推測と繋ぎし黒は

貳方オロア

文字の大きさ
上 下
147 / 180
  緑静けき鐘は鳴る【下】

16.布

しおりを挟む
大広間の畳に経机のような、だが違う小さな机を並べてぐるりと取り囲む形。

泊まり込みの社員なりアルバイトなりが各々座り、四角く囲う形に並べられた机のその上部のへん、中央にあたる位置。



大月紺慈おおつきこんじと大月深記子みきこが座っている。






朝食は簡素。
食事が終わってすぐ話し合いが始まる。

そのためにこの形になったのだろうと生祈うぶきは思った。






生祈は部屋を出てくる際に窓の外を眺めてみたのだが、鐘楼しょうろうのある位置は生祈の部屋の窓から見えない。
音は止んでいた。

なので状況は掴めないまま、今は中水流なかづるの隣に。






「朝からドタバタでね、最近あんまりいないはずの人たちも結構出入りしていたの」

食べながら小声で話す中水流。

生祈も卵焼きを頬張る。

「あんまりいないはずって、どんな人たちですか?」

「たまに見たことない? 山門までとはいかないけれど、その手前で出店でみせとか出す人」

「的屋さん……」

中水流は肯いた。

「そうじゃない人もいたみたいだけれど、遠目からだったからよく分からない」

「何かするんでしょうか」

忙しい中の情報だからアテにならないかもしれないけれどと中水流は言い添えた上で、恋愛成就キャンペーンに言及。
大月住職はキャンペーンを再開するかもしれない。

生祈たちのぐるりにいるのは社員の他、岩撫いわなで田上たがみやその他僧侶たち。






中水流なかづるの「かもしれない」は当たり、大月の口から出た言葉に反対意見が飛ぶ。

大広間の空気の圧は重みを増していく。

「正式な祈祷のご依頼です」

大月は言った。

夜差やさし商事様には、鐘楼しょうろうの梵鐘の劣化等、整備をお願いしております」

「鳴らすってことかな」

中水流は小声で言ったが生祈は少し頷いただけ。






夜差商事は両親の勤め先だ。

つまりあの連絡は、勤め先ごと慈満寺じみつじに来るという意味。






生祈はそのことで頭がいっぱいになる。



彩舞音あまねが「近くに潜伏しているかもしれないよ」と言っていたこと。

実際、そうだったのかもしれない。






アルバイトを逃げ出して一人になれる所を探そうか。
慈満寺自体を出てしまおうか。

今は夏休み中で、それ以上でも以下でもない。
アルバイトとして両親に連絡が行っていたのだ。恐らく。
だからここから一時的にでもいなくなれば……。






生祈はかぶりを振った。






慈満寺で亡くなる人の四人目が出てしまったら。
出ないかもしれない。出ない可能性の方が強い。
だけれど梵鐘を鳴らすのが両親の役割だったら余計にそれは避けたい。

そもそも梵鐘が鳴ったから死人が出るという噂でここまで来ただけで、推測はもっと別の方向に向いているのだから気にするだけ損かもしれない。

だけれど一時的にいなくなるのも、それも違う。






中水流なかづるに混じって生祈も反対意見を述べようとする。






生祈は手帳を繰る。

朝比あさひから渡された小さな古い手帳。



とりあえず堂賀どうがさんの情報に関しては何も書いていない。

「朝比堂賀」。

堂賀さんのミドルネームってなんだろう。



あまり読みやすい文字とは言えないけれど、渡してくれたのだから何か読んで解読出来たら、いいなあ。
生祈はそんな感じに思った。

ただ九十九つくも社以前のことを書いているのかもしれないというのは、なんとなく理解した。

当の朝比とは、連絡が取れず。






準備は着々と進む。
生祈も巫女姿になった。そして事務に回る。

大量に出る祈祷ふだ
その中に生祈は両親の名前を見つける。

大広間で一緒に「毛筆講習」した面々は誰一人として札書ふだかきに回されなかった。
生祈と同じく事務に回り、ただただ慌ただしく過ぎていく時間。



大月が衣に着替える中、深記子は事務方と札書きの両方をせかせか行き来している。

生祈は大月と深記子の表情を、少しの間見つめていた。






慈満寺にやって来ていた刑事も脇へ退ける。

山門から入って来る夜差商事の一団。
全員黒い服に身を包んでいる。



地下で降旗一輔ふりはたいちすけさんが亡くなって三日か四日過ぎている。
堂賀さんも目星はついていると陳ノ内じんのうちさんは言っていた。

あの刑事さんたちは、どこまで予測がついているのかな。
でも普通だったら祈祷をすることを強引に止める場面じゃないのかな。






山門の前に立ち、巫女姿で夜差やさし商事を迎える。
生祈は眼を伏せていた。両親が一団の中にいることは間違いない。



大月紺慈は一団に向かって深々礼をした。
そのまま移動。
常香炉じょうこうろに立つ線香の量、立つ煙の量も多い。生祈の見た限りだが。

夜差商事の一団後方、生祈たち巫女装束の面々は従うように歩いて行く。
山門から本堂まで距離は結構あると、改めて生祈は思う。






鐘楼しょうろうから黒い布が垂れ下がり、中の梵鐘の様子は見えなくなっていた。

一団と大月は本堂へ入って行く。






鳴りだす祈祷の音。
生祈はそれを本堂の外で聴いていた。
外と本堂をつなぐ扉は閉じられている。

生祈は中に入っていない、外に突っ立ったままだ。
生祈以外のアルバイトも数名、外で待たされている。

鐘楼に掛かった黒い布を取り払うためにここにいる。
いずれにしても梵鐘は鳴らされるのだ。






生祈は自分が失神して倒れた場所をさりげなく見ていた。
彩舞音と友葉ともはと恋愛成就キャンペーンにやってきた日、その午後に梵鐘が鳴って倒れた場所。

唾を呑んだ。






数名本堂から出てくる。
鐘楼の布に、生祈も手を触れた。
取り払った瞬間、「あっ」と声が上がった。






当の梵鐘がそこにない。






途端に慌ただしくなる動きと声と空気と。

生祈も眼を丸くせずにはいられなかった。






腕を掴まれる。

「生祈ちゃん、こっちへ」

朝比あさひだった。

鳴り止まぬ祈祷の音と人々の動揺の中を二人で抜け、そして走る。






「ど、ど、どうしたんですか」

と言おうとして声にならない。
ただ駆けた。






着いたのは採掘跡だ。
朝比は生祈の口を押え、そして「何かを聴くように」身振りで合図した。

数名がたむろしている。
全員作務衣さむえ姿でこちらを睨みつけている。
睨むというより、恐らく彼らは普通に見ているだけなのだろう。

人相がとても悪いのだ。






生祈は彼らの屯するその向こうに何かを見つけた。

それは梵鐘だった。
しおりを挟む

処理中です...