鬼と天狗

篠川翠

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第二章 尊攘の波濤

江戸震撼(4)

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 そういえば、と鳴海は掃部助から借りた砲術新論を取り出した。十右衛門を訪ねたのは、彼が西洋術流派の一つと言われている「高島流」の師範免状持ちだからである。布陣の際の砲の備え付けでは、地形を考慮しながら砲弾の届く距離を計算しなければならないのだが、その計算方法が、鳴海にはよくわからない部分があったのだ。
 どれどれと、十右衛門は空で算盤を弾く真似をしながら、鳴海に細かく計算過程を教授してくれた。要は、砲弾の飛距離を伸ばすには、砲の角度が重要らしい。
「叶うならば、江戸の開成洋学所で新しい西洋砲術の知識を浚いたいのだがな。なかなか丹波殿が首を縦に振ってくださらぬ。富津の在番の者らも、どの道幕府からの砲を使うよう指示されているのだから、その方法を学ぶ方が良いと申しておるのだが」
 十右衛門は、やや苦っぽく述べた。
「左様だな」
 鳴海も、その点は十右衛門に同意見だった。何せ、先日竹ノ内の擬戦で志摩の西洋兵法に惨敗を喫したばかりである。擬戦だから良かったようなものの、あの戦法を打ち破る方法を学ぶのは、いずれ五番組を率いるであろう鳴海の義務であった。
 竹ノ内擬戦の話をすると、十右衛門は笑い声を立てた。
「お主を破るとは、志摩殿もなかなかやるな。笑顔ばかりの御仁かと思っていたが」
「言ってくれる」
 確かに志摩の手強さは、鳴海も認めるところだった。恐らく敵に回したら厄介な相手だろう。
「お主の場合、人望はあろう。だが、志摩殿の場合は部下一人ひとりを信頼し、自由に動かせるところがかの御仁の強みなのであろうな。お主のように将が一人で気負わなくとも済む故、銘々が自らの頭で考えて動くから、結果として部隊全体の戦闘力が上がる」
 即座に分析してみせる十右衛門は、さすが兵学者である小川平助の弟といったところか。
「御免。権太夫殿はおられるか」
 門の外から、聞き覚えのある声がして鳴海は顔を顰めた。やはり、同志として三浦家とつながりがあったのか。
「清介殿。どうぞ縁側へお廻り下さいませ」
 先程まで父親である義之進に叱られていた権太夫だが、ようやく小言から解放されたのか、庭先に向かって声を張り上げた。門を潜って姿を見せたのは、やはり安部井清介である。その手には、塙保己一の群書類従があった。どうやら借りていた本を返しに来たらしい。
「私の分は江戸にいる正夫に貸したままになっております故、助かりました」
 そう言うと、清介は鳴海の存在に気づいたか、少し頭を下げた。鳴海も黙って会釈を返し、十右衛門に視線を投げかけた。鳴海の視線に、十右衛門が面倒臭そうに答える。
「申しておくが、清介殿の住まいは池ノ入だぞ。このすぐ近所ということだ」
「そうであったか」
 鳴海も、十右衛門の前ではつい本音が漏れる。そして、鳴海は清介が苦手なのに、清介は全くその素振りを見せないのが、癪に障るのだった。
「あれ、鳴海殿。清介殿とは犬猿の仲なのですが?」
 権太夫の遠慮のない言葉に、鳴海は天井を仰いだ。全くこれだから、愛嬌がありつつも目が離せないのだ。権太夫が丹波に目をつけられるわけである。
「義彰!」
 十右衛門が、甥を叱りつける。
「まさか。のう、鳴海殿。学館で共に机を並べた仲ですよね?」
 爽やかに笑顔を浮かべる清介に、鳴海は渋々肯いてみせた。清介の言葉は、あながち嘘ではない。だが、これで何となく「帰る」とは言いづらくなってしまった。あからさまに感情を見せれば、「やはり何かある」と権太夫に思わせてしまう。大身というのも、不自由なものだ。
 せめて、出来るだけ聞き役に徹し、折を見て席を立とうと腹を括り、鳴海は出された茶を静かに啜り続けた。
 権太夫と清介の話題は、やはり近頃の江戸の情勢に移っていった。何でも父の又之丞の江戸在府の役目が配置換えになり国元の勘定奉行に転任となったために、江戸での暮らしが懐かしいのだと言う。公に口にはしないものの、又之丞もまた勤皇思想の持ち主の一人であると、丹波は鳴海に伝えていた。
「父上のお役目が国元になりましたからな。あのまま在府を命じられておれば、近頃結成されたという新徴組もこの目で見られたのでしょうが」
 清介の言葉に、鳴海は眉を上げた。その名は、初めて耳にする。
「あれですか、京へ上った浪士組が江戸に呼び戻されて、庄内藩お抱えになったらしいという」
 誰がその噂話を持ってきたのか。鳴海も黄山からうっすらとは聞いてはいたが、事が事であるから家の者にも話していなかった。先日まで揚屋に入れられていたくせに、懲りた様子を見せない権太夫に、鳴海は微かな苛立ちを感じた。
「言っておきますが、鳴海殿。この話は江戸藩邸に詰めているうちの弟が知らせてきたものですよ。正夫は、江戸藩邸の小沢家に養子に入っている身ですから」
 鳴海の剣呑な雰囲気を察し、清介が牽制をかけてきた。言われてみれば、確かに安部井家の次男の正夫は小沢家に養子に入っていたと、鳴海も思い出した。江戸藩邸からの知らせということは、そのうちに大広間で正式に告げられるだろう。身内であるために、たまたま清介の方が皆よりも先に知っていたに過ぎないということだ。どうもこのところ、郡山でたびたび三浦平八郎と対峙しているからか、尊攘派に神経を尖らせ過ぎているのかもしれない。
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