此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

生きる為に、共に歩む為に

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【1】

 戦いが終わり、全体に及ぶ激戦の跡を、死体やその欠片が転がる陰惨な空間の中、赴いた二人は緊張感を解いていた。顔を歪めるような異臭が漂う中、静かに、だが噛み締めるように溜息を吐いて。
 苦痛に歪めた表情を浮かべて膝を折ったトレイド。その身体は傾き出す。激痛に耐え続けるのだが、張り詰めていた緊張が解けた事と失血による脱力の所為で意識が遠退いてしまったのだ。
 負傷に塗れた身体が、流血を続かせる身体が地面に倒れる事は無く、直前で身体を支えられていた。他ならぬガリードであり、彼もまた重傷を負えども十全に動いており、難なく駆け付けていた。
「・・・済まない、ガリード」
 壮絶な事態に巻き込んだ事への謝罪を告げるのだが、その声に力が篭っていない。身体能力を始め、結晶を出す能力、負傷を耐え凌いだ上に攻勢に転ずる精神力、あらゆる全てを使い果たす勢いであった。まさに、全身全霊を賭けて勝ち取った勝利と命、表情に安堵の色は見えても埋め尽くすほどの疲弊感が漏れ出していた。
 現に、ガリードの両手に掛かった重みが軽く思えてしまう程。それほどの激戦であり、今も落命していないのが不思議に感じるほどの消耗度であった。
「終わった、で、良いんだよな?」
 ガリードも負傷が酷く、戦闘が終了した開放感からか、戦闘中の満身創痍でも平然とした様子は薄れ、少し身体をふら付かせていた。
「・・・そうだな。一先ずは、な」
「・・・だよな。一先ず、か・・・」
 有終の美を飾った、とは到底言い得ない。命辛々に元凶のシャルティルスの討伐を成し遂げたのだが、それは遅延しかならず、今後もシャルティルスや狂える傀儡シャルス=ロゼアの脅威は去っていない。世界、人々の変貌した原因を突き止めたとして、それ以上の事は出来なかった。更なる変化を止められず、戻す事も不可能とされる。得た情報は絶望しかないものばかりであった。
 それでもクルーエを助けられた事が何よりも吉報であった。それが何に置いての目的であり、成し遂げた事は感慨の一入だろう。それでも脅威を退けた報酬としてはあまりにも少なかった。
 そして、彼等の現在は満身創痍。放っておけば命を落とす事は必至であり、応急処置では対応し切れないほど酷く。これから帰還するのも困難と思われた。
 そうした事を薄く理解する二人は息を吐き、流れるように応急処置に移っていた。様々な現象での力を受け、火傷から始まり、裂傷、切傷に穿孔と凄まじく。それらをフェレストレの塗り薬や包帯、酷い傷は縫合を施す。その随所に痛がりはすれど反応自体は薄く。あまりにも負傷した為であろう、痛みに慣れたのか、痛覚が麻痺した所為か、余計な時間は掛からなかった。
 少し前までは学生であったのか疑わしくなる手際と淡々とした様子で彼等は応急処置を完了させていた。
 終えた後の彼等の姿、ほぼ包帯で巻くと言ったかなり痛々しいもの。けれど、負傷の中に逃げ傷はない。仲間を庇い、果敢に立ち向かった負傷達は斯くも勇ましく素晴らしいものであろう。それを感じる暇など今の二人には無く。
 手当を行い、少しの休息を挟んだ後に二人は立ち上がる、支え合うようにして。その姿は何時かの再現か。あの時と違うのは二人の疲労度と姿、抱く心境であろうか。
 フェレストレの眠気作用が効いても可笑しくない消耗度合だが、まだ気の抜けない彼等は神経を尖らす。その身、負傷は気付かない速度で治癒が促進されており、まだ死ぬ運命でない事が示されていた。
 それを分かち合うように肩を組み合って立ち、数歩離れて見合っていた。
「・・・じゃあ、気合入れて戻るか」
「・・・そうだな」
 帰路、蔓延るほどに魔物モンスターが棲息する外。障害物は多くとも時間稼ぎ程度でしかない。危険が広がる外を渡って安全地帯に向かうにはあまりにも遠かった。
 それを互いに確かめるように言葉を交わした後、外に向けて歩き出す。その足取り、負傷は重く残り、確りと歩みを刻まなければ体勢を崩しかねないほど。
 立ち去る際、二人は振り返って玉座の間を見渡した。死闘の痛みが鮮烈に刻み込まれた酷き空間、ただ巻き込まれ、命を散らすしかなかった犠牲者が転がる惨景。寝ている様に横たわる姿から原形を留めていない者が床に散乱していた。それらを見て、二人は静かに手を合わせていた。
 供養したい気持ちは十分にあった。だが、全員を連れて帰る処か、一人すらも出来ない状態。手を合わせて弔うしか出来ず、ゆっくりと振り返って死闘の惨景を後にする。戦闘の余波で無残になった扉を潜って。

 外にも戦闘の、主に爆発の影響によって外までの道中が激しく変動し、脱出は不可能なのかと思われた。それほどに、崩壊が酷く、通過は困難を極めた。その上、負傷している状態では移動も難しい為に密かにも考えていた。
 けれども無事に日の目を見られ、一先ずは安心を浮かべていた。脱力や溜息を吐いたりと、荒廃して物悲しき光景でもこの時は安心感を抱けて。だが、直後に嫌気を示された。
「熱烈歓迎は、勘弁して欲しいんだけどなぁ・・・」
「・・・言っている場合か」
 嫌味を吐き捨て、それを呆れた様子で諫めていた。天を仰ぎたくなるほどの嫌気で顔を顰めて、目の前に映る困難を睨んでいた。
 今の時間帯、漸く正午に差し掛かる頃であろう。薄い曇天を突き破るほどの強き光を放つ神々しき太陽は頂上には達しておらず。この陽の輝きは曇天とする薄暗き雲に阻まれて荒野は薄暗く落ち込む。乾き、淀んだ空気が吹き抜けていく荒野、広範囲に渡って崩壊した廃城跡地に青色の強く輝く小さな星が連なり、不規則に動く。黒い窪みの中に放つ淡い明かりは偶数。それに温かみは一切に無かった。
 乾き、生命が宿っているとは思えぬ音を鳴らし、彷徨うように歩行しながら蒙昧な殺意を振り撒く。生を身に纏わない、損傷だらけで所が色褪せ、痩せぎす処か骨身を映した身体で動く。人に似ているだけ、人の骨格を模した外見を為す魔物モンスターである。異形のそれが群れを成して押し寄せていた。 
 軽口が思わず出たのは想像していた危惧がそのまま体現された為に。そして、立ち向かうしかないと言う諦めで漏れていた。けれど、二人して生を諦めた訳ではない。
 勇猛にも携える大剣を振り抜き、友人の不安を掻き消すような素振りを見舞って勢い良く肩に乗せる。満身創痍の身体を引き摺り、純黒の剣を構えて睥睨する。彼等の様は魔物モンスターすらも圧倒させる威圧感を示した。
 ゆらゆらと接近してくる様を前に、二人は城内での戦闘時と遜色ない戦意を放って武器を構えて対峙していった。
 相対する幾多の魔物モンスター、四つの腕を有するゼルエ・スケェイストは錆びや刃毀れを目立たせる剣を振るい、奇妙な軽く空洞感なる音を鳴らして歩く。連なって歩み寄るその様、明かりに照らされて全容が見える事が不気味さを、絶望感を際立たせて恐怖を抱かせる事必至。だが、更なる危機を経験した二人に怖気などなかった。
 鬼の如き形相、咆哮を響かせてガリードは急速に距離を詰める。肩に乗せた大剣を両手で握り込むと傍らの瓦礫の存在を一切に厭わずに振るう。それらを豪快に削り、弾いて騒音を掻き鳴らしながら斜に薙ぎ払った。
 その軌道、全ての腕を振るって斬り掛からんとした細く脆い身体を、幾多のそれを叩く。直後、軽い破砕音と共に魔物モンスターを粉砕、幾多の欠片に変えさせる。中には大きな部分を宙へと弾き飛ばすほどに強烈な一撃を放った。振り抜いた大剣は風を僅かに起こすように。
 対照的にゼルエ・スケェイストの動きよりも素早く接近、黒き刃が頭部、腰を砕く。地面に崩れ落ちるよりも先に次に標的を変えて返り討ちにしていく。その動き、平時と遜色ない素早さを見せた。だが、それでも戦闘の影響は残っており、数体を仕留めた直後、足が縺れ、体勢を崩して膝を折ってしまう。
「ぐっ!」
 不意に蹲り、だが即座に立ち上がろうとしても上手く身体が動いてくれず。接近し、凶刃を振るわんとする姿を見上げてしまう。当然、武器で防ごうとするも数で襲い掛かってこられれば一溜まりもない。心臓の音は高まり、汗が伝った。
 直後、小さな風と共に騒音が駆け抜けた。彼の頭上を物体が過ぎ去り、粉砕する音が鳴り響いて幾多の物体が飛び散った。その一部始終、ガリードが駆け付け、大剣を以って接近していた魔物モンスター達を一掃したに過ぎない。
 片手で降り抜き、片手で宙に静止させるのは負傷を思わせないほどに豪腕を発揮。その後、足元で破片となり、それでも活動する一体の頭部に目掛けて鉄塊を思わせる大剣を振り下ろした。頭蓋の砕ける音を飲み込む、地を砕く音が一瞬感じた恐怖を飲み込むようであった。それを更に磨り潰すかのように自身を支点に弧を描き、剣を引き上げながら地面を削って再度肩に乗せる。
「へばってんなよ、トレイド!!何が何でも生きて帰らねぇといけねぇからな!!」
 既に十に至るほどの数を返り討ちにし、己の剛力で無双する彼は興奮した様子で告げる。傷だらけの所為か、荒々しさが増して彼が武器を振るった場所では幾多の切創を地面に刻み込んで。
「阿呆!助けてくれて有り難いが、今は集中しろッ!」
 今、彼は昂揚して集中が欠けている。強大な敵と熾烈な戦いを経て、生きる為に奮起している為であろう。このまま生存して見せると言う意気込みが荒々しさに繋がっている。それが危険に繋がる。状態に状況、一瞬であっても余計な思考は命取りに繋がりかねなかなった。
 そう、最後の最後に気を抜く、画竜点睛を欠く者が命を失うのは世の必定。トレイドの抱えていた不安の一つが、今目の前に晒されてしまい、焦りに感謝と罵倒を加えて促していた。今はそれだけしか出来ない。もし、彼の身体が万全であれば、結晶を呼び出して敵を一掃した事だろう。疲労と負傷で繰り出せず、押し寄せる波を前に悔やむしかなかった。
「分かってるよ!言われなくてもさァッ!!」
 承知していると大声を出し、轟々と掘削音を鳴り響かせて一斉に接近してくる群れに向けて一撃を放つ。掘削した瓦礫を散らし、それでも威力の損なわぬ一撃は襲い掛かって来た魔物モンスター、幾多のそれを霧散させるほどに。
 一閃を放った彼の腕、損傷した衣服から晒された筋肉はかなりに肥大して。鉄をも縊り砕くほどに柄を掌握し、剣を完全に停止させた彼の姿勢は少しも揺れる事は無い。鍛錬の成果を充分に知らしめる一撃であり、不安を抱いたトレイドを安心させ、感心させていた。
「・・・言うまでも無かったな」
「さぁ、もう少し頑張ろうぜ!」
 気分高揚し、群れる魔物モンスターなど敵ではないと言う安心感を示しながらトレイドへ腕を伸ばす。彼の力強き牽引を受けて立ち上がり、一瞬顔を合わせた時、互いに安心するように微笑みを零して。
 そして、背を合わせるように再度周囲に警戒して武器を構え、生きる為に全身全霊で立ち向かっていった。
 それからは多少危うげでも一方的な戦況が展開されていた。ガリードの膂力に任せた豪快過ぎる攻撃で武器を振るう隙すらも与えずに蹴散らす。その打ち漏らしをトレイドが俊敏に切り刻む。互いの隙を補うように己の命を防衛していく。
 度にガリードの咆哮と共に粉砕音が響き渡る。薄汚れた白骨、叩き壊した欠片が宙へ散らし、その硬き雨を降らせるなどの奮闘ぶり。群れによる脅威など一切に関係ないと体現する。それはトレイドの不調も補う程の猛威を払って。
「オラァァァァッ!!」
 空を震わせん勢いで咆哮を放ったガリード。瓦礫を蹴散らしながら踏み込む。後ろに溝を作るほどに、けたたましい音を響かせて身体を捻り上げる彼。大声量の雄叫びを響かせて両手で握り込んだ剣を、渾身の力を奮い立たせて黒と銀の円を描いて大きく振り上げた。
 捻った身体を支点に、水平をなぞる様に回転させる。己を軸にした攻撃は閃光の如き軌道を描き、鋭き音を響かせて取り囲むように接近してきた白骨達を薙ぎ払った。反応すらも出来ずに、簡単に砕かれた身を確認する間もなく地面に崩れ落ちていく。
 勢いを利用して大きく上段に、背に刀身が着くほどに振り被りながら前進する。力強き踏み込みはカタカタと動く頭蓋骨を踏み砕き、僅かに届かず、接近しようとした一体に振り下ろした。瞬く間に幾多の残骸とさせ、ほぼ抵抗を受けなかった刀身は御し切れずに地面へ叩き付けてしまう。それが更なる危機を生んだ。
 白き骨の雨を降らし、痛みと力みを逃がす為の息を吐き捨てようとした寸前、地面に食い込ませた奇妙な音と急激な重さの減少に顔が引き攣った。そして見下ろして苦しむ面となった。
 重く、厚く、彼の豪腕で振るわされていた大剣が砕けていた。地面に突き刺さった黒い鉄塊と化した刀身、ガリードの間に幾多の破片が落下し、瓦礫に埋もれていた。彼の剣は既に瀕死状態であった。度重なる戦いの上、シャルティルスの爆発に大きく寿命を削られた。その証拠の全体に渡る亀裂。加えてガリードの無茶が祟り、限界を迎え、崩壊に至ってしまった。寧ろ、良く今まで持っていたのだと感心出来るほどだろう。
 だが、今は関係ない。無残な塊を備えた棒と化した。その事実を前に全ての反応が遅れてしまった。今迄で頼りの綱であり、攻撃の要であった武器を失った、思い入れのあるそれが砕けた事が僅かでも心に動揺を生んだ。
「あぐっ!?」
「ガリードッ!!」
 僅かな隙を狙う、いや偶々に行動が合致しただけであろう。損傷の酷き剣がガリードの顔に向けて振るわれた。直後、悲鳴を零し、顔を押さえて退く。手の隙間から赤い筋が伝って。
「クソッ!!大丈夫かッ!?顔は、目をやられたのか!?別の場所かッ!?」
 激しく狼狽したトレイドが状態を大声で尋ねる。その間、友人を手に掛けた不届き者は直ぐにも白き残骸に変えて葬った。動く中、疲労と負傷で結晶を呼び出せない事を強く悔やんだ。白く霞んだ思考の中、一心に念じても出現しなかった。それが何時かと同じ悔しさに唇を噛み、嘆く。唇に伝わせた血は、血涙のように。
「だ、大丈夫だ!これぐらい何とも・・・ぐッ!」
 目元を強く押さえ、痛みに耐える為に柄を強く握った彼は友人の慟哭を遮る。それで安心させようとしたのも束の間、背に強烈な痛みを受ける。削り、抉るような痛みに声が止まる。
 即座に振り返った先、カタカタと身体を震わせ、一切の感情が宿っていないと言うのに笑って見えるゼルエ・スケェイストの一体が立つ。折れるほど損傷の酷き剣で突き立てていたのだ。負傷は軽微、なれど反応する前に更なる一撃を加えられる。
「ガリー・・・」
「お返しだ、この野郎がッ!!」
 心配される寸前、怒りに任せた反撃を叩き込む。破損した武器での攻撃に対するように、粉砕して短くなった刀身で頭蓋を叩き割っていた。
「次から次へとよォッ!!」
 減る気配を見せずに押し寄せる骸骨の群れに怒りを露わにしたガリードは前進する。煩わしいとした態度で腰に提げていた、過去にガストールに貰った剣を引き抜いて戦闘を続行させる。
 武器が変われば勝手も変わる。大剣の感覚で振るえば瞬く間に別の剣も失うだろう。それを弁えてか、それとも関係ないと言わんばかりに、膂力が篭った甲高き音を響かせて振るった。その軌道に存在した空洞の頭、支えるに不安定な背骨、装甲等の意味もなさない骨格に、鮮烈な切創を刻み込む。それに沿って白き身体は砕け散っていった。
 この一撃を端に、周囲に立ち尽くすように近付く骨身の群れへ接近、力任せの斬撃を展開させた。比べようも無いほど軽い剣での一撃は視界を止まらせぬ速さで、風を切る音を響かせた。瞬く間に、彼の強烈な攻撃を前に、骨の身体は地面に崩れ去っていくのみであった。
 粗方を処理し、状況を確認したガリードは一息吐く。蓄積した疲労を少しでも解消する為に、勝手の違う剣の感覚を取り戻す為に呼吸を繰り返す。
ったく!この剣を持ってて良かったぜ!無かったらどうなってた・・・」
 強がり、余裕を示すような言葉を吐いていた途中であった。傍で何かが落ちる、倒れる音を耳にし、その方向を確認してまた言葉を失った。トレイドが倒れていたのだ。
 限界の淵に立っていた彼、シャルティルスとの戦闘で受けた負傷は戦う処か、立っている事すらも出来ないと思わせるほどだった。それでも立ち、戦って見せたのは生きる、友を助けたい執念から。意識は途絶えなくとも、身体が動きを止めてしまったのだ。
「まだ、俺は・・・ガリー・・・」
 途端に意識は薄れていく。視界は既にぼやけ、閉じられようとしている。その耳は友人の心配する声と新たな脅威に焦る声を捉える。咆哮や戦いの騒音で引き寄せられているのだろうか。それで立ち上がろうと思えどもやはり身体は動かず、薄れる意識は心配に埋められる。
 直ぐに音も薄れる。激化する騒音と案ずる声も遠退いていく。そして暗転、気絶してしまった。最後まで友人を案じ、謝る思いを残して。

【2】

「・・・っ」
 縛り、全身に至る強烈な痛みに誘われるように意識が明るくなり、視界が開けられた。見慣れない天井、崩壊して偶発的にも傘となった建物の残骸が映り込む。一目で居住地に居ない事を理解する。
「う、ぐ・・・」
 麻痺しているのか、少し痛みが遠退いた所で身体を起こす。動作すれば当然激痛が駆け抜けて声を漏らしてしまう。
「おい、寝ていろよ。治療中なんだからよ、応急処置だけどさ」
 聞き覚えのある声とやや力強い手で制される。それで片目を瞑りながらその者を確認した。それは自分が所属するギルド、曙光射す騎士団エスレイエット・フェルドラーの者であり、多少の顔見知りであった。
 周囲には見覚えのある者達が立っている事に気付く。彼等はトレイドが気付いた事に安堵を示して。
 状況が読めないトレイドは視線を移す。やや霞んだ目が、隣で瓦礫に凭れて座る友人ガリードの姿を発見する。疲れ切った顔、だが達成感と満足感に満たされた良い表情をする。それは同じように友人が生きている事に安心してか。
「よお、起きたか。身体を張って守った甲斐があったぜ」
 廃城を脱出した時より酷くなった身体を見せ付け、自慢げに言葉を掛ける。満身創痍でありながらもそれを思わせない笑みは目映く見えて。
「ガリード・・・」
 彼の姿を見て、更に酷くなった姿を前に涙が込み上げてくる。気絶する直前の事を少しずつ思い出し、一人での奮闘を想像する。苦労を掛けた事を悔やむ。謝罪と感謝、その言葉を口にしようとした唇が止まる。
「自慢する事か!馬鹿!お前もだ、トレイド!!お前等、こんなんになるぐらいに無茶しやがってよ!!」
「おう!今回ばかりは黙っていられねぇな。ボロボロだろうが関係ねぇ、一発殴ってやる」
「それには同感だけど、今は止めてあげて」
「だな。快復したら思う存分殴れば良いんだし」
 途端に仲間達が傍へと駆け寄り、口々に労う言葉に阻まれたのだ。賞賛ではなく、日頃の鬱憤を篭めた叱責であり、功労者である彼等に向ける言葉達と扱い方ではない。実際に、比較的怪我の軽いガリードが頭を軽く叩かれていたりして。
 次々と畳み掛ける仲間達の手厚い労いに耳の痛い、心にグサグサと来る二人は苦笑して甘んじるしかなかった。押し付けて何処かに消えるガリードも今回ばかりは共に怒られるしかなかった。
「・・・まぁ、でも、良く二人だけで勝てたな」
「そうそう、ステインさんでさえも手古摺ったって言ってた奴をよ」
「ガリードにも聞いたが、狂える傀儡シャルス=ロゼアの大群も相手にしたんだって?それで、これぐらいの怪我で済んだって、すげぇな・・・」
「そうね。ステインさんもユウさんも驚いていたわ。もう直ぐ戻ってくると思うけど・・・」
 一頻り気分を晴らしてから漸く賞賛の言葉を掛ける。生きている事が疑わしくなる重傷を負えど、それで済ませた事が疑わしいとする。この中に対峙した者は少なく、だがそれが残した爪痕なら散々と見てきた。大規模且つ人を容易く屠れる存在、それをたった二人で相手して勝てた事も信じられず、奇跡と示すように。
 褒められても二人は浮かない様子。それは完全に危機が去っていない事を知っているから。だとしても、褒められて嬉しい訳がない。小さいながらも笑みを零して。
「・・・気を失って、悪かったな、ガリード。あの後、如何なったんだ?」
 応急処置を続行され、合間の小さな痛みに耐えながら訪ねる。
「ん?・・・ああ、まぁ、ちょっときつかったな」
 そう軽く答えるも相当の危機に陥っていた。異なる武器の勝手に慣れる合間も無く、友人を庇いながら一人で大群の撃退。相当の枷を前に彼は憤激した。それはシャルティルスと対峙した、いやそれ以上の気迫を放ち、全身に至る傷から血を噴き出すほどに力んで。更なる傷を受け、其処から流血の勢いを増しても孤軍奮闘した。
 だとしてもそもそも同様に気絶しても可笑しくない重傷を負っている身。劣勢に至るのは早かった。急激に積み重なる疲労感に動きは鈍り、接近を許す数が増し、頭の片隅に考えてはならぬ単語が過ぎった。其処に、待望した展開が訪れたのだ。
 彼は言わば独断専行していた。後続隊、詰まり本隊は此処に向かっていたのだ。そう、応援が駆け付けてくれたのだ。これにより、危機は脱した。仲間達の奮闘で瞬く間に魔物モンスターは粉砕され、トレイド共々救出されていた。
「・・・って、事だな。まぁ、危なかった」
「軽々と言うな、相当ヤバかった癖に」
「そうそう!一人勝手に飛び出していったと思ったら、あんな風になってて驚いたわよ」
 なんにせよ、終わった事、終われば呆気ないと言いたげに振る舞う様に苦情が飛ぶ。危ないだけで済ませる状況ではなかったと口々に。反省の色が無いと再度頭を叩かれて。
「そう、そうだな、そうだったな、本当に危なかった。説明も不十分の上、命令も聞かずに、トレイドと同様に満身創痍。流石に、命が縮まる思いだった」
「そうですね。あれだけ注意をしていたのに、特にトレイドと貴方には充分警告したのに、あの始末の上、まだそんな事を言える余裕があるなんて」
「凄まじい度胸なんだわ。こりゃあ、もうちょっと叱らねーといけねーわな。ステインさん」
 気を緩ませるガリードが途端に委縮して顔は蒼褪める。その場に訪れたのは曙光射す騎士団エスレイエット・フェルドラーの重役の面々。特に面識のあるフー、ユウ、そして責任者であるステインの登場であった。三人は大層ご立腹であり、フーは指を鳴らし、ユウは厳しい目で、ステインは小さく青筋を浮かべて。
「状況は如何でしたか?」
「心配する事はねーわな。あの城の周辺、内部の探索したが、問題無し。念の為の供養・・・まぁ、焼き払った形になるけど済ませたわな」
 彼等はガリードの報告を受けて廃城の調査を行っていたようだ。実際に行ってきた彼等が言うのなら本当なのだろう。そして、供養を済ませた事も、節に見せた切なき面が示していた。
「本当に、よく貴方達は勝てたわね。城の、玉座の間は酷い有様だったわ。あそこで戦っていたのよね?もう半分近く埋まっていたわ」
「崩壊して潰されなくて良かったわな。相手もそれを恐れていたって事か?」
「いや、潰される事は無いだろうな。その気になればあの城も更地に出来た。何かの目論見があったのだろうが・・・」
「まー、そんな相手に良く勝ったな、お前等」
 他に対峙したステインの言、信憑性があり、更にトレイド達に関心が向けられる。賞賛どころか、尊敬の念すら抱こうか。
 またもや口々に賞賛が投げられる中、トレイドは静かに思う。その疑問は残り続けていた。地形を変えるほどの力、それでも城を崩壊させる事はしなかった。何かしらの想い入れがあったと言うのか、それとも件の女神の影響とでも言うのか。
 最早、それを問い質せない。また出現し、それを問い掛けたところで返す筈も無い。憶測、想像するしかない。帰結するのは何かしらの要因が働いた、運が良かったぐらいか。
 仲間達が二人を称える中、小さな吐息の音が聞こえた。それが全員の動きを止めてしまう。途端に周囲の空気が静まり返った。
「さて、改めて今回の騒動の報告をしてもらう・・・前に、二人に言いたい事がある」
 本題に入る前に、静かに激昂するステインは重傷の二人に接近する。その威圧感は戦闘時以上の凄みを感じた。表情こそ変わらなくとも、息を呑み込むほどの圧が放たれていた。その余波に、部下達は表情を青くして。
 それから猛烈な説教が行われた。二人の応急処置が済まされ、栄養補給を経て、トレイドも歩けるほどに回復したとしても、更に疲弊させてしまう程に過剰と思えるほどの説教を叩き込んでいた。何時魔物モンスターに襲撃されかねないとしても、部下にそれを気遣われても、治まらない気持ちのまま語り掛け続けていた。
 受ける二人は苦い表情で一心に受け止め続ける。言葉の全てが正論であり、自分達に非がある事を認めている為、合間に声も出さずに堪え続けていた。逆に身体が固まってしまう程ずっと。

 説教はどれ程時間を掛けたであろうか。まだ昼には達していない時頃なれど、数時間を掛けたと錯覚するほどの密度があった。
 言って見れば言葉だけだと言うのに、受けた二人は見て分かるほどに憔悴していた。激昂しても怒鳴り付けず、ただ淡々と理詰めで責められる。際の圧力は空間を歪ませたかのように。それを一身に受けていればそうなろうか。
「・・・今は、今日は、今回はこれぐらいにしよう。後日、呼び出すから従うように。特に、トレイド。まだまだ言い付けないと暴走しそうだからな」
 相当どころか、生涯根に持つであろう様子を示してステインは切り上げた。まだまだ言い足りない、その言葉通りにトレイドを睨み付けて。すっかり問題児、トラブルメーカーと見做して扱っている。いや、それは誰が相手にしても同じであろう。事実、此処に居る者達全員が同じ思いであった。
 二人は小さな声で承諾し、彼に深く頭を下げて。
「・・・では、子細を話してくれ」
 一先ず気分を落ち着かせたステインが話題を切り替える。受ける二人はそう簡単には切り替えられず、それでも職務を全うする為に気を取り直しながら説明していった。
 廃城での戦闘の内容、辛くも仕留めた事、その際に告げられた真偽の分からぬ証言を。それを耳にした二人以外の全員が息を飲んでいた。よもやと思っただろう。あれほどの存在が何度も降臨出来るとは。そんな存在が世界そのものを変え、この先も変わり続けるとは。
 顔を蒼褪めたり、顔を険しくさせる。想像出来ない事実を疑わしく感じる中、ステインは顎に手を当てて熟慮していた。情報を事実と噛み締め、それに対する対策を講じているのだろう。
「・・・分かった、理解した、承知した。これで今回の騒動は終了とする。直ぐにセントガルドに撤退する。全員、準備」
 この地帯、荒野を調べ尽すほどの時間は経過していない。現時点で徹底的に調査すれば或いは何かが見付かるかも知れない。それでも撤退を命じる。二人が得た情報以上の成果を得られる可能性は低く、この地域での安全を確立していない以上、負傷者を置いての調査は危険でしかない。それ故の指示であろう。
 受けた部下は立ち上がって後始末、外の警戒を行う仲間に伝達して撤退の準備を始める。数名は二人の補助に取り掛かる。この頃に成れば二人の様子もある程度回復する。ガリードは少しぎこちないが一人で歩け、トレイドも支えがあれば歩く事が出来ていた。
 準備は早々に済まされ、いざ出発する直前、二人の様子を見て仲間の一人が憂いを示した。
「処置は施したけど、傷が残りそうね」
 二人の負傷はあまりにも酷く、処置も止血程度であった為に完治はしても傷痕は残ってしまうと懸念する。それにガリードは妙に明るい表情となった。
「傷は、残ってて欲しいかなぁ。特に顔、目元の傷、格好良くならねぇかな?」
 そう、顔を横断するような傷をなぞりながら訪ねていた。その言葉に周囲は静かになった。
 死に目に遭いそうになり、忌まわしい負傷の一つだと言うのに残すと抜かし出す。前々から傷だらけ、無数の傷痕を負う事に憧れでも抱いていたのだろう。応急処置を受ける中、そう考えていたのだろうか。そして、それを口にしていたのだ。心配させた者に聞かせる言葉ではなかった。
「なら、俺がもっと切り刻んでやるわな。何処が良い?その傷を隠す位に鑢に掛けるのも良いわな」
「良いですね、フーさん。馬鹿って文字を刻みましょう」
「それじゃあ足りないわ。顔に恥ずかしい文字を書きましょう。少しはそれで反省して貰わないと」
 顔が怖いフーを筆頭にそんな物騒な会話をし始める。
「いやいやいや、じょ、冗談です!!冗談っス!!止めてッ!!」
 堪らず悲鳴を上げて謝罪の言葉と態度を示す。その狼狽する姿に、遣り取りがその場の空気を緩和させていた。
「しかし、悪かったんだわ、お前等。直ぐに駆け付けられなくてよ。炭鉱窟の道が狭い上に、着いた途端に骨共に邪魔されたんだわ。終わったと思ったら狂える傀儡シャルス=ロゼアにも遭遇してよ、時間喰っちまったんだわ」
 トレイドを立たせたフーが謝る。動員は早くとも足止めされたと語る。彼等を足止めするほどなのだ、大群であったのだろうか。もし、そうだとしたら、どれ程に犠牲者が居たと言うのだろう。憤りが込み上げるばかり。
「そんな事ねぇっスよ、フーさん。皆が来てくれたお陰で助かったんスから!」
 包帯だらけでありながら元気のあまり余る事この上ない。眩しき笑顔を見せ付けて言葉は感謝に溢れて。
 補助ありきで二人は仲間達と共に荒野の撤退を始める。その帰路、庇われる事にやや恥じ、悔いながらも仲間に感謝して足を動かす。
 その道中、気を紛らわせる為か、多少の雑談を交わしていた。聞けば、ギルドの過半数近くが今回の騒動に動員されたと言う。この荒野に踏み入ったのは精鋭であり、他は待機させて。だが、それは当然であり、それでも足りなかっただろう。取り越し苦労となったのは幸いと見るべきか。
 また、愛用して酷使し続けた大剣の破片は拾ったと言う。流石に置いていけなかったとガリードは語った。その気持ちは分かると耳にした者は心中で納得して。
 道中、終始痛みを背負い続けるトレイドは終わったと噛み締める。今背負う痛みが生きている証だと噛み締め、同じ困難を乗り越えた友と共に歩いていった。

【3】

 程無くして荒野を離れ、高山の内部に至る。その体内を渡る間、負傷者を狙う不届きな存在は現れなかった。現れたところで返り討ちだろうが。
 狭い空洞を抜け、刑務所として活用する炭鉱窟へ到着する。囚人達を驚かせ、気圧しながら通り過ぎる。途中、レイザーにトレイドは小さく頭を下げ、受け取った彼は笑みを見せて。
 外に出て詰所へとトレイド達は連れられる。其処では天の導きと加護セイメル・クロウリアが待機されており、直ぐにも治療を施されていた。本格的な治療の合間にステイン達は伝書を飛ばしたり、消耗した二人に軽食を整えていた。
 治療を受けて完治に至り、失血分を取り戻す量ではないが軽食を腹に納めた二人は今度は馬車に乗り込む。待機していた者達と共に拠点であるセントガルド城下町への帰路に立っていた。
 やや硬い馬車の座席に腰掛け、強き振動を受けながら長き道を経て、目的地に着いたのは夜であった。その間、馬車内や野宿の際で今回の騒動の報告書を纏めていた。同時にこれからの事や今後現れるであろうシャルティルスへの対策を協議していた。
 書き留めるにしても信じられない事であり、討った存在の復活などもっと信じられないだろう。それでも何が起きても最早不思議ではないこの世界、真摯に受け止めてトレイド達は仲間達と深く話し合っていた。確信的な、或いは決定的な対策案は出なかったとしても、無駄ではない時間が流されていた。
 そうして、夜に落ち込んだセントガルド城下町に踏み入る。巨門を潜り、馬車とレイホースの返却を行う傍ら、降り立ったトレイドとガリードはステインに軽い説教を受けていた。
「・・・説教はこれぐらいにしよう。後日、改めて今回の報告書と始末書を書いてもらう。その連絡はするが、もう休むんだ。後の事は任せると良い」
 馬車内等で十分に休んだとは言え、漸く最後の緊張が解け、残っていた疲労に追われるだろう。それを見越しての指示であり、事実、二人には重く圧し掛かるほどの疲労感、倦怠感に襲われていた。
「分かったっス」
「ああ」
 了承した二人は皆に一礼し、立ち去ろうとする。その矢先にステインが呼び止めた。
「トレイドは先に行くべき場所があるだろう。休む前に、休息する前に、就寝する前に、行かないとな。いや、必ず向かうように」
「・・・分かっている」
 釘を刺すように指摘され、その事を少し前から意識していたトレイドは重く返事をする。要らぬ節介だったかと苦笑を零したステインは踵を返して皆の下へと立ち去って行った。
「んじゃ、一緒に行くか。どうせ、行く場所は同じだしな」
 仲間達の気遣い、友人の気遣いを受け、反省の気持ちを浮かべながら帰路に立つ。その最初に向かうべきは、奮闘して命を賭けてでも助けようとした女性のもとに。

 セントガルドを落とし込む夜。それは魔力を含むかのようで、吹く風に不気味さを、建造物の輪郭も霞ませる程に。頭上を埋め尽くす、輝く満点の星空が無ければ途方に迷っていたであろう。
 目的地に向かう道中、空の明かりと公道に沿った建物から漏れる赤い光、篝火に照らされて程良く明るくされる。偉業を成し遂げた二人の凱旋にしては寂しく、静かな道程ではあるが、達成感に浸れるには程良い静けさでもある。無論、当人達は喜びだけではなく。
 向かう最中で二人は会話を行わなかった。今回の事で交わす事は既に出尽くしており、密やかに勝ち取った平穏を維持する事を念頭に置いた行動をすべきと考えていた。
 やがて、辿り着く。二人の前には白き教会が映る。其処は天の導きと加護セイメル・クロウリアである。此処にトレイドが来たのは、守るべき彼女が、クルーエが病床に伏していたから。彼女の容態の確認の為に来ていたのだ。
「じゃ、此処で別行動だな。俺は俺で、まぁ・・・用事があるからな」
 薄暗闇の中、苦笑を浮かばせる彼。彼もまた我儘、強引に己の意見を通したのだろう。無理矢理に説得して参上してくれたのだろう。ならば、待ち受けているのは怒涛のような叱責か、支払うべき対価の時。そう、苦しそうな表情の彼の腕を、力強く掴む者が現れた。
「・・・待っていた」
 小さく、呟くように言葉が口にされた。音も無く、闇に紛れるように出現したのはノラ。待ち伏せていたのだろう、しかしその気配を全くに気取らせなかった。ガリードだけは察知しており、全てを諦めて受け入れていた。
 抵抗する事もせず、欲望のままに引き摺られていく。そう、彼が払った対価は気が済むまで料理を振る舞うと言った処だろう。際限なく食べられる、健啖家である彼女には、美味しい料理を振る舞うガリードにつける条件にしては最上であろう。
 だが、連行する際、無抵抗のガリードを引き摺る彼女の顔に、感情が乏しき表情に涙と思しき何かが伝っていたのは、嬉しそうに見えたのは気の所為ではないだろう。
 見えた別の真実を前に、罪悪感を抱きながらも教会を迂回し、夜に沈んだ運動場を渡って離れの建物を望んだ。
 このギルドの女性達や養う子供達の寝泊まりする建物であり、診療所として扱い、部屋を病室として貸し出す時もある離れ。もう既に子供達は寝静まっており、起こさぬように静けさに包まれる。
「寝て、いるだろうな・・・」
 深夜ではないのだが、寝静まっていても可笑しくない時間帯。彼女が使う一室の窓は入り口付近から見る事は出来ず、如何であれ容態をこの目で確認する為に入る。事前に解放されている事は聞いていても、やはりこの目で見なければ本当に安心する事は出来ず。
 静謐を望むべき離れの内部、動作の一つだけでも際立つほどに。極力音を立てまいと気を遣いながら彼女の部屋を目指す。その途中で気付く。それは別の部屋かと、他の誰かが使用しているのかもと思っていた。だが、ある程度近付く事で気付く。彼女の部屋から赤い光が薄く漏れ出している事に。
「・・・起きているのか?」
 驚き、気持ちが逸れど職員を、子供達を気遣って急がぬように歩き、だが彼女の容態を確かめようと急く。そうして部屋に着き、隔てる扉を開ける。直後にトレイドはかなり心配した。思ってならなかった。
 寝ている職員や子供達を配慮してノックを行わず、ゆっくりと引き開けた室内はやはり静けさの中であり、確認して動きが全て止まってしまう。嬉しさよりも心配が先に浮かんだ為に。
 蝋燭の火が揺れる音が聞こえてくるほどに静かな室内、家具、余計な者を設置していない、病室としての機能だけの部屋。窓の傍には質素な小物置きがあり、その机上には蝋燭立てと細き蝋燭。それが室内を象徴するやや大きい、白いシーツで包まれたベッドを照らしていた。
「クルーエ」
 抑えようとしても案ずる為に大きくなる。その声によって彼女は気付いて振り返った。深い、深い悲しみを顔に刻み、罪悪感に囚われてなのか、昏睡した影響か窶れて見えたのは気の所為であろう。
 その彼女がベッドではなく、窓の傍に立って外を見ていた。短い期間でも寝たきりであったのだ、直ぐに動くのは身体に負担が掛かるとトレイドは案じたのだ。
「まだ寝ていた方が良い、君を苦しめる・・・っ!」
 理不尽から解放されたと、不安に思う必要はないと、十分に休むように促そうと近付くトレイドに、クルーエはその胸に飛び込んだ。
 難なく受け止めるも、その衝撃は実際よりも重く強く身体に突き抜けた。それはトレイドの胸に抱く罪悪感、ガリードに指摘されて漸く気付けた仮定。そしてそれは更に重くなる。腕の、胸の中で小さく泣き声が聞こえた為に。
 ガリードに指摘された事は正しかったと噛み締める。事が間違えていれば彼女を苦しめるばかりであった、彼女に負わせかねなかった。その失態、自分の愚かさにその胸が張り裂けそうになり、せめて少しでも詫びるように強く抱き止めていた。
「トレイド、さん。心配した、しました・・・とても、とても・・・!私の所為で、貴方が死んで、しまうのかと・・・ずっと、心配で・・・心配で!」
 どれ程に悔やんだのだろう、どれ程に案じたのだろう。涙声、掠れ、震える声に身は震えるばかり。溢れ出す気持ち以上に涙は溢れている事だろう。トレイドの身体に顔を埋め、回した腕は逃げぬようにとするように強く。
「如何して、貴方は・・・そんなに、そんなに無茶ばかり・・・してしまうのですか?私、私・・・」
「君を、喪いたく、なかったんだ。だが、その為に君の想いを蔑ろにしてしまった。君だけじゃない、俺を知っている全員の想いを、踏み躙ってしまった。俺は、愚かだ」
「私も、トレイドさんが、居なくなって欲しく、ありません・・・!だから、だから・・・」
「ああ・・・分かった、分かっている。済まなかった、クルーエ」
 自身の愚かさを悔いて謝る。それを受け止めて気持ちを溢れ出す。抱き止めて、抱き締める。共に喪う事が怖くてならなかった。でも、共に繋ぐ事が出来た。その喜びを分かち合うように。
 互いの気持ちが少し治まると互いに離れる。薄暗闇、蝋燭の頼りない明かりに照らされる。純真な思いを流し続けたその面は人には見せられないかも知れない。赤くなる頬で見上げる彼女は恥も見せずに。
 安心する彼女を、その胸元を確認する。覗いていたあの、忌まわしき死の花が咲いていない。欠片とも残らず、柔く白い肌だけが映る。それにトレイドは心底から安心する。これで彼女が理不尽に命を落とさずに良いと。安心すると途端に目の奥が熱くなり、喜びが雫になって零れ落ちていった。
「・・・嬉しい事なのに、涙を見せるのは、駄目だな」
「それを言ったら、私なんて、こうなんですよ?」
 気付いて顔を逸らすトレイド。それに涙で濡れたクルーエが苦笑を見せる。その遣り取りが小さく笑いを誘い、直ぐにも治まっていた。見合っていると互いの気持ちがぶり返っていく。
「もう、無茶を、しないで下さい。トレイドさんは、一人しか居ないのですから・・・傷付く為に、何処かに行かないで・・・離れないで、下さい・・・」
 表情が崩れる。既に濡れた眼から再び涙が溢れ、再び彼の胸に崩れる。それをトレイドは優しく抱き留めた。
「ああ・・・分かった、約束する。俺も、君から離れたくない・・・」
 彼女の想いに答えるように優しく、だが強く抱き寄せた。その強さに反応して彼女もまた回す腕に力を篭めて。
 薄く赤色に染まる部屋の中、二人は抱き合っていた。共に悲涙となりそうだった涙を流し、互いの気持ちが済むまでずっと抱き締めていた。与えてしまった辛さと寂しさを拭い取るまで、負わせてしまった苦しみを消し去るまで、ずっと。

 夜は更けていく。今、生きる事が出来た喜びを、この上ない嬉しさを、その感情を分け合っていた。また、一人の命を助けられた事も喜び、生きてくれた事を感謝していた。互いが互いを褒め合うように喜び合っていた。その感情は夜に紛れる事は決して無く、増すばかりで。
 生きる幸せ、生きてくれている喜び、噛み締める目元に伝う涙。哀しみでなく、喜びが募ったそれは煌きながら伝った。頭上を輝く星達が流す、星屑の雫のように。
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