パペットプリンセス

伊駒辰葉

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一章

学校に行く前に

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 姉の絵美佳と同じ高校に通うことを希望したのは優一郎自身だった。優一郎は鏡の前で赤いネクタイをきっちりと締めた。

「なにもたもたしてるのよ?」

 鏡の隅に映っていた絵美佳が渋面になっている。優一郎はそれを見つめ、薄い笑みを浮かべた。絵美佳は腕組みをして立っている。優一郎は振り返ってそんな絵美佳ににっこりと笑いかけた。

「姉さんこそ、だいじょうぶですか?」

 優一郎はそう言いながら首を傾げた。すると絵美佳が厳しい目をして優一郎を指差す。

「だからさっさとどけって言ってるの!」

 洗面所を占領していた優一郎に絵美佳が怒鳴る。優一郎は肩を竦めて素直にはいはい、とその場を空けた。すると絵美佳が目を吊り上げる。

「はいは一度!」

 苦笑していた優一郎に再び怒鳴りつけ、絵美佳はさっさと洗面台に向かう。優一郎は大人しくはいと答えて、絵美佳の白衣姿を眺めて微笑みを浮かべた。

 吉良家の朝は穏やかだ。両親は勤務地が近いこともあっていつものんびりと朝の時間を過ごしている。優一郎も十分に余裕をもって起床している。優一郎は新聞を広げながら食卓についた。

「優くん、おはよう」

 母親である由梨佳が微笑みながら挨拶する。キッチンに立つ由梨佳をちらりと見やってから、優一郎は新聞を顔の前に広げた。

「おはよう」

 優一郎は仏頂面で応えた。由梨佳はにっこりと笑って新聞に隠れた優一郎に頷き、キッチンに向き直る。そんな由梨佳を優一郎は新聞の陰から見た。

 由梨佳はスリムのジーンズに大き目のTシャツを着ている。姿だけはとても子持ちの主婦には見えない。だが由梨佳が酷く若々しく見えるのは、ラフな格好のせいじゃない。優一郎は目を細めて由梨佳の身体のラインを見つめた。

 今から二十年程前、父の総一郎の手によって、由梨佳はヒューマノイドと呼ばれる機械人間へ改造された。脳以外の身体の全ての部分を機械へと作り返られた由梨佳は歳を取ることは無い。改造されたその時から由梨佳の容姿は全く変化していないのだ。

 優一郎は黙って新聞を目の高さに上げた。見出しを眺めながらテーブルに乗ったコーヒーカップを取る。だが手にしたカップは何故か動かない。怪訝に思って新聞を下ろした優一郎の目の前に、いつの間にか絵美佳が立っていた。

「それ、あたしのカップ」

 見ると絵美佳が優一郎が取ろうとしたカップを押さえていた。カップの表面には愛らしい猫のキャラクターが描かれている。優一郎は苦笑してカップから手を離した。どうやら由梨佳が二人のカップを置き間違えたらしい。

 こんな風にいつも朝の時間は流れていく。時折、絵美佳が不機嫌な顔で由梨佳に食いつくことを除けば、ごく平和的な家庭の情景だ。優一郎はいつも通りに家を出て、やはりいつも通り絵美佳の隣を歩いていた。

「そいえばねえ」

 桜並木を歩きながらそんな風に絵美佳が話し掛けてくる。優一郎はカバーをかけた本から目だけを上げた。丁度、ヒューマノイドの構造についての解説部分を読んでいたところだったのだ。だが話し掛けてきた絵美佳はそれきり黙っている。優一郎は眉を寄せた。

「姉さん?」

 優一郎は訝りながら絵美佳に声をかけた。考え込むような顔をしていた絵美佳は優一郎を見やって少し笑う。

「二年二組の雨宮多輝って知ってる?」

 訊ねられた優一郎は手にしていた本を静かに閉じた。言われた名前を思い出す。入学してまだ間もないが、聞いたことのある名前だ。

「一応」

 人の彼女に次から次へと手を出す、泥棒が趣味のようなやつだ。誰かが多輝をそう評していたのを覚えている。優一郎は感慨もなくそのことを思い出しながら絵美佳に頷いた。すると絵美佳は嬉しそうに顔をほころばせた。黒縁の眼鏡が軽く弾んだ絵美佳の動きに合わせて少しずれる。

「今度作る例のアレの被検体に、ちょうどいいと思うんだけどどう思う?」

 絵美佳は嬉しそうに告げた。優一郎は驚きに息を飲み、だがすぐに苦笑を浮かべた。絵美佳の趣味の研究を止める権利は自分にはない。ついでに言えば、絵美佳には優一郎の趣味の研究を邪魔することも出来ないのだ。

 科学者である両親を持った絵美佳と優一郎は、幼い頃から科学と身近に接してきた。特に絵美佳は幼少の頃から父親を大変尊敬しており、将来は科学者になるのだと夢見ていた。そして絵美佳はその夢の通りに着々と科学者への道を進んでいる。高校では科学にはまっている変な女と言われることもあるが、絵美佳が持つ専門技術はその方面の間ではかなりの話題になっているらしい。高校を卒業すらしてしないのに気の早いスカウトが家を訪ねてきたりもしている。

 対して優一郎は幼い頃にはさほど科学には興味もなかった。小学生の頃はごく平凡な児童だったのだ。だが中学に入った頃から優一郎は科学に興味を持ち始めた。それも、絵美佳のように多方面に関して勉強した訳ではない。あくまでも優一郎の興味はヒューマノイドに限られていた。

 だが優一郎の頭脳は驚くべきスピードで知識を吸収していった。今では、ことヒューマノイドに関してなら、絵美佳すら凌ぐ知識を得ている。父の総一郎はそんな優一郎の熱心さをとても喜んだ。母親の由梨佳もだ。

 方向性の違う研究をしている以上、互いに邪魔をしないのは鉄則だ。優一郎は苦笑しながら再び本を開いた。絵美佳は多輝がいかに検体にぴったりかを力説している。うんうん、と適当に頷きながら優一郎は解説書の続きを読み始めた。
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