此処ではない、遠い別の世界で

曼殊沙華

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過ぎ行く久遠なる流れの中で、誰もが生き、歩いていく

変わり続ける未来

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【1】
 
 風が吹いていた。時代、趨勢を見守るように流れ、人の心に寄り添って、何処までに吹き抜ける。
 それは成長を示唆するように、強弱を付け、何かに遮られる時もあれば他の風と共に巡行して強さを増そう。だが、それは別れにも繋がる。何時しか道は別れていく。それを繰り返して世界へと、隅々に向けて駆け巡る。
 そうした中で別の生命の種も運ぶ。音色と共に有翼生物の推進力となり、何処かへと共に行く。それは母性を持ち合わせているかのように。
 けれど、何時しか止む時が訪れる。音も無く、前触れもなく。それは生物と同じだろうか。老いからは逃れられず、唐突の死も有り得る。
 それでも、何時しか風は生まれる。乗り越えるかのように何処かへと向かっていくのだ。それは過去の命すらも連れて行くように。
 誰かの耳を擽り、色鮮やかな花弁を震わせ、水面を波立たせ、宙に木の葉を舞わせ、香りを纏って、何かしらの動力となり、色無く消えていく。行く末を知れる筈も無い。雲と共に流れ続け、形を変える事もない。次々と流転する世界と共に。
 
 溜息が出るほどの蒼が広がる、その色を薄めずに風は吹き抜けていた。夜明けの、薄らぎ始める群青でなく、夕焼けの燃え上がるような紅蓮でもなく。蒼穹に値する、澱みない快晴の空の中を。
 見惚れるほど澄んだ蒼に囲まれた、他を寄せ付けない輝きを放って太陽は皆を照らす。直視出来ないほどの強力な光を放つ、唯一無二の真球。黄金、或いは白に近き赤色に。濁りなき明かりは温もりを、心の底からの強さを蜂起させて。
 光体の光を借り受け、神々しく周囲を見守る城が麗しき緑の平野に、その一点に建てられていた。白を基調としたそれに追従するかのように、建物が連なって群れを成す。色取り取りに規則正しく並び、巨大な塀に囲まれて鮮やかに。
 入り組む其処に住み着く人々も同様に光を浴びる。天に浮かぶ太陽に負けない輝きを宿した笑顔を浮かべ、元気で活発な声を出してその道を歩む。造られた道を様々な目的を持って往来する様は普段通り、極端な変化も無く。だからこその日常と、平和と言うのだろう。そう、穏やかな平和な日常が映し出されていた。
 だが、こうした世間とは時として残酷とも、無知とも言えるだろうか。何処かで血を流す者や涙を流している者が存在する傍ら、こうした一般人と総される者は平穏に優雅且つ不自由無き生活を送っている。
 確かに、度重なる災害に遭遇し、苦汁を嘗める事があった。悲しみを覚え、涙した時もあった。それを乗り越えて今に至っている。しかし、それは自分達が直接に関した時のみに反応し、全力を尽くすのだ。関わらなければ、知らなければそれで良い。例え、世界存亡の危機に陥ったとしても、日常は何ら変わらないのであればそれで良いのだ。終わったからこそ、そう言えるのだが、苦しみ続けていた者に対しては残酷だと言い得てしまうだろうか。
 この憂を見せぬ光景を見渡しながら歩く青年が一人。強大な存在と対し、落命し掛けた身なれど、偉業を成し遂げても居る。それを表に出さず、ただ静かにある目的を持ってその道を歩く。人々の往来を縫い、彼の足がまず辿り着いたのは城下町の中心部であった。
 この世界の平和を彩るかのような、元気一杯の子供達の声が響く。その上に祝福のように水飛沫を散らす女性を模った像が立つ。水の女神を彷彿させる、円形の台座に立ち、水瓶から止め処ない水を放出し続けて。
 見渡せる位置で立ち止まり、色褪せず、何処までも続くような日常を噛み締めるように見つめる。その目が見知った者を発見する。設置されたベンチ、その一つに彼女は座っていた。近付くうちに彼女も気付いて微笑み掛けていた。
「クルーエ、リュミエールに居なかったのか。こっちに何か用事があって来ているのか?」
 雪山地帯の居住地リュミエールに居る筈の彼女が其処に居たのだ。戻ってきて最初に会えた知人が彼女であった事に驚きを示して。
「トレイドさんがそろそろ戻ってくる頃と思いまして待っていました、お疲れ様です」
 魔族ヴァレスを象徴するような、身を包み込むローブ姿。フードは被らず、ふわりと長く朱色の頭髪を揺らす。身も心も包容するような性格が全面に見える彼女はそう笑みを見せて語る。その笑み、とても嬉し気に。
 わざわざ待ってくれる事にトレイドは嬉しさを隠し切れずに笑みを零す。それが少し恥ずかしくて顔を逸らして。
「・・・待たせてしまって、すまない。約束したのに、すぐに離れる真似をしてしまったな」
「そ、それは構いません!わ、私はトレイドさんを縛りたい、訳では・・・そ、その・・・」
 素直に謝るトレイドの言動に彼女は激しく狼狽する。誤魔化そうとし、あの時の言動は嘘ではないのでしどろもどろとなっていた。やや不思議な光景が其処にはあった。
 あの後、トレイドは自身が行った蛮行を贖っていた。数えるほどでも、中には捕まっても可笑しくない愚行も行った。人を助ける為と言っても罪に触れる行為をしたのだ、納得してくれても、ギルドのリアであるステインが計らってくれるとしても彼自身が納得出来なかったのだ。少々の休息の後、各地を回った。
 真っ先に向かったのはレイホース賃貸屋。移動するにもレイホースは必要不可欠、今後の為にも正式に謝罪しなければと。到着した其処でまず受けたのは厳しい拒絶と罵倒であった。それも当然の事、大事なレイホースに重傷を負わせ、謝罪も軽く、金で済まそうとした真似をしたのだ。この事実は直ぐにも行き渡され、厳重警戒されていた。そして、今回に至る。今後の利用禁止しかねないほど激昂して。
 だが、そうなる事は無かった。改めて謝罪に赴いた事、当時のレイホースの様子や負傷から彼に全て過失があった訳ではないと把握したから。厳重注意を受け、今後同じような事があれば利用禁止である事を言い渡される処罰に落ち着いていた。
 次に向かったのは刑務所、其処ではそう簡単に許してなどくれなかった。あの威圧感たっぷりの看守長に言い渡されたのは高山地帯の坑道の整地と荒野地帯までの道の確立、後に荒野地帯での拠点確立、それらの警備。最後に一週間の炭鉱を命じられたのだ。
 先の二つは主に魔物モンスターへの対処。意図せずして得た、二つの地帯に生息する魔物モンスターとの戦闘経験。それまでに幾多の戦闘を繰り返した彼だから頼める事。最後は単純に反省を促す為との事。一応、ステインから事情は聞いているも罪は罪と説教を受けていた。
 そしていざ始まってしまうとあっという間だっただろう。警備に関しては想定外の事が発生する事は無かった。数度と渡って魔物モンスターと交戦したのだが大した負傷を負わず、人的被害も及ばせなかった。期間はそれなりに掛かったものの滞りなく進み、人員や体制が整った頃に待っていない炭鉱に移る。
 炭鉱の日々は苦い記憶を想起させ、苦しみ続ける日々であった。犯罪者に対する苦手意識は多少薄れたのだがそれでも憎しみ、怒りが込み上げて止まなく、それ以上に鶴嘴で掘る衝撃、岩の固さ、手の平は剥け、全身に至る激痛が嫌で溜まらなかった。けれど、トレイドは全てを甘んじて受け、文句の一つも零さずに黙々と務めた。全て自分が招いた事である事を重々承知して。
 その贖罪を済ませ、漸く帰って来た次第である。一ヶ月以上にも及んだ滞在であり、解放されてセントガルドに戻ってきた時は感慨の一入であった。その多くは魔族ヴァレスの力が大きく、彼女達には感謝し切れないだろう。
「そ、それでトレイドさんはこれから予定はあるのですか?」
「・・・そうだな。セシア達を信用していない訳ではないが、何時までもリュミエールを空ける訳にはいかないからな。帰ってきた事も含めて皆に挨拶し、それから戻る積もりだった。何か予定があったのか?」
「私は特にはありません、皆の顔も見ましたので。トレイドさんが挨拶に行くのなら私も行きます」
「そうか、なら行くか」
 予定を聞いた彼女は微笑んで共にすると言う。それを了承し、此処から近い場所に向けて歩き出す。その時、彼女が足を滑らせてしまう。それを見て、トレイドの動きは早く、即座に彼女の手と肩を掴んで転倒を防いでいた。
「危なかったな」
「あ、ありがとうございます・・・」
 助けてもらった事に、転倒しそうになった事に赤面して体勢を整えるクルーエ。その様子を確認し、少し焦ったトレイドは自然と彼女の手を引く。そしてそのまま目的に向けて歩き出していった。
 彼にしては彼女を気遣っての行為であり、それからも何気なく続けていた。然程気にしていない行為だが、彼女にとってはとても意味があり、嬉しい事でもあった。それはそう、赤面が続いてしまう程。
 噴水も事故を招く一因ではあるものの、やはり副産物の方が大きいのかも知れない。

【2】

 繋がれていた手が離され、名残惜しそうにするクルーエ。それに気付かずにトレイドは目的地に到着していた。
 中央広場から四つに広がる大きな公道、その一つに隣接し、他の建物とは異なる施設が一つ。先ず目に付くのは純白の建物、その正面に掲げた輝く十字架。屋根から伸びるのは塔、黄金の鐘を備えた鐘楼。
 丁度、鐘が音を立てていた。美しく透き、祝福を皆に分け隔てなく与えるかのように響き渡っていた。丁度居合わせた二人はそれぞれに感情を抱く。綺麗な音色だと、或いは別の意識をして頬を薄い赤に染めて。
 祝音響かせる其処、白い塀に囲まれ、清楚で清廉な様子を保つ。瑞々しき植木や色鮮やかな花を咲かせるその敷地は天の導きと加護セイメル・クロウリアが活用する教会である。
 幾度と無く踏み入れたその教会の前には掃き掃除を行う少女が一人。何度も顔を合わせた少女は訪れた二人に気付くと深々と一礼を行った。
 青を基調とし、白で縁取りを為された修道服は此処の制服とも言える。それを着込む少女は歳相応の幼さを残す中性的な面持ち、修道帽から白い髪を流す。御辞儀の動作で零れた前髪を戻して。
 少女の名前はラビス。此処の一員であり、最年少でありながら仕事熱心で礼儀正しい大人びた少女である。その面は哀しみを乗り越えた、強き表情であった。普段通りでも、確かに。
「久しぶりです、トレイドさん。クルーエさんもこの間はありがとうございました」
「気に為さらないで下さい、偶々でしたから」
 トレイドが離れている間に何かがあったのだろう、それに対してくれる事はしない。あまりない組み合わせの会話を小さく微笑んで眺めていた。
 不意に運動場方面に意識が向く。相も変わらず子供達は騒がしく、元気に遊び回っているようだ。その声だけで此処のみならず、城下町全体に元気を与えているかのように。いや、其処まで行けばただ五月蠅いだけか。
「今日も騒がしいな。また、あの阿呆が玩具にされているのか?」
 此処に来た時の大半が子供達の玩具と化し、ボロボロになっている印象があった。今日もまたそうなのかと尋ねるとラビスは小さく苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「そうではありません。今、ガリードさんは外出していますから」
「そうなのか。なら、誰かが来ているのか?」
 目的の内の一人の行方が掴めなくなったと思う一方、何時もより騒がしい気がした為にそう尋ねていた。
「はい。少し前にバーテルさんとレイナが来ていまして、遊んでもらっている途中なんです」
「そうだったのか。だったら丁度良い。二人にも挨拶をしないとな」
 代わりに手間が省けたと表情を少し明るくして早速運動場へと向かう。嬉し気に見えるのは酒場に足を運ばなくなった事が、心の底から嬉しかった為であろう。
 教会を迂回した先の運動場、騒がしい通りに子供達が元気一杯に、一人一人が太陽に負けないほどの輝くような笑顔を見せる。弾けるような声は良く響き、比例して遊ぶ過激さも増して。
 それらを上手く対応、受け流して全ての要望に応える大人が目立って立つ。長躯の上、子供一人を軽々と片手で持ち上げて肩に乗せるほどの力を有していれば否が応でも目立つだろう。
「おや?久し振りだね、トレイド。一ヶ月ぶりぐらいだね」
 子供達に囲まれた彼は振り返って清々しき笑顔を見せる。壮年期中盤に差し掛かった彼は職業とは掛け離れた肉体を持つ。細身だが隆々と引き締められたその肉体は戦闘業と言っても可笑しくない。頑強な肉体から勝気な性格を示すよう。
 けれどとても柔らかい物腰、丁重な口調で会話する彼はかなり紳士な人物である。今日は休日の為であろう、緑色のタンクトップを着用し、上半身は腰元で括って白いシャツ姿。子供と遊ぶ為であり、子供と遊んでいる姿が一番彼らしく見えて。
「ああ、私用でな。バーテルは今日は休みなのか?」
「そうだね。レイナにせがまれてね、来てみれば何時の間にかこうなっていたよ」
 会話する間でも子供の相手をする彼。意識は確りと向ける事も含めて、ガリードとは異なる人気を博している様だ。そう、ガリードが兄ならば、彼は父親と言った様子であり、正しく父親だからこそ扱いが上手いのだろう。
「ちょっとごめんね、皆。ちょっと休憩にしようか」
 子供達に悪いが会話に専念する為に呼び掛ける。それに子供達はかなり残念がる。泣くまでも無いが、肩を落とすなど強烈に落ち込む。それでも我儘を言わないのは子供達の成長か、彼に対する対応の違いか。
「悪いな、遊んでいる時に」
「いや、構わないよ。それよりも私に何か用があるんじゃないのかい?」
 運動場から移動し、離れの建物に隣接して置いたベンチに向かいながら話す。
「少しな。すべき事が済んでリュミエールに戻ろうと思っているんだ。だから、その前に挨拶をしようと思ってな」
「ああ、そうだったんだね。曙光射す騎士団レイエットだったよね、忙しいんだね」
「いや、そうでもないさ。そっちも酒飲みを相手にしているんだ、面倒事が多いんじゃないのか?」
 バーテルに代わるようにクルーエが子供達の遊び相手を務めるクルーエの姿を眺めながら話す。酒の話が入った為、少し顔が険しく、だが微笑ましい光景に緩んで。
 彼女は操魔術ヴァーテアスで玩具が宙に舞わせ、炎や水で形を作ってみせたり、輪に通したりと巧みな技術で芸を披露する。それに子供達は感動してはしゃいで。それはかなり魔族ヴァレスが受け入れられている証でもあった。
「そう・・・でもないね。最近は、と言うよりも少し前から私と飲んでくれる人が居なくなっちゃってね。少し寂しい気分だよ」
 それが一つの悩みだと語る彼に、トレイドはやや苦い顔を浮かべる。前にちらと聞いた話を思い出し、さもありなんといった様子で。
 そんな話をしている内にトレイドは小さな痛みに襲われる。発生源は指、幾多の突起物に挟まれるような小さな痛み。叫ぶどころか、気に留め難いそれに気付いて見下ろすと浮遊する白い子犬を発見した。
 身の丈よりも小さい両翼を羽ばたかせて何故か浮遊出来る子犬。白い体毛は実にふわふわとして、まるで毛玉の塊のように。愛くるしく、目に入れても居たくないほどの可愛らしいその生物が小さな口で噛み付いてきていたのだ。
「トレイドのお兄ちゃんだ!こんにちは!」
 空飛ぶ子犬シパの可愛らしい歓迎の直後、騒がしき子供達にも負けない元気な挨拶が響き渡った。顔を向けると特徴的な頭髪と奇抜な服装の少女が駆け寄ってきた。
「ああ、こんにちは。遊んでいなくても良いのか?それとも、シパの餌の時間なのか?」
 話している途中もシパはトレイドの手から離れない。じゃれているのか、空腹なのか、それとも威嚇の類か。何にしても脅威ではなく、しがみ付いて夢中になっても簡単に引き剥がせるほどに弱く。
「違うよ!お兄ちゃんと遊びたいんだよ!」
 この世界に置いてそぐわない見た目の少女レイナは溌溂に答える。その見た目、フリルを沢山に付け、黒を基調とした可憐なるゴスロリ風の衣装は奇抜としか言い得ない。それを全く気に留めない、緑色のツインテールを揺らして喋るほどに明るく元気に振る舞う。
 傍の筋骨隆々としたバーテルの娘であり、父親とは異なる調子は母親譲りなのか。
「そうだったのか。だが、あんまり遊んでやれないんだ、悪いな」
「そうなんだ、残念だね」
 優しくシパを引き剥がして撫でてやる。その言葉を理解しての事だろう、項垂れて実に残念そうに。そうしてレイナに引き渡す。レイナも残念そうにするのでやはりその頭を撫でて。
「じゃあ、俺達は・・・」
「お!トレイドじゃねーか。まだ掛かると思ってたけど、随分早かったみてーだな。これに懲りてもう無茶はすんじゃねーぞ。俺等も面倒なんだわ」
 すべき事も済んだと立ち去ろうとした時、まるで見越したかのように一人の青年が訪れる。彼は先輩でもあるフー、独特な口調と明るき性格を示す。その様は皆の兄貴分のように頼れる上、親しみ易い雰囲気を醸す様子で近寄ってきた。
「ああ、済まなかった。今後は無いようにする」
「おう、そうしろよ。緊急で集まるような真似は面倒なんだわ。あのステインさんも文句を言ってたぐらいだぜ?」
 相当迷惑を掛けたとトレイドは苦い表情を浮かべて。
「んで、クルーエさんを引き連れて此処に来たのはガリードに会いに来てなのか?」
「ああ、そうだ。残念ながらいなかったが。フーは何しに来たんだ?」
「俺はちょっと、な。ラビスの様子も見に来たがてら、ガキ共の様子も見に来た、っー訳なんだわ」
 そう言う割には手にする荷物は思い付いての行動には見えない。子供達に送るような手土産と、誰かに送るであろうやや豪華な紙袋。あからさまなそれに見て、トレイドは指摘は入れない。野暮云々より、然程考えておらず。
「・・・確か、フーが稽古を付けていたんだったな。如何なんだ?俺が聞くのもなんだが、筋はあるのか?」
 少し前までは単なる高校生風情であった身が偉そうな事を述べるのは気が引けると前置きをする。最早、そんな謙虚な事を言える立場ではないのだが。
「まぁ・・・それなりに、だな。俺も言えるほどの腕前じゃねーけどよ、魔物モンスターと交戦して逃げ切れるぐらいにはなるかもな。そもそもが戦う事に向いているような性格じゃねーんだわ」
「そうか・・・だが、上達する、しないは才能云々よりも本人のやる気次第だ。その点に関しては申し分ないだろう」
「・・・だな」
 凡人程度にはなるとの見込みはある。素人目から見ても才能は無いように見受ける。けれど、彼女には強くなりたい気概がある。ともすれば、他人評価を覆す成長を見せるかも知れないと諭す。
 そんな簡単に希望を持たせられないとフーは苦い顔だが、それでも本人に気力がある限りは付き合う積もりである事を、次に見せた真剣な表情が物語っていた。
「だが、あの性格だからな。根詰め過ぎて倒れかねない、上手く調整や指導をしてやらないとな」
「そこのところはアニエスさんに厳重に注意されている、分かっているわな」
 其処でもう一度苦い表情を浮かべたのは過去の仕打ちを思い出しての事か。此処の職員全員の妹のような存在、それに無茶をさせて見ようものならどんな罰を受けるのか。そして、子供達にとっては姉でもある。知られればやはり袋叩きであろうか。今、背筋が凍る思いである事は間違いない。
「また暫く会わなくなるだろうが、何かあったら遠慮なく呼んでくれ」
「またって、何処に行くんだ?って、そうか、お前はリュミエールに移り住んでいるんだったな。忘れていたんだわ」
 会えて満足したと立ち去ろうとしたトレイドを呼び止め、直ぐにも思い出して楽し気に笑いを零していた。
「ああ、戻る予定だ。その前に、終わった事を報告しようと思ってな」
「そうか。まー、再三に注意はしたけど、お前も危なっかしいからな。クルーエさんを心配させるような真似はするなよ」
「分かっている」
 釘を刺され、少し表情を引き攣らせつつも応じて立ち去っていく。際に子供達と遊んでいたクルーエを呼び掛ける。懐かれた子供達から引き剥がす事に心苦しく感じるも、最後は快く見送ってくれる事に表情を和らげていた。
 丁度通り掛かったラビスに労いの言葉を掛け、子供達の騒がしさの中でフーがアニエスに話し掛ける声を耳にし、バッカスとレイナの親子に元気良く呼び掛けながら教会を後にしていく。敷地から踏み出した時から表情が明るくなっていたのは、子供達の賑やかさを前にした為であろう。

【3】

 人の往来が最高潮に達しようとしている為か、一部の公道に溢れた人々の流れは川の如く。それを横目に、或いは一部を横切るのは少々困難であった。次なる目的地は分かっているとしてもクルーエが逸れないように気を配って渡っていく。
 そうして到着した先もそこそこに人で溢れていた。その大半が職員ではなく、依頼や陳情のような目的の利用客が多い。様々な者に好かれる、或いは活用してくれる其処はギルド曙光射す騎士団エスレイエット・フェルドラー。警察と何でも屋を兼ね備えたような其処にトレイドとクルーエは所属する。此処に訪れたのは報告の為に。
 今彼等が居るのは過去のギルドであり、統合した法と秩序ルガー・デ・メギルが使用していた施設である。本部として活用する其処に来る前に、同じ統合したギルド人と人を繋ぐ架け橋ライラ・フィーダーが活用していた施設に向かったのだが、相変わらずに寂れ返って廃墟のような雰囲気に包まれていた。最早社員寮のような其処には目的の人物も居ない為、早々に此処に来た次第である。
 施設内に踏み入ると外同様に人で溢れ返る。様々な声が響く応接間と言える正面玄関兼広場は静かになる時間など無いだろう。常に慌しい事は無いものの、活用する住民達や対応する職員、戦闘や警備を請け負う職員などの活動で多少騒々しく此処は機能している。
 その騒がしき広間を見渡し、丁度手の空いているであろう職員を呼び止めようとした折であった。
「あら?トレイドとクルーエさん。夫婦揃って如何かしたの?」
 後ろから若い女性に話し掛けられ、顔を真っ赤にして激しく狼狽するクルーエを横に振り返る。其処に居たのは大層世話になっているユウであった。
 このギルドの副責任者と言える彼女はそれに見合う恰好をする。勇ましさを示す紅色を基調とした、部分的な走行を施した戦闘服を纏う。腰には細身の剣を携え、如何にも今から危険地帯に、若しくは戻ってきた様子。
 その武装の背から垣間見る、一つに束ねて腰元まで流した頭髪は煌びやかな光を反射して揺れる。姿勢良く、歩を稼ぐ都度に揺れるそれが、凛とする姿から美を映し出していた。
「戻って来たから、その旨を報告しにな。ユウは戻ってきたばかりか?」
「ええ、ステインと一緒にイデーアに行っていたの。それから戻って来たばかりね」
「何かあったのか?」
「まぁ、ちょっとね」
 顔を真っ赤にして困惑するばかりのクルーエを、そうさせる茶化しなど気にせず、再会しての挨拶も程々に仕事に関わる世間話に移っていた。
「遠慮しなくても良い、要請があるなら行くぞ。魔物モンスター絡みか?それともまさか・・・」
「大丈夫よ、多分。魔物モンスターによる被害で、それなりに手強いと言われているのだけど、ステインと数人が残って対処しているから」
「・・・そうか。ステインなら、大丈夫だろうな」
 一瞬、嫌な想像を、一番考えたくない展開を想起してしまったのだがすぐにも否定された為に安心を抱く。そして、最高責任者リアであるステインが対応すると言うのならと納得していた。
 それでも気持ちが残すトレイド。何かの心配事に首を突っ込んでしまうのは優しいと言うより、人に関わる事なら神経質になっていると言うべきか。
「それで、そっちは如何したの?」
「そうだったな、近く、俺とクルーエはリュミエールに戻る予定だ」
「それは急ね」
「俺の都合で空けてばかりだったからな」
「そうね、色々・・と、ね」
 皮肉る様に、強調した言葉を受けてトレイドは僅かに眉を動かす。それを見てなのか、ユウは少し楽しそうに。
「・・・まぁ、その連絡も兼ねた挨拶をして回っていたところなんだ。それでも、何かあったら呼び寄せて貰っても構わないからな」
「ええ、そうさせてもらうわ。貴方はかなりの問題児だけど、同時にかなりの戦力だから」
 手痛い返しにトレイドは眉を潜めていた。何度も問題を持ち込んだ事を根に持っているのだろう、笑みを浮かべていてもその奥は読めず。いや、鬱憤を晴らす目的はあろう。
「冗談よ。でも、そう思われるほどの事をしているのだから、気を付けてね」
「・・・了解した」
 上司であり、責任者の一人でもある彼女の注意を肝に銘じるように返事をする。その畏まった姿に反省の色が見えたのか、小さく頷いて。
「それじゃ・・・」
「あ、ちょっと待って」
 彼女に口頭にだが報告すれば十分だと判断して立ち去ろうとしたのだがそれをユウが呼び止めていた。彼女の用事はトレイドではなく、クルーエに対してであった。
「ちょっと、クルーエさんを借りるわね」
「え?私、ですか?」
 まだ頬の赤い彼女は突然の指摘に困惑を示しながらもその場から少し離れる。その様をトレイドは不思議そうに見つめていた。
 トレイドには聞こえない位置の上、ユウは声を潜めて耳打ちしている。何を話しているだろう、背後からでもクルーエの様子が一転二転している事は分かる。総じて羞恥心からだろうか。
 話としては数分にも満たさず、だがユウは満たされたかのような表情で離れる。その際にクルーエに『くれぐれも無茶をさせないように手綱を握っておいてね』と釘を刺し、上手く受け答え出来ない彼女を放置して立ち去って行った。
 一人満足し、身体を伸ばしながら人混みに紛れていく姿を見送った後、離れた位置で立ち尽くすクルーエに近寄る。茹ってしまったかのように真っ赤な横顔、想像を広げてやや上の空。近付いてきたトレイドに気付かず。
「如何した?ユウに何か・・・」
「いえ!な、何でもありません!トレイドさんは、その・・・気にしないで下さい!」
 隣に立たれていた事も相まって激しく吃驚した彼女、身体を大きくビクッとさせた後に早急に顔を隠して誤魔化そうとする。
「・・・それなら、良いが・・・」
 気にするなと言うのが無理な話、羞恥心に囚われて湯気を立たせる彼女の様子は明らかに異常。だが、本人の強い口調と危機に関わるような深刻な事態ではない事で深く触れようとはしなかった。
「・・・続けて歩くが、大丈夫か?」
「は、はい!大丈夫です!」
 具合が悪くなったのかと尋ねるも、逆にやる気に満ちた様子の為、緊急性を有したものではないと判断して歩き出す。その後ろをクルーエは気持ちを落ち着かせようと胸を押さえて呼吸を繰り返して。
 しかし、益々に、長時間顔を赤くして歩く彼女に対し、トレイドは傾げるばかりであった。

【4】

 それから各場所に二人は向かった。世話になっている知人の下へ、碌に謝罪と感謝を告げられなかったガストールとジュドーを始めとして。
 ガストールには一時間近く説教を受けてしまった。散々に防具を壊し、伝手を利用してその調達をさせられる、その繰り返し。流石の彼も堪忍の緒が切れたのだろう。クルーエが居る手前、多少は手加減してくれたようで、最後には『可愛い彼女も居る事だし、これぐらいで勘弁してやる』と終了してくれた。
 それからは商売も交えた会話を行い、去り際には『また遠慮なく来いよ!急な依頼じゃなきゃ、幾らでも受けてやるからな!』そう、豪快に笑いながら送り出されていた。
 次に向かったジュドーにも説教を受けてしまう。『お前と言う奴は、近況を聞くだけでも命が縮む思いだったぞ!』それから始まり、謝罪が遅れた事を始めとし、友人や仲間達に多大な迷惑と心配を掛けた事、何より重傷を負いながら戦いに挑む無謀さと命に対する無関心に怒り、『良い機会だ!確りと叱り付けてやらないとな!』そう言って懇々と諭すように叱られてしまった。
 この説教もクルーエが居る事で短縮し、言い足りない様子のジュドーは重々気を付けるように念を押しながら商売を再開していた。感謝の意も篭めて多く購入し、去り際には、『色々と工面してやるからな。だから、こっちに来たら必ず買いに来るんだぞ!』と暖かい声援を受けながら後にしていく。
 トレイドが説教されている間、クルーエは少し気まずそうにしながらも、説教内容には心中で頷いていた。それほどに彼は危なげな生き方を示しているのだ。そして、その最中、強く彼を引き留める事を決意して。

 向かう先は数えるほどであり、それほど親交を深めていないトレイドの足は最後を締めくくる様にとある場所に向かっていた。その手には木桶と柄杓、クルーエに様々な花を持ってもらって。
 静かに、だが重く歩む二人はセントガルド城下町と草原地帯を隔てる巨門を潜る。行き場所など、最初に花を用意した時に理解していた。また、際のトレイドの深刻そうな面が、雰囲気が物語っていた為に。
 潮の香りが乗った風が遠くから届く。波の満ち干、待ち人を待ち続けるような海嘯の寂しき音色が遠くから聞こえる。この草原地帯に駆け抜ける風と草の音色に負けないその調べはトレイドの心境を語る様に。
 彼方に景観を損ねてしまう謎の巨大建築物、黒い巨壁が景色の大半を埋め尽くす。セントガルドに届きかねない巨大な影を創り出す。何を塞ぐ、若しくは何を守っていたの言うのか。最早無用の長物、破壊する手立てのないそれの彼方には海が広がる。穏やかな海面、網目を描く様に波立っても耳に触らない穏やかな音を奏でて。
 これらを堪能する事無く、神妙な表情で立つ二人。前にはそうならざるを得ない、墓石が等間隔に並んでいた。統合される事無く、故人の数だけ沈痛に並べられる。若しくは、身元がどうしても分からなくなってしまった憐れな犠牲者を埋葬した統合墓石が端にひっそりと。
 この世を去ってしまった者達に対する悼みを抱き、鎮魂を願われる墓地。目に映したくないほどの多さの墓石が鎮座する其処は音も無く静寂に存在する。
 物悲しき目で遠くを見つめるような眺める彼は眠る者達との思い出を脳裏に浮かばせる。その影絵を空に還すように、風へと還すように、近くに居ながらも遠くから想う様に立って。その思いに寄り添うクルーエは一歩後ろに立って眉を落とす。
 もう既に何名かの墓参りは済ませており、最後の一人になっていた。最近に埋葬された、蛮行を強制され続けた犠牲者の一人であり、数人の要望によって統合墓石とは離されて埋葬されていた。
 墓石、表面にはこの世界での名前と本名が刻まれている。それだけの無機質なそれ。真新しいと言うのに、既に寂れた印象なのは彼の所業の所為か。もう皆把握している。けれど、だからと言って彼に奪われた命もあるのも事実。そう簡単に受け入れられない思いがひっそりと在るのだろう。
 既に何名かが訪れた其処を少し清め、供花を添える。穏やかな風を受けた花達は訪れた二人に礼を言うように花弁を揺らした。
 静かに瞼を閉じ、鎮魂を願う中、一切の言葉が発せられる事は無かった。死を悼む時間、それの邪魔など許されない。ただ静かに、風の音に思いを乗せて願い続けていた。
 そうした風はとても新しく、初々しく感じられた。髪や頬を、身体をほんの僅かに形となった温もりが撫でていくように、そして何処かへと去り行く。煌く水平線の、離岸の彼方に波及と共に消えゆくものもあれば、何処までも透き通る空に向けて出発するように。
 静けさに包み込まれたこの場所に新たな音が響けば強調されるように届くだろう。それは足音、草を踏み締めていたそれが所に晒された土を踏んだ音も混じる。此処に訪れている者の思いを邪魔しないように抑えていたのだが、二人の耳に確りと届いて。
「此処に居たかぁ・・・漸く会えたぜ」
 散々探したと、疲れた顔で辟易とした態度を示す。その彼、空の色よりも濃くとも爽やかな青く短髪を揺らし、褐色に染まった肌と言う目立つ風貌。若いながらも激戦の歴史、その一片を覗かせる傷痕、口元から瞼に掛けたそれを刻む。顔のみならず、衣服の隙間から裂傷痕や火傷の跡が覗く。あの時の負傷を上手く残した様だ。それで凶暴性、危険性が覗いてしまっているのは言うまでも無い。
 その彼、精悍な面持ちで戦闘を好む血気盛んな青年のような彼はガリードの唯一無二の親友、ガリード。場の寂しげな空気を敢えて崩すように振る舞う彼に寂しげな表情のトレイドは顔を緩ませていた。クルーエも同じに。
「ガリードさん、何時も子供達がお世話になって、ありがとうございます」
「いやいや、俺も子供達に助かってるし、気にしなくても良いぜ、クルーエさん」
 先ずはクルーエが挨拶をする。会話からして魔族ヴァレスは子供達を通じて、彼が所属する天の導きと加護セイメル・クロウリアと交流が継続しているようだ。
 そして、本当に助かっているのだろう。他の子供がいる時は玩具にされる頻度が激減する為に。
「ガリード、久し振りだな。そんなに探していたのか?」
 そんな彼に労うかのように話し掛ける。すると、親しい友人の間柄の為か、更に様子が崩れる。
「探したってもんじゃねぇぞ?お前。俺が帰って来たのは二人が出て行った後で、んじゃあ会わねぇとな、って追い掛けたのは良いけどよ、行く先々で入れ違いになったんだぜ!?一時間以上は無駄にセントガルドを走り回ったぞ!」
「そうだったのか、わざわざ済まなかったな」
 不満を漏らす彼に正直に労うのだが態度と言葉遣いが小馬鹿にしている様になって。
「まぁ、それは良いんだよ。お前こそ、お勤めご苦労さん。しっかり反省してきたか?ま!どうせ、お前の事だし、また無茶をやらかすんだろうけどさ」
「悪かったな、迷惑を掛けて。これからはお前に全部押し付けるようにするさ、頑丈なお前なら大丈夫だろう」
「俺にも限度があるからな?」
「信頼しているお前なら確りとこなせる筈だ。また、シャルティルスのような存在が現れても、お前なら何が何でも生還してくれると確信している。任せたぞ」
「馬鹿言うなって!俺だってあの時は結構ヤバかったんだからな!?」
 茶化されたお返しと言わんばかりに全てを任命すると揶揄う。それに彼は激しく反応して否定するも、簡単にあしらわれてしまう始末。その二人の遣り取りを微笑ましいと、クルーエは笑いを零して。
 多少離れていても互いに接する態度は不変であり、他愛もない会話、下らない話題で話せるのは気を許した者だから出来るだろう。少しずつ暮れていく草原地、墓地から少し離れた場所、思いを沈ませる其処が少しだけ明るくされていた。

【5】

「・・・そっか、やっぱりリュミエールに戻るんだな」
 会話はそれに帰結する。そもそもの目的が戻る事を告げる、その挨拶周りの為に。それを知ってガリードは少し寂し気に。
「ああ。其処に拠点を移した身だからな、長い間空けているのも拙いと思ってな」
「別にトレイドさんは職務を放棄している訳ではないのですが・・・」
「・・・まぁ、単純にあそこが好きだからな」
 初めて雪山地帯に行き、雪やそれが織り成す光景が心底気に入った、惚れ込んだと言っても過言ではない。寒さや冷たさによる自然の過酷さはあれど、それを補う程の美しさとそこに暮らす魔族ヴァレス達の気性の良さが気に入っていた。護りたいと言う気持ちも追従して。
「そうか・・・」
 今後の予定を聞かされたガリードは暮れていく空を見詰めて何かを思想する。神妙になるような会話ではなかったのだが、深刻な様子に見えた為にトレイドは小さく身構えていた。
「・・・よし!じゃあ、ちょっと手合わせしてくれよ」
 思い付き、切り出された案は脈略の無い提案。先までの会話と繋がりの無い、突拍子なそれにトレイドは呆気に取られてしまう。身構えていたのが馬鹿らしく感じて。
「・・・なんでそうなるんだ?」
「良いじゃねぇか。気軽に頼めるのはお前ぐらいなんだよ、他の人だったら仕事だったりで出来ねぇし、赫灼の血カーマの方は、おっかねぇしさ」
「今生の別れでもないんだし、今無理にしなくても・・・」
「良いからやろうぜ!」
 トレイドの意見も待たずに腰に提げていた剣を引き抜いて強引に決定した彼。愛用していた大剣ではない事に違和感は否めず。
「・・・分かった。クルーエ、白熱するようだったら止めてくれ」
「分かりました」
 赫灼の血パティ・ウル・カーマの女傑達の面倒さを知るトレイドは同意し、彼の我儘にすっかり慣れてしまった彼はやれやれと首を振りながらも付き合う事としていた。
 距離を置いて対峙、一呼吸挟んでから始まる。訓練程度の軽い試合であり、真剣を扱う危うさはあれど第三者が気を揉むような内容にはならなかった。
 その様をクルーエは表情を明るくして眺める。最初こそ、頼まれた以上案ずるような事態にならないように身構えていたのだが、観戦している内に気が緩んでいった。剣を交える二人が楽し気に映ったから。
 互いの身を削るような過酷さ、研鑽の為に凌ぎを削る苛烈さ、神経を研ぎ澄ますような真剣さなどない。試合のような激しさなどなく、互いの動きを確認するようにやや緩慢と。それは、まるで重りから脱却した開放感のような様子にも見え、同時に次に進む為の気力も窺える。だからだろう、クルーエは笑みを零して。
 その手合わせは大した時間を消費する事は無かった。互いに少々息切れする程度に終わる。汗を伝わせるような疲労感も無く、互いが距離を置いた事で、互いに頃合いと判断して自然と終了と迎えていた。
 白熱はせずとも満足したと身体を伸ばすガリード。試合を終えて二人を労うクルーエ。そうした二人をトレイドは神妙な面持ちで見つめる。剣を振るう中、思考を広げていた事がある。張り裂けそうな不安ではなくとも、胸に宿る思いと向き合っていたのだ。
「ガリード」
「ん?如何した?」
 呼び掛けられ、振り向いた先の表情に一瞬構える。それほどにその面が真剣さを語っていたから。
「俺達は、この世界で生きるしかない」
「・・・そうだな」
 急激な温度差を前に、真剣な面持ちからの発言にガリードは表情を強張らせる。シャルティルスと対峙し、聞かされた者だからこそ、その重さや苦しみに表情は沈む。
「・・・共に、生きていくぞ」
「・・・言われるまでもねぇよ。そんで、俺だけじゃねぇだろ?」
「ああ、分かっている。クルーエ、一緒にな」
「・・・はい!」
 向き合って語り合う姿に、真剣な面持ちと頬を赤くして応じる横顔にガリードは苦笑を零していた。
 誓いとも言えるその言葉を経て、三人は清々しき表情となり、晴れ晴れとした心境でゆっくりとセントガルドに向けて歩き出していく。その足取りに迷いはない。この先、迷う事はあっても、向き合う力強さが感じられた。足跡は残らずとも、確かに。

 トレイドはこの時初めて未来に向けて歩き出せたのかも知れない。両親を失い、老夫婦を失い、親友を失い、失意の中を浮き沈みしていた。その上に突き付けられる現実に気持ちは揺れるばかりであった。
 そんな彼は迷い、足掻く中で様々な人と出会った。支えてくれる人、共に居たい人達の暖かさに触れ、守りたいと言う強い想いに惹かれ、理不尽を突き付けてくる存在と対する事で、漸く気持ちが定まったと言っても過言ではなかった。決別ではなく、受け入れ、それからの旅立ちを。
 それはガリードも同じであった。両親と永別し、小さな孤独感の中、友人と共に生きる事が心の拠り所だった。新しき場所に至り、様々な経験を経て、守りたい者達と出会い、その命を知り、重さを、責任感を知った。
 故に、踏み出す。苦しくとも悲しくとも踏み出す力を手に入れた。この時、支えてくれる者達の強さと優しさを知り、決して一人でない事を思い知った。だからこそ、その人も護る為に己が力を振るうと決心して。
 互いに笑みを見せ、歩き出す。何処かでは、豊富な緑が鮮やかな色を彩り、熱烈な日差しが地を焦がし、常の降雨が存在する全てを潤し、白銀が何もかもを包み込んでいく。暗闇に多くの命を抱き込む聳え立った山の向こうに、淋しさを抱かせる乾き震える風が吹く地が在る。様々な姿を持つこの世界を巡る風と共に。


此処ではない、遠い別の世界で END




《あとがき》

 長らくの御愛読、ありがとうございます。御目汚しにならないように全力を注いでまいりました、曼殊沙華です。約三年に渡って投降し、この度、終了となりました。拙い文章、表現の数々で御見苦しい限りだったと思いますが、それでも読んでくださっている事を喜びとし、漸くこぎつける事が出来ました。と言っても、後多少の後日談や閑話として数話投稿する積もりです。それを以て、この『此処ではない、遠い別の世界で』を終わりとさせていただきます。
 この作品は元々別のサイトで掲載させていただいたのですが、こっちに移動し、大幅な添削と追加、設定の見直し等を行って掲載させていただいた次第です。掲載スピードが遅いのは、私の誤字脱字、文章の手直しが多く、仕事の合間に行っている為、若しくは私自身がゲームや漫画にかまけると言うサボリで遅れていていました。この場を借りて、謝らせてください。すみませんでした。
 では、気を取り直して、この小説の大きな題材は『人間の成長』です。主人公がどんな出会いを経て、どの様な経験をし、様々な出来事と遭遇する。その度に抱く、葛藤や喜怒哀楽、どの様に成長し、どの様な遣り取りを行っていくかを表現しようと目指して執筆させて頂きました。特に人同士の繋がりに力を入れようとしました。学が無いものですから、かなり拙くなっていると思いますが。そして、哀しみの部分にも力が入ってしまったと思います。人生経験は少ないですが、やはり別れは様々に考えさせられると思います。家族にしても友人にしても、ふとした人の訃報だとしても、様々な思い出や考えが込み上げると思います。親しいほど、やはり涙が浮かぶと思います。そうした悲しみを少しでも表現できればと、多少はくどく、多めになってしまいました。
 次に題名の意味は、常に徐々にでも変化する世界であり、知っている場所は既に変わっている為、生きていく以上常に別の場所に向かっている、そんな感じの意味合いで表記しています。まぁ、それもありますが、単にこれ以上の良い題名が思い浮かばない阿呆なだけです。
 この世界の設定としてはファンタジーではありますが、少しずつ常軌を逸していくような感じにしています。そもそもが、シャルティルスと言う存在が前の世界に現れ、自分の思い描く世界に作り替えようとします。この時、世界が一遍に変わったのではなく、少しずつ色が染みていくように、部分的に変化していっていると言う感じです。この時、一つの空間に二つの世界が存在しますが、互いに干渉せず、シャルティルスが創造した世界に置き換わっていく、浸食されていくようなイメージ。その度合いによって世界を構成する物が増えていく、本来の要素を取り戻していくような流れにしています。途中の皆の身体能力の向上、ちょっとした全能感はそれを出そうと考えていました。
 登場人物に移ろうかと思います。全てを上げられませんが、主要人物、その中でも気に入っているキャラを上げて行こうと思います。
 まずは主人公、トレイド。色々と夢想した最初の主人公であり、礼儀を多少分かっても敬語を使わない無礼な人物に仕上がった上、誰かの為になら自分の命も平気で投げ捨てられるような、半分狂人のような人物に仕上がってしまいました。最初は口悪くとも仲間想いの青年を目指したのですが、考えている内にこうなってしまいました。また、彼の背景を鑑みて、少し色恋沙汰に疎い青年になったのも、主人公としてはオーソドックスかな?と思います。主人公なので無双過ぎないように目指した結果、半分ぐらい血塗れにしてしまったのは、少し後悔していますが、それはそれでよかったと自負しています。最初の主人公なので、私の中ではこれからも残っていくと思います。
 次に、大親友であるガリード。主人公を引っ張り回す青年であり、主人公の理解者を目指しました。それは大まかに達成出来たかと思います。また、共に成長する中、主人公に見せない葛藤を抱き、それでも能天気に明るく振る舞うような人物像も薄く考えていました。そうする中、主人公に匹敵するキャラクター性を考えている内に馬鹿力、パワープレーの戦士を自然と目指してしまいました。このままいけば、某漫画の凶戦士路線に入りそうで怖かったです。
 三人目はクルーエです。まぁ、私は色恋沙汰はめっきり駄目ですが、それでもヒロインとして彼女を出させていただきました。最初から主人公が救うと言うコンセプトが出来ており、そこから魔族ヴァレスと関わると言う流れが初期の方から出来ていました。キャラとしては最初は自己を出さない恥ずかしがり屋、自己主張が出来ないけど芯の強い女の子を目指しましたが、何時の間にか大人しめだが芯の揺るがない、やる時は損得を考えずに行動するような女性になってしまい、それが魔族ヴァレスのほぼの共通性格になってしまいました。また、私の欲望丸出しで、グラマラスな体系なのですが、それを表現できる力が無くてすみませんでした。
 最後にシャオになります。記憶を失い、けれど全く気にしていない好青年を目標に作りました。概ね、その目標は達成できたと思っていましたが、やはり私の悪い癖なのでしょう、振り切ってしまいました。最後の方は自分を顧みない、狂人の域に踏み入らせてしまいました。もう少し弱い部分を見せたらと今更思いました。彼の失った過去についても本編で出したかったのですが、何時の間にかここまで来てしまったので、外伝として後で投稿させていただきます。
 他にもキャラ性を出そうと個性的な口調や口癖を付けましたが、逆に散らばってしまったかと思い、反省した次第です。
 最後に、次回作、と言っても継続作品になりますが、執筆しています。何時投稿になるか分かりませんが、次の作品も暇であれば、他の先生の作品の合間にでも読んでくれたのなら幸いです。
それでは、皆さん、お元気で。
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