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一章

汎用人型有機コンピュータ

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「だから今までのシステマより処理速度が上がるわけ。しかもバックアップに使えるっていうのは画期的なんだよ」

 かなり声を落として勝亦は説明している。理屈は何となくだけど判るんだよ。確かに凄いんだろうなあって雰囲気は伝わってくる。んでも考えてみろよ。あの時、たった一台で世界を救ったって言われるシステマがだよ。二台も必要な場面ってそうそうあると思うか? 俺は勝亦と同じように声を落としてそう言い返した。

 あの時の騒動は俺には壮絶に思えた。それまで冷静だった大人たちが一斉にパニックに陥る様は俺の目には脅威にしか映らなかった。宇宙に逃げようって話も出てたらしい。だがそんなリアリティのない話はこの現実では通用しない。宇宙開発ったってまだ人間が外の星で暮らせるほど進んでないわけで、数少ない宇宙ステーションにだって行ける人間は限られてる。しかも地球側が崩壊しちまったらそれこそ宇宙ステーションで働いてる奴らだってただじゃ済まない。結局、解決策がないって状態で俺たちゃ放って置かれたんだよな。少なくとも傍目には。

 後から考えてみると、俺たちにその話が伝えられた時にはもう、解決策は練られてたんじゃないかな。だから俺たちが騒いでた時間ってのは実は凄く短い。正味五時間もなかったな。で、システマのおかげで小惑星衝突って悲劇は免れた訳だが。

 そんなシステマがだぞ? 二台も必要なことってあり得るか?

「頭かたいなあ、能戸って。だから言ったじゃないか。僕らが考えてるよりずっとシステマの汎用性は重要になって来てるんだよ」

 そう言いながら勝亦が顔をしかめる。あ、そうか。確かにこんなとこで話すことじゃないかも知れないな。どこに商売敵が潜んでるか判らない。場所変えるか、と訊くと勝亦は素直に頷いた。

 きっちり勝亦に奢ってもらってから俺は自宅に向かった。何で俺の家かって? 理由は簡単。俺の家の方が飲み屋から近いからだ。まあ、とは言ってもたかだか十分程度の差だけどな。

 マンションのエレベーターで四階に上がって一番奥の部屋が俺の住処だ。この辺りじゃけっこう家賃は安い方かな? だがその分、少々作りは古い。六畳二間、キッチンとユニットバス付き。まあ、典型的な一人暮らし用の部屋だな。

「おじゃましまーす……って、うわ。散らかり方は僕の部屋といい勝負だな」
「てめえの機械倉庫と比べんな」

 しかめ面で言い返して散乱してたディスクの山を足で退ける。二人が何とか座れる場所を作ってから俺はさっさと着替えた。ちなみに勝亦は開発部だから元々、堅苦しいスーツなんて着てはいない。前はそれが羨ましいと思ったものだが今はすっかり慣れちまったな。

 そもそも今の一般向けに開発されたシステマは、元来の物とは全くタイプが違う。胡座をかいてビールを飲み始めたところで勝亦は待ってました、とばかりに説明を始めた。ああ、思い出した。俺が件の2wayタイプのシステマをクライアントに宣伝する役に任命されたのも、そういえばこいつが原因だったような……。

 俺に与えられた仕事は新しいタイプのシステマの宣伝だった。が、匂わせる程度でいい。実際の商品に興味を持ってもらえるだけの情報しか呈示してはいけない。それが今日の俺の仕事だった訳だ。何故、詳しい説明をしてはいけないかと言うとだな。まだ問題の商品が完成していないからだ。どうやら開発の進行状況が思わしくないらしい。そのことは俺も事前に勝亦から嫌ってほど聞かされてた。

 そんなことを思い出していた俺はどんどんしかめ面になっていった。疲れるとこまで眉を寄せてから嫌そうな顔をしてたってことに気付く。説明してた勝亦もどうやら俺の表情が険しいことにちょっと前から気付いてたらしい。困ったような顔をしながら頭をかく。

「そんなに難しいか?」
「違う。お前のせいでかなり疲れたってのを思い出してただけだ」

 勝亦の不安そうな質問にぴしゃりと言い返して俺はため息をついた。何しろシステマの商品販売では最大手のIISだ。こんな商品が出来るかも、なんて下手に口にすれば客は情報を欲しがるに決まってる。目の色輝かせて詳しい内容を聞きたがる相手にセーブしながら情報をちらつかせるなんてな。七面倒以外の何でもないんだよっ。

 ぼやく俺を勝亦が不思議そうに見る。こいつ、判っててこの顔しやがるからな。一見、邪気がないように見える表情だが油断ならない。

「僕のせい?」

 思った通り勝亦がそんなことを吐く。阿呆か。

「全然気付きませんでしたって面、いいかげん止めろ。お前のせいじゃなかったら誰のせいだってんだ」

 俺は本当ならそんな七面倒な真似をせずに済んだんだ。たかが平の営業に過ぎない俺にそんな話が回ってきたのもひとえにこいつが原因だ。他の営業だったら耳にしないような話を俺に吹き込むからこんなことになるんだ。

 ああ、そりゃ確かに俺も聞きたがったさ。もし話に乗るんなら給料上げてやるって所長に甘いこと言われて、単純に喜んだよ。でもまさかこんなに大変だとは思ってなかったんだ。

「僕はただ部長に提案しただけだ。話に乗ることに決めたのは能戸自身だろう」

 やっぱりいつものようにあっさりと勝亦が言う。悪気はないのは判ってるが、ここまでさばさば言われると腹が立つ。むかついて黙ってた俺をどう思ったのか、勝亦が言う。

「それに僕は能戸はもっとルーズだと思っていたな。今日一日でまさか受け持ちのクライアントを全部回ってしまうとは思わなかった」

 色んな奴が学生の頃にこいつのことを陰気だと言っていた。その当時のことを思い起こしながら俺は顔をしかめた。違う、そうじゃない。こいつは平然とした顔して痛いくらいに人の傷口を踏んづけるタイプなだけだ。そして敵と定めた相手の傷口を抉って塩を塗りこめるくらいのことは平気でするんだ。それは陰気って表現で間に合うレベルじゃない。勝亦ってのは要するにもの凄く陰険なんだよ!

「面倒なことはさっさと済ませたい性分なんだよ、俺は」

 怒りたいのをぐっと堪えて俺はそう言い返した。ここで下手なことを言ったら嫌味を言われるだけじゃない。古傷まで探り出されて踏みつけられるに決まってるんだ。

「へえ? そうだっけ?」

 笑いながら勝亦が言う。どうやら奴は思い出し笑いをしているらしい。そのことには俺も気付いたが、無視することにした。誰にでも触られたくない傷ってのはあるもんだと思うが、俺の場合は勝亦に色んな傷を知られてるからな。下手に煽るとそれだけ痛い目に合うのは経験からよく知っている。

 俺をからかうことにも飽きたのか、勝亦はシステマの説明に話を戻した。

「だからな。システマというのは本来はプロ仕様だったんだ。でもそれだと汎用性に欠ける。この国で最初にシステマを導入したのは」
「フリープログラマだったうちの会社の会長が、株で儲けた金つぎ込んで趣味で導入したのが最初だろ?」

 ビールをちびちび飲みながら俺は言葉を挟んだ。すると勝亦がそう、と頷く。

「それを機に色んな会社にシステマは導入された。その段階ではまだシステマの仕様は元来のままで、扱えない開発者も多く居たんだそうだ」

 こいつが饒舌になる理由は一つきり。システマの話だからだ。へえへえ、と適当に返事をしつつ俺は横目に勝亦を見た。熱っぽい顔してるのは酔ってるからじゃない。こいつはシステマに……言い方は悪いが狂っちまってるんだ。

 中学の頃、今からきっと面白い時代になる、とこいつは宣言した。その時にも勝亦は今と同じような顔をしていた。熱っぽい、ここにいるはずなのにどこか別の場所にいるような遠い目。初めてこいつのそんな顔を見た俺は本気で心配したもんだ。こいつ、いかれちまったんじゃないかってね。

 考えてみればおかしな話だ。それまでこいつはただの一度だって何かに熱中するってことはなかった。それが、システマが世に出てきた途端に目の色を変えやがった。確かにシステマは凄いのかも知れないが、俺にはこいつが入れ込んでる理由が未だに判らない。

「開発に携わってても、実際に初期のシステマの内容を完全に把握している人間はそう多くない」

 そう前置きして勝亦は神妙な顔で語った。つまり今でも当時のシステマの内容を正確に理解してる奴はなかなかいないらしい。そのことは勝亦の説明で俺にも判った。でも何でそんな話がいきなり出てくるんだ。俺は渋い顔作って勝亦を横目に睨んだ。

「つまりは、だな。初期型は扱いにくかったんだよ。エンジニアにも」
「ああ、そういうことか」

 だから自分達の使いやすいように企業はシステマの新しいタイプを作ることにした。そして出来た物はやがてもっと広い市場に売りに出せないかという話になる。結果的に今現在、一般家庭に大量に流出しようとしているモノは初期型とは比べ物にならないくらいに中身がお粗末らしい。

 同じシステマでも最初のそれと今のそれでは内容が雲泥の差なのだと勝亦はぼそりと言った。さっきまで熱を帯びていた勝亦の目に見慣れない感情が浮いている。そう、これは多分、怒りなのではないだろうか。普段は感情の読みにくい勝亦の顔に怒りを見つけた俺は、話を聞くのも忘れて唖然としてしまった。

「改良に改良を重ねてシステマはどんどん使いやすくなった。ばかげた話だ。折角の可能性を少しずつ踏み潰してるんだからな」

 珍しく勝亦が愚痴めいたことを吐く。俺は何も言えずにただ勝亦を凝視していた。開発の連中ってみんなこんなこと考えてるのか? 使えない道具なんてあったって仕方ないし、売れんだろ。そうは思ったが俺は黙っていた。

 ひとしきり文句を言ってから勝亦がふと、困ったように笑う。どうやらいつもと違う反応をしていたことに自分で気付いたらしい。

「ああ、ごめん。だから今のシステマは初期のシステマとは全く別物だと思えばいいんだ」

 それまでの熱っぽさが嘘のようにさらりと勝亦が言う。ふうん、と曖昧に返事して俺はこっそりとため息をついた。要するに今のシステマは勝亦にとっては薄っぺらなんだろ。俺は自分の中で勝手にそう解釈した。だって判んねえだろう。誰でもがシステマに詳しい訳じゃないってのは判ったが、俺なんざど素人だぞ。説明されたところで理解なんて到底、出来る訳ない。というか、したくない。相当うんざりした顔をしてたんだろうな。俺を見て勝亦がやれやれとため息を吐く。

「判り易く言うと」

 そう前置きして勝亦は言った。市場拡大のために使い易くしたはいいが、今度は逆に性能的に足りなくなった。だから二台必要なのだという。そりゃまあな。確かに勝亦が言うように中身が極薄になっているなら、必要と思う奴もいるかも知れないな。だがシステマは道具だ。使い易さがあってこそ市場に多く出回るってもんだろう。

「だから使い易さと性能を同居させるシステムが、今の僕たちがやろうとしてることで」
「あー、もう判ったって」

 投げやりに言った途端に勝亦が押し黙る。しばし黙った後、勝亦は低い声で言った。

「……判ってないだろう」
「いや、うん。判るよ。判る」

 機嫌悪そうだなあ、とは思ったが俺はいつものようにそう言った。いちいち理解なんざしてられっかよ。第一、俺は勝亦の要望の通りにクライアントに情報提示はしたつもりだ。だから勝亦も素直に奢ることにしたんだろうが。普通、営業担当者がそこまで開発部の奴の言うこときくなんてねえだろ。それで十分じゃないか。そもそも俺は道具に固執なんざしてねえっての。

「所長には厭味たらたら言われるし、俺にしてみりゃ踏んだり蹴ったりだ」

 不服をめいっぱい込めて俺は毒づいた。厭味、と呟いて勝亦がしかめ面になる。だから、とうんざりした気分でため息と一緒に吐き捨てる。

「俺は覚悟してったんだよ、これでも。未知の商品の話をしなけりゃってんで、下手したらくびとか思ってたんだって」

 営業の人間が開発部の一部の人間と親しいってだけで、俺は周りに目をつけられてたりする。酷い奴になると開発部の回し者なんてことも言いやがる。冗談じゃない。俺だって予定通りに商品が上がってこない時は皆と同じように迷惑被ってんだ。特別に本当のところのスケジュールを教えてもらってたりするんでしょう? 何てなことを言うばかもいたり……うわ、むかつく奴のこと思い出しちまった。

「クライアントに先に情報が行ってたと」

 俺の怒り混じりの説明を聞いて、事もあろうに勝亦は笑い出しやがった。このやろう。

「ああ、そうだよ! 店で俺がどんだけ間抜けだったことか!」
「それはたぶんに調査不足だろ。仮にも営業の端くれが何してるんだ。いくら僕でもお前にそんなやばいことさせる訳がないじゃないか」

 うわ、すげえむかつく。何でよりによってこいつに所長と同じこと言われなきゃならないんだ。しかも楽しそうに笑いながら言うな。
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