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第2話 魔物が襲来ですって
しおりを挟む翌朝。鏡の前で薄い水色のシンプルなドレスをまとい、長い髪を緩く編んで肩から前へと垂らしました。艶やかなバターみたいなブロンドはお母様に似て、真っ赤な瞳はお祖父様譲り。
簡単に表情を出すなと言われ続けたわたくしの口角は、いつもなんだか下がり気味です。大きいけれどまなじりの釣り上がった目は……よく言えば猫のよう。でも、そうね。稀代の悪女と言われるにふさわしい、近寄りがたい容姿であることは認めましょう。
「あっ。これを忘れてはいけませんでした!」
ダーチャが目をくりくりさせながらわたくしの首元に手を伸ばしました。
「まぁ! なんだかとても懐かしいわ」
きらきらと輝くそれはネックレス。色とりどりのクズ魔石を敷き詰めたパヴェタイプのデザインですので、価値はほとんどありません。公爵令嬢にふさわしくないと言えばそうなのですが。
これをプレゼントしてくださったのが幼馴染の男の子で、ベルトルド様の婚約者という立場だったわたくしは今日まで身に着けることができなかったのです。
「彼……ジルドは元気にしているかしら」
「リベッティという方に拾われたとのことでしたか? でもそのような姓は帝国の貴族にはいませんよね」
ジルド・セ・オルランド。オルランド伯爵家の次男でした。年齢はわたくしのひとつ上で、年が近いせいかわたくしたちは本当に仲が良かったのです。
魔術に長けた彼は真夏に雪を降らせてくれたり、真冬に薔薇をプレゼントしてくださったり、こっそり夜の空を飛んだこともあったかしら。ああ、本当に楽しかったわ。
……あの日が来るまでは。
「お嬢様、あの……バカ殿下にはきっと報いがありますから!」
黙ったまま俯いてしまったわたくしを元気づけようと、ダーチャが握った拳を振り上げました。
「ふふ。そんなことを言ったら不敬よ。でもありがとう。ベルトルド様とのことは貴女も知っての通り、お互いに気持ちなどなかったのだからきっとこれでよかったの」
笑わず、正しいことしか認めぬわたくしを彼は「つまらない女」と言ったことがあります。ですからよく笑うクラリッサ嬢をお選びになったのも理解できるというもの。
そこへ馬車の準備ができたとの報告が。
両親ではなく屋敷の侍従たちに見送られ、わたくしは人生のほとんどを過ごした公爵家のタウンハウスを後にしました。
修道院へ入るまでは公爵令嬢でいらっしゃいますだなんて言って、ダーチャも同行してくれました。またその言葉に大きく頷いた我が公爵家の騎士たち。彼らも護衛として追従してくれますからね。そのなんと心強いことか!
目的地である修道院は王都からなんと片道にして十数日かかる場所だそう。帝国との国境となっている山のふもとと聞いています。
「ピエリナお嬢様のいらっしゃらない人生なんて、灰色、いえ真っ暗闇ですわ」
「何を言うの、ダーチャ。一緒にお城へ行ってもらおうと思っていたのに、それが叶わなかったのは申し訳ないわ。王太子妃付きの侍女であればより良縁が望めたでしょうに」
「わたしのことなどお気になさらないでください。……本当はバカ殿下との婚約なんてこちらから破棄して、お嬢様には普通のご令嬢として幸せになってほしいとずっと願っていたのです」
俯いたダーチャの手にぽつりと水滴が落ちました。
「わたくしの分まで、ダーチャが幸せになってくれたらいいわ。ね、普通のご令嬢とはどんな生活をしているものなのかしら? わたくしはダーチャが普通の令嬢として幸せになるようお祈りしながら神にお仕えしようと思うの」
「ああ、もったいないお言葉でございます……っ!」
一層泣き出してしまったダーチャを慰めながら、普通の幸せというものについて語りながら馬車旅を続けました。
美味しくておしゃれなケーキを求めて人気の専門店へ行ったり、王家の品位など気にせず可愛いドレスを仕立てたり、ただただ仲のいい友人だけを集めてお茶会をしたり。そういった生活が普通、なのだそうです。
王都を出てから何日経ったでしょうか、同行する皆のおかげで快適な旅が続いています。ぼんやりと窓の外を眺めていたダーチャがはにかむように笑いました。
「でもやっぱり恋、ですわ」
彼女の視線の先では若い男女が手を繋いで歩いています。
「恋」
「普通の令嬢といえど貴族である以上はお家のための婚姻という義務がございます。でもほんのちょっとだけ、素敵な殿方を陰から見つめては溜め息をついたり、ときにはダンスを踊ったり」
「素敵ね! そういったお話をしているのを聞いたことはあるけれど、自分の身に起こるものとして考えたことはないから夢物語のようだったわ。ダーチャはきっと、素敵な恋をしてね」
恋ってどんな気持ちになるのかしら。意中の殿方の話をするときの女の子たちはみんなキラキラに輝いて綺麗だったわ。いつかわたくしも恋をできるかしら? でも神に身も心も捧げるのだから、恋は無理?
そんなことを早口でまくし立てると、ダーチャが栗色の瞳をくりくりっと丸くさせました。
「何をおっしゃいますか。お嬢様はもう――」
彼女の言葉は最後まで発されませんでした。馬車が急停車したのです。外では騎士たちが焦りの混じる大きな声で何事か叫んでいます。
「お嬢様をお守りしろ!」
「くそっ、なんだって魔物がこんなところに!」
魔物ですって?
そんなはずはありません。このリージュ王国はお隣の帝国による結界で守ってもらっているのです。ええ、この国は自治が許されてはいるものの帝国を宗主国と仰ぎ保護される国ですから。
ダーチャが止めるのも聞かず窓から顔を出して周囲を見渡すと、確かに前方に魔物の姿がありました。こちらに気付いていないのか、一本道のずっと先でただ静かに立っています。四頭立ての馬車が悠々とすれ違えるほどの大きな道を塞ぐように。
しかもあれは竜種ではないでしょうか。本で見たことがありますが、だとしたら魔物を想定した装備でもないし人数だって少ないわたくしたちに勝ち目はありません。
北西の方向に森が広がっています。あちらに誘導できたらもしかしたら……。
「ダーチャ。どうか幸せになってね。約束よ」
大好きなダーチャにハグをして、頬にキス。今日の今日までわたくしがわたくしでいられたのは貴女のおかげよ。ありがとう、ダーチャ。
そしてわたくしは彼女の制止を振り切って馬車を出ました。ぎょっとする騎士たちに帰還を命じます。
「あれはわたくしがしばらくの間引きつけておきます。だから……サヴィーニ公爵家長女ピエリナがお前たちの主として命じる。直ちに王都へ戻りなさい。そして城へこれを伝えて」
「しかし!」
「ダーチャを無事に帰してほしいの。貴方がたにも、こんなところで倒れてほしくないのよ。みんな家族が、恋人がいるでしょう? わたくしに貴方がたを守らせて」
わたくしが言い終えると同時に魔物が一声叫びました。空気が震え、怯えた馬たちの挙動がおかしくなります。
「さあ早く!」
そう叫んで魔物へ向けて駆けだすと、一部の騎士がわたくしの前方を馬で走りました。振り返ってみれば他の騎士は馬車を守るようにぐるりと大きく回って、来た道を戻り始めたようです。
全員で帰ればいいのに! でもきっと、わたくしだけでは止められないと判断したのよね。ああ、わたくしにもっと力があれば……!
ぎゃーと再び声をあげた魔物が翼を広げて浮かび上がり、こちらへ向かって来ました。ワニによく似た頭と蛇のように長大な体躯、それに逞しい腕……あの姿は数ある竜種の中でも好戦的と言われるリントヴルムに違いありません。
竜はその長い尾でわたくしの前を走る騎士たちを薙ぎ払ってしまいました。なんという威力!
竜がじろりとこちらを見つめています。わたくしも睨みつけながら、全身の魔力をぐるぐるとまわしてかき集めていきます。基礎魔法しかできなくたって、莫大な魔力を一度に放出すれば傷のひとつくらい……!
「……え?」
なんと、必死で集めた魔力が手元で霧散してしまいました。魔力消費の疲れを感じないことから、霧散というより体内にすべて戻ってしまったと考えるのが妥当でしょうか。
不可思議な現象に驚く間もなくリントヴルムの尾が私の身体に巻き付き、わたくしはふわりと宙に浮いたのです。
だんだんと遠くなっていく大地から騎士たちがこちらを見上げています。ああ、みんな無事なようでよかった。
……ところでわたくしはどこへ連れて行かれるのかしら?
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