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第六話 特殊任務のぼやき
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「お帰りなさい。ありゃ…また失敗ですか」
ガラスのボックスが白色の光に包まれると、ほどなくして三人の姿が現れた。
ドアを開けて唐津が苦笑いで声かけると、宇田が渋面で頷いた。
「拉致られたのにガチギレしてた。クッソ、まずは補給だ」
ラボから出て、署内で唯一の喫煙所に四人は向かう。世の禁煙運動に庁内の喫煙所は十年以上も前に撤去されたが、人の目から隔絶されたここだけは訳あって唯一設置を許されていた。
「あー…また肌が荒れる。やってらんない」
宇田はぼやきながらも焦った手つきで煙草の封を開け、いきなり二本咥えて百円ライターで火を点けた。
肺の奥深く一気に吸い込んで、安堵したように息を吐く。しかしその手には三本目がスタンバイされ、二度目の煙を吸い込む前に新たに火を点けていた。
白い煙を避けるようにベンチに腰掛けた橋本は、本庁へ帰る途中に大量に買い込んだ板チョコの銀紙をばりばりと剥いていた。二枚重ねて一気に齧り付く。
ガリッガリッと奥歯で噛み砕く音が消えるよりも前に、新たに囓り付いていた。
「……充実した人生って……これのどこが充実したように見えるんですかね……っ、あームカツク!」
口の周りにチョコを付けながら、橋本は怒った。
「まったくだ。仕事とはいえ、こっちはそれなりにリスクを負って行ってるってのに」
「あんたらの態度が気に入らないんだろ」
自販機でコーヒーを買い、栓を開けながら黒川が言った。
その間に、「なんですかそれー!」「はあ⁉」と二人の女性に責められる。
「彼女はこっちの暮らしに不満があった。そこで異世界に呼ばれて、ハンサムに口説かれてんだ。そりゃ逆上せるさ。そこにお前さんら二人が、夢と希望をいちいちへし折って、現実で平手打ちしてんだ。彼女じゃなくたって俺だってキレるっての」
「宇田さんも橋本も、コミュニケーション会話の講習を受けたらどうだ?」
奢り、と、遅れてきた嵯峨根女史にココアの缶を手渡して、唐津は呆れた。
「受けましたけど、何か?」と、宇田が四本目の煙草に火を点けた。まだ三本口に咥えている。
「私だって、この課に配属される前に十回講習の特別クラスを受けたんですけど⁉」と、三枚目の板チョコをばりばりと剥がしながら目を剥く。
「だったらどっちも活かされてないってことなんじゃないっすかねぇ。どう思います、黒川さん」
「俺に矛先を向けんな。それよりもお前さんたち、過剰摂取過ぎやしないか? 段々と増えてきているぞ」
「仕方ないじゃない。躰が欲しているんだからっ」
宇田が四本目を咥え、もごもごと怒った。
「そうですよ! もう! なんで私たちだけこんな!」
二枚の板チョコを早々に食べきり、三枚目に囓り着いた橋本が嘆きながら言った。
「まあ、本来呼ばれてはないトリッパーが強引にその世界に入り込むんですから、それなりの反動がありますよ。それが宇田さんは喫煙で、橋本さんはチョコ欲求ってわけですから」
「黒川さんや唐津さんが羨ましすぎます!」
橋本がむくれて言った。
「いや…この歳で白髪が生えまくってもな。……でもまあ、マシか」
前髪の白髪の束を抓みながら言った黒川に、「むかつくー!」と女子二人が怒った。
「俺も、筋トレ衝動は趣味の延長みたいなもんだしな……」
「研究者サイドから言わせれば、過食や喫煙衝動も、身体症状も大変興味深いですよ。二ヶ月前に異動しちゃった新人君もなかなかでしたし。……惜しい人材でしたよ」
ココアを飲みながら嵯峨根が笑う。橋本を除く三人が「あー」と苦笑いした。
「そう言えば、前の人ってどうして急に異動したんですか? 他課の人に訊いても、みんな、苦笑いするばかりで教えてくれないんですよね」
漸く衝動が収まってきたのかベンチを立ち、橋本はウーロン茶を買い、再び席に着いた。
「あなたに教えたらセクハラだと言われそうだったからじゃない」
「えっ、ってことはそういう反応ってことですか?」
宇田も落ち着いてきたらしく、吸いかけのそれをすべて灰皿に押し潰した。
「前の新人君、トリップするたびに勃起が三時間収まらなかったのよね。トイレに籠もる姿が可哀想で可哀想で……。だから課長が異動を薦めたのよ。それで、代わりに橋本が来たってわけ」
「わあ……衝動はともかく、皆に知られちゃっているところが切ないですねぇ……」
「衝動も衝動だけどな」
思い出したのか、唐津が気の毒そうにかぶりを振った。
「まあ、人の心配より自分のことですけどねぇ。はあ…明日は豆腐食にしよう。この課に配属されて、二キロ増えたんですよ……絶対にチョコのせいです」
「私も肺がんが心配。その割には危険手当がしょぼいし……」
「それで充実した人生とか決めつけられたくないですよね」
「まったくよ」
女性陣がぼやくなか、黒川がコーヒーを飲み終えてゴミ箱に缶を捨てた。
「任務は失敗ってことで今日は終わりか?」
「そうね。橋本、データは?」
「取れました。データを見るかぎり豊かな資源ですねぇ。生贄の恩恵でしょうか」
「でしょうね。……まったく。あの男だって、本当にあの容姿かどうか疑わしいのに」
「魔術師がいるようですしね。視界を惑わされていても気付きませんよ」
「それでも、こっちに戻りたくないほど魅力がない人生だったんだろうな。こればかりは引き留めようがない。しかしこの手の理由が元で失敗することが増えたなぁ……」
「そんだけ日本は今、豊かじゃないってことよ。娯楽も減ったしね」
宇田が溜め息を落とした。
「――さて、書類を提出して今日の仕事は終わりだ。あと少し。さっさと片付けよう」
宇田も缶を空にして席を立った。
「嵯峨根、データは先にあちらへ送っておいてくれ。アンカーはどうだ」
「アンカーはしっかり繋いでありますから、座標を見失うことはありません。データも了解です」
「嵯峨根さん、今そっちにこちらのデータ送りましたので、お願いします」
「はーい。では、おつかれさまでーっす」
中途半端な敬礼をした嵯峨根が再びラボに入っていった。それを四人は見送り、再び課へと歩きだす。
「あ! 黒川さーん!」
ラボに入ったばかりの嵯峨根が顔を出して、大きな声で呼んだ。
「あ?」と、黒川が振り返る。
「掃除のおばちゃんが、本を処分する気がないなら本棚を買えって! 結構怒ってましたよ」
「あー……わかった。なんとする……」
途端に黒川が暗い顔をした。
「私、ちゃんと言いましたからね!」
嵯峨根が念を押して、今度こそラボに入っていった。
「黒川さん、本当にラボに住んでいるんですね。噂では聞いていましたけど」
橋本が眼を丸くする。白衣民の墓場のようなラボで暮らしているなんて、正気ではないという顔だ。
「別に好きで住んでいるわけじゃないさ。それよりも目下の問題は本棚だ……」
「私が適当に手配しておくよ。あとで寸法を連絡していてくれ。予算もな」
やれやれ、宇田が呆れたように言う。
「そりゃあ助かる……。完成品にしてくれよな」
黒川がげんなりとした様子で後ろ頭を掻いた。
「白髪が生えてきたな。痒い……」
ぼやきながらもその手は後ろ頭を掻き毟る。乱暴な様子に唐津が眉を顰めた。
「あんまり掻くと禿げますよ」
「なんか不憫ね……」
「お前さんに言われたかないわ」
憐れみを向ける宇田に、黒川は口を尖らせた。
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