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一章
大学にて
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それから数分後、チャイムが鳴ると同時に美恵が今日の講義はこれで終わり、とあっさり講義終了の合図を出す。学生たちはそれぞれがテキストやノートをまとめて講義室の外に向かっていく。順は不自然に見えないよう、出来るだけゆっくりとホワイトボードに書かれた内容をノートに書き取った。意図した通りに広々とした講義室に美恵と二人きりになる。
「今日はどうしたの? 寝坊でもした?」
くすくすと笑いながら美恵が順に声を投げかける。それまでノートに向かっていた順は顔を上げて頷いてみせた。だがそれで美恵は納得しなかったらしい。テキストを小脇に抱えて順の座る席に近付いてくる。
美恵はかつて順と同じようにこの講義室で学んでいたという。この学校では教授たちの間でも評判が良く、出来のいい学生だったようだ。だがひょんなことから美恵は唐突に留学することになる。
国外の学校でも美恵は優秀だったようだ。そして美恵は向こうの大学課程を修得した後、この学校に戻った。留学したのが大学一年の冬。そして戻ったのが本来なら大学三年であるはずの春だった。つまり約二年という短い期間で美恵は向こうの大学の課程を全て修了してしまったのだ。
当時の大学は大騒ぎになったらしい。通常、一人の学生が留学した後、復学しただけならそんな騒ぎにはならなかっただろう。問題は美恵のバックグラウンドだったのだ。
篠塚グループ。順は無言で美恵の動きを目で追った。美恵は当り前の顔をして順の隣に腰を下ろす。長い髪を背中に払い、笑みかけてくる美恵に邪気らしいものは感じない。が、その笑顔も美恵が意図して作り出しているものだと順は理解していた。
ごく普通に暮らしている人々は恐らく篠塚と聞いても何も判らないだろう。が、順はその名に聞き覚えがあった。幼い頃、木村の屋敷に挨拶に来ていた面々の中に篠塚グループ代表の顔があったからだ。
篠塚グループの主な取引相手は通常の企業ではない。政府や軍といった特殊な組織だ。篠塚グループはこの国だけではなく、国外にも強力なパイプを持っている。それ故に大きな企業のトップに座るような者たちは篠塚には一目置いているらしい。尤も、それらの情報は順が家を出た後から得たものだ。
復学後、美恵は当時では考えられなかったスピードでこの学校を卒業した。つまり特別措置、という訳だ。だがそれは学校関係者が美恵のバックにある篠塚を恐れただけではない。美恵自身が優秀だったために取られた措置でもあった。
そして美恵は若くして助教授の席につくことになった。
「ん? どうしたの?」
まじまじと見つめる順に美恵が微笑みながら声をかける。順はいえ、と短く返事して何でもないという意味をこめて首を横に振った。
美恵は代表の娘ということで時によっては腫れ物に触るような扱いを受ける。だがそれを美恵自身は逆に利用しているようだ。現に今の美恵の地位は、バックにある篠塚グループの力で獲得したようなものだ。美恵はそのことを悩んだり悔やんだりするタイプではない。あるもの、使えるものは最大限に利用してのし上がっていく。その美恵の使えるものの中に女という要素があるのだが、この時点で順はまだそのことに気付いていなかった。
自分の置かれた環境を上手く利用する美恵に順は好感を持っていた。美恵の強かさが羨ましい。だが誰もが好意的に美恵を見てはいないようだ。噂を耳にした学生の中にはあからさまに美恵を侮蔑する者もある。
そういえばあいつも嫌いだったな。何とはなく和也のことを思い出して順は内心で苦笑した。
細い眼鏡を外した美恵が意味ありげな笑みを浮かべる。視線に気付いた順は、何事かと簡潔に問い掛けた。すると美恵が困ったような顔をする。上目遣いに見つめる美恵が何を言おうとしているのか理解出来ず、順は首を傾げた。時々、美恵はこんな風に意味の判らない行動を取る。もっとも、美恵にしてみれば順に色目を使っているつもりなのだが、順はそのことを全く理解していなかった。
「もう……つれないんだから」
「はい?」
素のままで返した順に美恵がしなだれかかる。本格的に意味が訳が判らなくなった順は慌てて美恵を押し戻した。肩を押された美恵が拗ねたように唇を尖らせる。
「あの、今日もお借りしたいんですけど構いませんか」
美恵の機嫌が少し悪くなったことは判ったが、順はいつも通り訊ねた。すると案の定、美恵が不服の声を上げる。どうしよっかなあ、と意地悪く言いながらそっぽを向く。だが美恵のこんな反応を順は見慣れていた。じっと黙って待っているとやはりいつものように美恵が折れる。
「しょうがないなあ。木村君の頼みじゃ断れないわよね」
最初から順が何を言うかを知っていたのだろう。美恵はスカートのポケットから一本の鍵を取り出した。順の左手を取って手の中に鍵を押し付ける。順は自分の手をじっと見下ろして礼を言った。が、それでも美恵は手を離そうとしない。
「今夜、夕食でも一緒にどう?」
鍵ごと順の手を握って美恵が誘ってくる。この時の美恵の声はこれまでに聞いたどんな声より甘く優しかった。だが順はそこにどんな意味があるのかを理解出来ず、即座に首を横に振った。
「いえ、今日もアルバイトが入ってますから」
そう言いながら順は出来るだけ邪険にならないよう、美恵の手を解いた。口を押さえて咳をしつつ、ポケットに大事に鍵をしまう。美恵が咎めるように睨んでいたが順はあえてそれに気付かないふりをして講義室を出た。
もしかして食事の誘いを断ったのはまずかっただろうか。そう思いつつも順は美恵が何で拗ねていたのか理解出来なかった。そもそも、順が夜にはアルバイトを入れていることを美恵は知っている。なのに何故、わざわざ食事などに誘ったのだろう。熱でふらつく頭を押さえ、順はのろのろと廊下を進んだ。
昼休憩に入ったキャンパスは学生たちの声に満たされている。順は出来るだけ人目につかないよう、人通りの少ない廊下を選んで歩いた。オカルトサークルや超常現象研究室、などといったマイナーなサークル室の並ぶ廊下を咳き込みながら進む。途中、見知らぬ学生がドアから顔を出したが、すぐに室内に引っ込んでしまった。どうやら順を勧誘しても無駄と直感で理解したらしい。やれやれと呟いて順はそのドアを横目に眺めながら先を急いだ。
目的の部屋は校舎の外れ、人の殆どこない場所にある。両隣は倉庫という徹底ぶりに苦笑しながら順はドアの鍵を開けた。立て付けの悪いドアを軽く蹴飛ばす。大きな軋みを立てて開いたドアの中に順は滑るようにして入った。
雑多に書類の乗せられた長机がまず目に留まる。ほこりっぽいその部屋を順はぐるりと見回した。掃除すら殆どされていないこの部屋は何故か落ち着ける。壁を埋め尽くしている書棚にはファイルや本が乱雑に詰め込まれ、その上、誰が使うのか判らないタイプライターまで押し込まれている。書類からは付箋があちこちに向かって飛び出し、メモ書きが挟まれている。
順はおもむろに書棚に近付いてメモ書きを抜いた。まるで暗号にしか見えない走り書きの下に年月日が記されている。十年以上前のその日付を読んで順は思わず顔をほころばせた。
ずっと昔、まだこの学校がこじんまりとしていた頃、ここに一人の研究者が居た。話してくれた美恵は酷く嫌そうにしていたが、順は話に出てきた男にとても興味を持った。大学の中でも奇異な人物として男は有名だったらしい。老いて亡くなるまで、ずっとこの部屋にこもって研究を続けていたという。
その研究は結局、未だに日の目を見てはいない。が、地球環境についてはそろそろ世間も関心を持ち始めた頃だ。理想の形と現実とのギャップがある限り、決して無視出来ない問題だろう。そして世間の関心が深くなればきっと男の研究も表に出る。その時のことを想像しながら順はメモ書きを同じところにしまった。
書棚で仕切られた部屋の奥には一台の端末が設えられている。あえて美恵がここを選んで運び込んだのは人目につかないと思ったからだろう。実際、学生だけではなく教授の中にもここに端末が置かれていることを知らない者もある。
美恵はこの端末をとある知り合いから譲り受けたらしい。はっきりとした出所を美恵は自分からは明かさないが、恐らくどこかの軍の払い下げだろう。順は端末の電源を入れてパイプ椅子を引いた。モニタ画面がゆっくりと明るくなる。黒い画面に緑色の文字が表示されたのを確認して順はキーボードに手を乗せた。
この部屋の主だった男は結婚せずに一生を終えた。人に言わせれば寂しい人生なのかも知れない。が、順はそんな男の生き方が少し羨ましかった。研究一筋で生きる。言葉にすれば簡単だが、それを貫き通すのは大変だったのではないだろうか。幾ら研究熱心であっても男も人間だ。きっと人の言うように寂しいと感じることもあっただろう。だがそれでも男はただひたすら研究に心血を注いだ。
俺にはきっと出来ないな。そう呟くと同時に順は激しく咳き込んだ。どうやら熱が上がってきているらしい。顔をしかめて咳の衝動をやり過ごしてから順は改めてモニタに向き直った。
大きなキーボードとモニタの乗った机の下に端末は納まっている。机の下いっぱいに置かれているために足を思い切り伸ばすのは無理だ。順は机の下を一度、覗いてから端末が正常に動いていることを確認した。次いで、引出しからディスクを取り出す。起動させるために必要なシステムファイルを端末に入れる。それから順はおもむろに立ち上がって書棚の一つに近付いた。
並んだファイルの背表紙を目でたどる。誰かが書棚の中を触った形跡はない。注意深くそのことを確認してから順は一つのファイルを取り上げた。タイトルも何もないファイルの中にはまばらに写真が入れられている。鉱石や地層を写したそれらを一枚ずつめくり、順は目当てのものを抜き出した。あらかじめ順が隠しておいたディスクの表面には日付だけが書かれている。手早くファイルを書棚に戻し、順は再度端末の前に腰を下ろした。
パスワードを要求される。指定されたパスワードを入力すると、端末は正常に立ち上がった。手にしていた別のディスクを端末に仕掛ける。そこで順はふと振り返った。一応、人気のないことを確認してから目当てのデータを表示させる。
暗い画面がゆっくりと白く染まっていく。順は自然と緊張しつつその様を見守った。
「今日はどうしたの? 寝坊でもした?」
くすくすと笑いながら美恵が順に声を投げかける。それまでノートに向かっていた順は顔を上げて頷いてみせた。だがそれで美恵は納得しなかったらしい。テキストを小脇に抱えて順の座る席に近付いてくる。
美恵はかつて順と同じようにこの講義室で学んでいたという。この学校では教授たちの間でも評判が良く、出来のいい学生だったようだ。だがひょんなことから美恵は唐突に留学することになる。
国外の学校でも美恵は優秀だったようだ。そして美恵は向こうの大学課程を修得した後、この学校に戻った。留学したのが大学一年の冬。そして戻ったのが本来なら大学三年であるはずの春だった。つまり約二年という短い期間で美恵は向こうの大学の課程を全て修了してしまったのだ。
当時の大学は大騒ぎになったらしい。通常、一人の学生が留学した後、復学しただけならそんな騒ぎにはならなかっただろう。問題は美恵のバックグラウンドだったのだ。
篠塚グループ。順は無言で美恵の動きを目で追った。美恵は当り前の顔をして順の隣に腰を下ろす。長い髪を背中に払い、笑みかけてくる美恵に邪気らしいものは感じない。が、その笑顔も美恵が意図して作り出しているものだと順は理解していた。
ごく普通に暮らしている人々は恐らく篠塚と聞いても何も判らないだろう。が、順はその名に聞き覚えがあった。幼い頃、木村の屋敷に挨拶に来ていた面々の中に篠塚グループ代表の顔があったからだ。
篠塚グループの主な取引相手は通常の企業ではない。政府や軍といった特殊な組織だ。篠塚グループはこの国だけではなく、国外にも強力なパイプを持っている。それ故に大きな企業のトップに座るような者たちは篠塚には一目置いているらしい。尤も、それらの情報は順が家を出た後から得たものだ。
復学後、美恵は当時では考えられなかったスピードでこの学校を卒業した。つまり特別措置、という訳だ。だがそれは学校関係者が美恵のバックにある篠塚を恐れただけではない。美恵自身が優秀だったために取られた措置でもあった。
そして美恵は若くして助教授の席につくことになった。
「ん? どうしたの?」
まじまじと見つめる順に美恵が微笑みながら声をかける。順はいえ、と短く返事して何でもないという意味をこめて首を横に振った。
美恵は代表の娘ということで時によっては腫れ物に触るような扱いを受ける。だがそれを美恵自身は逆に利用しているようだ。現に今の美恵の地位は、バックにある篠塚グループの力で獲得したようなものだ。美恵はそのことを悩んだり悔やんだりするタイプではない。あるもの、使えるものは最大限に利用してのし上がっていく。その美恵の使えるものの中に女という要素があるのだが、この時点で順はまだそのことに気付いていなかった。
自分の置かれた環境を上手く利用する美恵に順は好感を持っていた。美恵の強かさが羨ましい。だが誰もが好意的に美恵を見てはいないようだ。噂を耳にした学生の中にはあからさまに美恵を侮蔑する者もある。
そういえばあいつも嫌いだったな。何とはなく和也のことを思い出して順は内心で苦笑した。
細い眼鏡を外した美恵が意味ありげな笑みを浮かべる。視線に気付いた順は、何事かと簡潔に問い掛けた。すると美恵が困ったような顔をする。上目遣いに見つめる美恵が何を言おうとしているのか理解出来ず、順は首を傾げた。時々、美恵はこんな風に意味の判らない行動を取る。もっとも、美恵にしてみれば順に色目を使っているつもりなのだが、順はそのことを全く理解していなかった。
「もう……つれないんだから」
「はい?」
素のままで返した順に美恵がしなだれかかる。本格的に意味が訳が判らなくなった順は慌てて美恵を押し戻した。肩を押された美恵が拗ねたように唇を尖らせる。
「あの、今日もお借りしたいんですけど構いませんか」
美恵の機嫌が少し悪くなったことは判ったが、順はいつも通り訊ねた。すると案の定、美恵が不服の声を上げる。どうしよっかなあ、と意地悪く言いながらそっぽを向く。だが美恵のこんな反応を順は見慣れていた。じっと黙って待っているとやはりいつものように美恵が折れる。
「しょうがないなあ。木村君の頼みじゃ断れないわよね」
最初から順が何を言うかを知っていたのだろう。美恵はスカートのポケットから一本の鍵を取り出した。順の左手を取って手の中に鍵を押し付ける。順は自分の手をじっと見下ろして礼を言った。が、それでも美恵は手を離そうとしない。
「今夜、夕食でも一緒にどう?」
鍵ごと順の手を握って美恵が誘ってくる。この時の美恵の声はこれまでに聞いたどんな声より甘く優しかった。だが順はそこにどんな意味があるのかを理解出来ず、即座に首を横に振った。
「いえ、今日もアルバイトが入ってますから」
そう言いながら順は出来るだけ邪険にならないよう、美恵の手を解いた。口を押さえて咳をしつつ、ポケットに大事に鍵をしまう。美恵が咎めるように睨んでいたが順はあえてそれに気付かないふりをして講義室を出た。
もしかして食事の誘いを断ったのはまずかっただろうか。そう思いつつも順は美恵が何で拗ねていたのか理解出来なかった。そもそも、順が夜にはアルバイトを入れていることを美恵は知っている。なのに何故、わざわざ食事などに誘ったのだろう。熱でふらつく頭を押さえ、順はのろのろと廊下を進んだ。
昼休憩に入ったキャンパスは学生たちの声に満たされている。順は出来るだけ人目につかないよう、人通りの少ない廊下を選んで歩いた。オカルトサークルや超常現象研究室、などといったマイナーなサークル室の並ぶ廊下を咳き込みながら進む。途中、見知らぬ学生がドアから顔を出したが、すぐに室内に引っ込んでしまった。どうやら順を勧誘しても無駄と直感で理解したらしい。やれやれと呟いて順はそのドアを横目に眺めながら先を急いだ。
目的の部屋は校舎の外れ、人の殆どこない場所にある。両隣は倉庫という徹底ぶりに苦笑しながら順はドアの鍵を開けた。立て付けの悪いドアを軽く蹴飛ばす。大きな軋みを立てて開いたドアの中に順は滑るようにして入った。
雑多に書類の乗せられた長机がまず目に留まる。ほこりっぽいその部屋を順はぐるりと見回した。掃除すら殆どされていないこの部屋は何故か落ち着ける。壁を埋め尽くしている書棚にはファイルや本が乱雑に詰め込まれ、その上、誰が使うのか判らないタイプライターまで押し込まれている。書類からは付箋があちこちに向かって飛び出し、メモ書きが挟まれている。
順はおもむろに書棚に近付いてメモ書きを抜いた。まるで暗号にしか見えない走り書きの下に年月日が記されている。十年以上前のその日付を読んで順は思わず顔をほころばせた。
ずっと昔、まだこの学校がこじんまりとしていた頃、ここに一人の研究者が居た。話してくれた美恵は酷く嫌そうにしていたが、順は話に出てきた男にとても興味を持った。大学の中でも奇異な人物として男は有名だったらしい。老いて亡くなるまで、ずっとこの部屋にこもって研究を続けていたという。
その研究は結局、未だに日の目を見てはいない。が、地球環境についてはそろそろ世間も関心を持ち始めた頃だ。理想の形と現実とのギャップがある限り、決して無視出来ない問題だろう。そして世間の関心が深くなればきっと男の研究も表に出る。その時のことを想像しながら順はメモ書きを同じところにしまった。
書棚で仕切られた部屋の奥には一台の端末が設えられている。あえて美恵がここを選んで運び込んだのは人目につかないと思ったからだろう。実際、学生だけではなく教授の中にもここに端末が置かれていることを知らない者もある。
美恵はこの端末をとある知り合いから譲り受けたらしい。はっきりとした出所を美恵は自分からは明かさないが、恐らくどこかの軍の払い下げだろう。順は端末の電源を入れてパイプ椅子を引いた。モニタ画面がゆっくりと明るくなる。黒い画面に緑色の文字が表示されたのを確認して順はキーボードに手を乗せた。
この部屋の主だった男は結婚せずに一生を終えた。人に言わせれば寂しい人生なのかも知れない。が、順はそんな男の生き方が少し羨ましかった。研究一筋で生きる。言葉にすれば簡単だが、それを貫き通すのは大変だったのではないだろうか。幾ら研究熱心であっても男も人間だ。きっと人の言うように寂しいと感じることもあっただろう。だがそれでも男はただひたすら研究に心血を注いだ。
俺にはきっと出来ないな。そう呟くと同時に順は激しく咳き込んだ。どうやら熱が上がってきているらしい。顔をしかめて咳の衝動をやり過ごしてから順は改めてモニタに向き直った。
大きなキーボードとモニタの乗った机の下に端末は納まっている。机の下いっぱいに置かれているために足を思い切り伸ばすのは無理だ。順は机の下を一度、覗いてから端末が正常に動いていることを確認した。次いで、引出しからディスクを取り出す。起動させるために必要なシステムファイルを端末に入れる。それから順はおもむろに立ち上がって書棚の一つに近付いた。
並んだファイルの背表紙を目でたどる。誰かが書棚の中を触った形跡はない。注意深くそのことを確認してから順は一つのファイルを取り上げた。タイトルも何もないファイルの中にはまばらに写真が入れられている。鉱石や地層を写したそれらを一枚ずつめくり、順は目当てのものを抜き出した。あらかじめ順が隠しておいたディスクの表面には日付だけが書かれている。手早くファイルを書棚に戻し、順は再度端末の前に腰を下ろした。
パスワードを要求される。指定されたパスワードを入力すると、端末は正常に立ち上がった。手にしていた別のディスクを端末に仕掛ける。そこで順はふと振り返った。一応、人気のないことを確認してから目当てのデータを表示させる。
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