冥府への案内人

伊駒辰葉

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一章

端末とメインフレーム

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 順が週に三度の美恵の講義を絶対に外さないのには訳がある。もちろん、美恵の担当する環境分子生物学には多少なりとも興味はあった。だが順は講義内容より美恵の背景に興味を覚えて受講し続けた。

 美恵の講義を受講する学生の中で順の成績はトップだ。最初は他の学生と同様、順のことは歯牙にもかけていなかった美恵もその成績を目の当たりにして態度をがらりと変えた。平たく言えば他の学生たちの目にも判るほどにはっきりと順に擦り寄ってきたのだ。

 その若さ故に美恵は背景に篠塚グループがあっても学内に信望者はいない。それが今現在の美恵の悩みどころだったようだ。周囲を押しのけて今の地位についたはいいものの、今ひとつ手ごたえがなかったのだろう。美恵は嬉々として順に近付いてきた。順が大学卒業後も院に進み、やがて自分の下に就くのだと美恵は思っている。そして順の周囲にいる学生たちや教授の面々も美恵と同じことを考えているようだ。現に順は事あるごとに美恵の部下のように扱われる。

 だがそれこそが順の望むところだった。美恵と近しくなれれば何でもいい。将来的に下に就く気はないが、そう勘違いしてくれなければ困る。でなければ美恵は順に必要以上に心を許したりはしなかっただろう。

 結果的に順は望んでいた情報を手にすることが出来た。それは美恵の持っていた端末を介して引き出したものだ。順は美恵がこの端末を所持していることを知っていたのだ。

 美恵はどこかから貰ってきたはいいものの、この端末をほとんど使ったことはないようだ。それも当然だ。現在、美恵の担当する環境分子生物学で端末を利用してすることはない。使うとしてもせいぜいがデータ整理目的だろう。が、そもそも美恵は端末の扱い方を殆ど知らないらしいのだ。

 そのために端末は放置されていた。学内にある端末の所有者が美恵だと知った順は美恵に近づき、その端末を貸してくれるように頼んだのだ。理由は何でもよかった。レポートのためのデータ整理という理由で美恵もあっさりと納得したらしい。順の申し出は驚くほど易々と通った。

 以来、順は週に一度、こうして端末と向き合っている。この端末そのものからは順の欲しかったデータはどれだけ探しても出てこない。順の目当てはこの端末の通信機能なのだ。

 木村財閥の所有するオフィスビルの一角には巨大なコンピュータが設えられている。順が操る端末はそのメインフレームにアクセスすることが可能なのだ。だが木村のメインフレームにアクセスするには幾重にも施されたセキュリティシステムをかいくぐる必要がある。それ故に一度の操作で得られる情報は少ない。長時間のアクセスは逆にこちらの存在を相手側に報せることになってしまうからだ。

 一年以上をかけて少しずつ集めた情報は全てディスクに保存されている。今日もまた、順はいつものように木村のメインフレームにアクセスした。慎重にパスワードを打ち込んでいく。一つ、また一つとパスワードをクリアして順はようやく目的のデータベースに侵入した。ここまで辿り着くためにはどうやっても五分はかかる。順は緊張に身を硬くしながらずらりと並んだフォルダ名を素早く読んだ。

 白い背景に黒い文字の並ぶ画面が急に揺らぐ。怪訝に思いながら順は目をこすった。視線を少しだけずらしてモニタ画面から外す。どうやら視界全体がぐらついているらしい。順は舌打ちをして額を押さえた。

「これはちょっとやばいかな」

 確実に体温が上がっている。順は苦しさに眉を寄せて呟くと身体全体で浅い呼吸を繰り返した。衝動に任せて何度か咳き込む。

「とに、かく……切断、しないと」

 これでは情報を探るどころではない。のんびりしていたら足がつく危険性がある。熱で朦朧としつつも順は繋がっていたメインフレームから端末を切り離した。その間に幾たびも咳の衝動に襲われる。ぐらつく頭を押さえつつ、順は熱に浮かされた目で画面を見つめた。何気なくディスクに収めたデータを表示させる。

 画面には順が生まれる数年前の出来事が綴られた文書が表示されていた。とある場所のトンネル工事の際、奇妙なものが発見された。それは硝子のようなケースに入った一人の若い男性だった。現場は大騒ぎになり、第一発見者は酷く怯えていたという。

 当時の事件を示すデータを順は横目に眺めた。苦しさに胸を押さえて何度も咳き込む。だがどれだけ咳をしても少しも気分が良くならない。震える指を伸ばしてキーボードに触れてから、順は屈めていた身体を強引に起こした。背もたれに深く身体を預ける。

 発見者が怯えた理由は硝子ケースの中身にあった。それは一見、死体にしか見えず、発見者はとんでもないものを掘り出してしまったと思ったのだろう。発見者はその事件後、現場を離れて全く違う仕事に就いている。

 だがその事件は闇から闇へと葬られ、表沙汰にはならなかった。当時のことを知る者たちは殆どが口を封じられたらしい。皮肉なことに、現場から真っ先に逃げ出した発見者だけが今でもひっそりと生き残っている。だがそれらの情報はメインフレームには存在してはいない。順が自分で得た情報を元に時間をかけて独自に調べ出したものだ。

 第一発見者のことを除き、あの事件の情報がどうして木村のメインフレームに入っているか。答えは簡単だ。木村はあらゆる手段を講じ、掘り出された問題のケースを研究や分析する権利を独占してしまったのだ。そしてその事実を外部から完全に切り離してしまったのだ。

 掘り出した硝子のようなケースは蓋を開けるまでに一年かかったとある。ケースの中に横たわる男性がどんな状態に置かれているのかは、蓋を開けた今もなお判らない。いや、それ以前に男性と思われるそれが人間なのかどうかすら解明していないのが現状だ。何しろこの男性は呼吸をしてはいない。心臓も脈打っていない。なのに身体はまるで生きているかのように保たれている。研究者の中にはケース内に特殊なガスが入っていたのではないか、という者もある。が、それだけでは男性の身体の状態は説明出来ない。何しろ今に至るまで、男性の身体は掘り出された時のまま、何の処置もしていないのに綺麗な状態で維持されているからだ。

 ヒトではないモノ。それが現在、男性に関して研究者たちの間で一致している見解だ。そして彼らの間では一つの仮説が成り立っている。

 順は口許を手で覆って苦しさに目をかたく閉じた。気分の悪さに加えて苛立たしさがこみ上げてくる。刻んでも刻んでも抜群の治癒力で修復されてしまう特殊な身体。それがケースの中の男性の身体だ。それを死体であると言い切るのは人間ならとても乱暴な話だ。が、研究者たちの仮説であればその理屈も成り立ってしまうらしい。

 気持ち悪い。苦しい息をつきながらそう呟いて順は机に寄りかかった。画面に表示された文字が歪んで見える。まともに思考できないことに舌打ちをして順は端末の電源を落とした。モニタが連動して暗くなる。動作音の消えた室内は急に静かになった。順の荒い息遣いだけが響く。

 木村の当主はヒトではあり得ないモノを手に入れた。そしてそれを利用出来ないかと考えた。研究に研究を重ね、実験を繰り返す。最初は小動物を相手に実験は行われていたが、やがてそれは人体実験へと移行していく。

 順はよろけながら立ち上がった。ぐらりと傾いだ身体が机にぶつかる。苦しさに呻きつつ順は何とかドアにたどり着いた。とにかくここから出よう。そう思いながらドアを開ける。

 鍵をかけたところで順は深く息をついた。この状態ではまともに情報を探るどころかデータを見ることもままならない。とりあえず鍵を返そう。そう思って順は歩き出そうとした。

 頭の中がぐらりと揺れる。順の視界は一瞬、真っ暗になった。そのまま意識を失いかける。

「木村!?」

 不意に聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。順は倒れかけていた身体を必死で立て直そうと足を踏ん張った。が、膝が砕けてその場に身体が沈む。順が床に激突する寸前に身体を支えたのは和也だった。

「なん……で……ここに」

 朦朧としつつも順は真っ先に和也にそう訊ねた。順を抱えるようにして支えながら和也が唇を尖らせる。助けてやったのにその言い草はないだろ。和也のそんなぼやきを聞き取って順は顔をしかめた。

「誰も、頼んで、ない」
「うわ、素直じゃねえやつ。いいからもう喋るな、お前は」

 力なく言った順に和也が即座に切り返す。苛立ちを感じつつも順はいつものようには言い返せなかった。低く呻いて何とか一人で立とうと試みる。だがどうしても足に力が入らない。それでも順は壁を頼りに和也を押しのけようとした。

「いい。離せ」
「いいって……あの、なあっ。そんなふらふらで言える立場か!? お前!」

 あからさまに拒んだ順に和也が声を荒らげる。壁に寄りかかりながら順は首を横に振った。

 幼い頃から周囲にはずっと監視の目が合った。順は真実を知った後にそのことを理解した。友達の顔をして近付いてくる同級生の中にも監視の役を担っていた者がいたのだ。親しげに話し掛けるその裏で順を観察しては逐一、決められた誰かに報告する。そして彼らは順の監視をする代価としてそれぞれが望みの物を手に入れていたようだ。

 彼らを恨む気はない。彼らも順の監視を仕事としてこなしていただけに過ぎないのだ。だから順は自衛手段を講じるようになった。必要最低限の会話しかしない。誰とも親しくならない。どうせ監視の目は外れない。それなら自分から他人を遠ざけた方がいい。

 熱に浮かされた順の頭には様々なことが巡っていた。憤る和也に力なく首を振る。

「ほら、とにかく家に帰れ。送るから」

 拒絶する順を無視して和也が手を伸ばす。順は目の端に捉えたその手を払い落とした。

「触るな」

 和也にそう言い置いて歩き出す。壁伝いに歩き出した順を和也は呆気に取られたようにしばらく見ていた。が、順が数歩ほど歩いたところで肩を怒らせて猛然と歩き出す。順は背後から近付いてくる気配に気付いてのろのろと振り返った。

「こんな時にまでその態度はないだろ!」

 だってあんまりタイミングが良すぎるだろう。順は心の底で和也に言い返した。朦朧としてはっきりと和也の表情を見ることが出来ない。

 近付いてきた時からずっと疑っていた。家を出た時から監視の目がどこにあるかをずっと気にしてきた。だから順は和也のことも真っ先に疑ったのだ。

 出来るだけ素っ気なく、愛想のない返事ばかりしてきた。なのに和也はそれでも近づいてくる。快活な和也を見ているだけで正直、ほっとする時もあった。どんなに順が冷たい態度をとっても和也が怒ることはない。それどころか逆に心配されることの方が多かった。

 でも、やっぱり。無意識にそう呟いて順は俯いた。怒りの表情で和也が順の腕を取る。触るな、と呻きながら順はもがこうとした。だが熱があるために身体に力がまるで入らない。弱々しく抵抗する順に業を煮やしたのか、そこで和也が怒鳴った。

「いいかげんにしろ!」

 こんな時まで意地張ってどうするんだ。続く和也の声はだが、順の耳には入らなかった。視界が一気に暗くなる。音が全て遠ざかったと思った時、順の意識は闇に沈んだ。
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