絞り出すように語り掛けると振り返って歩き出す。その背に問い掛けず、黙して続いていった。
 過ぎ行く町並みを横目に、彼は一直線に隔てる巨門に向かう。其処を押し開けて草原地帯へ踏み出していく。
 彼方、燃えるように赤く耀く太陽が草原を焦がす。さも、火の手が上がったかのように草原は揺れ、次第に夜に消されようとしている。
 前方に広がる光景を前にして流石にトレイドは怪訝な表情を浮かべた。此処に連れて来た理由を推察、そして彼の心情を推察する。偏に、町中で話さなかったのは誰かに聞かれたくない、又は拙い内容なのか。
 読めず、ただ立ち尽くして遠くを眺める、その背を見詰める。気持ちの整理を着けている途中と言うのか。
「・・・俺に、何か言いたい事・・・聞きたい事があるのか?」
 事を進める為、急かすように本心に問い掛ける。それに一瞬息を止め、大きく息を吐き捨てて俯いた。覚悟を決めたようで静かに振り返った。
「・・・やっぱり、俺の事、憶えていないのか?」
 勿体ぶって話し出したと思いきや、意図が読めない妙な質問を投げられ、トレイドは眉を顰める。
「憶えているも何も、言い争っただろう。あの一件の時に、銀龍、インファントヴァルムを討伐した、あの後に」
「それも、そうだけどな・・・」
 彼は何かと意味深に空白を作り、唸る様に考え込む。依然として彼の意図が読めず、自然と睨むように見てしまう。
「やっぱり、分からないか・・・」
「分からないって、何の事だかさっぱりだ」
 再度黙り込り、頭を掻き出す。それは後ろめたさが見え、益々に分からなくなる。その困惑を察したのか、青年は大きく息を吐き捨てると振り返って対面した。今度こそ覚悟を定めたようで、迷いながらも視線を合わせた。
「俺は、法と秩序メギルに居たんだよ。あの一件よりも先に、ローレルで既に会ってんだよ。本当に、忘れちまったのか?」
 その告白、沼地地帯の村の名前を受けて記憶を手繰る。そして、照合する。トレイドが失意に暮れていた頃、初めてクルーエと出会った場所が其処であり、切欠である騒動もまた。
「あれは、お前だったのか・・・」
 さも、他人事のように呟く。漠然とだが思い出し、合致したのだが其処に恨みや怒りは再燃しなかった。正確には微塵ほどに込み上げたのだが、それよりも今居る彼との変化の落差に対する驚きが上回っていた。
「お前って、それだけかよ。俺は・・・お前を、刺したんだぞ?」
「・・・そうだったな」
 罪悪感を滲ませて指摘されても反応は薄かった。思い出せば恨みが深まるだろうが、今では個人だが人一倍に魔族ヴァレスを思い遣れる人間に成長している。それに対する関心や喜びが強かった。
「・・・悪かった。俺が、考えなしだった。今更だが・・・」
「・・・反省しているなら、良い。俺も、今迄忘れていた。なら、その程度の出来事だっただけだ」
 僅かに表情を崩して語り掛ける。恨みを吐かず、寛容に受け止めて水に流すと。少なくとも、トレイドも同じように成長しているのだろう。
 恨まれず、許された事に青年は激しく安堵し、息を吐いて脱力していた。それほどに緊張を、罵倒や殴られる事を覚悟していたに違いない。だとしても、心に残すような仕草を示して。
「・・・あの時も、名前を言うの忘れていたな。俺は、アーガだ・・・まぁ、それはいいとして、お前に頼みたい事があるんだ。本当は、これが本題なんだが、聞いてくれるか?」
「ああ、言ってみろ」
 改まり、躊躇いを覗かせながらも真剣な面持ちとなって彼アーガは告げる。けれど、揺るがず、逃げを見せない双眸にトレイドもそれ相応の態度で臨む。
「あの時の女性、クルーエ・・・って言っていたよな?朱色の髪をした、少し気弱そうな彼女」
「ああ、そうだ。彼女に、用事があるんだな?」
 先の話にも挙げられている為、大方は予測は着いた。それでも問い掛ける。本心を確かめる為、やや威圧するように。それでも彼は怯まずに唇を動かす。
「・・・謝りたい」
 一呼吸を挟みながらも視線は逸らさない。本心で謝意を示したい事は感じ取れた。それに、トレイドの表情は険しくなる。
「謝って如何するんだ?それでお前は満足するかも知れないが、彼女が許してくれなかったら、お前は如何する積もりだ?謝るだけで終わりなのか?」
「いや、その時は・・・」
 厳しい態度、口調で問い詰めるとアーガは言葉を詰まらせてたじろぐ。命すらも奪いそうだったのだ、ただ謝るだけでは虫のいい話。一方的に謝ったとしてもそれで解決するとは限らない。
 そのもしもの時の責任の取り方を考えているのか、深刻な面でアーガは長考する。真剣に取り組み、神経を擦り減らすほどのそれらに、トレイドは察する。本気で謝罪する意図があると。
「・・・分かった、彼女を連れてくる。何処に連れて行けば良いんだ?」
 先の問い掛けは試す意図も含まれていた。本心であると察知すれば様子を柔和させ、承諾の言葉と共に話を進める。それにアーガは驚きを示し、一先ずは安心を浮かべていた。
「悪いな・・・此処で、良いか?俺からは、行けない」
 本人の下へ向かう事が礼儀ではあるが、命を奪おうとした者が足を運ぶのは恐怖を与えるに過ぎない。そうしないと言っても信頼など出来ない。元より、それ以前の話、既に壊す一手を下したのだ。だから、今は相手からの承諾を得るしかなかった。
「分かった、此処で待っていてくれ。仕事中で遅くなるかも知れない。連れて行く理由を告げるぞ?」
「・・・そうしてくれ。彼女の、クルーエの気持ちが最優先だ」
 クルーエに全てを委ねると言った様子の彼を置き、城門に向けて歩き出す。門を押し開ける時に振り返った。視線の先には重い表情で佇む姿を捉えた。
 顎に手を当て、深く悩み抜いている。如何して謝ろうか、考えが定まっていない様子が見て取れた。
 逃げずに向き合おうとする意思を確認し、同時に胸に不安を抱き、そのまま門を潜っていった。

【3】

 セントガルド城下町に戻ったトレイドは一直線に、彼女が住まう地区に足を運ぶ。まだ夕方にも到達していないと言うのに、日の明かりが周辺の建物達に遮られ、多少は陰気な地区と言う印象が否めなかった。
 年季を感じ取れる建物から年季の浅き真新しい建物が混在する狭き通路、他よりも夜が早い其処を渡り、此処での依頼による家屋修復や災厄後の復旧作業を思い出す。巡らせ、気落ちした彼の目が重そうに木桶を運ぶ老人を発見した。
「俺が運ぼう」
 発見するなり、駆け寄って使い古したそれを持ち上げる。彼なら片手で持てるが、腰の曲がった上、足取りがおぼつかない老人なら運ぶ事でさえ困難であろう。
「おや、トレイドか。すまんのぅ」
 当然気付いた老爺は厚意に甘んじ、疲れた顔を笑顔にして礼を告げる。しゃがれた声、これまでの人生が目に浮かぼうか。
「気にするな。家に持っていけば良いか?他にはないのか?」
「他にはないのぅ。儂の家に運んでくれ」
「分かった」
 この通りで日々を過ごしている為、住人やその住居はほぼ把握している。井戸からおよそ五メートル離れた位置に老爺の自宅は構えられる。屋根を支える支柱が玄関の左右に造られ、やや道を侵食する一軒家。其処へと老爺と並んで桶を運んでいく。
 普段なら他の住民が見かねて手伝うのだが、今日は運悪く誰にも遭遇しなかったよう。だからこそ、偶然に居合わせられた事を良しとして運んでいく。
「助かったのぅ、トレイド。何時も忙しいお前さんを手伝わせると、心苦しいのぅ」
 玄関に入ってすぐに桶を降ろした彼に、老爺は白髪で埋められた頭を掻きながら気負いする。それを小さく一笑した。
「だから、気にするな。それが俺の仕事でもあるし、助け合いは基本だ」
 気取る訳でなく、本心での言葉に老爺は笑みを浮かべた。
「ありがとうのぅ、でも、あまり根を詰めるではないぞ?身体に気を付けるんじゃぞ」
「それはこっちの台詞だ」
 疲れた顔は其処に無く、親切を受けて喜んだ際の笑顔を見せて謝意、御節介な言葉を残す。それにトレイドは苦笑をしながら老爺の自宅を後にした。
「お、トレイド。もう戻ってきたのか」
 外に出て周囲を見渡そうとした彼に誰かが話し掛ける。反応して振り返ると魔族ヴァレスの青年、セシアが立つ。仕事帰りのようで動き易さを重視した衣服は汚れて。
「いや、まだ用事があってクルーエを探しているんだが、そっちは終わったようだな」
「まぁな。毎日力仕事、操魔術ヴァーテアスを使ってクタクタだ」
 疲労感を示すのだが、同時に達成感も見せる。そうやって軽口を零し、嫌気を出さないのは頼られる充実感を抱いての事か。
「それより、クルーエを探しているんだったな。クルーエならさっき見掛けたな。多分、帰ったと思うぞ」
「そうか、ありがとう。ゆっくり休めよ」
「そうしたいが、ティナがそうさせてくれるかなぁ・・・」
 それよりも妹が素直に休ませてくれないと考える彼は何よりも嫌気を出す。その気持ちは多少理解出来るとトレイドは小さく笑う。
「まぁ・・・お疲れ」
「おお、そっちもな」
 ややげんなりとしても確かな足取りで進む姿を見送り、クルーエが使う建物へと歩みを再開させた。
 補修が幾多に打ち付けられた建物、建て直すべきだと思われる其処をノックする。水気の抜けた扉は通りに小さく響き渡るほどに、乾き、薄かった。
「はい、今出ます・・・トレイドさん」
 室内で反応し、数秒の間を開けて扉が開かれる。応対してくれたのは目的とするクルーエ。その後ろ、共同空間の為、他の女性や子供の姿が映り込む。訪ねてきたのがトレイドだと知ると様々に反応を示していた。その多くが元気が良く、気さくな挨拶。
「如何かしましたか?」
「少し、時間は空いているか?」
「はい、大丈夫ですが・・・」
 尋ねてきたトレイドの顔、神妙なそれに必ずしも喜ばしいものではないと悟り、不安を示しながら外へ出てくる。
「会わせたい人間が居る。詳細を伝えるが、会うのは君次第だ」
「会わせたい、人、ですか?」
 扉を閉めながら心当たり、自分に会いたいと言う人物に身に覚えが無いと疑問を浮かべる。
「・・・君を、襲おうとした人間だ」
「私、を?」
 正直に、濁さずに伝えられる。それに彼女は僅かに血の気を引かせた。
「・・・もっと言えば、俺と君が初めて会ったあの日、その切欠となった奴だ」
 簡潔だが如何言った人物の詳細を伝えると彼女は思い出して表情を青くする。それほどの恐怖を思い出し、そうさせてしまう事にトレイドは心苦しさを感じて。
「・・・そいつが、君に謝りたいと言ってきた。会うのかどうかは、君の判断に任せる」
 判断を委ねる。その部分を指示する事は出来ない。トレイド自身は会って欲しくない、だが、互いが踏み出す為の切欠にもなる。だからこそ、口出しは出来ず。
 恐怖を残したまま難しい表情で考え込む。熟考、けれどそれほど長くはなく、重く顔を上げて視線を合わせると告げた。
「・・・会います」
「・・・分かった、セントガルドの外だ。案内する」
 彼女の覚悟を受け取り、外に向けて歩み出す。その後ろに続く足は重く。だが、相手を、アーガを信じて対面する為に踏み締めていった。

 軽々と開く巨門の先へ、クルーエを連れてトレイドは戻ってくる。際に迎えられた風は彼女の不安を吹き飛ばすように優しく吹き込んだ。けれど、紅蓮に染まりつつある光景にその全てを解かす事は出来ず。
 門付近にアーガは立ち尽くし、周囲に広がる光景を見渡す。気持ちの整理を着けていたのだろう、開門の音か、近付く音か、ゆっくりと振り返った彼は不安に満たされていた。
「クルーエ、こいつが・・・」
「あ、貴方、だったのですか・・・」
 紹介するよりも先にクルーエが驚いた反応を示した。それは既に認識がある事を示し、トレイドは眉を顰める。また、アーガ自身はかなり気まずそうに俯いてしまう。
「知っていたのか?」
「はい。サフィナさんを知っていますか?アーガさんと一緒に居る」
「ああ、彼女は知っているが・・・そうか、彼女を介して知っているのか」
「はい、何度か会っています。それにサフィナも言っています。少し乱暴な言葉遣いだけど、気配りの出来る良い人と」
 思わぬ展開、評価にトレイドの不安は何処かへ消え、アーガは頬を赤くして益々顔を隠す。場の空気は一変、明るいものへと移った。クルーエも先程の様子は一切消え去り、笑みが零れるほどに緊張が解けていた。
「アーガさん」
 調子を抑え、向き合った彼女が呼び掛ける。それに強い反応を示したアーガは強張った顔で向き合った。
「あの時、俺は・・・如何かしていた。法と秩序メギルの強権を行使した。教え、命令された事に、何も考えずに従って、君を傷付けて、君を・・・謝って許される事じゃ・・・」
「アーガさん」
 苦悶の表情で語り、謝罪を述べようとした言葉をクルーエが遮った。その声で再度見た目が、微笑みを捉えた。
「アーガさんを憎んでも、怒ってもいません。ですから、そんなに気負わないで下さい」
「だけど・・・」
「サフィナから聞いています。セントガルド城下町復旧前の事も、知らない魔族ヴァレスに手を掛けようとした事を後悔している事も」
 それは当人同士しか分からない事。だが、話す内容から大方読めよう。彼が改心する切欠、それから考えを改め、自分が行った愚かさを。対等に接する為に己が罪を白状したのだろう。
 それを示すように、アーガを未だ消えぬ自責の念に顔から血の気が引き、その色を損ねる。緊張、不安は見て取れる。
「でも、サフィナは言ったと思います。貴方が本当に反省しているなら、気にしない、って。ですから私も、許します。もう、気にしていません」
 真に反省しているなら、考えを改めて対等に接している事実があるのだから、もう遺恨は無いと語る。微笑んだままの発言にアーガは感極まった表情で俯く。
「サフィナも君も、如何して魔族ヴァレスは、そんなに優しいんだよ・・・!」
 許す、言葉では易くとも実現するとなれば不可能に近いだろう。だと言うのに、彼女のみならず、サフィナもまた示したのだ。まるで包み込むような寛容さに、涙が伝って。
 その一部始終を黙って眺めるトレイド。聞かされた時はどうなるかと思っていたのだが、杞憂であり、改めて彼女達の優しさに感動を抱いていた。ともすれば、末代さえ恨んでもおかしくないと言うのに。それを許せる心の広さに、目を細めていた。

【4】

「時間を取って、悪かった・・・本当に、ありがとう」
 目元を拭いながら面を上げたアーガが二つの意味を篭めた謝意を示す。それをクルーエは微笑んで受け止める。
「いえ、構いませんよ。それよりも、サフィナ事、ちゃんと見ていてあげて下さい」
 本当に遺恨は無い事を示すように、何の抵抗も無く話し掛ける。その姿にアーガの方が少し戸惑って。
「サフィナはああ見えて、きかん坊と言いますか、思った事を直ぐにしてしまう癖がありますから、気を付けてください」 
「ああ、良く分かっている」
 忠告に苦笑しながら返す。重々分かっている、それを示すような表情は楽しさも含んでいた。
「忙しい中、呼び出して悪かった。ありがとう」
 件の彼女が無茶をしていないのか心配になったのか、再三に感謝を示しながらその場を後にしようとする。
「おい、ちょっと良いか」
 一つの懸念にトレイドが駆け寄りながら呼び止めた。
「今は法自体変わったが、法と秩序メギルに所属している以上、軋轢が生まれていないのか?正直、魔族ヴァレスへの理解が追い付いていないと思うが」
「ああ、それなら心配するな。もう、辞めている」
「辞めた?」
「お前に言われて気付いた後、法と秩序メギルに居る意味が分からなくなってよ。済し崩しで入れられたけど、遣り甲斐が感じない時もあってさ。それらが重なって、辞めた」
 最早未練はないと言った様子で語る彼に、また別の心配が浮かぶ。
「なら、仕事は如何して居るんだ?何なら、俺が・・・」
「お前が俺の心配をするな。ちゃんと別の仕事に就いてる、金属加工のな。雑用紛いの仕事しか回されないが、一応は働いてるよ」
 お節介しなくても良いと口元を緩ませて説明する。次の仕事先には遣り甲斐を感じてなのか、充実感が見える。それにトレイドは安心を示す。
「それじゃあな・・・ああ、一つ聞きたい事があったんだ」
 今度こそ立ち去ろうとした時、用事を一つ思い出したと再びクルーエに顔を合わせた。
「もう一人謝りたいんだ。良かったら、何処に居るのか教えてくれないか?」
「謝るのですか?誰の事です?」
「あの時、誰かと一緒に歩いていたよな?もう一人・・・少し背の低い誰かと・・・確か、アルマ、って言っていたよな?」
 それに言及した瞬間、クルーエは表情を暗くし、悲しみを前面に出した。トレイドも名前を聞き、視線を逸らす。
「・・・あの子は、もう、居ません」
「居ない、って・・・まさかっ!」
 嫌な想像が過ぎったのだろう、あの日に、と。
「そ、そうではありません!・・・少し前に、不幸が、ありまして」
 慌てて否定はするが、内容を話す事はしない。亡くなった事だけは伝え、悲しみに表情を更に暗くする。事情を知るトレイドは険しい面のまま。
「そんな、そうなのかよ・・・じゃあ、もう、謝れも、出来ないのかよ・・・」
 自分の行いに詫びを告げられず、謝れないまま、怖がらせたままなのかと、深き後悔に囚われる。楽になりたい訳ではない、謝りたかった為に悔いは深まり続ける。
「アーガさん、アルマは生きていたら、きっと許してくれています。あの子は全部、些細な事って笑う子でしたから。ですから、きっと」
「だが・・・だが・・・!」
 慰めの言葉に涙が浮かぶ。後悔に、告げられないまま永別した事に。取り返しがつかない後悔が頬を濡らして。
「・・・今度、お墓に案内します。其処で・・・」
「・・・頼む」
 全ては気休めでしかない。それでも故人に少しでも届いて欲しいと、その思いが遣り取りに滲んで。
「アーガさん、此処に居たんですね。少し手伝って欲しい事が・・・あら、クルーエ、トレイドさんも、如何か為さったのですか?」
 其処に魔族ヴァレス特有のローブを纏った女性が近寄ってくる。件のサフィナであり、続けて二人に気付いて首を傾げていた。
「もう、終わった。アーガに用事があるなら、優先してくれて構わない」
「はい、終わりましたから」
「そう、ですか?それでアーガさん、あら、涙が・・・」
 状況に追い付けない彼女だが、アーガの涙に気付くと透かさずハンカチを差し出していた。
「・・・ありがとう」
「何の話をしていたのですか?」
「気にしなくても良い」
「でも、泣いていた。何か、あったのですか?」
「もう終わったんだ。俺を呼びに来た理由は?」
「でも・・・」
「だから・・・」
 話している内に二人の会話は巡り始める。傍から見れば言い争っているようで和やかに繰り返しているので微笑ましく。そうしているうちにアーガの調子も取り戻されていた。
「分かった!とりあえず、セントガルドに戻るから、その間に理由を話すから、その後で用事内容を教えてくれよ!」
 そう賑やかに二人はセントガルドへ戻っていく。その背中をクルーエは笑みを零し、けれど表情を暗くした。
「クルーエ、アルマは・・・」
「はい・・・あの、時に・・・」
 見送る中、トレイドが其処に触れ、肯定が返されて硬く目が瞑られた。
 クルーエよりも歳の若いアルマはあの日、あの狂気に塗れた少年に拠り、他の者同様に命を奪われたのだ。それを思い出し、拳が強く握り締められた。痛むほどに。
「・・・落ち込まないで下さい、トレイドさん。アーガさんにも言いましたが、あの子は全部笑って許してしまう子です。トレイドさんが助けに来てくれたと知れば、笑って喜んでいたと思いますから」
「それでも、な・・・」
「・・・そうです、ね・・・」
 トレイドもアルマと接し、ある程度は知っている為、そうした様子が鮮明に目に浮かぶ。だからこそ、悔いてしまう。此処に居たら、今回の話にどんな反応を示し、どの様に許すのかを。
 哀惜を胸に、二人は夜に染まっていく草原に目を向ける。空虚なる心情を抱え、遠く嬉しいような悲しいような眼差しで遠く、彼方の景色を留めていた。吹く風に温かみを感じ取り、思想を空に流していった。
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