5 / 22
一章
I 3604 Twins
しおりを挟む
朝、本社ビルに出向いて一時間ほど時間を潰したところで営業回りに出る。仕事の合間に適当に昼飯を食って夕方五時まで。本社ビルに戻って業務報告、日誌書き、でもって気の合う奴と飲みに行ったり行かなかったり。これが俺の普段の一日のスケジュールだ。
これで義理は果たした、とばかりに俺は新しいシステマについては客にそれ以上は喋らなかった。どのみち商品が上がってこないんじゃ、俺に出来ることはない。詳しい話が聞きたければ買ってくださいね。と、こういうことだ。まあ、話を聞かせてくれって言われても俺も困るんだけどな。判ってねえし。
「おい、能戸。ちょっと来い」
何事もなく数日が過ぎたある日の朝、俺はオフィスに入るなり呼びつけられた。うへ。俺、何かしたっけ。そりゃ、俺はよく所長に叱られてるが、ここ最近は名指しで所長に呼ばれるような真似はした覚えはないんだけどな。
オフィスの一番奥、一人だけ離れたところに机を据えてるこの偉そうな中年男が所長の長根だ。背丈はそこそこ、体格はちょっと太目、でもって顔立ちが……何て言うのかな。猛禽類? 一見、近寄り難いイメージのあるおっさんだ。この顔のせいで極端に怖がってる部下もいる。んでもその実、上司に諂うタイプときてるから、俺に言わせれば猛禽類ってのはないだろうって感じだが。
鞄をぶら下げたまま所長の机に寄る。なんすか、と訊ねた俺に所長はいつもながらの仏頂面で何か差し出した。何だこれ。透明なケースに入った無地のディスクを受け取った俺は首を捻った。裏返してみるがやっぱり何も書いてない。
「午後からの企画会議にお前も出席するんだ」
聞き取りにくいぼそぼそとした声で所長が言う。それを聞いた俺の頭の中は真っ白になった。
「は?」
十数秒ほどの間の後、俺は自分でも情けないくらい間の抜けた声を返した。いや待て。何だそりゃ。どうもこっちの話の端っこを聞きつけた周りも俺と同じ事考えたのか、周りがいつもと違うざわめきに包まれている。
「ちょっと待ってくださいよ。午後からクライアントとの約束が入ってるんですけど」
確かに俺はこのオフィスでは成績は良くない方だよ。でも、仕事を全くしていない訳じゃなくてだな。っていうか、所長も気付けよ! 急に妙なこと言うから周りの目がこっちに向いてるじゃねえか!
俺が心の底で叫んでいる間に所長が淡々と話を進める。
「江崎がいるだろう。代わりに行かせればいいじゃないか」
「いやまあそうなんすけど」
ちなみに江崎ってのは今年入社してきたばかりの新人だ。少しずつ減ってる新人の中ではかなりタフなんじゃないかな。最初はここにあるシステマにびびってたらしいけど、一週間もしないうちに慣れたらしい。順応力だけはあるんです、といつだったか笑ってた気がする。江崎は新人ということもあって、時々は俺と一緒に営業回りに出る。江崎はでかい図体の割に気の利く奴でクライアントに気に入られ易いし仲間受けもする。ちょっと気の弱いところもあるから、多少の無茶でも頼めば引き受けてはくれるだろう。
待て。江崎はともかくだ。何で俺がそんな会議なんぞに出席せにゃならんのだ! しかも企画会議だと!? 冗談じゃないぞ! 所長の言うことに納得しかけてた俺は慌てて頭を振った。
「待ってください! 何で俺が企画会議なんて」
企画会議と言えば開発と営業の、言わばパイプ役の位置にある企画部が主催する会議だ。通常、開発部の連中と営業とは綿密な打ち合わせはしない。この企画部に両者の意志伝達の全てがかかっているのだ。企画会議にはこちらからは各技術営業と所長が出席する。中條先輩辺りは開発の連中に顔を出すように言われるらしいが、それだってごく稀だ。
「開発にお前を引っ張って来るように言われたんだよ。いいからその中身に目を通しておけ」
俺が持ってたディスクを指差して所長が素っ気なく言う。あのな。嫌なのは俺なんだよ。そんな、どえらくまずいものを食ったような顔しなくてもいいだろが。蝿でも追い払うように手を振られて俺は諦めて席に戻った。隣に座ってた江崎が目を輝かせて凄いですね、と褒め称えてくれる。そりゃどうも。うんざりした気分で俺は腰掛けた。鞄を机に乗せたところでいきなり後ろから背中をどつかれる。いってーな。
「良かったなあ、能戸。お呼びがかかって」
ああ、うぜえ。机に突っ伏しかけてた俺はとてつもなく嫌な気分で振り返った。が、きっちり普通の表情を保つことも忘れない。下手に抵抗してもつまらないしな。
「おはようございます」
何のために俺が壁際の目立たない席を選んでるかって、こいつらのせいなんだけどな。ああ、よりにもよって今日はフルメンバーかよ。俺はごく当り前の顔で三人の男に挨拶して頭を軽く下げた。こいつらは俺よか先に入社してるんだけどな。何かにつけて俺にいちゃもんつけてくれる嫌な奴らだ。
あー、もうどうでもいい。俺はそう思いつつも話を聞いている振りだけはした。ひとしきり厭味を言ったところで気が済んだのだろう。奴らが散る。俺は心の底からうんざりしてこっそりため息を吐いた。隣の席から身を乗り出した江崎が心配顔をする。
「大丈夫ですか?」
潜めた声で訊かれて俺は黙って頷いた。くそ、いつもいつも目の敵にしやがって。俺が一体、何したってんだよ。つるんで嫌がらせって、お前ら子供か? いや、今時子供でもそんな真似しないだろ。
やれやれと肩を落として俺は鞄を退けた。端末を立ち上げて所長に渡されたディスクを放り込む。画面に目をやった俺は、視界の隅に映ったシステマを見つめた。今日もシステマはどこを見ているのか判らない顔をして硝子張りの部屋の中に座っている。頭につけているのはインターフェイスだ。そしてシステマの周囲には何枚ものディスプレイが並んでいる。特に珍しい光景じゃない。俺は目を戻して画面に表示されたテキストデータを読むことに専念した。
絶対、奴の仕業だ。俺はディスクの内容を読みながらそう確信した。俺は技術営業の連中みたいに開発かぶれじゃないし、特に成績がいいわけでもない。勝亦以外の誰が俺を七面倒な会議に引っ張ろうと思うってんだ。あのやろう、とぼやきながら俺は苛立ち紛れにエンターキーを乱暴に叩いた。
「おいおい、壊すなよ」
不意に後ろから声をかけられて俺は慌てて振り返った。いつの間にか出る時間になってたらしい。中條先輩が笑って俺の手元を指差す。隣で慌てたように江崎が立ち上がる。
「このくらいじゃ壊れませんよ」
そう言いながら俺は自分の使っていたキーボードを指差した。ちっとも自慢にはならないが、開発の連中はともかく、この営業所内でこんなもん使ってるのは俺くらいだ。営業日誌を書いたりだの情報収集だのに使うなら、標準インターフェイスの方が断然速いからだ。ちなみに中條先輩も江崎もこのインターフェイスを当然使ってる。ヘッドホン型のインターフェイスは使用者の脳波を元に思考を読んでくれる優れもの……らしい。ああ、らしいってのはだな。要するに俺はそんなもん使う気にならないし、実際に使ったことがないからだ。試験以外ではな。
出勤から一時間。各小売店が開店する時間に合わせてフロアから人々が出て行く。俺はいつもの光景を眺めてから肩を竦めた。
「まだ資料の半分も読めてないんですよね。これじゃ今から出るのは無理だな」
半ば独り言のつもりで俺は言った。すると中條先輩がそうだな、と笑う。中條先輩と江崎の体格はかなり差がある。がっちりとした江崎の隣に立つと中條先輩はやけに頼りなく見える。でも二人に共通しているところがあるんだな。それが人の良さそうな顔立ちだ。当たりの柔らかそうな顔ってのはそれだけで随分と得だ。こっちが頼まなくてもクライアントが勝手に油断してくれるしな。
江崎に約束のある客のところに行くように頼んでから俺は画面に向き直った。あれだけ人のいたフロアには俺と事務員の女性の二人きりになっちまった。所長もさっさと出かけたらしい。くそ。人に余計なこと押し付けててめえは外回りかよ。釈然としないものを感じつつも俺は資料に目を通した。
資料には新しいタイプのシステマについて記されていた。勝亦が熱心に話していた内容なんだろうな、これ。二基のシステマの性能がずらりと文章で並べられている。そして新型のシステマの利点がずらり。俺はかなり苦労しながら文章を読んだ。日誌なんかを書く方はてんで駄目だが、これでも俺は文章を読むのは得意なんだ。なのに読みにくいのは説明ばっかりだからだろうな。
ただ一つだけびっくりしたのは、このシステマは男女のツインタイプになっていることだ。これまでのシステマは外観は中性的で、性が感じられないのはもちろんだが、人の形を真似ているだけのものだった。つまり平たく言うと、見てくれは人形だったわけ。その後でゲームのキャラクタもどきだのってタイプが何種類か出たが、どれも廃れたな。
で。一部コアな連中を沸き立たせたらしいそんな商品ですらだよ。顔形とかってのは従来のモノとは大差がなかったんだ。決して不細工ではないが、中性的でどこの国の人間か判んないような見てくれだけは変わんなかったんだな。
そんなシステマに性差をつけるという。俺は我ながら珍しく真剣に画面を見つめちまった。そんなことが可能なのか? システマは人形と思え。中條先輩の言葉が脳裏を過ぎる。でもシステマは人形そのものじゃない。色んな型があるのは確かだが、それら全ては生身なのだ。
例えば俺が日誌を書いたりするのに使ってるこの端末。これは完全に機械で出来ている。この端末はネットワークシステムを介してシステマにデータを送るための機械だ。壊れれば修理も出来るし、側のデザインなんて幾らでも変更が利く。一から組み上げる奴なら、一台ずつに個性も出したり出来るだろ。それこそケースにこだわってみたりも出来るわけだ。
だがシステマはそれは出来ない。あくまでも市場に流れるシステマの外見は完成品なのだ。だから買ってから客が勝手に手を入れるとなると、服を着せたり色を塗ったり程度のことしか出来ない。例えばだよ。システマの背丈がもっと欲しいとか、顔の形を変えてみたいとか、そういうことは出来ないんだよ。それがどんな技術者だったとしても、だ。
俺は気付くと瞬きをするのも忘れて画面を見つめていた。I 3604 Twins。それがこの商品の正式な開発番号だ。これが完成すればそのまま商品名として市場で流通するだろう。ちなみに名前に入ってる『I』は社名のIISの頭文字だ。3604は開発番号。そしてTwinsというのがこのシステマの名称だろう。文字通り、Twinsは二台で一つの商品なのだ。
俺が驚いたのはもう一つ。男の体型に近いシステマを構築するという点だった。これまでシステマを幾つもクライアントに売りつけてきたし、他社の商品もそれなりに俺は見てる。だが、その中にこれまで一つだって男の体型ってはっきり判るような商品はなかった。あー、つまりだなっ。男性の生殖器のついたタイプのシステマってのはなかったわけ。その理由は勝亦から何度か聞いた覚えはあるが……。確か初期のシステマの身体的構成がどちらかと言えば人間の女性に近かったんだっけか。
誓って言うが俺は性差別をするつもりはない。はっきり理解してるって訳じゃないし、理屈がどうなってるかは知らないが、とにかくだ。システマってのは生物の持つ自己治癒能力を活かすってコンセプトで作られてる。その活かすって考え方を元に作られてるからか、システマの肉体はどちらかと言えば人間の女性寄りにされてるんだと。この、どちらかと言えばってのが曲者で、ぱっと見には本当に判んないんだよな。判るのは……その、何だ。だから排泄器官の違いなんだよ。そこまで思い出して俺は慌てて頭を振った。いかん。顔が熱い。想像なんざするもんじゃねえな。たかがシステマって思っても、頭ん中ですり替わっちまう。
いや、システマは道具なんだと強く自分に言い聞かせて俺は席を立った。ずっとこんなもん読んでるから変なこと考えちまうんだよ。そう考えるとほんと、開発の奴らって変だよな。そんなもんのこと一日中考えてるんだもんなあ……。
オフィスを出てエレベーターホールのちょっと奥、人の目に付きにくいところに自動販売機が端に二台置かれたスペースがある。小銭を突っ込んでアイスコーヒーを買ってから傍のベンチに腰を下ろす。そこで俺はしみじみとため息をついた。こんな風にずっと会社に閉じこもってるなんて久しぶりだ。毎朝、客のとこに行く前にある程度の市場調査はするが、そんなに時間はかからない。俺みたいな手抜きじゃない、綿密な調査をするって所長に誉められてたあの中條先輩だってみんなと同じ時間に出るしな。狙いさえ間違ってなけりゃ、調査なんぞあっさり済むんだよ。だからデスクワークなんて殆どしなくていいんだな、これが。
そんな俺が机にかじりついて二時間だぞ。疲れるって。はは、と情けない気分で笑ってから俺は腕に巻いた時計に目をやった。今時、腕時計が珍しい? ばか言っちゃいけない。外回りしてるとだな。いちいち端末だの電話だの見てらんねえ時もあるんだよ。時間確かめるのはこれが一番早い。
誰もいない休憩スペースでコーヒー啜ってから俺はオフィスに戻った。いつの間にか事務の女性がいなくなっている。あ、そうか。昼休憩か。そういえば音楽鳴ってた気がしたな。オフィスにいなかったから殆ど聴こえなかったが。
まあいいか、と一人で納得して俺は残ってたテキストデータを読み始めた。早いとこ読んでさっさと飯を食わないとな。休憩を入れたからか、それからの俺の作業は実にスムーズに進んだ。要するに全部理解しようとするからいけないんだよ。俺は開発の人間じゃないんだから、完全に理解なんてする必要はないんだ。要は会議で何を話しているか判る程度に把握してればいい。どうせ営業の下っ端の下っ端、会社の底辺にいる俺に意見求めてくるなんてこたあねえだろ。
これで義理は果たした、とばかりに俺は新しいシステマについては客にそれ以上は喋らなかった。どのみち商品が上がってこないんじゃ、俺に出来ることはない。詳しい話が聞きたければ買ってくださいね。と、こういうことだ。まあ、話を聞かせてくれって言われても俺も困るんだけどな。判ってねえし。
「おい、能戸。ちょっと来い」
何事もなく数日が過ぎたある日の朝、俺はオフィスに入るなり呼びつけられた。うへ。俺、何かしたっけ。そりゃ、俺はよく所長に叱られてるが、ここ最近は名指しで所長に呼ばれるような真似はした覚えはないんだけどな。
オフィスの一番奥、一人だけ離れたところに机を据えてるこの偉そうな中年男が所長の長根だ。背丈はそこそこ、体格はちょっと太目、でもって顔立ちが……何て言うのかな。猛禽類? 一見、近寄り難いイメージのあるおっさんだ。この顔のせいで極端に怖がってる部下もいる。んでもその実、上司に諂うタイプときてるから、俺に言わせれば猛禽類ってのはないだろうって感じだが。
鞄をぶら下げたまま所長の机に寄る。なんすか、と訊ねた俺に所長はいつもながらの仏頂面で何か差し出した。何だこれ。透明なケースに入った無地のディスクを受け取った俺は首を捻った。裏返してみるがやっぱり何も書いてない。
「午後からの企画会議にお前も出席するんだ」
聞き取りにくいぼそぼそとした声で所長が言う。それを聞いた俺の頭の中は真っ白になった。
「は?」
十数秒ほどの間の後、俺は自分でも情けないくらい間の抜けた声を返した。いや待て。何だそりゃ。どうもこっちの話の端っこを聞きつけた周りも俺と同じ事考えたのか、周りがいつもと違うざわめきに包まれている。
「ちょっと待ってくださいよ。午後からクライアントとの約束が入ってるんですけど」
確かに俺はこのオフィスでは成績は良くない方だよ。でも、仕事を全くしていない訳じゃなくてだな。っていうか、所長も気付けよ! 急に妙なこと言うから周りの目がこっちに向いてるじゃねえか!
俺が心の底で叫んでいる間に所長が淡々と話を進める。
「江崎がいるだろう。代わりに行かせればいいじゃないか」
「いやまあそうなんすけど」
ちなみに江崎ってのは今年入社してきたばかりの新人だ。少しずつ減ってる新人の中ではかなりタフなんじゃないかな。最初はここにあるシステマにびびってたらしいけど、一週間もしないうちに慣れたらしい。順応力だけはあるんです、といつだったか笑ってた気がする。江崎は新人ということもあって、時々は俺と一緒に営業回りに出る。江崎はでかい図体の割に気の利く奴でクライアントに気に入られ易いし仲間受けもする。ちょっと気の弱いところもあるから、多少の無茶でも頼めば引き受けてはくれるだろう。
待て。江崎はともかくだ。何で俺がそんな会議なんぞに出席せにゃならんのだ! しかも企画会議だと!? 冗談じゃないぞ! 所長の言うことに納得しかけてた俺は慌てて頭を振った。
「待ってください! 何で俺が企画会議なんて」
企画会議と言えば開発と営業の、言わばパイプ役の位置にある企画部が主催する会議だ。通常、開発部の連中と営業とは綿密な打ち合わせはしない。この企画部に両者の意志伝達の全てがかかっているのだ。企画会議にはこちらからは各技術営業と所長が出席する。中條先輩辺りは開発の連中に顔を出すように言われるらしいが、それだってごく稀だ。
「開発にお前を引っ張って来るように言われたんだよ。いいからその中身に目を通しておけ」
俺が持ってたディスクを指差して所長が素っ気なく言う。あのな。嫌なのは俺なんだよ。そんな、どえらくまずいものを食ったような顔しなくてもいいだろが。蝿でも追い払うように手を振られて俺は諦めて席に戻った。隣に座ってた江崎が目を輝かせて凄いですね、と褒め称えてくれる。そりゃどうも。うんざりした気分で俺は腰掛けた。鞄を机に乗せたところでいきなり後ろから背中をどつかれる。いってーな。
「良かったなあ、能戸。お呼びがかかって」
ああ、うぜえ。机に突っ伏しかけてた俺はとてつもなく嫌な気分で振り返った。が、きっちり普通の表情を保つことも忘れない。下手に抵抗してもつまらないしな。
「おはようございます」
何のために俺が壁際の目立たない席を選んでるかって、こいつらのせいなんだけどな。ああ、よりにもよって今日はフルメンバーかよ。俺はごく当り前の顔で三人の男に挨拶して頭を軽く下げた。こいつらは俺よか先に入社してるんだけどな。何かにつけて俺にいちゃもんつけてくれる嫌な奴らだ。
あー、もうどうでもいい。俺はそう思いつつも話を聞いている振りだけはした。ひとしきり厭味を言ったところで気が済んだのだろう。奴らが散る。俺は心の底からうんざりしてこっそりため息を吐いた。隣の席から身を乗り出した江崎が心配顔をする。
「大丈夫ですか?」
潜めた声で訊かれて俺は黙って頷いた。くそ、いつもいつも目の敵にしやがって。俺が一体、何したってんだよ。つるんで嫌がらせって、お前ら子供か? いや、今時子供でもそんな真似しないだろ。
やれやれと肩を落として俺は鞄を退けた。端末を立ち上げて所長に渡されたディスクを放り込む。画面に目をやった俺は、視界の隅に映ったシステマを見つめた。今日もシステマはどこを見ているのか判らない顔をして硝子張りの部屋の中に座っている。頭につけているのはインターフェイスだ。そしてシステマの周囲には何枚ものディスプレイが並んでいる。特に珍しい光景じゃない。俺は目を戻して画面に表示されたテキストデータを読むことに専念した。
絶対、奴の仕業だ。俺はディスクの内容を読みながらそう確信した。俺は技術営業の連中みたいに開発かぶれじゃないし、特に成績がいいわけでもない。勝亦以外の誰が俺を七面倒な会議に引っ張ろうと思うってんだ。あのやろう、とぼやきながら俺は苛立ち紛れにエンターキーを乱暴に叩いた。
「おいおい、壊すなよ」
不意に後ろから声をかけられて俺は慌てて振り返った。いつの間にか出る時間になってたらしい。中條先輩が笑って俺の手元を指差す。隣で慌てたように江崎が立ち上がる。
「このくらいじゃ壊れませんよ」
そう言いながら俺は自分の使っていたキーボードを指差した。ちっとも自慢にはならないが、開発の連中はともかく、この営業所内でこんなもん使ってるのは俺くらいだ。営業日誌を書いたりだの情報収集だのに使うなら、標準インターフェイスの方が断然速いからだ。ちなみに中條先輩も江崎もこのインターフェイスを当然使ってる。ヘッドホン型のインターフェイスは使用者の脳波を元に思考を読んでくれる優れもの……らしい。ああ、らしいってのはだな。要するに俺はそんなもん使う気にならないし、実際に使ったことがないからだ。試験以外ではな。
出勤から一時間。各小売店が開店する時間に合わせてフロアから人々が出て行く。俺はいつもの光景を眺めてから肩を竦めた。
「まだ資料の半分も読めてないんですよね。これじゃ今から出るのは無理だな」
半ば独り言のつもりで俺は言った。すると中條先輩がそうだな、と笑う。中條先輩と江崎の体格はかなり差がある。がっちりとした江崎の隣に立つと中條先輩はやけに頼りなく見える。でも二人に共通しているところがあるんだな。それが人の良さそうな顔立ちだ。当たりの柔らかそうな顔ってのはそれだけで随分と得だ。こっちが頼まなくてもクライアントが勝手に油断してくれるしな。
江崎に約束のある客のところに行くように頼んでから俺は画面に向き直った。あれだけ人のいたフロアには俺と事務員の女性の二人きりになっちまった。所長もさっさと出かけたらしい。くそ。人に余計なこと押し付けててめえは外回りかよ。釈然としないものを感じつつも俺は資料に目を通した。
資料には新しいタイプのシステマについて記されていた。勝亦が熱心に話していた内容なんだろうな、これ。二基のシステマの性能がずらりと文章で並べられている。そして新型のシステマの利点がずらり。俺はかなり苦労しながら文章を読んだ。日誌なんかを書く方はてんで駄目だが、これでも俺は文章を読むのは得意なんだ。なのに読みにくいのは説明ばっかりだからだろうな。
ただ一つだけびっくりしたのは、このシステマは男女のツインタイプになっていることだ。これまでのシステマは外観は中性的で、性が感じられないのはもちろんだが、人の形を真似ているだけのものだった。つまり平たく言うと、見てくれは人形だったわけ。その後でゲームのキャラクタもどきだのってタイプが何種類か出たが、どれも廃れたな。
で。一部コアな連中を沸き立たせたらしいそんな商品ですらだよ。顔形とかってのは従来のモノとは大差がなかったんだ。決して不細工ではないが、中性的でどこの国の人間か判んないような見てくれだけは変わんなかったんだな。
そんなシステマに性差をつけるという。俺は我ながら珍しく真剣に画面を見つめちまった。そんなことが可能なのか? システマは人形と思え。中條先輩の言葉が脳裏を過ぎる。でもシステマは人形そのものじゃない。色んな型があるのは確かだが、それら全ては生身なのだ。
例えば俺が日誌を書いたりするのに使ってるこの端末。これは完全に機械で出来ている。この端末はネットワークシステムを介してシステマにデータを送るための機械だ。壊れれば修理も出来るし、側のデザインなんて幾らでも変更が利く。一から組み上げる奴なら、一台ずつに個性も出したり出来るだろ。それこそケースにこだわってみたりも出来るわけだ。
だがシステマはそれは出来ない。あくまでも市場に流れるシステマの外見は完成品なのだ。だから買ってから客が勝手に手を入れるとなると、服を着せたり色を塗ったり程度のことしか出来ない。例えばだよ。システマの背丈がもっと欲しいとか、顔の形を変えてみたいとか、そういうことは出来ないんだよ。それがどんな技術者だったとしても、だ。
俺は気付くと瞬きをするのも忘れて画面を見つめていた。I 3604 Twins。それがこの商品の正式な開発番号だ。これが完成すればそのまま商品名として市場で流通するだろう。ちなみに名前に入ってる『I』は社名のIISの頭文字だ。3604は開発番号。そしてTwinsというのがこのシステマの名称だろう。文字通り、Twinsは二台で一つの商品なのだ。
俺が驚いたのはもう一つ。男の体型に近いシステマを構築するという点だった。これまでシステマを幾つもクライアントに売りつけてきたし、他社の商品もそれなりに俺は見てる。だが、その中にこれまで一つだって男の体型ってはっきり判るような商品はなかった。あー、つまりだなっ。男性の生殖器のついたタイプのシステマってのはなかったわけ。その理由は勝亦から何度か聞いた覚えはあるが……。確か初期のシステマの身体的構成がどちらかと言えば人間の女性に近かったんだっけか。
誓って言うが俺は性差別をするつもりはない。はっきり理解してるって訳じゃないし、理屈がどうなってるかは知らないが、とにかくだ。システマってのは生物の持つ自己治癒能力を活かすってコンセプトで作られてる。その活かすって考え方を元に作られてるからか、システマの肉体はどちらかと言えば人間の女性寄りにされてるんだと。この、どちらかと言えばってのが曲者で、ぱっと見には本当に判んないんだよな。判るのは……その、何だ。だから排泄器官の違いなんだよ。そこまで思い出して俺は慌てて頭を振った。いかん。顔が熱い。想像なんざするもんじゃねえな。たかがシステマって思っても、頭ん中ですり替わっちまう。
いや、システマは道具なんだと強く自分に言い聞かせて俺は席を立った。ずっとこんなもん読んでるから変なこと考えちまうんだよ。そう考えるとほんと、開発の奴らって変だよな。そんなもんのこと一日中考えてるんだもんなあ……。
オフィスを出てエレベーターホールのちょっと奥、人の目に付きにくいところに自動販売機が端に二台置かれたスペースがある。小銭を突っ込んでアイスコーヒーを買ってから傍のベンチに腰を下ろす。そこで俺はしみじみとため息をついた。こんな風にずっと会社に閉じこもってるなんて久しぶりだ。毎朝、客のとこに行く前にある程度の市場調査はするが、そんなに時間はかからない。俺みたいな手抜きじゃない、綿密な調査をするって所長に誉められてたあの中條先輩だってみんなと同じ時間に出るしな。狙いさえ間違ってなけりゃ、調査なんぞあっさり済むんだよ。だからデスクワークなんて殆どしなくていいんだな、これが。
そんな俺が机にかじりついて二時間だぞ。疲れるって。はは、と情けない気分で笑ってから俺は腕に巻いた時計に目をやった。今時、腕時計が珍しい? ばか言っちゃいけない。外回りしてるとだな。いちいち端末だの電話だの見てらんねえ時もあるんだよ。時間確かめるのはこれが一番早い。
誰もいない休憩スペースでコーヒー啜ってから俺はオフィスに戻った。いつの間にか事務の女性がいなくなっている。あ、そうか。昼休憩か。そういえば音楽鳴ってた気がしたな。オフィスにいなかったから殆ど聴こえなかったが。
まあいいか、と一人で納得して俺は残ってたテキストデータを読み始めた。早いとこ読んでさっさと飯を食わないとな。休憩を入れたからか、それからの俺の作業は実にスムーズに進んだ。要するに全部理解しようとするからいけないんだよ。俺は開発の人間じゃないんだから、完全に理解なんてする必要はないんだ。要は会議で何を話しているか判る程度に把握してればいい。どうせ営業の下っ端の下っ端、会社の底辺にいる俺に意見求めてくるなんてこたあねえだろ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる