推測と繋ぎし黒は

青の見ゆるを土より

７．日刊

怒留湯大誠ぬるゆたいせいは、電話を掛けている。
西耒路さいらいじ署の強行犯係である。

スマホを耳に当てている彼は、眼に映る騒ぎの様子を瞳で追いながら。

電話を掛けた相手は伊豆蔵蒼士いずくらそうじ、安紫あんじ会の若頭わかがしらだ。

そして電話に出ない若頭わかがしら。
出ないとなれば。






安紫あんじ会の事務所へ往診に来ている、医師の入海暁一いりうみあきかずの安否が分からない。

入海をなんとかするために三人で屋敷にいる。

土足で上がったのだ。

三人というのは、怒留湯大誠のほか、一緒にいる陳ノ内惇公じんのうちあつきみと仁富郁徳にとみいくのりだ。

「あんたは入海の様子を見て。俺が組員の様子を見るから」

怒留湯と陳ノ内で言っていたことだ。

陳ノ内と仁富は日刊「麒喜きき」の記者である。

三人は安紫会の事務所、裏口から入り縁側を土足で上がった。






丁寧に靴を脱ぐという状況ではなかった。
正式に組員に歓迎を受けているわけでもないので、土足である。

安紫会の事務所内で抗争が起きたのだ。
上を下への大騒ぎ。

事務所屋敷の庭は日本庭園、そこは乱闘状態。

三人は土足で屋敷内に入って、入海いりうみと若頭わかがしらの姿を求めている。

ドンパチがまだ屋敷内へ入り込んでいないのが、幸いだったかもしれない。






怒留湯の相棒には同じく強行犯係の、桶結俊志おけゆいしゅんじがいる。
いま彼はハードコンタクトレンズ着用中である。
それから日刊「麒喜きき」の記者、五味田渓介ごみたけいすけも来ている。

陳ノ内じんのうちと怒留湯ぬるゆ、それから仁富にとみと途中まで行動を共にしていた。
今は別行動だ。

ドンパチに桶結と五味田が巻き込まれたのは明らかだった。

桶結と五味田に見ていてもらったのが、阿麻橘あおきつ組の三人の組員。

三人は事務所門構え前で『動かない』状態だった。

だがそのあと時間が経ってから、『動きすぎた』。






怒号と銃声と乱闘と喧騒。

そして若頭の番号を何度も試す怒留湯ぬるゆ。

だが出ない。

怒留湯はやがてかぶりを振って、スマホを耳から外した。

その時、奥の間まの方ほうで人の動き。

「いた。伊豆蔵いずくらだ」

上の間から下りて来た。といった感じだった。

仁富にとみは組員の貫禄を気にしていたが、いまは貫禄云々の場合ではなかった。






三階に伊豆蔵は自分専用の部屋を持っている。

なら入海先生は上の間まにまだいるはずだ。

陳ノ内はそう思った。






「怒留湯さん、確か『親分は事務所を留守にしている』って仰おっしゃいましたよね。鮫淵さめぶち親分は今どちらに居るんでしょうか」

仁富は怒留湯にそう尋ねた。

「親分が事務所に滞在していないってことは把握している。俺は把握はしているけれど何せマル暴じゃないんだよ。あいつら係かかりが違うとなかなか情報を漏らしてくれないんだ」

「俺らにも情報は洩らせない前提でしょうが。大丈夫ですよ、怒留湯ぬるゆさんは端緒で噛んでいるんでしょう」

「うん……まあそうなんだけれど。でね、とにかく親分は滞在はしていないわけ。どこをほっついているかは本当に分からないの。ただ、親分不在の間あいだだと安紫会の場合は、若頭かしらがトップになっちゃう。電話に出ている場合じゃなかったのかもね」

怒留湯はスマホをしまって、伊豆蔵の後あとを追う。

屋敷は広いので、伊豆蔵まで距離がある。

「怒留湯さんは、いまの状態になったのは阿麻橘あおきつ組が仕掛けたからだと思われますか。それとも安紫あんじ会か」

陳ノ内じんのうちは言った。

三人は小走り。

「阿麻橘組が『動きすぎ』なのはそうだろうね。桶結おけゆいと、それからご」

「五味田ごみたです」

「『だ』じゃなくて『た』」

「『た』」

「分かった。五味田さん。その二人に『動かない』組員たちを見てもらっていたけれどきっと、あいつらも巻き込まれちゃっている」

「そうでしょう。なんとかなっていれば」

「桶結はなんとかなると思うよ。で、安紫会の若頭はお医者さんの往診を受ける予定だったと。そうなればその若頭がそれと同じ日に抗争を画策するってのは考えにくいと思うんだけれど。あんたはどう思うかい」

怒留湯は仁富にとみへ言う。

「少なくとも、入海いりうみ先生は菓子折りを食べていませんでしたね」

仁富は怒留湯へそう返した。

「食くっていなかったね。食たべちゃうとまあ、食べちゃうとさ。それは関係ないんだよ。要するに若頭が抗争を画策していたとは考えにくいの」

体を貫いた。

咄嗟に手を当てる。






その場に膝をつく。

怒留湯は、陳ノ内の体に被さるように。

後ろからだった。
赤い匕首あいくち。

それを持っていたのはスーツの組員だ。

仁富にとみは咄嗟に後ろへ。






血が滴る。

抑おさえた。

止血をするために何なにかを巻き付けた。

怒留湯ぬるゆが、陳ノ内じんのうちの体に。






＊






安紫あんじ会の親分。

名前を鮫淵柊翠さめぶちしゅうすいという。

小さな不良集団を束ねて行動していた鮫淵。
彼は骨の髄まで博打ばくちで構成されているような男だった。

根ねっからの博徒ばくとで、知識と姦計かんけいを用いる代わりにあまり暴力を用いない。
ただ博打となると別だ。

何なにか自分の護まもりを固める場合であれば、そして博打で勝つためには、時として暴力が必要になった。






鮫淵の博打による商売ばいの作法。その技。手腕。

賽さいと札ふだが出す音を思考回路内で見分け、相手を巧みに翻弄した。

安紫会は博徒上がりの組だ。

商売ばいに関しての決め事。
所謂いわゆる「麻薬の商売ばい及び使用」はご法度はっと。

破った場合その組員は、即そく破門だった。






鮫淵は骨の髄まで博徒だが、好きなものは多かった。

事務所の日本庭園はまず、鮫淵の趣味のひとつだ。

そしてもう一ひとつ。焼物と骨董が好きで収拾するのが彼の趣味だ。

伊万里焼いまりやき、九谷くたに焼、常滑とこなめ焼、上野あがの焼。
青色、藍色、朱色の色が鮮やかに焼き付けられた陶磁器。

安紫会の事務所内にも何点かコレクションとして、置いているという。
他県や他国を放浪し、自分の脚で骨董のある場所を巡めぐり歩く。

そして今はどこかの署に滞在している。






安紫会でのカチコミで。
親分は放浪どころか署に行った。

そのカチコミの前。

阿麻橘あおきつ組の組員一名が、他殺体で見つかっている。

安紫あんじ会と阿麻橘組は対立勢力。
他殺体で自みずからの組員が見つかったとなれば、阿麻橘組はまず、安紫会を視野に入れる。

仇あだを討うつためだ。
だが安紫会が阿麻橘組の組員一名を殺したという証拠は何もない。

それでも、阿麻橘組は安紫会へ抗争を仕掛けた。






親分不在中の安紫会トップは、若頭の伊豆蔵蒼士いずくらそうじとなる。
伊豆蔵には今回の抗争に参加する理由がなかった。
医師の入海暁一いりうみあきかずの往診を受けていたのだということで。

親分は署にいるが、若頭への嫌疑は少なかった。

入海の行方ゆくえは、杳ようとして知れない。






＊






安紫あんじ会と阿麻橘あおきつ組の今回の抗争での死者は一名。

他社の新聞やその他報道でも、安紫会と阿麻橘組の抗争で亡くなったのは一名と伝えている。

誰が亡くなったのか。
安紫会か、阿麻橘組の組員か。
西耒路さいらいじ署の刑事さんか、それとも別署べつしょの刑事だったか。

情報には書かれていない。
私が見たところによれば。






多数の負傷者が出たという。

その中には陳ノ内じんのうちさんもいる。

匕首あいくちで刺された背中から腹部にかけて、幸いにも内臓を逸それていたために回復は早かった。
それでも筋きん組織は傷付きずついたし、刺された部分も縫合が必要だった。

入院も必要と相成あいなり。

組くみ対組の抗争を調べることになるとは。

生祈はそう思った。






刺されてすぐ、陳ノ内は劒物けんもつ大学病院へ担ぎ込まれた。
手術を受け、今はベッドの上に。

夜が明ける。
抗争が起きた日から、一日が経過した。

安紫会と阿麻橘組の今回の抗争。
速報は他社に沢山持って行かれた。

少々出遅れはしたものの、日刊「麒喜きき」も、安紫会と阿麻橘組の抗争について報じた。

入海暁一いりうみあきかずの行方が知れないというのは、日刊「麒喜」を含めた他社でもまだ報道をしていない。






桶結おけゆいと五味田ごみたは無傷で無事だった。

素手で殴り倒して頑張ったらしい。

陳ノ内が手術を受けた日は、「アイドル」関連で繋がりのある道羅友葉と寿采が飛んで、彼の見舞いに来た。

今は九十九つくも社勤務の根耒生祈ねごろうぶきと、朝比堂賀あさひどうがが陳ノ内の病室にいる。

鮫淵柊翠さめぶちしゅうすいの情報について。
生祈は鮫淵の情報を搔かき集め搔き集め。

そして自分用の資料として作って一覧にした。






例えば今回のような抗争など、朝比あさひが首を突っ込むかもしれない案件については、通信制の高校の課題は後回あとまわしになる。

生祈と朝比、そして九十九社バイトの友葉ともはは、葬儀屋以外の依頼を受けることがある。

「堂賀どうがの影響が大きそうだな、生祈ちゃんは」

陳ノ内は苦笑して言った。

「そうかもしれないです。でも調べる能力は上がったかも。そう思いたいな」

生祈うぶきも笑って返す。

「何なにか陳ノ内さんのお仕事とかに、使えるところがあれば。堂賀どうがさんのことなんで、頭蓋骨のことから安紫会のことまで首を突っ込みそうです。ね」

朝比は新聞から顔を上げて、その眼をぱちくりやった。

それから微笑んでまた新聞に戻った。

「現在進行形げんざいしんこうけいでね」

陳ノ内じんのうちは言った。






頭蓋骨。
朝比が、とある畑の所有者から依頼を受けて、土の中から掘り起こしたものだ。

それにも西耒路さいらいじ署の刑事たちが関わっていま、頭蓋骨は鑑定に回されている。

四人部屋が空いていなかった病室。
なので、陳ノ内は個室のベッドにいる。






朝比は生祈の隣に腰掛けている。

「『動画』ですか」

そう朝比がふいに言った。

生祈は尋ねる。

「動画がどうかしたんです」

「安紫あんじ会での一件について、調査にバーチャルアイドルが参加すると。全面的にではありませんが」

「それって。あんまり今回の抗争と関係ないんじゃ。アイドルってなんです」

「何なにしろとても小さい」






小さいと堂賀さんが言うのは、紙面で取る枠の大きさが小さいと言いたいのだろう。

生祈はそう思った。






「ただ恐らく抗争と別件ではありますが眼に、止まったもので」

生祈は新聞を覗き込む。

朝比は紙面を示す。

「若頭わかがしらである伊豆蔵蒼士いずくらそうじさんは、その後？」

朝比は陳ノ内にそう尋ねる。

「ああそのことだが。襲撃されたらしい。ただかすり傷で終わったと。阿麻橘あおきつ組は安紫会のトップ狙いで抗争を起こした。何しろ組員が一人殺されたという話だったから」

「なるほど」

朝比は新聞を生祈へ渡す。

「席を外しますが待っていて下さい」

朝比は生祈に言って微笑む。

「Ｓｉｒ，ｙｅｓ」

朝比は手で、「逆ですよ」とジェスチャー。

生祈は赤くなった。






白い病室。
全体の白さがより、自分とその白の境目をはっきりさせる。

生祈はそう感じた。

あまり入院を経験したことはなかった。
誰かの見舞いというのは一度も行ったことがない、というわけではないけれども。

誰かのお見舞いなら結構行っている。

自分は体が頑丈なのに運動部じゃないのが勿体ないのだろうか。

なんて生祈は思ったりする。






スツールに腰掛けている自分と、それから白いベッド。

天井の蛍光灯あるいは照明。
自分の肌に馴染んでいないはずの空気。

薬品の匂い。

それが病室となると、自分に馴染むというより自分の感覚や体を、その病室へ入った瞬間に受け止められる。

そんな感覚を味わう。






陳ノ内はベッドに横たわりながら、うとうとしている。

生祈は辺りを見回す。静かだ。

白という色がより、静かという印象を増すから、なのかもしれないな。

堂賀さんはきっと、今私たちがいる劒物けんもつ大学病院の、整形外科病棟へ行ったか。
あるいは病院の上の人、例えば病院長さんに、失踪した入海先生のことについて尋ねに行ったのだろう。

入海暁一さんは整形外科のお医者さん。
陳ノ内さんの脚の怪我も見てくれているお医者さん。

その彼がいなくなったとなれば、大変なことなのだ。

なんか書いてあるかな。






生祈は新聞を読み始めた。

堂賀さんの言っていたバーチャルアイドルの件がある。

Ｓｅ－ＡＴｒｅｃシーアトレック。

七日生ななせさんのＮ―Ｒｏｄｉｎエヌロダンの仲間？

安紫会での抗争じゃなくて別件。

ふむ。

ドンパチ所謂いわゆる抗争事件の家宅捜索および盗難の痕跡。

「盗難……」

葬儀屋以外の仕事を依頼として受けることがある。

つまり、謎解きについて。

謎解きとはいうものの、大小規模は様々。






先日、生祈は友葉の友人である上ノ段七日生うえのだんななせから、「なくし物もの」の依頼を受けたばかりだ。

ＳｅＡしーなんとかさんは、安紫会で起きた抗争ではなく、盗難の方でちょっと関わるとかなんとか。

友葉先輩にも報告しよう。

事務所の家宅捜索か……。






陳ノ内じんのうちは眼を開けた。

生祈は言った。

「起こしちゃいましたか？」

「いや、いいよ。堂賀はまだ？」

「たぶん、入海いりうみ先生のことじゃないかと思うんです」

「だろうな。俺も何か訊きに行ってみようかな」

大おおあくび。

「陳ノ内さんって安紫会の抗争の時、桶結おけゆいさん……でしたっけ、刑事の方かたと一緒だったんですよね」

「そう。怒留湯ぬるゆさんとは生祈うぶきちゃんも顔見知りだ」

「あの、あの時ですよね。慈満寺じみつじで。陳ノ内さんと堂賀どうがさんとあたし、三人一緒でした。怒留湯さんに聴取されて」

「そうだったね」

生祈と陳ノ内は苦笑。

突然ドアが開いた。

生祈と陳ノ内は眼を丸くする。






とてもびっくり。

「いやあ先日はどうも」

男性が病室へ入って来た。

だが顔が見えない。

大量の花、いや大きな花束を持っている。

生祈は慌てた。

大量の花を持って「先日はどうも」で感じがすごく良さそう。

だのに「この人は一体誰だ」状態である。






「私の家内が花屋をやっておりましてねえ」

いや違う！　知りたいのは花屋とかじゃない！

生祈は陳ノ内の方ほうをちらりと見つめたけれど陳ノ内も、生祈のように感じていた。のかもしれない。

ただ眼をぱちくりしている。

生祈は、男性が大量に持っている花束を、その手から半分むしり取る勢いで持った。
重い。
赤にピンクに黄色に色とりどりの花束。

少しくすぐったい。そして花びらから香り。






「お見舞いに上がりましたよ陳ノ内さん」

男性は笑顔だ。

やっと顔が見えた。

「自分らも、怒留湯さん方がたにお世話になりました」

陳ノ内はそう返した。

「いやいや抗争大変でしたでしょう。ウチのもんは全く陳ノ内さんに大怪我させちゃった割に元気でねえ。申し訳なかったです。どうです調子は」

「清水さんですね」

「そうそう！　清水です。整形外科でもお世話になりましたね」

陳ノ内は苦笑した。






ウチのもん。

そういえば清水さんって聞き憶えがあるな。
あ、鑑識の人だ。

しばらくおしゃべりになる。
大量の花束、置き場の確保が主な話題になった。