聖戦記

桂木 京

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第2章:亡国の皇女

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シエラの父、皇帝はシエラには優しかった。

一人娘と言うこともあり、シエラは大層可愛がられた。
臣下は男の世継ぎをと、弟の出生を望んだが皇帝は男児には恵まれなかった。

男の世継ぎが生まれなかった場合、生まれた女児を『男児として』世継ぎに育てると言う方法もこの世では常であったが、皇帝はそれをしなかった。

「器さえ備えていれば、性などは栓無き事だ。」

これが、皇帝の持論であった。男子には男子の、女子には女子の治世がある。世が平和であれば、それでよい、と。


シエラは母に似て美しく育った。
内政を学び、外交を学び、魔法を学び、剣を学んだ。
文武両道を絵に描いたようなシエラのその姿は、男の世継ぎをと騒いでいた臣下達を、たちまち黙らせる事となった。

シエラが世継ぎなら、帝国も安泰だ。
民はそう信じ、白き剣聖を讃えた。



そんな白き剣聖は、崩れ行く宮殿で、息絶えた父を見下ろしていた。
民はもはや生き残ってはいないだろう。
窓からは、赤い街しか見えない。

炎に包まれ、血にまみれ……
美しかった帝国は、僅か3日で地獄と化したのである。


「ジェイコフ……」
シエラは、父の手を胸で組み、白いハンカチで口許の血を拭う。

ジェイコフと呼ばれた老騎士は、素早くシエラの横に控える。

「周辺国家に危害が及んでいるかもしれません。まずは西のローランド王国へ行こうと思います。危害が無ければ、注意を喚起し、大陸じゅうに早馬をとばして戴きましょう。」

皇帝の亡骸に祈りを捧げると、シエラはネックレスを外し、皇帝の首にかけた。
母から貰った形見のネックレス。

「お父様……どうか天国で、お母様と安らかに……。大陸の平和は、私が取り戻して見せますわ……。」


目を閉じ、暫しの時を送る。それは、両親に対する、決別の時間。


「行きましょう。ゆっくりしている暇はありません。」

心配そうにシエラを見るジェイコフに告げる。

「悲しんでいる間にも、守れる命が失われる。それだけは嫌なのです。急いで救える命は、多い方が良いのです。」

皇女としての信念。
国を支えようとした、想い。

全てが砕かれても、シエラは想いだけは曲げたくなかった。

「……御意。」

そんなシエラの想いが伝わったからこそ、ジェイコフはもうなにも言わず、恭しく頭を下げるのであった。




焼け野原となった帝国の地を踏みながら、シエラは歩く。

向かう先は、西の国、ローランド王国。

『ローランド弓兵団』は大陸屈指の弓兵団であり、魔物や蛮族なとの進行を、遠距離から牽制し、食い止める事に特化した団である。

帝国も、1度だけ魔物侵攻の際、後方支援を依頼したことがある。
その時の弓兵団の展開は迅速且つ確実であり、魔物達の侵攻を目に見えて遅らせた。

その中心となるスナイパー・ガーネットという女がシエラは印象に残っていた。

弓兵団の遥か後方から、前方の的を寸分狂わず射抜いていく姿が、剣士であるシエラには印象的だったのだ。

(ガーネット……また、会えるかしら……)

特に面識はなかった。ただ、いつか力を貸して欲しい人物でもあった。


「そうですわ……」

歩みを進めながら、ふとジェイコフに視線を移す。

「旅の間は、私の事を殿下などと呼ぶことの無いように気を付けてください。私の素性が知られ、旅先にご迷惑をかけるわけには参りません。」

ジェイコフは、少々困った顔をする。
それもそのはず。
ジェイコフはシエラが生まれたときからずっとシエラを『殿下』と呼び続けてきたのだ。

「恐れながら殿下……なんとお呼びしたら良いか……」

「シエラ、と呼べば良いでしょう?」

即答で帰って来た、『殿下』からの返答に、ジェイコフの頭は真っ白になる。

「そのような不敬!私には!!」

シエラは苦笑い。そう言えばそうだった。ジェイコフは絵に描いたような朴念仁であったのだ。急に「名で呼べ」などと命を下しても、理解できるわけがない。

「困りましたわ……。あ、ではシエラ殿……では如何です?」

年齢差もあるので、出来れば自然に『シエラ』と呼んで欲しかったのだが、あまり不自然すぎても怪しまれる、と最大限譲歩した。

「シエラ……殿……。それならなんとか。」

ジェイコフも渋々頷く。

「ふふっ……それともお祖父様、シエラ、とでも呼び合いましょうか?」

そんな昔から変わらないジェイコフに、つい笑顔で絡んでしまう。

「お戯れを!!」

顔を真っ赤にして戸惑うジェイコフを見ながらシエラは思った。

ジェイコフだけでも生き残ってくれていて、本当に良かった、と。

「……守ってくれて、ありがとう。」

興奮するジェイコフに聞こえないように、シエラは笑顔で呟いた。

滅びた母国に別れを告げ、見送りもパレードもない出立。

これまでの栄華を極めた帝国からは想像もつかないその様子に、ジェイコフは唇を噛む。

「シエラ様……」

「何も言わないで下さい。もう、過ぎたこと、なのですから。」

シエラの心中を察し、慰めの言葉のひとつもかけようとジェイコフが開きかけた口を、シエラは自らの言葉で遮った。

「同じ不幸を……繰り返してはなりません。私たちは……そのために、戦いましょう。」

凛としたその表情に、ジェイコフは主の面影を見た。

(陛下……貴方様のお子は、若くして皇帝の器でございます……。どうか御安心を……)

込み上げてくるものを必死に堪えつつ、シエラのやや後方を歩く。


国境までの街道は、戦火を免れたのか、いつも通りののどかな自然溢れる風景であった。

「少し帝都を離れただけで、こんなに平和な風景が続くのですね……」

木漏れ日を浴びながら、シエラが寂しそうに呟く。

ローランド国王と、父皇帝は旧知の仲。
国家としての主従関係はあれども、ふたりの時は友人として接していた。

シエラも、幼少期よくローランド国王の膝の上で、皇帝とのチェスを眺めていたものである。

(いつもお父様は負けては、ローランドのおじ様に泣きついていましたっけ……)

あのときの光景を懐かしみ、2度と戻らないことを思い涙ぐむ。

「シエラ様……もう少し、帝都を振り返ってもよいのですぞ……?」

たまらずジェイコフが声をかける。

一瞬、ほんの一瞬だけ、シエラが迷ったように見えた。
しかし、すぐに前を見ると、静かに首を振り、

「良いのです。私は……振り返れない。」

再び、歩を進めた。
しかし、浮かない顔で後ろを歩くジェイコフに、1度だけ振り返る。

「でも……ありがとうございます、ジェイコフ。その優しさが、私の励みとなります。」

優しく、笑う。

ジェイコフの後方は帝都。
その空は赤く、燃えていた。
もう見るのもたくさんだ、と言わんばかりに踵を返し、街道を歩き始めるシエラ。

「さよなら……」

その後、シエラが帝都を振り返ることは無かった。

ローランドまでの街道は普段は野生の獣も野盗も現れない、平和な街道であるが、ジェイコフが進言する。

「この争乱のどさくさで、野盗が徘徊するやも知れません。油断無き様……」


シエラは、小さく頷いた。

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