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第三章 常州騒乱
討伐(7)
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鳴海も悠長に構えてはいられない。街道沿いに散切隊が北上してくるとなれば、再び下孫を通る可能性が高いからだ。
下孫の陣屋に寺門が駆け込んできたのは、鳴海が九右衛門らに下知してから一刻ほど経った頃だったか。寺門は、目の下からたらたらと血を流していた。
「寺門殿、その傷は……」
さすがの鳴海も、ぎょっとした。が、寺門は片頬を上げて破顔してみせた。
「なに。これであっしの男っぷりが上がるでしょう。ちょいと、天狗の輩の槍を避け損ねた次第でございまする」
寺門の吐く息からは相変わらず酒気の匂いがするが、その勢いも、今の彼には必要なのだろう。幸い、大した怪我ではないようである。
寺門によると、河原子から散切隊が街道に出ようとしているのを察知して、寺門は隊を二分した。一隊は陸前浜街道に控えさせ、もう一隊は海岸沿いの本道に潜ませて、散切隊を挟み撃ちにするべく待ち構えていた。だが、街道の兵の到着が遅れて作戦が失敗し、寺門のいる本道の兵らは退却して泉が森に至った。そこで田中らの追尾を受け、散々に負けたというのである。田中隊の嚮導役を務めた者は、田楽鼻に住む農民だった。
「あの田楽鼻の奴の面は、絶対に忘れませぬ。それ故、少しばかり痛い目に遭わせてやりました」
そう述べる寺門の顔に、残忍な色が浮かんだ。
「……何をした」
「なに、大したことではありませんよ。奴の嬶が食事の世話をしているという、水木の番所役宅に火を付けてやっただけです」
鳴海は、じろりと寺門を睨みつけた。相羽の忠告通り、やはりこの男は油断も隙もない。
「――土地の者の感情を害するような真似は、厳に慎まれよ」
怒気を孕ませて注意を与えても、寺門は首を竦めただけだった。
「そうは仰いますがね、大将。今や天狗の輩は賊扱いですよ。ちっとでも甘い顔を見せれば、たちまち付け上がりますぜ」
鳴海は、そっとため息を殺した。寺門の言う事は、わからないでもない。鳴海も与兵衛も、土地の者の内通には散々悩まされている。だが、彼らと同じ心持ちまで堕落しては、二本松藩の恥でもあった。
「鳴海殿。それはそれとして、散切隊は助川に向かったということでしょうか」
政之進が、気遣わしげに鳴海に尋ねた。
「まず、間違いなかろうな。散切隊の全てが助川に向かったとすれば、九右衛門らの兵だけでは、あの人数を防ぎ切るのは難しい」
鳴海は、首を振った。九日の石名坂で五分の戦いに出来たのは、辛うじて家老らの援軍が間に合ったからだ。散切隊の人数は、決して少なくない。今から鳴海らだけで助川を目指して猪突するよりも、太田に集結しつつある援軍の到着を待って、総攻撃を掛ける方が良い。鳴海らの果たす役割は、助川に逃げ込んだ散切隊が、湊方面と合流するのを防ぐことである。
「政之進。森山に向かった九右衛門らに、速やかに下孫に引き上げるように伝えよ。かつ、太田本陣の御家老にも事の顛末をお伝え願いたい」
「畏まって候」
政之進は、そのまま下孫陣屋から姿を消した。続けて、鳴海は再び絵図を睨みつけた。眼の前の男は確かによく戦うが、毒物を扱うようなものである。記憶が正しければ、助川北方にある川尻にも、異国船遠見のための番所があったはずだった。そこに、その毒物を回そうと鳴海は思った。
「寺門殿。川尻の異国船遠見番所には、行かれたことがお有りかな?」
絵図を確認すると、川尻港の南端に御番山と呼ばれる小丘があり、そこからならば眺望が利きそうである。
寺門がにっと、黄色い歯を見せる。
「あそこからならば、助川の城も麓の村もよく見えますよ。山の洞には年貢が蓄えられていますしな。我らの糧食にも事欠きますまい」
「左様か」
鳴海は、その使い道については詮議しないことにした。差し当たりこの男が熱中しているは、天狗党の殲滅である。殲滅のための手段を選ばないのであれば、せめて鳴海の眼中に入らないところで行動してもらいたかった。
「では、寺門殿には川尻番所の警固をお頼み申す。何かあれば、下孫まで伝令を出されよ」
できるだけ威厳を取り繕い、鳴海は寺門に命令を下した。
「今日は散々でしたが、任せて下せえ。きっと、天狗の奴らを痛い目に遭わせてみせまさあ」
張り切る寺門の背中を見送った鳴海は、どっと疲れを覚えた。背後から、誰かの視線を感じる。
「――番頭のお立場というのも、御気苦労が絶えませぬな」
小声で労いの言葉を掛けてくれたのは、成渡だった。その声には、微かに憂慮の色が滲んでいた。先日芳之助の対峙との場面に立ち会ったことが、思い出されたのかもしれない。
背後を振り返って、鳴海はちらりと疲れた笑みを作った。
「それを拙者が口にすれば、愚痴になろう。与兵衛様や御家老から叱られる」
下孫の陣屋に寺門が駆け込んできたのは、鳴海が九右衛門らに下知してから一刻ほど経った頃だったか。寺門は、目の下からたらたらと血を流していた。
「寺門殿、その傷は……」
さすがの鳴海も、ぎょっとした。が、寺門は片頬を上げて破顔してみせた。
「なに。これであっしの男っぷりが上がるでしょう。ちょいと、天狗の輩の槍を避け損ねた次第でございまする」
寺門の吐く息からは相変わらず酒気の匂いがするが、その勢いも、今の彼には必要なのだろう。幸い、大した怪我ではないようである。
寺門によると、河原子から散切隊が街道に出ようとしているのを察知して、寺門は隊を二分した。一隊は陸前浜街道に控えさせ、もう一隊は海岸沿いの本道に潜ませて、散切隊を挟み撃ちにするべく待ち構えていた。だが、街道の兵の到着が遅れて作戦が失敗し、寺門のいる本道の兵らは退却して泉が森に至った。そこで田中らの追尾を受け、散々に負けたというのである。田中隊の嚮導役を務めた者は、田楽鼻に住む農民だった。
「あの田楽鼻の奴の面は、絶対に忘れませぬ。それ故、少しばかり痛い目に遭わせてやりました」
そう述べる寺門の顔に、残忍な色が浮かんだ。
「……何をした」
「なに、大したことではありませんよ。奴の嬶が食事の世話をしているという、水木の番所役宅に火を付けてやっただけです」
鳴海は、じろりと寺門を睨みつけた。相羽の忠告通り、やはりこの男は油断も隙もない。
「――土地の者の感情を害するような真似は、厳に慎まれよ」
怒気を孕ませて注意を与えても、寺門は首を竦めただけだった。
「そうは仰いますがね、大将。今や天狗の輩は賊扱いですよ。ちっとでも甘い顔を見せれば、たちまち付け上がりますぜ」
鳴海は、そっとため息を殺した。寺門の言う事は、わからないでもない。鳴海も与兵衛も、土地の者の内通には散々悩まされている。だが、彼らと同じ心持ちまで堕落しては、二本松藩の恥でもあった。
「鳴海殿。それはそれとして、散切隊は助川に向かったということでしょうか」
政之進が、気遣わしげに鳴海に尋ねた。
「まず、間違いなかろうな。散切隊の全てが助川に向かったとすれば、九右衛門らの兵だけでは、あの人数を防ぎ切るのは難しい」
鳴海は、首を振った。九日の石名坂で五分の戦いに出来たのは、辛うじて家老らの援軍が間に合ったからだ。散切隊の人数は、決して少なくない。今から鳴海らだけで助川を目指して猪突するよりも、太田に集結しつつある援軍の到着を待って、総攻撃を掛ける方が良い。鳴海らの果たす役割は、助川に逃げ込んだ散切隊が、湊方面と合流するのを防ぐことである。
「政之進。森山に向かった九右衛門らに、速やかに下孫に引き上げるように伝えよ。かつ、太田本陣の御家老にも事の顛末をお伝え願いたい」
「畏まって候」
政之進は、そのまま下孫陣屋から姿を消した。続けて、鳴海は再び絵図を睨みつけた。眼の前の男は確かによく戦うが、毒物を扱うようなものである。記憶が正しければ、助川北方にある川尻にも、異国船遠見のための番所があったはずだった。そこに、その毒物を回そうと鳴海は思った。
「寺門殿。川尻の異国船遠見番所には、行かれたことがお有りかな?」
絵図を確認すると、川尻港の南端に御番山と呼ばれる小丘があり、そこからならば眺望が利きそうである。
寺門がにっと、黄色い歯を見せる。
「あそこからならば、助川の城も麓の村もよく見えますよ。山の洞には年貢が蓄えられていますしな。我らの糧食にも事欠きますまい」
「左様か」
鳴海は、その使い道については詮議しないことにした。差し当たりこの男が熱中しているは、天狗党の殲滅である。殲滅のための手段を選ばないのであれば、せめて鳴海の眼中に入らないところで行動してもらいたかった。
「では、寺門殿には川尻番所の警固をお頼み申す。何かあれば、下孫まで伝令を出されよ」
できるだけ威厳を取り繕い、鳴海は寺門に命令を下した。
「今日は散々でしたが、任せて下せえ。きっと、天狗の奴らを痛い目に遭わせてみせまさあ」
張り切る寺門の背中を見送った鳴海は、どっと疲れを覚えた。背後から、誰かの視線を感じる。
「――番頭のお立場というのも、御気苦労が絶えませぬな」
小声で労いの言葉を掛けてくれたのは、成渡だった。その声には、微かに憂慮の色が滲んでいた。先日芳之助の対峙との場面に立ち会ったことが、思い出されたのかもしれない。
背後を振り返って、鳴海はちらりと疲れた笑みを作った。
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