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一章

I 3604 Twins

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 朝、本社ビルに出向いて一時間ほど時間を潰したところで営業回りに出る。仕事の合間に適当に昼飯を食って夕方五時まで。本社ビルに戻って業務報告、日誌書き、でもって気の合う奴と飲みに行ったり行かなかったり。これが俺の普段の一日のスケジュールだ。

 これで義理は果たした、とばかりに俺は新しいシステマについては客にそれ以上は喋らなかった。どのみち商品が上がってこないんじゃ、俺に出来ることはない。詳しい話が聞きたければ買ってくださいね。と、こういうことだ。まあ、話を聞かせてくれって言われても俺も困るんだけどな。判ってねえし。

「おい、能戸。ちょっと来い」

 何事もなく数日が過ぎたある日の朝、俺はオフィスに入るなり呼びつけられた。うへ。俺、何かしたっけ。そりゃ、俺はよく所長に叱られてるが、ここ最近は名指しで所長に呼ばれるような真似はした覚えはないんだけどな。

 オフィスの一番奥、一人だけ離れたところに机を据えてるこの偉そうな中年男が所長の長根だ。背丈はそこそこ、体格はちょっと太目、でもって顔立ちが……何て言うのかな。猛禽類? 一見、近寄り難いイメージのあるおっさんだ。この顔のせいで極端に怖がってる部下もいる。んでもその実、上司に諂うタイプときてるから、俺に言わせれば猛禽類ってのはないだろうって感じだが。

 鞄をぶら下げたまま所長の机に寄る。なんすか、と訊ねた俺に所長はいつもながらの仏頂面で何か差し出した。何だこれ。透明なケースに入った無地のディスクを受け取った俺は首を捻った。裏返してみるがやっぱり何も書いてない。

「午後からの企画会議にお前も出席するんだ」

 聞き取りにくいぼそぼそとした声で所長が言う。それを聞いた俺の頭の中は真っ白になった。

「は?」

 十数秒ほどの間の後、俺は自分でも情けないくらい間の抜けた声を返した。いや待て。何だそりゃ。どうもこっちの話の端っこを聞きつけた周りも俺と同じ事考えたのか、周りがいつもと違うざわめきに包まれている。

「ちょっと待ってくださいよ。午後からクライアントとの約束が入ってるんですけど」

 確かに俺はこのオフィスでは成績は良くない方だよ。でも、仕事を全くしていない訳じゃなくてだな。っていうか、所長も気付けよ! 急に妙なこと言うから周りの目がこっちに向いてるじゃねえか!

 俺が心の底で叫んでいる間に所長が淡々と話を進める。

「江崎がいるだろう。代わりに行かせればいいじゃないか」
「いやまあそうなんすけど」

 ちなみに江崎ってのは今年入社してきたばかりの新人だ。少しずつ減ってる新人の中ではかなりタフなんじゃないかな。最初はここにあるシステマにびびってたらしいけど、一週間もしないうちに慣れたらしい。順応力だけはあるんです、といつだったか笑ってた気がする。江崎は新人ということもあって、時々は俺と一緒に営業回りに出る。江崎はでかい図体の割に気の利く奴でクライアントに気に入られ易いし仲間受けもする。ちょっと気の弱いところもあるから、多少の無茶でも頼めば引き受けてはくれるだろう。

 待て。江崎はともかくだ。何で俺がそんな会議なんぞに出席せにゃならんのだ! しかも企画会議だと!? 冗談じゃないぞ! 所長の言うことに納得しかけてた俺は慌てて頭を振った。

「待ってください! 何で俺が企画会議なんて」

 企画会議と言えば開発と営業の、言わばパイプ役の位置にある企画部が主催する会議だ。通常、開発部の連中と営業とは綿密な打ち合わせはしない。この企画部に両者の意志伝達の全てがかかっているのだ。企画会議にはこちらからは各技術営業と所長が出席する。中條先輩辺りは開発の連中に顔を出すように言われるらしいが、それだってごく稀だ。

「開発にお前を引っ張って来るように言われたんだよ。いいからその中身に目を通しておけ」

 俺が持ってたディスクを指差して所長が素っ気なく言う。あのな。嫌なのは俺なんだよ。そんな、どえらくまずいものを食ったような顔しなくてもいいだろが。蝿でも追い払うように手を振られて俺は諦めて席に戻った。隣に座ってた江崎が目を輝かせて凄いですね、と褒め称えてくれる。そりゃどうも。うんざりした気分で俺は腰掛けた。鞄を机に乗せたところでいきなり後ろから背中をどつかれる。いってーな。

「良かったなあ、能戸。お呼びがかかって」

 ああ、うぜえ。机に突っ伏しかけてた俺はとてつもなく嫌な気分で振り返った。が、きっちり普通の表情を保つことも忘れない。下手に抵抗してもつまらないしな。

「おはようございます」

 何のために俺が壁際の目立たない席を選んでるかって、こいつらのせいなんだけどな。ああ、よりにもよって今日はフルメンバーかよ。俺はごく当り前の顔で三人の男に挨拶して頭を軽く下げた。こいつらは俺よか先に入社してるんだけどな。何かにつけて俺にいちゃもんつけてくれる嫌な奴らだ。

 あー、もうどうでもいい。俺はそう思いつつも話を聞いている振りだけはした。ひとしきり厭味を言ったところで気が済んだのだろう。奴らが散る。俺は心の底からうんざりしてこっそりため息を吐いた。隣の席から身を乗り出した江崎が心配顔をする。

「大丈夫ですか?」

 潜めた声で訊かれて俺は黙って頷いた。くそ、いつもいつも目の敵にしやがって。俺が一体、何したってんだよ。つるんで嫌がらせって、お前ら子供か? いや、今時子供でもそんな真似しないだろ。

 やれやれと肩を落として俺は鞄を退けた。端末を立ち上げて所長に渡されたディスクを放り込む。画面に目をやった俺は、視界の隅に映ったシステマを見つめた。今日もシステマはどこを見ているのか判らない顔をして硝子張りの部屋の中に座っている。頭につけているのはインターフェイスだ。そしてシステマの周囲には何枚ものディスプレイが並んでいる。特に珍しい光景じゃない。俺は目を戻して画面に表示されたテキストデータを読むことに専念した。

 絶対、奴の仕業だ。俺はディスクの内容を読みながらそう確信した。俺は技術営業の連中みたいに開発かぶれじゃないし、特に成績がいいわけでもない。勝亦以外の誰が俺を七面倒な会議に引っ張ろうと思うってんだ。あのやろう、とぼやきながら俺は苛立ち紛れにエンターキーを乱暴に叩いた。

「おいおい、壊すなよ」

 不意に後ろから声をかけられて俺は慌てて振り返った。いつの間にか出る時間になってたらしい。中條先輩が笑って俺の手元を指差す。隣で慌てたように江崎が立ち上がる。

「このくらいじゃ壊れませんよ」

 そう言いながら俺は自分の使っていたキーボードを指差した。ちっとも自慢にはならないが、開発の連中はともかく、この営業所内でこんなもん使ってるのは俺くらいだ。営業日誌を書いたりだの情報収集だのに使うなら、標準インターフェイスの方が断然速いからだ。ちなみに中條先輩も江崎もこのインターフェイスを当然使ってる。ヘッドホン型のインターフェイスは使用者の脳波を元に思考を読んでくれる優れもの……らしい。ああ、らしいってのはだな。要するに俺はそんなもん使う気にならないし、実際に使ったことがないからだ。試験以外ではな。

 出勤から一時間。各小売店が開店する時間に合わせてフロアから人々が出て行く。俺はいつもの光景を眺めてから肩を竦めた。

「まだ資料の半分も読めてないんですよね。これじゃ今から出るのは無理だな」

 半ば独り言のつもりで俺は言った。すると中條先輩がそうだな、と笑う。中條先輩と江崎の体格はかなり差がある。がっちりとした江崎の隣に立つと中條先輩はやけに頼りなく見える。でも二人に共通しているところがあるんだな。それが人の良さそうな顔立ちだ。当たりの柔らかそうな顔ってのはそれだけで随分と得だ。こっちが頼まなくてもクライアントが勝手に油断してくれるしな。

 江崎に約束のある客のところに行くように頼んでから俺は画面に向き直った。あれだけ人のいたフロアには俺と事務員の女性の二人きりになっちまった。所長もさっさと出かけたらしい。くそ。人に余計なこと押し付けててめえは外回りかよ。釈然としないものを感じつつも俺は資料に目を通した。

 資料には新しいタイプのシステマについて記されていた。勝亦が熱心に話していた内容なんだろうな、これ。二基のシステマの性能がずらりと文章で並べられている。そして新型のシステマの利点がずらり。俺はかなり苦労しながら文章を読んだ。日誌なんかを書く方はてんで駄目だが、これでも俺は文章を読むのは得意なんだ。なのに読みにくいのは説明ばっかりだからだろうな。

 ただ一つだけびっくりしたのは、このシステマは男女のツインタイプになっていることだ。これまでのシステマは外観は中性的で、性が感じられないのはもちろんだが、人の形を真似ているだけのものだった。つまり平たく言うと、見てくれは人形だったわけ。その後でゲームのキャラクタもどきだのってタイプが何種類か出たが、どれも廃れたな。

 で。一部コアな連中を沸き立たせたらしいそんな商品ですらだよ。顔形とかってのは従来のモノとは大差がなかったんだ。決して不細工ではないが、中性的でどこの国の人間か判んないような見てくれだけは変わんなかったんだな。

 そんなシステマに性差をつけるという。俺は我ながら珍しく真剣に画面を見つめちまった。そんなことが可能なのか? システマは人形と思え。中條先輩の言葉が脳裏を過ぎる。でもシステマは人形そのものじゃない。色んな型があるのは確かだが、それら全ては生身なのだ。

 例えば俺が日誌を書いたりするのに使ってるこの端末。これは完全に機械で出来ている。この端末はネットワークシステムを介してシステマにデータを送るための機械だ。壊れれば修理も出来るし、側のデザインなんて幾らでも変更が利く。一から組み上げる奴なら、一台ずつに個性も出したり出来るだろ。それこそケースにこだわってみたりも出来るわけだ。

 だがシステマはそれは出来ない。あくまでも市場に流れるシステマの外見は完成品なのだ。だから買ってから客が勝手に手を入れるとなると、服を着せたり色を塗ったり程度のことしか出来ない。例えばだよ。システマの背丈がもっと欲しいとか、顔の形を変えてみたいとか、そういうことは出来ないんだよ。それがどんな技術者だったとしても、だ。

 俺は気付くと瞬きをするのも忘れて画面を見つめていた。I 3604 Twins。それがこの商品の正式な開発番号だ。これが完成すればそのまま商品名として市場で流通するだろう。ちなみに名前に入ってる『I』は社名のIISの頭文字だ。3604は開発番号。そしてTwinsというのがこのシステマの名称だろう。文字通り、Twinsは二台で一つの商品なのだ。

 俺が驚いたのはもう一つ。男の体型に近いシステマを構築するという点だった。これまでシステマを幾つもクライアントに売りつけてきたし、他社の商品もそれなりに俺は見てる。だが、その中にこれまで一つだって男の体型ってはっきり判るような商品はなかった。あー、つまりだなっ。男性の生殖器のついたタイプのシステマってのはなかったわけ。その理由は勝亦から何度か聞いた覚えはあるが……。確か初期のシステマの身体的構成がどちらかと言えば人間の女性に近かったんだっけか。

 誓って言うが俺は性差別をするつもりはない。はっきり理解してるって訳じゃないし、理屈がどうなってるかは知らないが、とにかくだ。システマってのは生物の持つ自己治癒能力を活かすってコンセプトで作られてる。その活かすって考え方を元に作られてるからか、システマの肉体はどちらかと言えば人間の女性寄りにされてるんだと。この、どちらかと言えばってのが曲者で、ぱっと見には本当に判んないんだよな。判るのは……その、何だ。だから排泄器官の違いなんだよ。そこまで思い出して俺は慌てて頭を振った。いかん。顔が熱い。想像なんざするもんじゃねえな。たかがシステマって思っても、頭ん中ですり替わっちまう。

 いや、システマは道具なんだと強く自分に言い聞かせて俺は席を立った。ずっとこんなもん読んでるから変なこと考えちまうんだよ。そう考えるとほんと、開発の奴らって変だよな。そんなもんのこと一日中考えてるんだもんなあ……。

 オフィスを出てエレベーターホールのちょっと奥、人の目に付きにくいところに自動販売機が端に二台置かれたスペースがある。小銭を突っ込んでアイスコーヒーを買ってから傍のベンチに腰を下ろす。そこで俺はしみじみとため息をついた。こんな風にずっと会社に閉じこもってるなんて久しぶりだ。毎朝、客のとこに行く前にある程度の市場調査はするが、そんなに時間はかからない。俺みたいな手抜きじゃない、綿密な調査をするって所長に誉められてたあの中條先輩だってみんなと同じ時間に出るしな。狙いさえ間違ってなけりゃ、調査なんぞあっさり済むんだよ。だからデスクワークなんて殆どしなくていいんだな、これが。

 そんな俺が机にかじりついて二時間だぞ。疲れるって。はは、と情けない気分で笑ってから俺は腕に巻いた時計に目をやった。今時、腕時計が珍しい? ばか言っちゃいけない。外回りしてるとだな。いちいち端末だの電話だの見てらんねえ時もあるんだよ。時間確かめるのはこれが一番早い。

 誰もいない休憩スペースでコーヒー啜ってから俺はオフィスに戻った。いつの間にか事務の女性がいなくなっている。あ、そうか。昼休憩か。そういえば音楽鳴ってた気がしたな。オフィスにいなかったから殆ど聴こえなかったが。

 まあいいか、と一人で納得して俺は残ってたテキストデータを読み始めた。早いとこ読んでさっさと飯を食わないとな。休憩を入れたからか、それからの俺の作業は実にスムーズに進んだ。要するに全部理解しようとするからいけないんだよ。俺は開発の人間じゃないんだから、完全に理解なんてする必要はないんだ。要は会議で何を話しているか判る程度に把握してればいい。どうせ営業の下っ端の下っ端、会社の底辺にいる俺に意見求めてくるなんてこたあねえだろ。
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