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第七話 聖女は旅立つ
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書類を提出し終え、黒川を覗く三人が本庁を出たのは日付が変わる少し前。
いつもよりはマシだと、口にこそ出さないが三人はほぼ同時に思った。
「宇田さん」
「何?」
「黒川さんって、いつからラボ暮らしなんですか?」
橋本がビル狭間から見える月を見上げて、ふと尋ねた。
「さあ。私が本庁勤務になったときには住んでいたからね。直接訊いたこともない」
「なんか凄いですね。ラボって碌なキッチンもないし、シャワールームだって簡易的なものだし……」
「近くにサウナがあるだろ。ほら、そこにさ」
交差点の向こう側にある黄色い明かりを唐津が指さす。皆、駅に向かっていた。
「あるけれど、殆ど使ったことはないでしょうね。基本、庁内かラボにいたがるし」
「ってことは……ええ、やっぱり、黒川さんって」
「そうよ。彼、週末に高確率で異世界に飛ばされちゃう可哀想な男だから。それも毎回違う場所にね」
「あちらの界隈じゃ『伝説の勇者』とか、『魔王討伐人』とか言われて有名ですもんね。本人は仕事があるから月曜日までにミッションクリアしたくて必死なだけなのに」
唐津が肩を震わせたが、橋本は呆気にとられていた。
「だから、月曜日になるとげっそりした顔しているんですねぇ。なんか可哀想……」
「可哀想だとは思うよ。不本意に拉致されて、戻れる保証もなく命懸けで任務を行わなければならないんだから。でも、黒川が毎週どこかの異世界に飛ばされるおかげで、ラボは座標の精度を上げていくのも確かなのよね」
宇田は苦笑した。
「だいいち、異世界に招待されていない我々がトリップできるようになったのも、彼が『異世界トリップ現象』の解明に協力してくれたからだもの」
「異世界トリップ現象かぁ……そのおかげで、私はチョコのドカ食い地獄ですけどね」
青信号に三人は横断歩道を渡りはじめた。
地下鉄駅は目の前だ。渡りきると、階段を下りていった。
「異世界トリップ現象」は、約三十年前に確認され、以降社会問題になっている事象である。
高い確率で日本人が異世界へ拉致され、今では人口減少の最大原因に指定されている。それにより一人でも多く奪還すべく、幾つかの公的組織が作られた。その一つが「警視庁生活安全部異世界課」だ。
しかし莫大な研究費を投入しての組織結成にも拘わらず、奪還成功例は未だ数えるほどだった。それゆえに、庁内ではお荷物扱い。もしくは、なかったことにされる場合が多々あった。
「トリッパーに比べたら、チョコだのニコチンの大量摂取程度で済めばいいほうなのかもしれないがな。今日のあの人、今頃魔王に喰われていなきゃいいけれど」
宇田がゆるりとかぶりを振った。
「毎度のことながら、胸クソ悪い案件ですよねぇ。逆ギレされて残っちゃうなんて、ホント理解できない……」
「橋本は噂好きだが、そこは理性的だからな。黒川が言っていた通り、感情的になるほど、こっちの世界がつまらないのさ。それは私も同意できる」
「今月も異世界モノが二十冊以上発禁指定されたんでしたっけ。映画もアニメも、異世界コンテンツそのものを政府は排除したがってますよね。……俺、今月愉しみにしていた本があったのになぁ……。エンタメ業界や出版業界は必死に足掻いているようだけど、結局発売直前に中止とか公開中止とか、ファンは泣きますって」
思い出したのか、唐津が肩を落とした。
「異世界トリップが日本人のみ多発している原因が、関連書籍や映像によるものという懸念は未だ払拭できない状況だからな。とはいえ、規制が厳しくとも廃れないのは、それほど異世界が魅力的だってことさ」
「根強いですよ。異世界コンテンツは。近頃じゃ闇市場で異世界モノ書籍が高値で取引されてますしね。私は理解できませんけど……」
橋本が言う。
そして宇田が続けた。
「安月給から税金をばかすか取られているのが日本だもの。娯楽もしかり、違う世界へ逃避もしたくなる者もいるさ。仮にそれが地獄だろうと、ここよりは活き活きして生きられるのかもな」
ホームに出ると、会社帰りの利用客が皆、静かに佇んでいた。
覇気のない光景に、自然と溜め息が出てしまう。
「――でも、もうそうも行かないのも確かですよ」
橋本が言うと、電車が到着するアナウンスがホームに響いた。
*
突然現れた訳のわからない連中がまた突然姿を消したあと、美しき王様はもう一度甘い笑顔で求婚をしてくれた。
仕切り直し――と言うことのようだが、初めのときめきは消え、胸にあるのは冷静な感情しかなかった。
勿論拒否などする筈もなく、帰らないと決めた以上は当然のようにオーケーしたが、一緒にいられるかと思いきや別々の場所へ案内され、豪奢な部屋の一人待機を命じられた。
「討伐への出発は明日です。それまでどうぞお休み下さい。食事はのちほど、こちらにお持ち致します」
ユウクが言い、声を掛ける前に部屋を出て行ってしまった。
魔王を討伐しに行くことを同意してしまったからだろうか。甘い言葉も、夢も希望の与える必要はないと判断されたのか。それともあの「異世界課」とかいう連中のせいで、嘘がばれると警戒しているのか。どちらもか。
自分でも嫌になるほど、疑心暗鬼になってしまっている。それもこれも、すべてあの妙な連中のせい。
大の字になっても余るほどの大きなベッドへ横たわり、ティアラとヴェールを頭から剥いだ。ティアラは床に投げ捨てて、艶々とした生地のクッションを抱き締めながら顔を埋めた。
「……何よ。馬鹿にして」
あの連中も。この世界も。
「いいわよ。やるわよ。魔王なんてぶっ殺してやるわ。今までの連中がそうだったからって、私まで一緒にしないでよ」
どいつもこいつも、そのときは見てろよ。――そう、強く思い唇を噛んだ。
翌日、旅衣装を身に纏い再び王の前へ行くと、槍の使い手と弓の使い手、そして屈強な兵士を紹介された。
形式張った挨拶ばかりで碌な会話もせず、王は笑顔で求婚者を送り出そうとする。
昨日は熱烈な愛をくれたのに、今日の素っ気なさと事務的な様子ときたら苦笑せずにはいられない有様だ。
腹の底に静かな憤りが停滞しているが、今は目下生き残って無事帰ってくることが何より重要だ。
屈強な兵士も、二人の使い手も、ユウクとて信用ならない。あの連中どもが来る前は、この世界中の民が聖女様の登場を喜んでくれたのに、今ときたらよそよそしい空気ばかりが立ちこめている。
それでもいい。絶対に生き残って帰ってくる。――今まで生きてきて、これほど強く決意したことはない。なんだかんだで充実しているのかもしれないと思ったら、妙に遣る瀬なくなった。
――そして、いよいよ出発の笛が鳴らされると、またあの圧倒する光が視界を白色に染めた。
皆が悲鳴を上げて顔を背けている。同じようにして目を細めた。
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