冥府への案内人

伊駒辰葉

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五章

冥界への案内人

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 月の美しい夜だった。辺りは月に照らされ、真夜中だというのに妙に明るかった。だが乱立する木々の間を進むと次第に周囲が暗くなる。月の細い明かりはやがて失せ、周囲には闇だけになった。

 灰人は草を踏み分けて進んだ。間違いない。血の匂いをたどりながら歩くとそこには小さな影が倒れていた。まるで人影を浮き立たせるようにそこにだけ月明かりが落ちている。

 気紛れを起こした灰人のことを皆は笑っていた。そのことを思い出しながらやれやれと肩を竦める。そもそも人の魂を冥界に連れる役など楽しい筈がない。なのにどうして今日に限って仕事を請け負う気になったのだろう。

 小さな影は少年だった。ポケットを探ってカードを取り出す。記された名前は渡部和也。年齢と死亡時刻が記されたカードを少年に向けて軽く放る。真っ黒な薄いカードは少年の身体に吸い込まれて消えた。どうやら正解のようだ。この少年は和也という名前なのだ。

「あ……」

 血に塗れて眠るように目を閉じていた和也が目をあける。

「やく、そく……守れ……なくて」

 ごめんな。殆ど声にならない声で囁いて和也が薄い笑みを浮かべる。灰人は静かに傍らに膝をついて差し伸べられた和也の手を取った。どうやら和也は見間違いをしているらしい。だが手を触れ合わせた瞬間、和也も間違いに気付いたのだろう。苦しそうに息をしつつ目を細める。

「悪いな。人違いで」

 まあ、そもそも人じゃねえんだが。灰人がそう呟くと和也は小声で誰、と訊ねた。眉を寄せて頭をかきながらため息をつく。

「オレはお前を冥界に案内する……まあ、平たくいやあ死神ってとこか」
「しに……そう、か」

 そうだよな。和也の思いを手から読んで灰人はぴくりと眉を上げた。自殺ということだったが、妙に和也の表情は晴れている。傷だらけで血まみれになってなければあどけない表情だとも言えただろう。

「みんな……ちゃん、と……し、んだ?」

 唐突に和也が告げる。灰人は周囲を見回して肩を竦めてみせた。木々は無残に幹の半ばからへし折れている。ここにだけ月明かりが落ちているのはそのためだ。苔や草も吹き飛んでいて地面が丸見えになっている。

「ああ。心配するな。お前が最後だ」

 灰人はそう告げて和也の手をしっかりと握り直した。尽きかけた命の灯火はやけに細い。恐らくもう力を貸しても助からないだろう。いや、そもそも自分が力を貸したところで人間は助からない。力の方向性が死に向かっている以上、人の命を救うなどという真似は決して出来ないのだ。

 だから嫌なんだ。灰人は内心でそう呟いた。

 長い長い時を生きる龍神たちはみなそれぞれが命令に従って動いている。龍神の頂点に立つ主龍神の命令は龍神にとっては絶対だ。そして黒妖牙という名の冥界の王たる龍神の配下に位置する灰人は、その力の方向性を生まれた時から定められているのだ。

 死。

 何度、人の死を見ても慣れない。救いたいと思うのに決して自分では救えない。そのジレンマを打ち明けると皆が呆れた顔をする。黒妖牙に至っては灰人を馬鹿者呼ばわりする始末だ。

「たの、み、あるんだ、けど」

 唇の端から血が伝う。灰人は無言で和也を見つめた。もう喋るな。そう言いたいのにどうしても言えない。和也はもう、自分が死んでしまうことをはっきりと自覚している。それにここに自分がいる以上、道は変えられない。

 いっそのこと楽にしてやった方がいいのか。そうも思ったが灰人は懸命に息を吸って言葉を紡ごうとする和也をどうしても止められなかった。

「じゅ、ん……を……まもっ……て」
「……それはお前の友達か? それとも兄弟か?」

 そう言いながら灰人は和也の額に流れる血を指でそっと拭った。

「悪いな。少し記憶を読むぞ」

 和也が答える前に灰人は指についた血を舌に乗せた。体内に入った血液から情報を拾う。和也が守ってくれと言った人物の記憶だけが妙に鮮明だ。灰人はしばし無言で記憶を読んでから判った、と頷いた。

 ありがとう。そう囁いて和也が安心したように目を閉じる。灰人は力を失った和也の手をそっと胸に乗せてやった。もう片方の手は既にない。爆発の衝撃で和也の片腕と足は吹き飛んでいたのだ。

 静かに背を向ける。灰人は月を仰いで皮肉な笑みを浮かべた。

「くっそ、むかつく。オレはどこまで行っても死神かよ」

 天を嘲りながら灰人は歯軋りをした。額に指をあてがって意識を集中させる。すると灰人を形作っていた輪郭がゆらりとぼやけた。瞬く間にその場に和也の姿が現れる。灰人は和也に変貌したその姿で俯いた。

 天が滅ぼせと言うならそれに従うしか生きる道はない。

「うぜえ」

 そう呟いて灰人は唇を歪めた。胸に右手を触れさせる。一気に力をこめて灰人は自らの胸に手を突きたてた。その瞬間、全身に嫌な汗が噴き出す。だがそれに構わず灰人は自分を形作るものを手で探った。

 命令なんざききたかねえ。オレの道はオレが決める。それで例え命が尽きても本望だ。

 灰人は歯を食いしばって胸から手を抜いた。ずるりという不快な音と共に手が引きずり出される。灰人は握りしめた黒い宝珠を天に掲げて嗤った。

「人のことを、オレたちが勝手にどうこうしていいもんじゃねえだろがよ!」

 叫び声が周囲に響き渡る。灰人の手にした黒い宝珠が一瞬で形を変える。巨大な鎌を両手で握り、灰人は怒号を発しながら周囲に力を放った。振った鎌が空気を切る。和也の亡骸を巻き込んで、辺り一面に炎が燃え上がる。燃え盛る炎の中で和也の亡骸は灰になった。

 ずっと人々のことを見守っていたかった。幸せそうに笑う人々の顔を見るのがとても好きだった。あらゆる災厄から守れる役を本当は望んでいたのに。

「くそったれ」

 轟音を立てて燃える炎の中で和也となった灰人はそう呟いた。
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