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第9章:祈り
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ゼロもアインも、剣を構えたまま一歩も動かない。
そのまま、暫し時間が流れる。
「……ふたりとも、全く隙が無い……。」
シエラがふたりの様子を見て呟く。
シエラ自身も、『白の剣聖』と呼ばれる剣の達人。
しかし、そんな彼女に隙が無いと言わしめるほど、ゼロとアインの間に流れる空気は張りつめているのだ。
(どう攻める……?多分、勝負は一撃で決まる。)
ゼロは、全く隙を見せないアインに対し、どう攻撃をするのが有効かを考えていた。
相手は姉とはいえ、ゼロが全く敵わなかった、そして英雄のひとり・ジークハルトを倒した騎士リヒトと斬り合った将軍。
力の差は歴然。
しかし、負けることは許されない。
ゼロの思考回路は、この力の差をどう埋めるかでフル回転している状態だった。
そんなゼロを見て、アインはクスリと笑う。
「……よく思い出しなさい。父さんとの稽古の内容を。父さんが私にではなく、あなたにだけ教えたことがあったはずよ……?」
「俺にしか、教えなかったこと?俺と姉貴は、同じ剣技を習ったはずだろ……?」
必死に、少年期の記憶を呼び起こす。
ーーーゼロ、魔力を持たずに生まれたことを悔いることなんてない。剣士はそれを武器に出来る。人はわずかでも魔力を感じる力があるもの。だが、相手の魔力を一切感じることが出来なかったら、どうなる?---
「……そうか……。」
ゼロは、意を決しアインに向かって踏み出す脚に力をこめる。そして……。
「……ゼロ?」
様子を見守っていたシエラが、驚きの声を上げる。
ゼロは、目を閉じていたのだ。
アインも、先ほどの笑みはなく、真剣な表情でゼロに向かい合う。
「そう。完全に魔力を消すこと。それであなたの気配は敵に感じられない。あとは……。」
ゼロの動きに合わせるべく、アインは剣の切っ先をゼロの額に合わせる。
「あとは、スピード。気配を消せるなら、相手の視界からも消えなければならない。そのために必要なのは、『神速』とも言えるほどのスピードよ。」
「姉貴の視界から消えるほどの、スピード……。」
ゼロの心臓の鼓動が激しくなるのが分かる。
将軍となり、経験はゼロとは比べ物にならないほどの姉を上回り、且つ凌駕するほどのスピード。
果たして、今の自分にそんな力があるのか……。
「……そんなの、やってみなけりゃ分からねぇよ。」
葛藤も、恐怖もあった。
それでも、ゼロは腹を括った。
「どうしても、帰らなきゃならないんだ。俺は……。」
ーーー難しいことなど何もない。集中するんだゼロ。集中し、意識を研ぎ澄ませたその先に、剣士としての『先』が見えるはずだ。俺はそうだった。---
目を閉じた瞼の裏に、父の姿が映る。
(集中、集中……。)
ゼロは、あの頃の記憶を呼び起こす。
(集中、集中、集中……。)
次第に、周囲の音がよく聞こえるようになってくる。
(……これは……鎧の音?あぁ、姉貴のか……。)
少しだけ動いたアインの鎧の音をも聞き分ける。
「ゼロ……?」
目を閉じたままのゼロを心配するシエラ。
しかし、ゼロはそんなシエラの様子さえ把握し始めていた。
(心臓の鼓動……大丈夫さ。そんなに心配しなくても、負ける気がしないんだ。)
剣をアインに向ける。
実力の差は大きい。
今まで、ゼロが本気だと言って挑んだ稽古で、アインには1度たりとも勝利した記憶がない。
結局、何をしても防御され、通用しなかったのだ。
「ゼロ……ようやく、たどり着いたようね。」
アインの表情が緩む。
ーーーアイン、俺の剣はゼロに教えようと思う。お前には、もう少し女子としてのだな……、平凡な幸せを得て欲しいと思ってる。母さんが死んでから、家族を、ゼロを守ろうとして剣の道を選んでくれたことを俺は知ってるし、感謝もしている。でもな……。---
アインも、父・ツヴァイクの言葉を思い出していた。
ーーーでもな。力でみんなを守る役割は、ゼロがしっかり担ってくれるさ。アイツは天才だ。きっと、俺なんかゆうに超えていくーーー
「父さん、それでも私は……この道を歩んできたことを後悔してはいないわ。だって……。」
アインがじりじりと距離を詰め、そして一気に地を蹴る。
「……視えた!!」
その瞬間、ゼロの身体がアインの視界から消える。
アインが次にゼロの姿を確認した時には、もうゼロの剣はアインの胴を薙いでいた。
(……弟の成長する姿をこうして目の当たりにして……ちゃんと安心することが出来たから……。)
アインはそのまま。ゼロの後方に倒れた。
「ゼロ……見事よ。それが、あなたに眠る本当の力。父さんが自分を超えるだろうと言っていた……あなたの力よ……。」
倒れたまま笑うアイン。
「姉貴!!」
「アイン様!!」
ゼロとシエラは、倒れたアインのもとへ急いだ。
「姉貴!!……馬鹿野郎、こんな真剣な戦いで、俺に花を持たせる必要なんかないだろ!!」
アインを助け起こすゼロ。
少し遅れてシエラもふたりのもとにたどり着く。
「ふふっ……本当にそう思ってるの?」
「……え?」
ゼロの言葉にアインは小さく笑う。
「私は、本気だった。今までの人生で、あの黒騎士に負けた時と同じくらいの、本気よ。」
全力を出し切ったのだろう。アインの身体からは力が抜けきっていた。
「これが、あなたの本当の力。あなたはもともと、私を超える才能を持っていたのよ。それを引き出すきっかけが、無かっただけ……。」
近くにあるゼロの顔を、アインはそっと撫でる。
「嘘だろ……!じゃぁ、じゃぁ何で……。」
「……え?嘘……。」
慌てるゼロと、動揺を隠せないシエラ。
アインの身体が、少しずつ透けてきているのだ。
「どうして私の身体が消えてきているのか?よね?簡単なことよ。あなたが、この世界と決別しようとしているからよ。」
アインは、自分の身体が透けてきていることを驚かなかった。
うっすらと笑みを向け、ゼロとの会話を噛み締める。
「ゼロ……あなたは弱くなんてないわ。もっと自信を持ちなさい。人の話を良く聞いて、思い出すの。そこには必ずあなたを強くするヒントが隠されている。剣士としても、人間としても……ね。」
「何……今生の別れみたいな話してるんだよ。」
「馬鹿ね……。もう、今生の別れは済んでいるでしょう?本当なら、私とあなたは、こうして話せているわけがない存在同士なのよ?」
ゼロの脳裏に、エリシャ陥落の日の記憶が鮮明によみがえる。
「俺はまた……姉貴と別れるのかよ……。」
俯き、歯を食いしばるゼロ。
アインは、そんなゼロの頭を優しく撫でる。
「大丈夫。私はいつでもあなたの側にいる。それはあなたがいちばん良く分かっているはずでしょう?」
「……だけど。」
家族と別れるのは誰だって辛いもの。
ゼロは、これで姉との別れを2度、経験することになるのだ。
「シエラさん……もう少し近くにきて。」
アインは、俯いたままのゼロに苦笑いを向けると、少し後ろで様子を見守っていたシエラを呼ぶ。
「私……ですか?」
姉弟の別れの邪魔はしないでいようと、下がっていたシエラだったが、アインに呼ばれてゆっくりとアインの側による。
「あなたの武器は……剣だった?」
それは、唐突な問い。
「え?えぇ……。私が城で見つけたときには、剣でした……。」
シエラは、質問の意図が読み取れず、戸惑う。
「そう……。父が言っていたわ。『英雄の武器で、剣は俺の双剣だけだった』と。1本はゼロの魔剣。もう1本は、私の家に。では、あなたの武器は何なのか……。お父様は、剣士?」
「いえ……私の父は……え……?」
アインの問いで、シエラはあることに気付く。
「槍騎士……でした。いえ、ほぼ全ての武具に精通していた……。私にも、「全ての武器に精通してこそ、帝国を守る力になる」と……。」
シエラは、幼い時に父である英雄・ジークハルトの言った言葉を思い出した。
「そろそろ……お別れの時間ね。」
身体全体が淡く輝き始めたアイン。
「待ってくれ!まだ心の準備が……。」
「アイン様!!」
ゼロとシエラが呼び止めるも、アインの身体は徐々に見えなくなってくる。
「シエラさん、あなたの武器、それは……宝具。隠された力があるはずよ。それを探して……。」
「宝具……?分かりました。必ず。」
シエラは、アインの助言に強く頷く。
「ゼロ、あなたはもう強い。自信をもって、信念を持って生きてきなさい。あなたの身体には、父ツヴァイクの剣技が染みついている。魔剣が直ったら、私の家に行きなさい。私が遺した、もう一振りの剣をあなたに……。」
「姉貴!!」
もう、肉眼で見える限界にまで薄れてしまったアインの身体。
「もう一度言うわ。ゼロ、私はいつだってあなたの心の中にいる。あなたのことを見守っているわ。……生きるのよ、私の愛する弟……。」
「嫌だ……もう、姉貴と別れるのは……辛い。」
「大丈夫よ。あなたはもう、ひとりじゃない。あなたを支えてくれる人が、心配してくれる人がたくさん出来たでしょう?新しい出会いを、絆を……大切にしなさい。」
悲痛な表情を見せるゼロを、優しく見つめるアイン。
「……騎士になるなら、覚悟を決めなさい。私のお墓で、誓ってくれたでしょう?」
アインを葬った時に、ゼロはアインの墓の前で誓いを立てた。
その光景を思い出すゼロ。
「……分かった。姉貴……さよならだ。」
少しだけ考えて、ゼロは決意した。
その光景を、シエラはただ見守ることしかできなかった。
「……どうやって、帰ればいい?」
「私が消えれば、この世界の消滅が始まる。だから、あなたとシエラさん、ふたりで心を合わせて祈るのよ。元の世界のことを強く想って……。そうすれば、自然に目が覚めるわ。ゼロも、シエラさんも。」
決心したゼロに、安堵の表情を浮かべたアイン。
ゼロも、アインの言葉に強く頷く。
「姉貴……こうして言葉を交わすのは最後になるかもしれないけど、俺はずっと姉貴のことを尊敬してた。ずっと姉貴のことを自慢に思っていた。だから……。」
最後の別れは、エリシャ陥落の日にアインがしたように……。
「姉貴は、いつまでも俺の自慢の姉貴だ。それだけはずっと、変わらねぇ。」
アインに精一杯の笑顔を見せた。
そのゼロの笑顔に、アインは微笑んで小さく頷く。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「さよなら、ゼロ……。」
「あぁ……『またな』姉貴……。」
今度は、言葉などこの一言で十分だった。
お互い笑いあうと、アインの身体はついに消えた。
「……ゼロ……。」
シエラは、アインを見送ったゼロの背中にかける言葉が思い浮かばず、ゼロの名をひとこと、呼ぶしか出来なかった。
ゼロは大きく息を吐くと、両手で両頬を強く叩く。
「……よし!!」
自分の中で、気持ちに区切りをつけ、今度はシエラに向き直る。
「帰ろう。」
「……はい。」
ゼロはシエラに歩み寄る。
「本当に、ありがとうな。」
「何が……ですか?」
「迎えに来てくれて。俺、お前が迎えに来てくれなかったらずっと、この世界で暮らしたと思う。この虚構の世界に、ずっと。でも、本当に俺が生きるべきはこの世界じゃない。……そうだろう?」
もうすっかり、瞳には強い決意の光が見える。
シエラは、心から安堵した。
「……えぇ。本来の世界は、ゼロにとっては悲しい世界かもしれないけれど、私たちには、私にはゼロの力が……いいえ、ゼロが必要なんです。」
少し前のシエラなら、恥ずかしくて最後まで言えない言葉。
しかし、今のシエラは違った。
アインとの会話の中で、自分の本当の気持ちに気が付き始めてきたのだ。
「で、どうやって帰るか、だ……。」
ゼロが周囲を見回す。
エリシャの美しい街並みは、遠くから少しずつ溶けるように歪んでいく。
アインが消えたことで、この世界も終わりを迎えようとしていた。
「祈る……アイン様はそう仰ってました。私たちが元の世界のことを強く願い、祈れば戻れるということかもしれません。」
シエラが言う。ゼロも頷き、ふたりは同時に瞳を閉じる。
ふたりとも、一心に祈った。
アガレス軍に苦しめられている、現在の大陸のことを。
守るべき民のことを。
そして……。
シエラが、そっとゼロの手を取る。
ゼロは一瞬、驚いた顔を見せたが、
「……一緒に、帰りましょう。」
シエラの微笑みに、小さく頷くことで返し、再び瞳を閉じた。
(今度は、私がゼロを助ける番。いつだって、ゼロは私を助けてくれた。だから……私がゼロを支える。辛い時は、その辛さも分かち合えるように、いつか……。)
(こんな俺のために、命を顧みず飛び込んでくる『馬鹿』がいるんだ。俺も、それに応えなきゃならないし……絶対に守ってみせる。それが、俺が本当に帰りたいと思った理由だ……!)
足元から、強烈な風が吹きあがる。
ゼロとシエラは、繋いだ手に力を込めた。
そのまま、暫し時間が流れる。
「……ふたりとも、全く隙が無い……。」
シエラがふたりの様子を見て呟く。
シエラ自身も、『白の剣聖』と呼ばれる剣の達人。
しかし、そんな彼女に隙が無いと言わしめるほど、ゼロとアインの間に流れる空気は張りつめているのだ。
(どう攻める……?多分、勝負は一撃で決まる。)
ゼロは、全く隙を見せないアインに対し、どう攻撃をするのが有効かを考えていた。
相手は姉とはいえ、ゼロが全く敵わなかった、そして英雄のひとり・ジークハルトを倒した騎士リヒトと斬り合った将軍。
力の差は歴然。
しかし、負けることは許されない。
ゼロの思考回路は、この力の差をどう埋めるかでフル回転している状態だった。
そんなゼロを見て、アインはクスリと笑う。
「……よく思い出しなさい。父さんとの稽古の内容を。父さんが私にではなく、あなたにだけ教えたことがあったはずよ……?」
「俺にしか、教えなかったこと?俺と姉貴は、同じ剣技を習ったはずだろ……?」
必死に、少年期の記憶を呼び起こす。
ーーーゼロ、魔力を持たずに生まれたことを悔いることなんてない。剣士はそれを武器に出来る。人はわずかでも魔力を感じる力があるもの。だが、相手の魔力を一切感じることが出来なかったら、どうなる?---
「……そうか……。」
ゼロは、意を決しアインに向かって踏み出す脚に力をこめる。そして……。
「……ゼロ?」
様子を見守っていたシエラが、驚きの声を上げる。
ゼロは、目を閉じていたのだ。
アインも、先ほどの笑みはなく、真剣な表情でゼロに向かい合う。
「そう。完全に魔力を消すこと。それであなたの気配は敵に感じられない。あとは……。」
ゼロの動きに合わせるべく、アインは剣の切っ先をゼロの額に合わせる。
「あとは、スピード。気配を消せるなら、相手の視界からも消えなければならない。そのために必要なのは、『神速』とも言えるほどのスピードよ。」
「姉貴の視界から消えるほどの、スピード……。」
ゼロの心臓の鼓動が激しくなるのが分かる。
将軍となり、経験はゼロとは比べ物にならないほどの姉を上回り、且つ凌駕するほどのスピード。
果たして、今の自分にそんな力があるのか……。
「……そんなの、やってみなけりゃ分からねぇよ。」
葛藤も、恐怖もあった。
それでも、ゼロは腹を括った。
「どうしても、帰らなきゃならないんだ。俺は……。」
ーーー難しいことなど何もない。集中するんだゼロ。集中し、意識を研ぎ澄ませたその先に、剣士としての『先』が見えるはずだ。俺はそうだった。---
目を閉じた瞼の裏に、父の姿が映る。
(集中、集中……。)
ゼロは、あの頃の記憶を呼び起こす。
(集中、集中、集中……。)
次第に、周囲の音がよく聞こえるようになってくる。
(……これは……鎧の音?あぁ、姉貴のか……。)
少しだけ動いたアインの鎧の音をも聞き分ける。
「ゼロ……?」
目を閉じたままのゼロを心配するシエラ。
しかし、ゼロはそんなシエラの様子さえ把握し始めていた。
(心臓の鼓動……大丈夫さ。そんなに心配しなくても、負ける気がしないんだ。)
剣をアインに向ける。
実力の差は大きい。
今まで、ゼロが本気だと言って挑んだ稽古で、アインには1度たりとも勝利した記憶がない。
結局、何をしても防御され、通用しなかったのだ。
「ゼロ……ようやく、たどり着いたようね。」
アインの表情が緩む。
ーーーアイン、俺の剣はゼロに教えようと思う。お前には、もう少し女子としてのだな……、平凡な幸せを得て欲しいと思ってる。母さんが死んでから、家族を、ゼロを守ろうとして剣の道を選んでくれたことを俺は知ってるし、感謝もしている。でもな……。---
アインも、父・ツヴァイクの言葉を思い出していた。
ーーーでもな。力でみんなを守る役割は、ゼロがしっかり担ってくれるさ。アイツは天才だ。きっと、俺なんかゆうに超えていくーーー
「父さん、それでも私は……この道を歩んできたことを後悔してはいないわ。だって……。」
アインがじりじりと距離を詰め、そして一気に地を蹴る。
「……視えた!!」
その瞬間、ゼロの身体がアインの視界から消える。
アインが次にゼロの姿を確認した時には、もうゼロの剣はアインの胴を薙いでいた。
(……弟の成長する姿をこうして目の当たりにして……ちゃんと安心することが出来たから……。)
アインはそのまま。ゼロの後方に倒れた。
「ゼロ……見事よ。それが、あなたに眠る本当の力。父さんが自分を超えるだろうと言っていた……あなたの力よ……。」
倒れたまま笑うアイン。
「姉貴!!」
「アイン様!!」
ゼロとシエラは、倒れたアインのもとへ急いだ。
「姉貴!!……馬鹿野郎、こんな真剣な戦いで、俺に花を持たせる必要なんかないだろ!!」
アインを助け起こすゼロ。
少し遅れてシエラもふたりのもとにたどり着く。
「ふふっ……本当にそう思ってるの?」
「……え?」
ゼロの言葉にアインは小さく笑う。
「私は、本気だった。今までの人生で、あの黒騎士に負けた時と同じくらいの、本気よ。」
全力を出し切ったのだろう。アインの身体からは力が抜けきっていた。
「これが、あなたの本当の力。あなたはもともと、私を超える才能を持っていたのよ。それを引き出すきっかけが、無かっただけ……。」
近くにあるゼロの顔を、アインはそっと撫でる。
「嘘だろ……!じゃぁ、じゃぁ何で……。」
「……え?嘘……。」
慌てるゼロと、動揺を隠せないシエラ。
アインの身体が、少しずつ透けてきているのだ。
「どうして私の身体が消えてきているのか?よね?簡単なことよ。あなたが、この世界と決別しようとしているからよ。」
アインは、自分の身体が透けてきていることを驚かなかった。
うっすらと笑みを向け、ゼロとの会話を噛み締める。
「ゼロ……あなたは弱くなんてないわ。もっと自信を持ちなさい。人の話を良く聞いて、思い出すの。そこには必ずあなたを強くするヒントが隠されている。剣士としても、人間としても……ね。」
「何……今生の別れみたいな話してるんだよ。」
「馬鹿ね……。もう、今生の別れは済んでいるでしょう?本当なら、私とあなたは、こうして話せているわけがない存在同士なのよ?」
ゼロの脳裏に、エリシャ陥落の日の記憶が鮮明によみがえる。
「俺はまた……姉貴と別れるのかよ……。」
俯き、歯を食いしばるゼロ。
アインは、そんなゼロの頭を優しく撫でる。
「大丈夫。私はいつでもあなたの側にいる。それはあなたがいちばん良く分かっているはずでしょう?」
「……だけど。」
家族と別れるのは誰だって辛いもの。
ゼロは、これで姉との別れを2度、経験することになるのだ。
「シエラさん……もう少し近くにきて。」
アインは、俯いたままのゼロに苦笑いを向けると、少し後ろで様子を見守っていたシエラを呼ぶ。
「私……ですか?」
姉弟の別れの邪魔はしないでいようと、下がっていたシエラだったが、アインに呼ばれてゆっくりとアインの側による。
「あなたの武器は……剣だった?」
それは、唐突な問い。
「え?えぇ……。私が城で見つけたときには、剣でした……。」
シエラは、質問の意図が読み取れず、戸惑う。
「そう……。父が言っていたわ。『英雄の武器で、剣は俺の双剣だけだった』と。1本はゼロの魔剣。もう1本は、私の家に。では、あなたの武器は何なのか……。お父様は、剣士?」
「いえ……私の父は……え……?」
アインの問いで、シエラはあることに気付く。
「槍騎士……でした。いえ、ほぼ全ての武具に精通していた……。私にも、「全ての武器に精通してこそ、帝国を守る力になる」と……。」
シエラは、幼い時に父である英雄・ジークハルトの言った言葉を思い出した。
「そろそろ……お別れの時間ね。」
身体全体が淡く輝き始めたアイン。
「待ってくれ!まだ心の準備が……。」
「アイン様!!」
ゼロとシエラが呼び止めるも、アインの身体は徐々に見えなくなってくる。
「シエラさん、あなたの武器、それは……宝具。隠された力があるはずよ。それを探して……。」
「宝具……?分かりました。必ず。」
シエラは、アインの助言に強く頷く。
「ゼロ、あなたはもう強い。自信をもって、信念を持って生きてきなさい。あなたの身体には、父ツヴァイクの剣技が染みついている。魔剣が直ったら、私の家に行きなさい。私が遺した、もう一振りの剣をあなたに……。」
「姉貴!!」
もう、肉眼で見える限界にまで薄れてしまったアインの身体。
「もう一度言うわ。ゼロ、私はいつだってあなたの心の中にいる。あなたのことを見守っているわ。……生きるのよ、私の愛する弟……。」
「嫌だ……もう、姉貴と別れるのは……辛い。」
「大丈夫よ。あなたはもう、ひとりじゃない。あなたを支えてくれる人が、心配してくれる人がたくさん出来たでしょう?新しい出会いを、絆を……大切にしなさい。」
悲痛な表情を見せるゼロを、優しく見つめるアイン。
「……騎士になるなら、覚悟を決めなさい。私のお墓で、誓ってくれたでしょう?」
アインを葬った時に、ゼロはアインの墓の前で誓いを立てた。
その光景を思い出すゼロ。
「……分かった。姉貴……さよならだ。」
少しだけ考えて、ゼロは決意した。
その光景を、シエラはただ見守ることしかできなかった。
「……どうやって、帰ればいい?」
「私が消えれば、この世界の消滅が始まる。だから、あなたとシエラさん、ふたりで心を合わせて祈るのよ。元の世界のことを強く想って……。そうすれば、自然に目が覚めるわ。ゼロも、シエラさんも。」
決心したゼロに、安堵の表情を浮かべたアイン。
ゼロも、アインの言葉に強く頷く。
「姉貴……こうして言葉を交わすのは最後になるかもしれないけど、俺はずっと姉貴のことを尊敬してた。ずっと姉貴のことを自慢に思っていた。だから……。」
最後の別れは、エリシャ陥落の日にアインがしたように……。
「姉貴は、いつまでも俺の自慢の姉貴だ。それだけはずっと、変わらねぇ。」
アインに精一杯の笑顔を見せた。
そのゼロの笑顔に、アインは微笑んで小さく頷く。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「さよなら、ゼロ……。」
「あぁ……『またな』姉貴……。」
今度は、言葉などこの一言で十分だった。
お互い笑いあうと、アインの身体はついに消えた。
「……ゼロ……。」
シエラは、アインを見送ったゼロの背中にかける言葉が思い浮かばず、ゼロの名をひとこと、呼ぶしか出来なかった。
ゼロは大きく息を吐くと、両手で両頬を強く叩く。
「……よし!!」
自分の中で、気持ちに区切りをつけ、今度はシエラに向き直る。
「帰ろう。」
「……はい。」
ゼロはシエラに歩み寄る。
「本当に、ありがとうな。」
「何が……ですか?」
「迎えに来てくれて。俺、お前が迎えに来てくれなかったらずっと、この世界で暮らしたと思う。この虚構の世界に、ずっと。でも、本当に俺が生きるべきはこの世界じゃない。……そうだろう?」
もうすっかり、瞳には強い決意の光が見える。
シエラは、心から安堵した。
「……えぇ。本来の世界は、ゼロにとっては悲しい世界かもしれないけれど、私たちには、私にはゼロの力が……いいえ、ゼロが必要なんです。」
少し前のシエラなら、恥ずかしくて最後まで言えない言葉。
しかし、今のシエラは違った。
アインとの会話の中で、自分の本当の気持ちに気が付き始めてきたのだ。
「で、どうやって帰るか、だ……。」
ゼロが周囲を見回す。
エリシャの美しい街並みは、遠くから少しずつ溶けるように歪んでいく。
アインが消えたことで、この世界も終わりを迎えようとしていた。
「祈る……アイン様はそう仰ってました。私たちが元の世界のことを強く願い、祈れば戻れるということかもしれません。」
シエラが言う。ゼロも頷き、ふたりは同時に瞳を閉じる。
ふたりとも、一心に祈った。
アガレス軍に苦しめられている、現在の大陸のことを。
守るべき民のことを。
そして……。
シエラが、そっとゼロの手を取る。
ゼロは一瞬、驚いた顔を見せたが、
「……一緒に、帰りましょう。」
シエラの微笑みに、小さく頷くことで返し、再び瞳を閉じた。
(今度は、私がゼロを助ける番。いつだって、ゼロは私を助けてくれた。だから……私がゼロを支える。辛い時は、その辛さも分かち合えるように、いつか……。)
(こんな俺のために、命を顧みず飛び込んでくる『馬鹿』がいるんだ。俺も、それに応えなきゃならないし……絶対に守ってみせる。それが、俺が本当に帰りたいと思った理由だ……!)
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