古民家カフェ「薄墨」

渥美ひろなが

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ルーク

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古木の森の奥に佇む古民家カフェ「薄墨」には、様々な悩みを抱えた客が訪れる。この日、「店主」が向かい合ったのは、己の才能と未来に迷う、一人の駆け出しの魔法使いだった。

その魔法使いの名は、ルーク。まだ二十代前半といった風貌で、明るい栗色の髪と、好奇心に満ちた大きな瞳が特徴的だ。普段は快活で愛想の良い青年だが、最近の彼は、どこか精彩を欠いていた。ローブの裾には、魔法学院の紋章が誇らしげに刺繍されているものの、彼の表情には常に深い憂いが影を落としている。

ルークは「薄墨」の常連客の一人だった。彼がこの店を訪れるのは、主に学院での魔法の修行に行き詰まりを感じた時だ。今日も彼は、使い古された革の魔法書をテーブルに広げ、指でページをなぞっては、深いため息をついている。店主が淹れる「薄墨ブレンド」を傍らに、彼は何かを必死に探しているようだった。

「店主さん、僕は…本当に魔法使いに向いているんでしょうか」

ある日、ルークは意を決したように、カウンターの店主に問いかけた。その声は、いつもよりずっと小さく、震えていた。店主は、黙ってルークの方に顔を向けた。彼の言葉の続きを待つように、静かに、しかししっかりと見つめる。

「僕の同級生たちは、どんどん新しい魔法を習得していくんです。炎を操ったり、水を自在に動かしたり、中には空を飛ぶ呪文を練習している者もいます。でも、僕は…」

ルークは、広げた魔法書の一頁を指差した。そこには、光を操る初歩的な呪文が記されている。簡単な魔法だ。だが、彼の指先から放たれる光は、いつもどこか頼りなく、すぐに消えてしまう。

「どんなに練習しても、僕の魔法は安定しないんです。それに、他の誰かの真似ばかりしている気がして…。僕だけの魔法って、一体何なんだろうって、最近はもう、魔法書を開くのも嫌になります」

ルークの言葉には、焦燥と、深い自己嫌悪がにじんでいた。彼は、自分の才能の限界を感じ、このまま魔法使いの道を続けていくべきか、真剣に悩んでいるようだった。

店主は、ルークの言葉をすべて受け止めるように、ただ静かに耳を傾けた。彼の表情は変わらない。しかし、その場に流れる空気は、ルークの心の重みに呼応するように、少しだけ沈んでいた。

店主は何も言わず、カウンターの奥から、小さな木箱を取り出した。中には、色とりどりのハーブや、乾燥した花びらが丁寧に並べられている。彼はその中から、幾つかのハーブを手に取り、それをすり鉢に入れ、ゆっくりと擦り始めた。店内に、ハーブの清涼で優しい香りが広がっていく。ルークは、自分の悩みを話したばかりだというのに、店主の静かな動きに引き寄せられるように、その様子をじっと見つめていた。

数分後、店主は、ルークの前に、小さなカップを置いた。中には、深い緑色のハーブティーが淹れられている。湯気と共に、森の奥深く、苔むした古木の下に咲く、名も知らぬ花のような、甘く優しい香りが立ち上った。

「これは…?」ルークが尋ねる。

「『森の囁き』」店主は短く答えた。彼の声は、いつもと変わらず静かだったが、その言葉にはどこか、森の深い知識が宿っているようだった。

ルークはカップを手に取り、一口飲んだ。口の中に広がるのは、ひんやりとした清涼感と、身体の奥からじんわりと広がる温かさ。そして、不思議と、心が落ち着いていくのを感じた。不安でざわついていた彼の内側に、静寂が訪れる。

店主は、ルークの様子を静かに見つめていた。そして、ルークがハーブティーを飲み終えるのを待ってから、彼は再び口を開いた。

「君の魔法は…光の魔法だ」

店主の言葉に、ルークはハッとして顔を上げた。

「ですが、僕の光はすぐに消えてしまうし、他の人みたいに強くも…」

店主は、静かに首を横に振った。

「強さだけが…魔法ではない」

そして、店主は、カウンターの隅に置かれた、小さな苔玉を指差した。その苔玉からは、たった一筋の、しかし確かな、小さな緑の芽が伸びていた。

「この芽は…大きな木にはなれない。だが…」

店主は、指先でその芽に触れた。すると、微かな光が、その芽の周囲を包み込んだ。それは、ルークが普段出している光よりも、ずっと小さく、しかし、何よりも暖かく、そして、優しい光だった。その光は、ゆっくりと、苔玉全体を包み込み、苔玉全体が、まるで息をしているかのように、微かに輝き始めた。

「君の光は…『育む光(はぐくむひかり)』だ」

店主の言葉が、ルークの耳に届いた。
育む光。
ルークは、自分の魔法が常に弱々しい光しか放たないことに、ずっと劣等感を抱いてきた。だが、店主の言葉と、目の前で静かに輝く苔玉を見て、彼の心に、今までとは違う感情が芽生えた。

「僕は…育てることが、できるんですか?」ルークの声が、震える。

店主は、静かに頷いた。

「君の魔法は…生命を慈しみ、成長を促す。癒し、包み込む。それが、君の…本質の光だ」

ルークは、店主の言葉を反芻した。
本質の光。
彼は今まで、他の魔法使いの真似をして、力強い魔法を追い求めてきた。だが、自分には、そんな強大な力はないと、ずっと諦めてきた。しかし、店主は、彼が持つ「弱さ」だと思っていたものが、実は彼にしかできない「特別な力」なのだと教えてくれた。

ルークの瞳から、一筋の雫がこぼれ落ちた。それは、悔しさや悲しみではなく、自分の本質に気づかされたことへの、安堵と喜びの涙だった。

「僕にしかできない魔法…」

ルークは、再び魔法書を開いた。今まで、ただ呪文を暗記することに必死だった彼にとって、それは単なる文字の羅列だった。だが、今、彼の目には、その文字の奥に、光の輝きが見えた気がした。

その日以来、ルークは「薄墨」で、新たな魔法の練習を始めた。それは、派手な魔法ではなかった。店主が育てている小さなハーブの芽に、そっと手をかざし、自分の「育む光」を送る。最初は何も起こらない。だが、数日、数週間と続けるうちに、ハーブの芽は、他のものよりもずっと生き生きと、そして早く育っていくことに、ルークは気づいた。彼が放つ光は、小さくても、確かに生命を育む力を持っていたのだ。

店主は、ルークの練習を静かに見守っていた。そして、ルークが自信を取り戻し、その表情に明るい光が戻るたびに、彼の口角が、ほんのわずかに上がっているように見えた。
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