Accarezzevole

秋村

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Ⅵ誰何の先に知る真実

誰何の先に知る真実

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「まだ拗ねているのか?」

「拗ねて、な……っ、ちょっ、ソロ、人の話を」

「何度頼まれても、駄目なものは駄目だ」

 背中に触れる唇が、ゆっくりと下肢へ向かう。ここしばらくソロが忙しかったのと、奏人の体力が戻るのを待っていたこともあって、共に寝起きはしていても交わることはなかった。

 明日だって、ソロのスケジュールは終日詰まっている。朝も早いはずだ。それでも心身ともにすっかり元に戻っているソロは、奏人の肉付きを確かめるようにして肌を撫でてゆく。

 ソロに触れられるのは、ひどく久しぶりだ。奏人は甘く息を詰めながら話がしたいと抗議するが、ソロは聞く耳を持たない。奏人の体をうつぶせ寝にし、起き上がろうとする奏人の尾てい骨の窪みからうなじにかけて舌を這わせてくる。

 以前と何一つ変わらない、口惜しいほど敏感な体。ビクビクと震える奏人の胸の突起を後ろから抓み、赤い耳を舐めながら弄り始める。奏人は必死に抵抗を続けるが、耳もこのぷっくり尖った繊細な突起もまさに弱点だ。

 後ろを振り返り、ソロを睨んだところで無駄。目が合った瞬間、唇を塞がれてしまう。抗議の声もかき消された。


 胸を弄られ、ピリピリとした快感が全身を駆け抜ける。痛みと快感の狭間。絶妙な指先の動き。濡れる視界と零れる吐息。口腔内を淫靡にかき鳴らされて、飲み込みきれなかった透明な液体が顎を伝って流れ出す。上顎を舐められて舌先を吸われると、どうしようもなく感じた。

「んぅ……っ」

 抓まれる突起がクリクリと左右に弄られて赤味を増し、ほどよく色づいたそれを反転させて口に含む。左右どちらともを交互に舐められ、吸われ、腰が浮いた。

 まだ触れられてもいないのに中央のものが質量を増し、抗議するはずの声が官能に濡れる。自分などより、よっぽどソロの方が熟知している体だ。悔しいと思う暇もなく、奏人はソロの腕の中で溺れていった。

「や、ぁ……、ぁ、ぁ……っ」

 こればかりは何度されても慣れない。両膝が肩に付きそうなくらい折り曲げられて、丁寧に襞の一枚一枚を舐め解される。

 前はスライムにやらせることも多かったのに、段々ソロ自身がこうやって解すことの方が増えていった。スライムは潤滑剤代わりに使用することもあるが、それだけだ。

 ソロが寄越すブレスのお陰で、奏人は生きていける。使わなくなった臓器も退化することなく、体にはなんの異変もない。事実、この体はソロのものだ。ソロが生かし、ソロのために開かれる。

 以前はこれに恐怖に感じていた。反感も強かった。けれど最近は、少しずつ考え方も変わってきている。ソロは、奏人以上に奏人の体を大事にしてくれる。誰より大切に思ってくれている。奏人が気にせず放置した傷も、彼はどれだけ小さかろうが許さない。クシャミ一つしただけで、屋敷中の治癒師をかき集めて診察させる。少々大袈裟ではあるが、ソロにはとても感謝していた。

 奏人が自分に無頓着なのは、誰かに大切にされた記憶や経験が乏しいからだ。誰にも大切にされてこなかった人間は、存在価値を見失いやすい。周囲が大切にしない自分など、存在していても無意味だと考える。奏人の自己肯定感の低さも、育った環境を思えば仕方のないことであった。

 そんな奏人の周りには、今や自分を大切にしてくれる人たちで溢れている。隙あらば甘やかそうとするので困惑することも多いが、そのお陰で少しずつ奏人も自分のことを認められるようになっていた。

 不思議なもので、誰かに大切にされ続けると、自分を大切にしようとする。その相手を悲しませたくないと思い始める。自分ではない誰かが、こんなにも大切にしてくれる。そんな自分に、価値を見出だす。

 今の奏人は、ソロや侍従たちを悲しませたくない気持ちで一杯だった。一度あれほどに悲しませてしまったから、もう間違えないようにしようと胸に誓っていた。

「カナト……来い」

 舌と指とで解されたあと、ソロに呼ばれて彼の膝に乗る。膝立ちになって宛がわれた熱が、腰を落とすと内壁を擦り上げた。ゾクゾクとした快感が全身を突き抜け、久方ぶりに味わう愉悦に思わずソロへしがみ付く。

 相変わらず凶悪的な質量だが、この体はすっかり抱き慣らされている。痛みなどはない。だが奏人のことを思ってか、ソロはすぐには動こうとしなかった。

 奏人の体の中で、力強く脈を打つソロの屹立。深く口づけを交わしながら、ソロが奏人のものに手を伸ばす。それまで一度も触れてこなかった屹立を優しく撫でられ、否応なくソロのものを締め付けた。

 それを合図に軽く揺さぶられ、覚えのある快感が芽を出す。啄む唇と擦られる屹立に思わず背に爪を立てそうになり、ハッとした。

「待って、ソロ。爪……。俺の爪、どうなってるの?」

「爪?」

「ちゃんと術かけてる? 傷つけない?」

 律界人が唯一恐れる、人間の爪。

 彼らの皮膚を溶かし、治癒を許さぬまま死滅させてしまう。何故そうなるのかは知らないが、ここに落ちて来た日にそれを教えられた。普通は爪を剥いだり指の先を切り落とすらしいが、ソロは術をかけるだけで奏人を傷つけることをしなかった。

「心配するな。ちゃんと術はかけてある。八重の吐息を結び直した時、爪にも術をかけたからな」

 ソロが目覚めたあの日。彼はすぐに奏人へ八重の吐息をかけた、らしい。寝入っている間のことで奏人に記憶はないが、その時に爪にも術をかけたそうだ。

 ホッとした表情を浮かべる奏人に、ソロが薄く微笑む。音を立ててキスをして、角度を変えながら深みを増していった。

「んぁ、っ、……ぁ、で、も……なんで、爪に、そんな力、が……?」

「詳しくは知らんが、確か創生樹と関係があると聞いている」

「創生樹と? え、それって……ン、ねぇ、ソロ……っ」

 もっと話を聞きたかったのに、下から突き上げられて声が上擦る。そのままソロに奥を穿たれて、完全に探究心を折られた。

「あぁ、ぁ、ぁっ……そ、ろ……っ、ぁ、あッ」

「相変わらず狭いな、お前の中は」 

 押し広げるように奥へ入ってくる屹立。一瞬、くらり、と視界が歪んだが、ソロに支えられてベッドの上に寝かされた。そのままグッと腰を押し付けられて、甘ったるい悲鳴が室内に散る。

 だが本格的に動かれ始めると、その嬌声すら出てこない。グプグプと最奥を突かれながら敏感な内壁を擦り上げられ、奏人はすぐにイってしまわないようシーツに爪を立てた。

 突き上げられるたび、赤く色づいた屹立が大きく揺れる。いつの間にか鈴口からはダラダラと透明な蜜が溢れて腹を濡らし、奏人の意思とは裏腹に今にも弾けてしまいそうであった。もう少し堪え性があったと思うが、久しぶりなせいか我慢ができない。

「ソロ……、ごめ、ん」

「どうした? 痛いのか?」

「ち、が……、も……出る……」

 申し訳なさそうに、恥ずかしそうに告げる奏人へ、ソロが目を瞬く。小さく噴き出して、そうか、と奏人の頬を撫でた。

「すぐイクと、あとがキツイから」

「出さなければ、いいのか?」

「え? う、ん……まぁ。だから、ゆっくり」

 ソロが笑顔で指を鳴らす。物凄く嫌な予感がして熱を持った屹立を見た。案の定、青く光るひも状の何かが屹立の根本に絡んでいる。

「これで問題ないな?」

「な、何が……、ぁっ、ン、ぁぁぁあああッ」

 ソロのベッドが揺れるほどの、大きな律動。ねじ込まれる男根に目の前がチカチカして、内腿が震えた。体の奥が熱い。断続的に突き上げられる体。イキそうでイケず、生殺しだ。

 結合部から聞いたことものないような粘着音。腰が勝手に浮き、濡れた視界が上下に揺れ続ける。

 悲鳴なのか嬌声なのか。あられもない声を恥じることすらできない。ただただ気持ちがいい。

「ぁ、ぅ、ぅンっ、イキた、ぃ……っ。ソロ……っ、ソロぉ……!」

「駄目だ。外せばすぐにイクだろう?」

「だっ、て、アァァァッ、あ、ぅ、ンンっ、ぁ、ぁ、ぁ……ッ」

「本当に可愛いな、お前は」

 覆いかぶさってきたソロにグッと腰を打たれ、そのまま抱き締められてしまう。最奥に当たる、熱い切っ先。ゴリゴリと押し付けられて更に押し上げてくる。これが一番苦手だった。何より気持ちがいいのだ。内壁が痙攣し始めて、奏人は奥歯を噛み締めた。

 アレがきそうな気配に、ソロの下で涙を流しながら我慢をする。必死だった。持っていかれれば、意識が軽く飛んでしまうからだ。それほどの快楽。

 しかし我慢には限界がつきものだ。屹立を戒められていても、どうしようもない。ソロが教えた。教え込まれた。

「や、だ……っ、いや、やっ、アレ、っ、ク、る……、くるっ、やだ、やら……っ」

 嫌だと言っているのに、ソロは低く喉を鳴らして笑う。腰を重く打ち付けたまま、奏人の耳朶をねっとり舐めあげて囁いた。

「お前の中は蕩けそうだ……」

「あぁぁっ、ぁぁっ、ぁ、ぁっ、やっ、耳ダメ、舐めないで……っ、ぁ、ん、だめ、ダメ……イ、く……っ、イくってば、っ、ソロ……っ」

「我慢するな、ほら」

 自分でも奥がビクビクしているのが分かる。命令された通り、きゅぅぅぅぅぅ、と内壁が締まり、奏人は目を閉じた。ソロの首に腕を回し、抱きつくと同時に体が大きく痙攣する。

「ぁンンぅぅ! イクイク、ぁっ、ひ、ぁ、ァァァァァッ……!」

 痛いほどの快感が全身に広がり、体の内側が蠕動した。ソロのものをきつく締め付け、何も出さぬまま絶頂を迎える。意識が傾いてしまいそうであったが、ソロが赤い舌先で自身の唇を舐めながら、蠕動するその内壁を更に突き上げてきた。何度も、何度もだ。戒めも解かれ、勢いよく白濁が散る。

 外と中。どちらでイっているのか、もはや分からない。ビュクビュクと白い体液を放ちながら突き上げられて、全身の血液が熱を増したかのような錯覚に陥る。

 声が言葉にならなかった。イっているのは見て分かるだろうに、許してもらえない。毛穴という毛穴から汗が吹き出し、と、同時に体の奥で熱いものが弾けたのを感じた。ソロが、イったのだ。

「あっ、い、ぁ、あつい、よぉ……っ」

 それでもソロの抽挿はやまず、快感だけを与え続けられる。

 嵐のような愉悦。気が狂うかと思った。

「……死、ん、じゃっ」

 息も絶え絶えの、そんな一言。しかしソロの暴走にも似た動きが、ピタリと止まる。

「しっ、シ……んッ?」

 青ざめたソロがシンを呼ぼうとしたのを、寸前で止めた。口に手をやり、肩で息をしながら彼を片腕で抱き寄せる。

「ゆ、っくり……て、ば……」

「カナト……だが、念のために」

「……ソロが悪い。反省、してくれ」

「わ、分かった……すまん」

「……、じゃあ……ゆっくり、しような?」

 自ら唇を寄せてソロに舌を差し出し、時間をかけて濃密に絡み合う。肌が擦れるたび体液が淫猥な音を立てたが、今ばかりは交じり合う口づけの方が激しく水音を鳴らしていた。

「そ……、ろ」

 透明な糸が、互いの唇を繋ぐほどに濡れた頃。奏人の内壁が甘くソロのものを締め付けた。ソロは奏人の首筋を啄みながら、優しく囁く。 

「お前の悦い箇所だけを、愛そう」

「ぁ……ン……、ぁ、ぁ、……っ」

「この浅い盛り上がりは」

「……ぁ、い……っ、ぁ、ぁ、っ……ぁ」

「好きか?」

「あぁぁ……ん、ぁ、ソロ……気持ち、ぃ……」

 長くは離れ難いのか、どちらからともなく唇を寄せて、またたっぷりと舌腹を擦り合う。一分の隙間も許さぬほど、抱き合った。

「ソロ、好き……大好き」

「ああ、私もだ」

 確かめ合うようにまたキスをして、互いの足を絡め合う。それすら物足りなくなってきて、ソロがゆっくりと奏人の最奥の壁手前にまで再び入ってきた。

 奏人は息を整えながら彼が何をしたいのか察し、その頬を撫でる。

「入る、の……?」

「お前の一番奥を、感じたい」

 ソロが奏人の手に自身の手を添えて、真っ直ぐに告げた。 

「……いいよ。ここまで……、きて」

 腹に手を宛がい、うっとりと見つめ合いながら、ソロが奥まで来やすいように腰に角度をつける。

 何度目か知れない、濃厚な口づけ。

 音を立てて啄みながらソロが心得たように、奏人のS字を抜いた。

「は、ぁ、っっ……! う、う、く、ぅん……ッ」

「っ……、ぁ」

「ン、ぁ、ぁ、ふか、ぁ、イ……、ぁ、ぁぁぁ……っ」

「カナト、こっちを見ろ。私を、見ろ」

「ソロ……、ソロ……ッ、ぁ、やば……、凄い……っ」

 快感に濡れた声が室内に広がり、奏人はこれ以上ないほど奥に届いた切っ先に全身を染め上げる。

 痛みしかなかった頃が懐かしいくらいの、壮絶な快楽。それは、膀胱を刺激されて透明な潮を吹いても気にならぬほどの、圧倒的な快感であった。

 滴る汗と、飛沫をあげる体液。ベッドは相当に乱れ、ソロが二度目の絶頂を迎える時には、紫紺色のシーツはほとんど色を変えていた。

「そ、ろ……っ、ぁ、ァァ、ん、ソロぉ……熱い、ぁ……つ、い……っ」

「逃げるな。全て、飲み込め」

 熱い飛沫に、体を抱かれたまま震えていた。あまりの快感に、泣いていた。

 ソロの全てを受け止めて、奏人は目を閉じる。弛緩する体をソロに預け、降ってくるキスにホッとした。

「愛している、カナト」 

 ソロの甘い囁きに、ヘラ、と力の抜けた顔で微笑んだ。とても幸せそうな笑顔だった。そのまま体力の限界を迎え、ソロの腕の中で眠ってしまう。 

 完全に眠ってしまった奏人に、ソロもまた微笑んだ。

 彼の笑顔もまた心から幸せそうで、愛に満ちていた。





 ◆ ◆ ◆





 重い瞼を開き、奏人は何度か瞬くと大きく伸びをする。フラフラと起き上がり、いつものように用意されているガウンを手にして身に着けた。

「カナトさん、おはようございます。ご気分はいかがですか?」

 奏人が起きたことに気付いて、水受けを手にシンが中へ入ってきた。窓を開けて換気し、部屋に柔らかな光を入れてくれる。昨晩ソロによって体を清められた後、彼とともに離れの寝室で眠った。朝早くにソロは出て行ったようで、既に姿はない。

「おはよぅ……、シン」

「大丈夫ですか? 湯あみができそうでしたら、すぐにご用意致しますが」

「……無理」

 起き上がるだけで体がギシギシする。顔を洗い、口を漱ぐともう一度ベッドへ横になった。

 シンは水受けを片付けてから戻ってくると、疲弊している奏人のために術をかけてくれる。腰と秘部の痛みは薄れるが、いくらシンの術でも体力までは回復しない。

「我が君からご伝言です。今日はゆっくり部屋で休んでいるように、と」

「俺の頼みは無視……か」

「我が君は、カナトさんを心配なさって」

「分かってるよ。ソロが俺のこと心配してくれているのは。だけど、俺だって当事者だ。一回、会ってみたいんだ。シキに」

「で、ですが」

「シキは世間的には亡くなってるってことになるけど、エレジーの話じゃおそらくまだ生きているって。だから律王は……いや、アンキェは俺の体が欲しいんだろ?」

 シンは答えない。その通りだったからだ。ソロは隠そうとしたが、エレジーはここまで来たのなら隠すべきではないと、教えてくれた。それなのに、そのエレジーにもシキに会うことは絶対に駄目だと言われた。ゼローザへ頼んでみたが、こちらも断られている。わずかな可能性をかけてフエテに掛け合ってみた。鼻であしらわれて終わった。

「カナトさんは、どうしてシキに会ってみたいんですか? 同じ人間だからですか?」

「それもあるけど……。実は城に連れて行かれた日にさ、俺、拓斗の声を聞いたんだ」

「タクトの? ですがシキは、カナトさんより三百年以上前に落ちて来た人間です。さすがにそれは」

「でもあれは、確かに拓斗の声だった。これは誰にも言ってないんだけど、フエテさんの塔に連れて行かれた時も似たような感じだったんだ。声っていうか、なんかこう……鈴の音みたいな。自分でも不思議なんだけど、それが拓斗の声に思えたんだ。なんでそれを拓斗だと思ったのかは、俺にもよく分からないんだけどさ……」

 だが、あれは確かに拓斗だ。聞き慣れた、拓斗の声。

(聞き慣れた……?)

 妙な違和感を覚えて、こめかみを押さえる。

 小さな痛み。チクチクとした痛み。不意に落ちてきた、強烈な恐怖心。ほんの一瞬垣間見えた、黒い笑顔。聞こえてきたのは、鈴の音だ。

「カナトさん? カナトさんっ?」

 己の体を抱くようにして大きく震え出した奏人に、シンが顔色を変える。一点を睨むようにして動かなくなった奏人へ、シンがすぐに術をかけた。けれど体自体に不調はないのか、術は弾かれてしまう。シンはソロを呼んでくると言って部屋を出て行き、奏人は一人寝室に残った。

(なんだ……これ。なんだ、これ……っ)

 悪寒にも似た、異様な恐怖心。息が詰まる。何かが見えそうだ。何かが分かりそうだ。怖いが、その何かを確かめようと、奏人は意識を集中させた。考えた。

 そんな時、空間の歪む音を聞く。そちらに目を向け、目を瞠った。短い悲鳴を上げ、体を強張らせる。黒い手。真っ黒な手。空間の歪みから伸びてくるそれに、奏人はベッドから転がり落ちた。必死に体を動かして寝室から逃れても、手は異様なまでに伸びて追ってくる。

 足がもつれて床に転がり、足首を掴まれそうになった瞬間。胸元のペンダントが光った。光に弾かれた黒い手は、ボロボロと指が欠け、弱々しく床に落ちて動かなくなった。しかしすぐに欠けた指が集まり、何かの紋様を作り出す。

「ぁ……、あぁぁ……っ」

 それには見覚えがあった。兵士たちだ。ソロを捕らえに来た兵士の体、あれに刻まれていたものと同じである。

 この黒い手の正体がなんであるかと瞬時に理解して、奏人は震える体を諫めて立ち上がった。

 今にも飛び掛かってきそうな紋様を前に、足を後退させる。

 ゼローザは言った。このブローチは、呪詛には効かないと。

「……ッ」

 嫌だ。二度とあんな思いはしたくない。あんな目に遭いたくない。孤独は心を殺す。それを身をもって知った。大好きな人たちの話し声を耳にして、彼らと言葉を交わし、ともに笑い合う。そんな優しい幸せ。奪われたくはない。二十一年かけてようやく見つけた。ここは、自分の居場所だ。

「この体は、俺の……俺のものだッ!」

 逃げた。それしかできないのなら、それを全力でやるしかない。

 両手を握り、懸命に腕を振って足を回す。必死だった。とにかく必死だった。

 自分に何かあれば、ソロが悲しむ。侍従たち三人だってそうだ。それを思えば、力が出た。

 長い渡り廊下を駆け抜けて、奏人はソロや侍従を探す。彼らを巻き込むことに一瞬迷いはしたが、自力では解決できない以上、力を借りるしかない。

「カナトッ、伏せろ!」

 目に飛び込んできた銀色の光に、奏人は考えるより先に体が動いていた。床に伏せ、背後で聞こえた爆発音に身を丸める。だがすぐに抱き上げられて、その場から離れることができた。

 ソロではない。シンだ。コードとフォニックの姿もある。シンは奏人に怪我や穢れがないことをソロに報告すると、更にソロから距離を取った。

 ソロはシンの報告に頷くと、そこにいたエレジーたちと難しい顔をして何やら話し合っている。今日集まる予定ではなかったはずなのに、何故ここに彼らがいるのか。いくらなんでもこれのせいで集まったとは考えにくい。

 黒い紋様を粉砕し、四人が話をしている。こちらに背を向けているので、その表情も声も届いてはこない。だが、ソロが何か手に握り締めているのには気付いた。

 灰色の紙だ。遠目でよくは見えないけれど、それには見覚えがあった。

(新聞……?)

 日本語の見出しが見える。間違いない。あれは人間界に存在する新聞だ。何故そんなものをソロが持っているのか分からなくて、奏人はシンの腕から身を乗り出してそれを確認しようとする。

「カナトさん、いけません」

「待って、シン。ソロに」

「我が君はご無事ですよ。さ、コテージへ移りましょう。しばらくそこで控えているようにと、ご命令です」

「違うんだ、ちょっと訊きたいことが」

「後に致しましょう」

 問答無用でコテージへ連れて行かれ、あれよあれよという間に柔らかなカルマートに包まれる。

 警戒心マックスの三人にコテージから出してくれと言えるはずもなく、仕方なく今は質問を諦めることにした。

(あの見出し……、登山者の遭難記事だった……)

 何故そんなものをソロが持っているのか。

 どうやって入手したのか。その目的は。

 考えられる可能性と胸騒ぎ。一人思考を巡らせながら、奏人は答えを探し続ける。正解など見つからないことは百も承知で、それでも考えずにはいられなかった。

(……拓斗?)

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