虫宿し

冬透とおる

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pin.02「注射器とアンプル」

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「貴重な休み時間にごめーん。早く終わらすから堪忍な」
「は、はい‥?」

誰だこの男は。

背中まで伸びる藤色の髪に、切れ長の緑の瞳。
そして、珍しい黒いスーツ。
まるで人を化かす狐の様に妖しげな雰囲気の男は、神秘的で真っ白なあの人とは正反対な冷淡な男だった。
呆然と見上げるリッカなど気に留める事も無く、男は首元のチェーンを引っ張り出してドッグタグを揺らす。

「どうもはじめまして。橘立夏君」
「え」

スーツに覚えがあった筈だ。

「人類種生存環境保護局、害虫対策課、駆除特化一班班長。代羽要(シロハ カナメ)言います。本当なら別な奴が来るはずやったんやけど、まぁ、すぐ終わらすしいいな?」

鷹のエンブレムの二連ドッグタグ。
人類種生存環境保護局。通称白服の。しかも、上官クラスの人間だ。

「へ、なんで、俺を・・?」
「ま、先にこれ確認して」

驚き口を無意味に動かすリッカを気にする事も無く、教諭のデスクに座ったシロハはリッカを丸椅子に座るよう促してA4サイズの封筒を差し出した。
今すぐ此処で確認しろという事だろう。
厳重に封をされていた封筒を破き、その中身に目を瞠った。

「……え‥」
「先月の蟯虫検査の結果ね。おめでとう。君の腹で虫が孵化しましたー」
「は?」

目を。耳を疑った。
あまりに悲惨な検査結果。
リッカの体内にいつの間にか侵入していた卵が孵化した。と。たった一枚のA4サイズのコピー用紙にたった一言。「陽性」と無情にも記載されていた。

言葉を失って書面を見つめるリッカにシロハはにやりと口元を歪めたまま手を打ち鳴らす。驚くリッカを前にしても表情を変える事は無い。
やがて、机にペン先をコツコツと当てて薄笑いを浮かべてリッカを見つめていた。


「さて、君、誰とセックスした?」

「……は?!」


呆気からんと。"難しいお年頃" のリッカに躊躇なく落とされる衝撃。
赤面し、違う意味でも言葉を失ったリッカを愉快そうに笑った。

「君の感染経路を調べときたいんや。誰と?何処で?それは初体験やった?それとも複数人?複数人恋人おったら全員教えて?みんな調べなきゃならんから。ワンナイトとかやったら可能な限り、会った場所だけでも・・」
「ちょ、ちょ‥」
「はあ、まあ、今の子らは色々早熟やなあ。何人もいてこまして‥」
「無いです!!」
「はあ?」
「無いです!!そんな経験無いです!!!俺まだ童貞だし!!!」

半ば自棄だ。
矢継ぎ早に紡がれるシロハの揶揄の応酬に、しかし、そうと知らずリッカは声を荒げてから口を噤んだ。何故初対面の人間にこんな暴露をしなくてはならないのだ。泣きそう。

「悪いわるい。揶揄い過ぎた」

シロハは明らかに落ち込んだリッカにバツが悪いのか眉を下げて笑い、アルミケースを差し出した。
手の平程の大きさのケースの中にあったのは注射器とアンプルだ。
ゴム手袋を手に、シロハが取り出したアンプルの薬液は無色透明でゴマの粒より小さな異物が一粒浮かんでいる。

「何ですか?それ・・」
「ああ。これは治療薬や。数年前までは孵化した虫への対処はできんかったけど、今は虫下しが開発されてる。これを直接打ち込めば体内の虫を安全に駆除できる」
「………」
「ほら、やるで」

色々な衝撃がありすぎてリッカの頭の中は真っ白だ。
肩を出すよう促すシロハに頷き、シャツを開けて目を逸らした。

「っ」

痛みは一瞬。
シロハは腕が良かったのか、垣間見た針の太さの割には痛みは無かったと思う。

「……終わり?」
「ほい。お疲れさん」

なんだか拍子抜けだ。
違和感が残る注射痕を強く抑えながら早々に片づけを始めたシロハを見つめた。
慣れた手付きで針とアンプルを捨てた男はリッカを尻目に帰り支度すら進めている。

「あの」
「夜までかかるけど、君の体内の虫はその薬で殺せるし、さっきの薬も自然に対外排出される。来週頭に専門の機関でもう一度検査をして終わり。や」
「はあ」
「週末までにもう一度君の担任から連絡してもらうわ。その時はもっと優しいお姉さんでも向かわせようか?」
「い、いえ‥そこまでは‥」
「君、真面目やなー」

出会った瞬間のようににたりと笑ったシロハだが、リッカの様子に今度は退屈そうに唇を尖らせる。
苦笑を返し、意味はないが肩の小さな絆創膏を撫でる。

「これだけなんですね」

以前は孵化した虫が原因でたくさんの人が苦しみ、怯えながら死んでいったらしい。が、今は特効薬があったようだ。
半信半疑。それでも感心しつつ肩を擦っていたリッカは、しかし、違和感に喉を詰まらせた。

「……?」
「どうした?」

咳払いするも違和感は拭えず、むしろ、急激に悪化。

「君?」
「ッ、ぐぅ??!」

瞬間、体がくの字に折れた。

「タチバナ君!?」

ギリギリ。
ミシミシ。

腹の中で何かが暴れまわっている。逃げ惑っている。
ベンチから落ちて床に膝を。両手を付き。のたうつリッカにシロハは駆け寄って背中を叩いた。

「あかん。我慢すんな。良いから吐き出せ!」
「うう‥」
「吐け!!」

リッカの背中を擦っていた手が背中を押し上げ、指が口の中に滑り込んで舌の奥を押し込んだ。

「ンぐうう!??」

誘発されたように異物感がせり上がる。

腹から。
喉から。

何かが急速に這い上がり、それが口まで来てしまってはもう限界だ。
耐え切れず床に吐瀉した中身は胃液と、小指程度はある針金のような細長い"何か"だった。
昼食の直後だと言うのに、食べた内容物は何もない。

「……え?」
「ほら、水」
「は、はい」

ゴム手袋を投げ捨てたシロハは保健室の冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを差し出した。
そのままリッカを座らせ、新しいゴム手袋を付けたシロハの指が細長い何かを拾い上げる。
それは半ばで不自然に削れていて、持ち上げただけでぷつりと切れてしまった。

「なん、ですか?それ‥」

勢いのまま水を飲み干したリッカを、苦い顔のシロハが見つめる。

「虫や」

そして、苦々しく一言そう言った。

「それが虫‥?じ、じゃあ俺の体から虫はいなくなったんですよね!」
「………」

しかし、細い眉を寄せ、摘まんだ虫をシャーレに移しつつ首を振る。

「悪いな。無理やったわ」
「へ?」
「これは、さっきの薬液の中にいたやつ。お前の体内にいた虫に負けて殺された」
「!」
「お前の虫は駆除できてない」
「は、はは‥まさか‥」

息が詰まる。
また揶揄われたのだろうと渇いた息で笑おうとするが、余りに真剣な目に口を塞いだ。

「ウソだろ‥?」

白服の虫が負けた。
おれの腹にはまだ虫が寄生している。

「だったら、どうすれば‥」

虫に寄生された人間は長く生きられない。
それも、孵化してしまえばもう場読み段階で、即座に駆除できなければ死んでしまう。あまりに無残な方法で。
それは誰もが知っている噂だが、もし真実なら。

「おれは、助かりますよね‥?」

まだ不快感が残っている。
腹も。喉も。口も。気持ちが悪い。
しかし、それよりもっと心臓がギュウと絞られるように痛い。
縋る様にシロハを見つめたリッカに、男は目を逸らした。

「無理や」
「は?」
「今開発されてる人工の虫でそれより安全で強い物はない。今はそれが精いっぱいの治療」

つまり、打つ手なし。

「そ、そんな…」

頭の中が真っ白だ。
肩を落とす。
なら、おれはどうすれば…。

「このままじゃお前は死ぬ。そんで、死後、死体を食い破って何らかの虫が這い出てくる‥」
「………」
「………」
「………」

虫になる。
自分の体を虫が食い破って出てくる。
想像した悍ましい光景に顔色を青くし、今にも倒れそうなリッカは懸命に冷える体を耐えてシロハを見つめ続けた。

「でも、何とかする」
「!」

そんな気が狂う程の長い沈黙を破ったのは、意外にもシロハの柔らかな声だった。
手袋を外した手が頭に載せられ、頭頂部からカサカサと袋の擦れる音がする。
それを摘まんで手の平に乗せれば、白いリボンでラッピングされたクッキーがあった。

「お前のように虫下しが効かない人間は稀に居る。でも、そいつは問題なく生きてる。完全に殺しきれなくても成長を阻害したり、徐々に弱らせて駆除する事だって出来るかも知れない」
「…助かるん‥ですか?」
「助けられるよう努力する。週末までには専門の人間を会わせるから待ってて」

シロハの言葉を何とか飲み込み、処理し、理解しする。
助かるとは言われていない。しかし、どうやら希望がない訳じゃないらしい。
胸を撫で下ろして息を吐いて安堵した。

「よ、良かった‥!」

助かるかもしれない。
虫に脅かされる恐怖はあれど、自分を助けようとしてくれる人間がいるだけで救いが見えた。

「さて。私は急ぎの仕事があるからこれで失礼するよ。君とは長い付き合いになりそうだし、私の名前だけでも覚えといて」
「わ、わかりました‥シロハ?さん‥」
「そ。じゃあ、また後日。な」

それだけ告げて、シロハは足早に保健室を出ていってしまう。
残されたリッカは男が出ていったドアを暫く見つめ続けていたが、ふと、我に返ってクッキーの袋を見下ろした。

シンプルなOPP袋の中身のクッキーはにんじんの型で作られた手作りだった。
プレーンとココアの二種類がラッピングされたクッキーは女子力というよりも、相手に対する優しさが感じられる物だ。おそらくは、シロハが誰かからもらったものなのだろう。贈った相手に申し訳なさを感じつつも有難く制服のポケットに仕舞い、ふと、スマホが指に触れて思い出した。
すっかり忘れていたが、スマホが通知音を鳴らしていた筈だ。
昼休みは終わり、既に午後の授業は始まっているなら急いだところで意味はない。内容を確認してしまえ。と。
通知を光らせるスマホのロックを解除した。

瞬間、学校のチャイムが鳴り体を跳ねさせる。



『全校生徒の皆さんにお知らせします。近隣でスズメバチの大群が目撃されています。危険ですので全員校舎内に避難してください。繰り返します‥』

「スズメバチ‥?」



スズメバチと言えばハチの中でも大型で、攻撃性が高い個体が多い種類だ。
それが大群。ゾッと体温を下げてメッセージアプリを開いた。
大量に届いているメッセージは殆どが妹や両親からだ。
ハチの騒ぎがあったからだろうか。開いて、目を疑う。



『"お兄ちゃん。外にたくさん蜂がいるよ"』

『"すごい!ハチがどんどん集まってくる。工事現場にいるみたいにすっごいうるさいw"』

『"どうしよう。教室にどんどん入ってくる"』

『"お兄ちゃん。先生が。先生が"』

『"どうしよう。何処に隠れればいい?"』


「え。なんだよ、これ‥」



妹からのメッセージは最初こそ普段は目にしない白服と蜂の光景を眺めて写真すら送ってきているだけのものだったが、次第に恐怖に怯える文面になっていった。
そこまで見て漸く窓に駆け寄り、息を呑む。

「な、んだよ‥なんだよこれ?!」

まつりの小学校までそう遠くはない。広い川を挟んで向かいだ。
だと言うのに、窓の外はとうてい直視出来ない悍ましい光景が広がっていた。

小学校の時計塔を旋回する何匹もの黄色と黒の縞模様。
空一面に羽ばたく群れは一斉に威嚇を示し、救助を続けようとする白服に容赦なく襲い掛かっているのが見えた。
学校をぐるりと囲むフェンスには白服が並び、一般の人間へ避難を呼びかけ続けている。
まつりのメッセージは数分前が最後だ。

『"大丈夫なのか!?"』

そう打ち込むとすぐさま既読が付き、返信が返って来た。

『"今、ののかちゃんと隠れてる。早く来て。お兄ちゃん"』
『"すぐに行くから部屋に隠れてろ。カギも閉めて、ハチが入ってこないようにしてろ"』
『"わかった"』

「…まつり」

ひとまずまつりは無事らしい。
それにシロハは急ぎの仕事、と言っていた。小学校に行ったのかも知れない。
力になってもらう事は出来ないだろうか。否、もしかしたらイツキがそこに居るかも知れない。

「とにかく、行くしか‥」

保健室の外では体育の授業でグランドに出ていた生徒が次々正面玄関に集まってきていて、何人もの先生の声がそれをしかりつけている。玄関からは出られない。
しかし、幸いに保健室は1階だ。リッカは躊躇なく保健室の窓から飛び出し、見つからないように身を屈めて壁伝いに素早く移動して、そのまま道路へ飛び出した。

「リッカくん!!」

教室の窓からリッカを見つけて呼び止める声があった。
あかりだ。
それに続いて何人ものクラスメイトと担任教師の声がリッカを呼ぶが、止まる事は無く、むしろ、速度を上げて走る。
強引に道路を渡って、橋で規制を掛けている白服を遠目に見るや土手を滑り降りて橋の下へ降り、くるぶし程の川をそのまま渡って学校を目指した。
多くの人が上空の蜂を警戒していて足元は殆ど見えていない。それは白服も同じだ。
だからこそ橋の下から回り込んだリッカは誰にも気付かれずにここまで来れたし、この小学校の卒業生だったリッカは生徒なら知っているフェンスの穴まで迷わず辿り着いて侵入する事が出来た。

息を整える。
学校内には多くの白服が事態に対応している筈だ。
しかし、学校内からは何人もの絶叫が響き、たくさんの犠牲が出ている事も知った。
リッカの足元には白服の物だろうバトン型のスタンガンが血に濡れて転がっている。

「そうだ!まつりは!?」

思い出したようにスマホを見れば、約束した通り隠れているらしいまつりからのメッセージは未だ届けられている。場所は動いていないらしい。西棟の三階。科学準備室だ。

「"今行くから、待ってろ"」
『"わかった"』

不安だろうまつりに意を決して足元のスタンガンを拾い、上空の蜂を見上げて気付かない白服の間を通り抜けた。
その瞬間、数台並ぶボックスタイプの白い警備車両が目に留まる。
その内の一台に白衣の男と並ぶシロハの姿を見つけた気がしていたが、リッカはそのまま走り続け、開け放たれたままの窓から校舎内に飛び込んだ。



「タチバナ!」

「ごめーーん!!」



やはり、シロハだ。





-to be continued-
次回更新は10/1(金)予定です。▼
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