59 / 63
五章
冥界への案内人
しおりを挟む
月の美しい夜だった。辺りは月に照らされ、真夜中だというのに妙に明るかった。だが乱立する木々の間を進むと次第に周囲が暗くなる。月の細い明かりはやがて失せ、周囲には闇だけになった。
灰人は草を踏み分けて進んだ。間違いない。血の匂いをたどりながら歩くとそこには小さな影が倒れていた。まるで人影を浮き立たせるようにそこにだけ月明かりが落ちている。
気紛れを起こした灰人のことを皆は笑っていた。そのことを思い出しながらやれやれと肩を竦める。そもそも人の魂を冥界に連れる役など楽しい筈がない。なのにどうして今日に限って仕事を請け負う気になったのだろう。
小さな影は少年だった。ポケットを探ってカードを取り出す。記された名前は渡部和也。年齢と死亡時刻が記されたカードを少年に向けて軽く放る。真っ黒な薄いカードは少年の身体に吸い込まれて消えた。どうやら正解のようだ。この少年は和也という名前なのだ。
「あ……」
血に塗れて眠るように目を閉じていた和也が目をあける。
「やく、そく……守れ……なくて」
ごめんな。殆ど声にならない声で囁いて和也が薄い笑みを浮かべる。灰人は静かに傍らに膝をついて差し伸べられた和也の手を取った。どうやら和也は見間違いをしているらしい。だが手を触れ合わせた瞬間、和也も間違いに気付いたのだろう。苦しそうに息をしつつ目を細める。
「悪いな。人違いで」
まあ、そもそも人じゃねえんだが。灰人がそう呟くと和也は小声で誰、と訊ねた。眉を寄せて頭をかきながらため息をつく。
「オレはお前を冥界に案内する……まあ、平たくいやあ死神ってとこか」
「しに……そう、か」
そうだよな。和也の思いを手から読んで灰人はぴくりと眉を上げた。自殺ということだったが、妙に和也の表情は晴れている。傷だらけで血まみれになってなければあどけない表情だとも言えただろう。
「みんな……ちゃん、と……し、んだ?」
唐突に和也が告げる。灰人は周囲を見回して肩を竦めてみせた。木々は無残に幹の半ばからへし折れている。ここにだけ月明かりが落ちているのはそのためだ。苔や草も吹き飛んでいて地面が丸見えになっている。
「ああ。心配するな。お前が最後だ」
灰人はそう告げて和也の手をしっかりと握り直した。尽きかけた命の灯火はやけに細い。恐らくもう力を貸しても助からないだろう。いや、そもそも自分が力を貸したところで人間は助からない。力の方向性が死に向かっている以上、人の命を救うなどという真似は決して出来ないのだ。
だから嫌なんだ。灰人は内心でそう呟いた。
長い長い時を生きる龍神たちはみなそれぞれが命令に従って動いている。龍神の頂点に立つ主龍神の命令は龍神にとっては絶対だ。そして黒妖牙という名の冥界の王たる龍神の配下に位置する灰人は、その力の方向性を生まれた時から定められているのだ。
死。
何度、人の死を見ても慣れない。救いたいと思うのに決して自分では救えない。そのジレンマを打ち明けると皆が呆れた顔をする。黒妖牙に至っては灰人を馬鹿者呼ばわりする始末だ。
「たの、み、あるんだ、けど」
唇の端から血が伝う。灰人は無言で和也を見つめた。もう喋るな。そう言いたいのにどうしても言えない。和也はもう、自分が死んでしまうことをはっきりと自覚している。それにここに自分がいる以上、道は変えられない。
いっそのこと楽にしてやった方がいいのか。そうも思ったが灰人は懸命に息を吸って言葉を紡ごうとする和也をどうしても止められなかった。
「じゅ、ん……を……まもっ……て」
「……それはお前の友達か? それとも兄弟か?」
そう言いながら灰人は和也の額に流れる血を指でそっと拭った。
「悪いな。少し記憶を読むぞ」
和也が答える前に灰人は指についた血を舌に乗せた。体内に入った血液から情報を拾う。和也が守ってくれと言った人物の記憶だけが妙に鮮明だ。灰人はしばし無言で記憶を読んでから判った、と頷いた。
ありがとう。そう囁いて和也が安心したように目を閉じる。灰人は力を失った和也の手をそっと胸に乗せてやった。もう片方の手は既にない。爆発の衝撃で和也の片腕と足は吹き飛んでいたのだ。
静かに背を向ける。灰人は月を仰いで皮肉な笑みを浮かべた。
「くっそ、むかつく。オレはどこまで行っても死神かよ」
天を嘲りながら灰人は歯軋りをした。額に指をあてがって意識を集中させる。すると灰人を形作っていた輪郭がゆらりとぼやけた。瞬く間にその場に和也の姿が現れる。灰人は和也に変貌したその姿で俯いた。
天が滅ぼせと言うならそれに従うしか生きる道はない。
「うぜえ」
そう呟いて灰人は唇を歪めた。胸に右手を触れさせる。一気に力をこめて灰人は自らの胸に手を突きたてた。その瞬間、全身に嫌な汗が噴き出す。だがそれに構わず灰人は自分を形作るものを手で探った。
命令なんざききたかねえ。オレの道はオレが決める。それで例え命が尽きても本望だ。
灰人は歯を食いしばって胸から手を抜いた。ずるりという不快な音と共に手が引きずり出される。灰人は握りしめた黒い宝珠を天に掲げて嗤った。
「人のことを、オレたちが勝手にどうこうしていいもんじゃねえだろがよ!」
叫び声が周囲に響き渡る。灰人の手にした黒い宝珠が一瞬で形を変える。巨大な鎌を両手で握り、灰人は怒号を発しながら周囲に力を放った。振った鎌が空気を切る。和也の亡骸を巻き込んで、辺り一面に炎が燃え上がる。燃え盛る炎の中で和也の亡骸は灰になった。
ずっと人々のことを見守っていたかった。幸せそうに笑う人々の顔を見るのがとても好きだった。あらゆる災厄から守れる役を本当は望んでいたのに。
「くそったれ」
轟音を立てて燃える炎の中で和也となった灰人はそう呟いた。
灰人は草を踏み分けて進んだ。間違いない。血の匂いをたどりながら歩くとそこには小さな影が倒れていた。まるで人影を浮き立たせるようにそこにだけ月明かりが落ちている。
気紛れを起こした灰人のことを皆は笑っていた。そのことを思い出しながらやれやれと肩を竦める。そもそも人の魂を冥界に連れる役など楽しい筈がない。なのにどうして今日に限って仕事を請け負う気になったのだろう。
小さな影は少年だった。ポケットを探ってカードを取り出す。記された名前は渡部和也。年齢と死亡時刻が記されたカードを少年に向けて軽く放る。真っ黒な薄いカードは少年の身体に吸い込まれて消えた。どうやら正解のようだ。この少年は和也という名前なのだ。
「あ……」
血に塗れて眠るように目を閉じていた和也が目をあける。
「やく、そく……守れ……なくて」
ごめんな。殆ど声にならない声で囁いて和也が薄い笑みを浮かべる。灰人は静かに傍らに膝をついて差し伸べられた和也の手を取った。どうやら和也は見間違いをしているらしい。だが手を触れ合わせた瞬間、和也も間違いに気付いたのだろう。苦しそうに息をしつつ目を細める。
「悪いな。人違いで」
まあ、そもそも人じゃねえんだが。灰人がそう呟くと和也は小声で誰、と訊ねた。眉を寄せて頭をかきながらため息をつく。
「オレはお前を冥界に案内する……まあ、平たくいやあ死神ってとこか」
「しに……そう、か」
そうだよな。和也の思いを手から読んで灰人はぴくりと眉を上げた。自殺ということだったが、妙に和也の表情は晴れている。傷だらけで血まみれになってなければあどけない表情だとも言えただろう。
「みんな……ちゃん、と……し、んだ?」
唐突に和也が告げる。灰人は周囲を見回して肩を竦めてみせた。木々は無残に幹の半ばからへし折れている。ここにだけ月明かりが落ちているのはそのためだ。苔や草も吹き飛んでいて地面が丸見えになっている。
「ああ。心配するな。お前が最後だ」
灰人はそう告げて和也の手をしっかりと握り直した。尽きかけた命の灯火はやけに細い。恐らくもう力を貸しても助からないだろう。いや、そもそも自分が力を貸したところで人間は助からない。力の方向性が死に向かっている以上、人の命を救うなどという真似は決して出来ないのだ。
だから嫌なんだ。灰人は内心でそう呟いた。
長い長い時を生きる龍神たちはみなそれぞれが命令に従って動いている。龍神の頂点に立つ主龍神の命令は龍神にとっては絶対だ。そして黒妖牙という名の冥界の王たる龍神の配下に位置する灰人は、その力の方向性を生まれた時から定められているのだ。
死。
何度、人の死を見ても慣れない。救いたいと思うのに決して自分では救えない。そのジレンマを打ち明けると皆が呆れた顔をする。黒妖牙に至っては灰人を馬鹿者呼ばわりする始末だ。
「たの、み、あるんだ、けど」
唇の端から血が伝う。灰人は無言で和也を見つめた。もう喋るな。そう言いたいのにどうしても言えない。和也はもう、自分が死んでしまうことをはっきりと自覚している。それにここに自分がいる以上、道は変えられない。
いっそのこと楽にしてやった方がいいのか。そうも思ったが灰人は懸命に息を吸って言葉を紡ごうとする和也をどうしても止められなかった。
「じゅ、ん……を……まもっ……て」
「……それはお前の友達か? それとも兄弟か?」
そう言いながら灰人は和也の額に流れる血を指でそっと拭った。
「悪いな。少し記憶を読むぞ」
和也が答える前に灰人は指についた血を舌に乗せた。体内に入った血液から情報を拾う。和也が守ってくれと言った人物の記憶だけが妙に鮮明だ。灰人はしばし無言で記憶を読んでから判った、と頷いた。
ありがとう。そう囁いて和也が安心したように目を閉じる。灰人は力を失った和也の手をそっと胸に乗せてやった。もう片方の手は既にない。爆発の衝撃で和也の片腕と足は吹き飛んでいたのだ。
静かに背を向ける。灰人は月を仰いで皮肉な笑みを浮かべた。
「くっそ、むかつく。オレはどこまで行っても死神かよ」
天を嘲りながら灰人は歯軋りをした。額に指をあてがって意識を集中させる。すると灰人を形作っていた輪郭がゆらりとぼやけた。瞬く間にその場に和也の姿が現れる。灰人は和也に変貌したその姿で俯いた。
天が滅ぼせと言うならそれに従うしか生きる道はない。
「うぜえ」
そう呟いて灰人は唇を歪めた。胸に右手を触れさせる。一気に力をこめて灰人は自らの胸に手を突きたてた。その瞬間、全身に嫌な汗が噴き出す。だがそれに構わず灰人は自分を形作るものを手で探った。
命令なんざききたかねえ。オレの道はオレが決める。それで例え命が尽きても本望だ。
灰人は歯を食いしばって胸から手を抜いた。ずるりという不快な音と共に手が引きずり出される。灰人は握りしめた黒い宝珠を天に掲げて嗤った。
「人のことを、オレたちが勝手にどうこうしていいもんじゃねえだろがよ!」
叫び声が周囲に響き渡る。灰人の手にした黒い宝珠が一瞬で形を変える。巨大な鎌を両手で握り、灰人は怒号を発しながら周囲に力を放った。振った鎌が空気を切る。和也の亡骸を巻き込んで、辺り一面に炎が燃え上がる。燃え盛る炎の中で和也の亡骸は灰になった。
ずっと人々のことを見守っていたかった。幸せそうに笑う人々の顔を見るのがとても好きだった。あらゆる災厄から守れる役を本当は望んでいたのに。
「くそったれ」
轟音を立てて燃える炎の中で和也となった灰人はそう呟いた。
0
あなたにおすすめの小説
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
虚ろな檻と翡翠の魔石
篠雨
BL
「本来の寿命まで、悪役の身体に入ってやり過ごしてよ」
不慮の事故で死んだ僕は、いい加減な神様の身勝手な都合により、異世界の悪役・レリルの器へ転生させられてしまう。
待っていたのは、一生を塔で過ごし、魔力を搾取され続ける孤独な日々。だが、僕を管理する強面の辺境伯・ヨハンが運んでくる薪や食事、そして不器用な優しさが、凍てついた僕の心を次第に溶かしていく。
しかし、穏やかな時間は長くは続かない。魔力を捧げるたびに脳内に流れ込む本物のレリルの記憶と領地を襲う未曾有の魔物の群れ。
「僕が、この場所と彼を守る方法はこれしかない」
記憶に翻弄され頭は混乱する中、魔石化するという残酷な決断を下そうとするが――。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
その捕虜は牢屋から離れたくない
さいはて旅行社
BL
敵国の牢獄看守や軍人たちが大好きなのは、鍛え上げられた筋肉だった。
というわけで、剣や体術の訓練なんか大嫌いな魔導士で細身の主人公は、同僚の脳筋騎士たちとは違い、敵国の捕虜となっても平穏無事な牢屋生活を満喫するのであった。
男装の麗人と呼ばれる俺は正真正銘の男なのだが~双子の姉のせいでややこしい事態になっている~
さいはて旅行社
BL
双子の姉が失踪した。
そのせいで、弟である俺が騎士学校を休学して、姉の通っている貴族学校に姉として通うことになってしまった。
姉は男子の制服を着ていたため、服装に違和感はない。
だが、姉は男装の麗人として女子生徒に恐ろしいほど大人気だった。
その女子生徒たちは今、何も知らずに俺を囲んでいる。
女性に囲まれて嬉しい、わけもなく、彼女たちの理想の王子様像を演技しなければならない上に、男性が女子寮の部屋に一歩入っただけでも騒ぎになる貴族学校。
もしこの事実がバレたら退学ぐらいで済むわけがない。。。
周辺国家の情勢がキナ臭くなっていくなかで、俺は双子の姉が戻って来るまで、協力してくれる仲間たちに笑われながらでも、無事にバレずに女子生徒たちの理想の王子様像を演じ切れるのか?
侯爵家の命令でそんなことまでやらないといけない自分を救ってくれるヒロインでもヒーローでも現れるのか?
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
追放されたおまけの聖女♂は冷徹王太子の腕の中から離してもらえない〜今さら戻れと言われても、もうこの人の魔力しか受け付けません!〜
たら昆布
BL
聖女のおまけで召喚されたと思われて追放された不憫受けが拾われて愛される話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる