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第三章 若木萌ゆ
丸山翁の話
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八月の盆に合わせるかのように、剛介はやっとのことで若松に戻ってきた。九州での戦いは、剛介の憑き物を落としてくれたのかもしれない。だが、ほろ苦さを伴うものでもあった。
(帰ってきた)
戊辰の役のときとは異なり、官軍としての凱旋である。薩摩の兵も大勢撃った。それでも巡査の特別任務として撃ったに過ぎなかった。
結局、大義とは何なのだろう。
戊辰の折に、二本松は会津と共に賊軍とされ、西藩諸国に攻め込まれた。だが、二本松が守りたかったのは、丹羽家の血であり、平穏な暮らしだった。そして、九州でも多くの民が薩軍や政府軍に徴用され、犠牲となった。いつまでこんな事を繰り返すのか。
野津に言われたことが妙に心に残る。西の人間は、奥州を鬼の住む国だと思っていた者も多かった。だが、実際に自らの足で踏んだ奥羽の土地は、美しき心を持つ人々の住む土地であった。それをもっと早くから互いに知っていたのならば、また違った流れがあったのかもしれない。そして剛介も、九州へ赴き薩摩の人間と直接触れ合う機会を得て、その土地の人の温もりを知った。
薩摩の者全てが奥州を嫌っていたわけではない。そのことを忘れてただ憎むだけでは、何度でも同じことを繰り返すだけではないのか。
「長いこと、家を空けてしまいました」
数ヶ月ぶりに若松の家に戻ってきた剛介は、まず清尚に深々と頭を下げた。
よく、命を持ち帰られたものだと思う。別働第三旅団という特殊な部隊だったため、剛介は早く帰還してきた方だった。だが、九州を去ってから、現地ではコレラやチフスなどの疫病が蔓延し、討死ではなく病死した者も多かったと聞き、脇の下を冷たい汗が流れた。
「よくぞご無事で帰られました」
義父は、大きく頷いた。九州にいた剛介から、「抜刀隊に加えられた」という手紙が来た時には、ひやりとした。中でも田原坂では、激戦が繰り広げられていたという。それで生き残った剛介は、やはり運の強さも持っている男だと思う。
「お帰りなさいませ」
弾んでいるとも、泣き出しそうだとも取れる表情で、伊都が息子の手を引いて出迎えてくれた。自分が家を空けていた数ヶ月の間に、貞信は随分と大きくなったような気がする。
「ただいま」
息子に手を伸ばそうとした、その瞬間。
「いや」
貞信は顔を背け、伊都の体の影に隠れてしまった。
「これこれ」
伊都が焦る。
「父上ですよ」
息子の行動に、剛介は少なからず傷ついた。長いこと家を空けていたのだから、人見知りするのだろう。頭ではそう思っていても、感情がついていかないのである。
自分は、息子が戦わずに済む世にするために、戦ってきたつもりだった。だが、肝心の息子から拒絶されるとは。
(九州から、血の臭いでも持ち帰ってきてしまったのだろうか)
ぼんやりと、剛介はそんなことを思った。
***
西南の役での功績が認められ、気がつくと、剛介は二等巡査へ昇進していた。抜刀隊での活躍が特に評価されたのか、あの白井や篠原でさえ、剛介に一目置くようになっていた。
剛介自身も、西南の役での様々な出会いや経験によって、薩摩人への見方が変わった。薩摩人と一言で括っても、その中身は様々だ。全員が東の人間を憎んでいるわけでもないし、中にはあの戦いに反対だった者もいた。その事実を知った今、以前のように「薩摩の人間」というだけで、簡単に憎めなくなっている自分に、戸惑いもした。
そんなある日、剛介はふと思い立って、湯川のほとりに散策に出ることにした。湯川は、若松城下を流れる小川である。九年も暮らすと、さすがに自分の故郷のように若松町内を歩くことができるようになっていた。
「剛介様。お散歩ですか?」
伊都が訊ねた。その手には、繕い物の着物が握りしめられている。
「少しな」
「よろしければ、貞信を御伴に連れて行ってはもらえないでしょうか?」
妻の声に振り返ると、貞信がへそを曲げたような顔をしている。
(ははあ)
どうやら、伊都は貞信の元気が良すぎるあまり、夜に寝付けなくなるのを心配しているようであった。最近の貞信は、ちょくちょくとそうした傾向が見られる。自分が遊び相手になれればいいのだが、針仕事から手が離せないのだろう。
「貞信、一緒に来るか」
西南の役から帰ってきて以来、やや人見知りしていた貞信だが、それもこのところはましになってきていた。
「はい」
こっくりと、貞信が頷く。
「よし、では行こうか」
剛介は、貞信の小さな手を握りしめた。
湯川沿いにつれづれなるままに歩いていくと、道はやがて河原町に差し掛かった。川を挟んで向こう側から、老人が大きく手を振っている。
「剛介殿」
思わず笑みを浮かべる。老人は、戊辰の役に助けてくれた、あの丸山である。
「丸山様」
大橋を渡り、丸山がこちらへやってきた。
「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
自然と、剛介は頭を下げた。
「剛介殿も。よくぞ西南の役からご無事で戻られました」
「ご存知でしたか」
もしかすると、義父の清尚が、自分の留守中に相談に行っていたのかもしれない。
「本当に、剛介殿は類稀なるものに守られているのでしょうな」
丸山は、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべている。そんな父親を、息子は不審そうに見上げていた。
その息子の様子に気づき、剛介は「息子の貞信です」と、紹介した。
「しっかりしたお顔をされています」
自分の孫でも眺めるかの如く、丸山はにこりと笑った。
このところ貞信は利かん気を見せることが増えてきた。どうも気が強いところは、母親の伊都よりも、父親である自分に似てきたようである。だが、我が子であればそれも愛おしい。
「貞信。ご挨拶を」
躾けの出来ていない息子と思われたくなく、剛介は貞信に頭を下げさせた。
「遠藤、貞信と申します」
息子が、舌足らずの口でたどたどしく口上を述べた。
「良い御子ですな。丸山四郎右衛門と申します」
丸山も一人前の者に接するように、貞信に頭を下げた。もっとも、「四郎右衛門」の名跡は、既に長男の息子の胤孝に譲っていた。
丸山は、剛介をじっと見つめた。
一昔前に預かった二本松の種子が、若木となって次の世代を見せてくれるとは、あの頃は思いもよらなかった。そして、西南の役では華々しく活躍してきたというのは、かつての部下であった遠藤清尚からも聞いていた。剛介は活躍に応じた出世もしたのだが、それにしては浮かない顔の日々が続いているという。
「貞信殿も立ったままでは疲れるでしょう。そこの土手で休むといたしましょうか」
三人は、丸山に勧められるままに、土手に腰を下ろした。眼の前を、赤とんぼがひらひらと飛んでいく。
丸山としては、二本松の種子を引き受けるきっかけを作ったのが自分である以上、その行方も見届けたいと思うのは、自然な心情であった。
「西南の役で、何かありましたかな?」
丸山の質問に、剛介は週巡した。初めて出会ったときもそうだったが、この老人は洞察力に優れている。だが、会津の人間に胸の内を明かすには、やや躊躇われた。
「ご安心下され。この老体の胸の内に収めます」
週巡の気配を見せた剛介に、丸山は、小さく笑いかけた。その言葉に勇気をもらい、剛介はそっと呟いた。
「かの地で薩摩人の心中を聞いて、どう判断したものやら考えております」
「と言いますと?」
「戊辰の役も、西南の役も。薩摩の者全てが進んで身を投じていたわけではないと。そして、薩摩の若木を斬ってきたことについて」
「なるほど」
しばし、沈黙が訪れた。
戦だから仕方がなかった、で片付けられたら、簡単な話だったのかもしれない。剛介自身がかつては敗者として傷つけられながら成長し、この度の戦では官軍として赴いた。だが、剛介は「官軍」の言葉に陶酔できるほど、非情にもなりきれないのだろう。共に戦った宇都も、戊辰の役で自分が犯した罪に苛まれていたではないか。
非情になりきれない自分自身に、剛介は未だ戸惑っていた。
そして、「薩摩を憎みきれなくなった」という事は、これからの剛介自身の身を危うくしていく可能性をも秘めていた。剛介が薩摩についてどう思うかはともかく、実際に戻ってきてみれば、相変わらず、会津は国策として「奸賊」扱いされている。
また、斗南藩で苦渋を舐めさせられた者達も多く会津の地に戻ってきており、仮に剛介が薩摩の人間を庇い立てするようなことがあれば、今度は会津の人間から、剛介やその家族が責められるかもしれない。自分自身に嘘はつけないが、遠藤家の人々に自分の正直さのために迷惑をかけることも出来ない。
戊辰の役の悔しさを糧として奮起している者も多い会津で、これからどのように薩長の人間と向き合っていけば良いのか。難しい問題である。
まして、次男を殺されている遠藤家で相談できる話ではなかった。
「お優しいのですな」
息子をいたわるかの如く、丸山は優しく言った。
「非情になれぬことは、武士として、恥じるべきことでしょうか」
側に貞信がいるにも関わらず、剛介は思わず心情を吐露した。
「恥じることではありますまい。それも剛介殿の強さの一つでしょう」
「強さ……」
丸山の言葉に、剛介は思わず考え込んだ。
十四のあの頃の自分だったら、もっと楽に薩長を憎み、復讐を遂げた満足感に浸れていただろう。だが、今は薩摩にも「心ある者」がいることを真正面から受け止めるようになり、自分自身も多くの者を手にかけてきた。綺麗事を偉そうに語れる身ではない。
あの、田原坂で手に掛けてきた「西郷先生」と叫んでいた若者などは、まだ十五歳ではなかったか。かの少年が斬り込んできた際の心中は、あの頃の自分と、さして差はなかった気がする。
「父上?」
貞信が、剛介の膝に上ってきた。幼い息子なりに、何か察したのだろうか。
「大丈夫だ」
息子を安心させるように、剛介は息子を腕に抱きすくめた。貞信はしばし大人しくしていたが、やがて、もぞもぞと体を動かした。
「それにしても、よく似ておられますな」
微笑ましい父と息子の様子に、丸山が目を細めた。その言葉を聞いて、剛介も再び笑みを浮かべた。
かつて何度となく「半左衛門に似ている」と言われて気恥ずかしい思いをしたが、父となった今では、息子が似ていると言われるのは、素直に嬉しい。
「剛介殿は、もう十分に会津の為に尽くされたのではありませんか」
丸山は、静かに言った。
「そうでしょうか」
剛介は、そうは思えなかった。西南の役に出たのは、上司の言葉の挑発にうっかり乗った形であり、そこで多くの罪なき者を手にかけてきたような気もする。それなのに、それが出世の緒になりそうなのだが、何となく腑に落ちない。
そしてその先に待っているのは、また別の争いなのかもしれない。巡査という職に就いている以上、今のままでは、西南の役のような理不尽さと向き合わなければならないこともあるだろう。
「何も、戦で闘うばかりが功績ではありますまい」
丸山が微笑んだ。
「悌次郎など、元々は剣よりも学を好む者でしたからな。おかげで、今はようやっとそれで身を立てつつありますが」
その言葉に、剛介はかつての朋輩の言葉を思い出していた。
武を以て相手を倒そうとするのではなく、知を以て二本松を守る子らを育てたい。
水野が述べた言葉は、奇しくも、この丸山翁の息子らにも当てはまるのかもしれない。悌次郎の甥である胤孝もまた、南学館の教鞭を取っていたこともあった。
「故郷の朋輩も、同じようなことをしておりました」
剛介も、穏やかに微笑んだ。ただし、自分が同じ道を進もうとするには、どうしても遠藤家の嫡子の問題がつきまとう。元々、剛介が遠藤家の養子となったのも、嫡子としての役割を期待された面もあった。
「剛介殿が悩まれているのは、既にお心を決められかけているからではありませんか?」
丸山が、静かに問うた。その言葉に、思わず目を見開く。
「何のことでしょう」
「遠藤家の嫡子の話です」
剛介は、苦笑するに留めた。本当に、この老人はどこまでも洞察力が鋭い。きっと、自分が西南の役で今まで見聞きしてきたことを踏まえて、このままでは、いずれは会津にいられなくなることも見越しているのだろう。
「一つだけ、丸く収める方法がありますな」
「ええ」
丸山の言わんとしている選択は、多少なりとも息子を始め、遠藤家の人々を傷つけることになる。それでも、息子にはこの地で生まれ育ったことに誇りを持って、強く生きていってほしい。
「貞信。父の肩に乗るか?」
剛介は、息子に背を差し出した。遠慮なく貞信がその背に乗り、剛介は背を揺すってその貞信をさらに上に押し上げ、肩車の形にした。幼子には、視界が広々と開けてさぞかし気持ちが良かろう。
父の肩に乗った貞信の目には、焼け焦げた鶴ヶ城の遥か彼方に、会津の象徴である磐梯山が見えるはずであった。
「父上、磐梯のお山が見えます」
思った通り、頭上で、貞信が燥いだ声を上げた。
「今日は空が澄んでいるから、磐梯山がよく見えるだろう」
「はい」
そんな親子を、丸山は眩しげに見つめた。
「貞信殿。覚えておかれるが良い。そなたの父上は、誇り高く、強い二本松の武士であったことを」
驚いた様子で、貞信が首を丸山に向けた。危ない、とばかりに剛介は慌てて貞信を支え直す。だが、そんな一瞬の動作ですら愛おしかった。貞信の姿勢が安定すると、丸山に目礼した。
「剛介殿は二本松藩の大切な御子として育てられ、十四で戦に臨まれた。そして、自ら傷つけた者にも慈悲の心を持てる、真の武士である。そのような方の御子であることに、誇りを持たれよ」
ようやく三歳になろうか、という息子にはまだ難しい話かもしれない。だが、丸山翁の言葉は、剛介の背を押してくれるものだった。
(帰ってきた)
戊辰の役のときとは異なり、官軍としての凱旋である。薩摩の兵も大勢撃った。それでも巡査の特別任務として撃ったに過ぎなかった。
結局、大義とは何なのだろう。
戊辰の折に、二本松は会津と共に賊軍とされ、西藩諸国に攻め込まれた。だが、二本松が守りたかったのは、丹羽家の血であり、平穏な暮らしだった。そして、九州でも多くの民が薩軍や政府軍に徴用され、犠牲となった。いつまでこんな事を繰り返すのか。
野津に言われたことが妙に心に残る。西の人間は、奥州を鬼の住む国だと思っていた者も多かった。だが、実際に自らの足で踏んだ奥羽の土地は、美しき心を持つ人々の住む土地であった。それをもっと早くから互いに知っていたのならば、また違った流れがあったのかもしれない。そして剛介も、九州へ赴き薩摩の人間と直接触れ合う機会を得て、その土地の人の温もりを知った。
薩摩の者全てが奥州を嫌っていたわけではない。そのことを忘れてただ憎むだけでは、何度でも同じことを繰り返すだけではないのか。
「長いこと、家を空けてしまいました」
数ヶ月ぶりに若松の家に戻ってきた剛介は、まず清尚に深々と頭を下げた。
よく、命を持ち帰られたものだと思う。別働第三旅団という特殊な部隊だったため、剛介は早く帰還してきた方だった。だが、九州を去ってから、現地ではコレラやチフスなどの疫病が蔓延し、討死ではなく病死した者も多かったと聞き、脇の下を冷たい汗が流れた。
「よくぞご無事で帰られました」
義父は、大きく頷いた。九州にいた剛介から、「抜刀隊に加えられた」という手紙が来た時には、ひやりとした。中でも田原坂では、激戦が繰り広げられていたという。それで生き残った剛介は、やはり運の強さも持っている男だと思う。
「お帰りなさいませ」
弾んでいるとも、泣き出しそうだとも取れる表情で、伊都が息子の手を引いて出迎えてくれた。自分が家を空けていた数ヶ月の間に、貞信は随分と大きくなったような気がする。
「ただいま」
息子に手を伸ばそうとした、その瞬間。
「いや」
貞信は顔を背け、伊都の体の影に隠れてしまった。
「これこれ」
伊都が焦る。
「父上ですよ」
息子の行動に、剛介は少なからず傷ついた。長いこと家を空けていたのだから、人見知りするのだろう。頭ではそう思っていても、感情がついていかないのである。
自分は、息子が戦わずに済む世にするために、戦ってきたつもりだった。だが、肝心の息子から拒絶されるとは。
(九州から、血の臭いでも持ち帰ってきてしまったのだろうか)
ぼんやりと、剛介はそんなことを思った。
***
西南の役での功績が認められ、気がつくと、剛介は二等巡査へ昇進していた。抜刀隊での活躍が特に評価されたのか、あの白井や篠原でさえ、剛介に一目置くようになっていた。
剛介自身も、西南の役での様々な出会いや経験によって、薩摩人への見方が変わった。薩摩人と一言で括っても、その中身は様々だ。全員が東の人間を憎んでいるわけでもないし、中にはあの戦いに反対だった者もいた。その事実を知った今、以前のように「薩摩の人間」というだけで、簡単に憎めなくなっている自分に、戸惑いもした。
そんなある日、剛介はふと思い立って、湯川のほとりに散策に出ることにした。湯川は、若松城下を流れる小川である。九年も暮らすと、さすがに自分の故郷のように若松町内を歩くことができるようになっていた。
「剛介様。お散歩ですか?」
伊都が訊ねた。その手には、繕い物の着物が握りしめられている。
「少しな」
「よろしければ、貞信を御伴に連れて行ってはもらえないでしょうか?」
妻の声に振り返ると、貞信がへそを曲げたような顔をしている。
(ははあ)
どうやら、伊都は貞信の元気が良すぎるあまり、夜に寝付けなくなるのを心配しているようであった。最近の貞信は、ちょくちょくとそうした傾向が見られる。自分が遊び相手になれればいいのだが、針仕事から手が離せないのだろう。
「貞信、一緒に来るか」
西南の役から帰ってきて以来、やや人見知りしていた貞信だが、それもこのところはましになってきていた。
「はい」
こっくりと、貞信が頷く。
「よし、では行こうか」
剛介は、貞信の小さな手を握りしめた。
湯川沿いにつれづれなるままに歩いていくと、道はやがて河原町に差し掛かった。川を挟んで向こう側から、老人が大きく手を振っている。
「剛介殿」
思わず笑みを浮かべる。老人は、戊辰の役に助けてくれた、あの丸山である。
「丸山様」
大橋を渡り、丸山がこちらへやってきた。
「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
自然と、剛介は頭を下げた。
「剛介殿も。よくぞ西南の役からご無事で戻られました」
「ご存知でしたか」
もしかすると、義父の清尚が、自分の留守中に相談に行っていたのかもしれない。
「本当に、剛介殿は類稀なるものに守られているのでしょうな」
丸山は、相変わらず人の良さそうな笑顔を浮かべている。そんな父親を、息子は不審そうに見上げていた。
その息子の様子に気づき、剛介は「息子の貞信です」と、紹介した。
「しっかりしたお顔をされています」
自分の孫でも眺めるかの如く、丸山はにこりと笑った。
このところ貞信は利かん気を見せることが増えてきた。どうも気が強いところは、母親の伊都よりも、父親である自分に似てきたようである。だが、我が子であればそれも愛おしい。
「貞信。ご挨拶を」
躾けの出来ていない息子と思われたくなく、剛介は貞信に頭を下げさせた。
「遠藤、貞信と申します」
息子が、舌足らずの口でたどたどしく口上を述べた。
「良い御子ですな。丸山四郎右衛門と申します」
丸山も一人前の者に接するように、貞信に頭を下げた。もっとも、「四郎右衛門」の名跡は、既に長男の息子の胤孝に譲っていた。
丸山は、剛介をじっと見つめた。
一昔前に預かった二本松の種子が、若木となって次の世代を見せてくれるとは、あの頃は思いもよらなかった。そして、西南の役では華々しく活躍してきたというのは、かつての部下であった遠藤清尚からも聞いていた。剛介は活躍に応じた出世もしたのだが、それにしては浮かない顔の日々が続いているという。
「貞信殿も立ったままでは疲れるでしょう。そこの土手で休むといたしましょうか」
三人は、丸山に勧められるままに、土手に腰を下ろした。眼の前を、赤とんぼがひらひらと飛んでいく。
丸山としては、二本松の種子を引き受けるきっかけを作ったのが自分である以上、その行方も見届けたいと思うのは、自然な心情であった。
「西南の役で、何かありましたかな?」
丸山の質問に、剛介は週巡した。初めて出会ったときもそうだったが、この老人は洞察力に優れている。だが、会津の人間に胸の内を明かすには、やや躊躇われた。
「ご安心下され。この老体の胸の内に収めます」
週巡の気配を見せた剛介に、丸山は、小さく笑いかけた。その言葉に勇気をもらい、剛介はそっと呟いた。
「かの地で薩摩人の心中を聞いて、どう判断したものやら考えております」
「と言いますと?」
「戊辰の役も、西南の役も。薩摩の者全てが進んで身を投じていたわけではないと。そして、薩摩の若木を斬ってきたことについて」
「なるほど」
しばし、沈黙が訪れた。
戦だから仕方がなかった、で片付けられたら、簡単な話だったのかもしれない。剛介自身がかつては敗者として傷つけられながら成長し、この度の戦では官軍として赴いた。だが、剛介は「官軍」の言葉に陶酔できるほど、非情にもなりきれないのだろう。共に戦った宇都も、戊辰の役で自分が犯した罪に苛まれていたではないか。
非情になりきれない自分自身に、剛介は未だ戸惑っていた。
そして、「薩摩を憎みきれなくなった」という事は、これからの剛介自身の身を危うくしていく可能性をも秘めていた。剛介が薩摩についてどう思うかはともかく、実際に戻ってきてみれば、相変わらず、会津は国策として「奸賊」扱いされている。
また、斗南藩で苦渋を舐めさせられた者達も多く会津の地に戻ってきており、仮に剛介が薩摩の人間を庇い立てするようなことがあれば、今度は会津の人間から、剛介やその家族が責められるかもしれない。自分自身に嘘はつけないが、遠藤家の人々に自分の正直さのために迷惑をかけることも出来ない。
戊辰の役の悔しさを糧として奮起している者も多い会津で、これからどのように薩長の人間と向き合っていけば良いのか。難しい問題である。
まして、次男を殺されている遠藤家で相談できる話ではなかった。
「お優しいのですな」
息子をいたわるかの如く、丸山は優しく言った。
「非情になれぬことは、武士として、恥じるべきことでしょうか」
側に貞信がいるにも関わらず、剛介は思わず心情を吐露した。
「恥じることではありますまい。それも剛介殿の強さの一つでしょう」
「強さ……」
丸山の言葉に、剛介は思わず考え込んだ。
十四のあの頃の自分だったら、もっと楽に薩長を憎み、復讐を遂げた満足感に浸れていただろう。だが、今は薩摩にも「心ある者」がいることを真正面から受け止めるようになり、自分自身も多くの者を手にかけてきた。綺麗事を偉そうに語れる身ではない。
あの、田原坂で手に掛けてきた「西郷先生」と叫んでいた若者などは、まだ十五歳ではなかったか。かの少年が斬り込んできた際の心中は、あの頃の自分と、さして差はなかった気がする。
「父上?」
貞信が、剛介の膝に上ってきた。幼い息子なりに、何か察したのだろうか。
「大丈夫だ」
息子を安心させるように、剛介は息子を腕に抱きすくめた。貞信はしばし大人しくしていたが、やがて、もぞもぞと体を動かした。
「それにしても、よく似ておられますな」
微笑ましい父と息子の様子に、丸山が目を細めた。その言葉を聞いて、剛介も再び笑みを浮かべた。
かつて何度となく「半左衛門に似ている」と言われて気恥ずかしい思いをしたが、父となった今では、息子が似ていると言われるのは、素直に嬉しい。
「剛介殿は、もう十分に会津の為に尽くされたのではありませんか」
丸山は、静かに言った。
「そうでしょうか」
剛介は、そうは思えなかった。西南の役に出たのは、上司の言葉の挑発にうっかり乗った形であり、そこで多くの罪なき者を手にかけてきたような気もする。それなのに、それが出世の緒になりそうなのだが、何となく腑に落ちない。
そしてその先に待っているのは、また別の争いなのかもしれない。巡査という職に就いている以上、今のままでは、西南の役のような理不尽さと向き合わなければならないこともあるだろう。
「何も、戦で闘うばかりが功績ではありますまい」
丸山が微笑んだ。
「悌次郎など、元々は剣よりも学を好む者でしたからな。おかげで、今はようやっとそれで身を立てつつありますが」
その言葉に、剛介はかつての朋輩の言葉を思い出していた。
武を以て相手を倒そうとするのではなく、知を以て二本松を守る子らを育てたい。
水野が述べた言葉は、奇しくも、この丸山翁の息子らにも当てはまるのかもしれない。悌次郎の甥である胤孝もまた、南学館の教鞭を取っていたこともあった。
「故郷の朋輩も、同じようなことをしておりました」
剛介も、穏やかに微笑んだ。ただし、自分が同じ道を進もうとするには、どうしても遠藤家の嫡子の問題がつきまとう。元々、剛介が遠藤家の養子となったのも、嫡子としての役割を期待された面もあった。
「剛介殿が悩まれているのは、既にお心を決められかけているからではありませんか?」
丸山が、静かに問うた。その言葉に、思わず目を見開く。
「何のことでしょう」
「遠藤家の嫡子の話です」
剛介は、苦笑するに留めた。本当に、この老人はどこまでも洞察力が鋭い。きっと、自分が西南の役で今まで見聞きしてきたことを踏まえて、このままでは、いずれは会津にいられなくなることも見越しているのだろう。
「一つだけ、丸く収める方法がありますな」
「ええ」
丸山の言わんとしている選択は、多少なりとも息子を始め、遠藤家の人々を傷つけることになる。それでも、息子にはこの地で生まれ育ったことに誇りを持って、強く生きていってほしい。
「貞信。父の肩に乗るか?」
剛介は、息子に背を差し出した。遠慮なく貞信がその背に乗り、剛介は背を揺すってその貞信をさらに上に押し上げ、肩車の形にした。幼子には、視界が広々と開けてさぞかし気持ちが良かろう。
父の肩に乗った貞信の目には、焼け焦げた鶴ヶ城の遥か彼方に、会津の象徴である磐梯山が見えるはずであった。
「父上、磐梯のお山が見えます」
思った通り、頭上で、貞信が燥いだ声を上げた。
「今日は空が澄んでいるから、磐梯山がよく見えるだろう」
「はい」
そんな親子を、丸山は眩しげに見つめた。
「貞信殿。覚えておかれるが良い。そなたの父上は、誇り高く、強い二本松の武士であったことを」
驚いた様子で、貞信が首を丸山に向けた。危ない、とばかりに剛介は慌てて貞信を支え直す。だが、そんな一瞬の動作ですら愛おしかった。貞信の姿勢が安定すると、丸山に目礼した。
「剛介殿は二本松藩の大切な御子として育てられ、十四で戦に臨まれた。そして、自ら傷つけた者にも慈悲の心を持てる、真の武士である。そのような方の御子であることに、誇りを持たれよ」
ようやく三歳になろうか、という息子にはまだ難しい話かもしれない。だが、丸山翁の言葉は、剛介の背を押してくれるものだった。
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守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
影武者の天下盗り
井上シオ
歴史・時代
「影武者が、本物を超えてしまった——」
百姓の男が“信長”を演じ続けた。
やがて彼は、歴史さえ書き換える“もう一人の信長”になる。
貧しい百姓・十兵衛は、織田信長の影武者として拾われた。
戦場で命を賭け、演じ続けた先に待っていたのは――本能寺の変。
炎の中、信長は死に、十兵衛だけが生き残った。
家臣たちは彼を“信長”と信じ、十兵衛もまた“信長として生きる”ことを選ぶ。
偽物だった男が、やがて本物を凌ぐ采配で天下を動かしていく。
「俺が、信長だ」
虚構と真実が交差するとき、“天下を盗る”のは誰か。
時は戦国。
貧しい百姓の青年・十兵衛は、戦火に焼かれた村で家も家族も失い、彷徨っていた。
そんな彼を拾ったのは、天下人・織田信長の家臣団だった。
その驚くべき理由は——「あまりにも、信長様に似ている」から。
歴史そのものを塗り替える——“影武者が本物を超える”成り上がり戦国譚。
(このドラマは史実を基にしたフィクションです)
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