鬼と天狗

篠川翠

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第三章 常州騒乱

対峙(10)

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 そのまま踵を返し五番組が石名坂の坂上に到着したのは、昼時だった。が、兵らに休息を与えてやる暇もなく、坂の上から中腹にかけて兵を散開させることにする。
「鳴海殿。あの畑の中に、塚がござる。塚の影に、我が手勢を配して突撃させよう。鳴海殿らは、坂の上からの援護を頼む」
 物頭である水野九右衛門が、土地の地図を指した。九右衛門が率いる足軽隊が突撃の役割を引き受け、鳴海らの手勢が援護に回る。十右衛門も、肯いてみせた。
「散切隊を散らすだけではなく、大将首を狙うならば、その方が良かろう。砲の指揮は、儂が取る」
 狙うは、散切隊の田中愿蔵らの首だ。
「任せる」
 鳴海は、九右衛門に肯いた。
「戦場で槍を振るうは、武者の夢。我らも九右衛門らと共に行って参ります」
 小笠原是馬介の勇ましい言葉に、鳴海は笑ってみせた。手働衆である是馬介は、本来であれば権太左衛門と共に侍大将である鳴海の身を警固しなければならない役回りだが、鳴海の名を挙げてやろうという心遣いに違いない。
「武名を上げて来られよ」
 鳴海の激励に小笠原は軽く肯くと、くるりと背を向けた。
 やがて、下の方から、わーっと散切隊の者らと思しき喚声が聞こえてきた。あの中には、かの男が混じっているに違いない。
 その雑念を振り払うが如く、鳴海はしばし目を閉じていたが、目を見開いて、大音声を発し、ぱらりと采幣を鳴らした。
「かかれ!」
 目の前で、僅かな供回りの者らを残して、部下たちが突撃していく。わずか二年前の鳴海であれば、きっとあの集団の中に混じって、一番槍をつけていたに違いなかった。
 それを思って、鳴海は口元に微かな笑みを浮かべた。だが、今の自分は侍大将だ。冷静に戦局を見極めねばならない。
 坂の中ほどで十右衛門の指揮を受けながら、自軍の大筒が火を吹いているのが目に入った。坂を駆け上がろうとする散切隊は、四、五〇名ほどもいるだろうか。それらの体が、砲弾に弾き飛ばされた。たちまち坂の下の土が朱に染まり、血の匂いと火薬の匂いが坂の上まで漂ってきた。反射的に鼻と口元を手で覆い、悪臭から身を守る。
 坂の下では、白皙の美男子が指揮を取っている。まだ若い男だ。その男が、傍らの男に何か指示を出すのが遠目に見えた。指示を受けた男が、肯いてみせる。その光景に、鳴海はすっと目を細めた。
 あの男との因縁がきっかけで、ここまで来る羽目になった――。
 そう思うと、血が沸騰するのを感じた。考える間もなく、馬に跨る。
「あそこにいる者を討ち取れ!」
 鳴海の怒声が響き渡る。その声に坂の下で振り向いた相手の顔も、驚きに目が見開かれていた。
「鳴海様!落ち着かれよ」
 権太左衛門が、慌てて鳴海の馬の轡を押さえた。動きを押さえられた馬が暴れる。が、鳴海は尚も馬を駆けさせようと、鐙に力を込めた。
「あの小柄な男の脇に、藤田芳之助がいる。我が主に背いた者を、討ち取れ!」
 その名を聞いた権太左衛門が、怯んだ。轡を押さえていた権太左衛門の手が緩み、鳴海は再び鐙に力を入れた。その刹那――。
「是馬介!」
 誰かの悲鳴が、弾けた。同時に、鳴海も鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。先程九右衛門の援護と称して駆け出していった小笠原是馬介の体が、みるみるうちに血に染まっていくのが見えた。恐らく、即死だろう。
 目の前で、部下が死んだ。
 同時に坂下からも、反撃の砲が放たれ始めた。十右衛門が顔を歪めながら、五番組の大筒方に次の砲撃の準備をさせている。双方が、撃ち合いの様相を呈してきた。
「申し上げます!後方東西より、新たな敵襲!」
 殿を任せていた平山礎右衛門からの伝令が、すっ飛んできた。
「何!?」
 血走った目の形相の鳴海をものともせず、伝令は言葉を続けた。赤羽通り及び南高野村の清水通りにも、敵兵が見えるという。その数、およそ四〇〇。坂の下にいる兵と合わせると、七〇〇は下らない。対する二本松軍は、戸祭の手勢を合わせても、三五〇ほどか。
 囲まれた。
 鳴海は、唇を噛んだ。全てが、ほんの一瞬の出来事だった。だが、ここで怯むわけにはいかない。己の蛮勇に任せて、全滅させるわけにはいかない。思い切って、顔を上げた。
「井上殿。急ぎ太田へ援軍を求めよ。我らは、ここで何としてでも敵を食い止める」
「鳴海殿……」
 井上の顔も強張っている。間に合うか。そう問いた気な顔に、鳴海は力強く肯いてみせた。
「頼む」
「はっ!」
 意を決したかのように、井上が馬を翻した。その背後から、たちまち土埃が舞い上がる。太田には、源太左衛門の軍勢が控えているはずだ。己の矜持に任せて単独で手柄を立てることよりも、兵力を温存させることを鳴海は選んだのだった。
「十右衛門らと合流して兵を固める。原殿、合図を」
「承知」
 手旗奉行の原がぶぉー、と貝に息を吹き込んだ。それを合図に、下から徐々に二本松兵が後退してくる。既に坂下からの大筒・小銃による砲撃だけではなく、背後から時折大石や大樹が転がり落ちてきていた。それらを避けるように、藪の中に二本松兵は身を潜めつつ、坂を上ってくる散切兵に向かって切り込んでいく。各隊に伝令を走らせ、兵を固めた上で大橋宿へ退却する旨は伝えた。今はそのために、白兵戦の戦場と化した石名坂で一点突破を狙っているところだった。
 坂の上では、黒糸の腹巻きに白の陣羽織を羽織った男が、指揮を取っているのが確認できる。その人相は、戦場でなければ人品卑しからぬと褒められるであろう風貌だった。鳴海は知らなかったが、その男は一度は田中愿蔵と決別した、潮来勢の岩谷敬一郎だった。
 殿を任せていた礎右衛門の手勢も、既にこちらへ加わっている。
「各々、蛮勇に身を委ねて犬死するな!戦はこれで終わりではないぞ」
 鳴海の鼓舞も、聞こえているかどうか。時折乱闘が生じており、鳴海も叱咤しつつ、大将首を取ろうと群がってくる散切隊を追い払うために、手槍を振り回す。いつの間にか近くに来ていた市之進が鳴海と背中合わせになり、息を荒げているのを首筋に感じた。
 パンと弾けるような音と共に、うっ、と短い呻き声がすぐ側で上がり、誰かが崩れ折れた。慌てて首を巡らせると、権太左衛門が左胸の辺りを押さえていた。その左腕の付け根から、血が流れている。同時に少し離れた場所から、轟音が響いた。権太左衛門を狙撃した者の体が弾き飛ばされ、血を噴き上げながら痙攣している。硝煙が上がっている大型の筒を手にギラギラと目を光らせているのは、まだ少年とも見紛う青山藤太だった。
「権太左衛門殿!」
 市之進が肩を貸し、その大柄な体を支えて後方へ下げる。
「大丈夫か」
 鳴海は、権太左衛門の傍らで片膝をついた。むっと、血の匂いが鼻を衝く。
「大丈夫です」
 どう見ても、大丈夫という怪我ではない。が、権太左衛門の声は力強く、直ちに命に関わることはなさそうだ。そのことに、わずかながら安堵した。
「市之進、源太左衛門をあの岩の陰へ」
 市之進が肯き、権太左衛門に再び肩を貸した。長柄奉行である権太左衛門の負傷の瞬間を見ていたのか、成渡が駆け寄ってきて鳴海の身を守るように立ちはだかり、刀を構えた。
 眼下で、水野九右衛門の槍に陣羽織の男が餌食になるのが見えた。さらに、別の方向に目を転じれば、三人がかりで白の上下にやはり白の陣羽織を羽織った武者に挑みかかっている。
 が、日が暮れかかっている。夜戦になれば、地の利に暗いこちらが不利になる。焦燥ばかりが募った。
 不意に、坂の上で黒腹巻の男が指揮を執る隊が崩れ、再び乱戦となった。鳴海らが固まっているところから見て左手側に、直違紋の旗印が見える。援軍が到着したのだった。
「鳴海殿、ご無事でござるかー?」
 遠くから聞き覚えのある声がした。声の主は、小川平助だった。傍らには、植木や源太左衛門の姿もある。
 それを潮に、坂の上の敵は引いて行った。同時に坂下の敵も、久慈浜方面に退こうとしている。
「成渡、弓を貸してくれ」
 成渡も何かを察したのか、黙って自分の弓を鳴海に手渡した。弓術の腕は成渡の方が鳴海よりも上なのだが、あの男にどうしても自分の手で一矢報いねば、この怒りが収まらない。
 鳴海は矢をつがえて目を眇め、ぎりぎりと引き絞った。ひゅっと音を立てて放たれた矢を、芳之助はあっさりと切り払い、そのまま砂塵の向こうへ姿を消した――。
 
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