30 / 92
第3章 蜜月
30 部屋風呂
しおりを挟む
部屋に戻ると、布団が二組並べて敷いてあった。品の良い和柄の掛け布団が柔らかな明かりに照らされ、枕の両脇にはまっさらなシーツが見える。どこか生々しいその光景に、千尋はつい委縮しかけていた。
全ては自分次第だと千尋は思う。今さらでも何でも、千尋が嫌だと言い出せば浅葉は手を出さないだろう。このまま勢いに任せてしまいたい気持ちもあるにはあるが、ちょっとワンクッション置いて冷静になってみようか……。
スリッパを脱いで上がりながらそんなことを考えていると、無意識のうちにベランダの水面に目が向いていた。
「お前、部屋風呂入るんだろ?」
「えっと……」
(でも、どうやって?)
「俺ちょっと飲み物買ってくるからさ」
浅葉はもう鍵を手にドアを開けている。
「十分で戻る」
と言い残して出ていくと、がちゃっと外から鍵を掛けた。
(全てお見通し、か)
確かに長尾が感心するだけのことはある。微妙な女心も、浅葉の手にかかれば何の障害にもならないようだ。
十分間のプライバシーを得た千尋は急いでトイレを済ませると、ベランダに二つ並んだ木の椅子に、洗面所に干してあった二人分のバスタオルをかけた。部屋の隅に浴衣を脱いで丸め、その中に下着を収める。
手桶に湯をすくって冷えた体をさっと流し、濡れて輝く御影石を跨いで湯に浸かった。少し迷ったが、ベランダのガラス戸は十センチほど開けておいた。よかったら一緒にどうぞ、というサインのつもりだ。浅葉の目の前で浴衣を脱ぐ度胸はないが、湯の中に隠れていれば何とかなるだろう。浅葉なら千尋を困らせるようなことはしない。
静かだった。目隠しの簾の下に隙間があり、浴槽の縁との間から外が見えた。大浴場の露天とは反対側を向いているらしく、眼下の明かりもだいぶ少ない。
千尋はわずかな街の灯を眺め、浅葉とこれまで辿ってきた道を振り返った。何だかできすぎているような気がしなくもない。ある日突然警察に呼ばれ、護衛の刑事と恋に落ちるなんて。それに……。
(こんなに魅力的な人が本当に私と?)
額に汗が浮くのを感じ、湯から半身を乗り出す。冷たい風を受けていると、あの庭園での浅葉の言葉が思い出された。理由がわかるぐらいなら苦労しない……。それは千尋だって同じだ。
どこが好きか、と問うなら、今となってはとにかく全部だった。まず単純にかっこいいし、命懸けで守ってくれた上に、蓋を開けてみればこんなに優しくて居心地のいい人。そういう誰もが惚れる要素に千尋もまた好意を抱いた、それだけのことかもしれない。
ただ、千尋の直感的な部分が、その単純な図式に当てはまらない何かを訴えていた。浅葉の何かに途方もない力で惹き付けられている気がする。まるでこうなることがあらかじめ決まってでもいたかのように……。
全ては自分次第だと千尋は思う。今さらでも何でも、千尋が嫌だと言い出せば浅葉は手を出さないだろう。このまま勢いに任せてしまいたい気持ちもあるにはあるが、ちょっとワンクッション置いて冷静になってみようか……。
スリッパを脱いで上がりながらそんなことを考えていると、無意識のうちにベランダの水面に目が向いていた。
「お前、部屋風呂入るんだろ?」
「えっと……」
(でも、どうやって?)
「俺ちょっと飲み物買ってくるからさ」
浅葉はもう鍵を手にドアを開けている。
「十分で戻る」
と言い残して出ていくと、がちゃっと外から鍵を掛けた。
(全てお見通し、か)
確かに長尾が感心するだけのことはある。微妙な女心も、浅葉の手にかかれば何の障害にもならないようだ。
十分間のプライバシーを得た千尋は急いでトイレを済ませると、ベランダに二つ並んだ木の椅子に、洗面所に干してあった二人分のバスタオルをかけた。部屋の隅に浴衣を脱いで丸め、その中に下着を収める。
手桶に湯をすくって冷えた体をさっと流し、濡れて輝く御影石を跨いで湯に浸かった。少し迷ったが、ベランダのガラス戸は十センチほど開けておいた。よかったら一緒にどうぞ、というサインのつもりだ。浅葉の目の前で浴衣を脱ぐ度胸はないが、湯の中に隠れていれば何とかなるだろう。浅葉なら千尋を困らせるようなことはしない。
静かだった。目隠しの簾の下に隙間があり、浴槽の縁との間から外が見えた。大浴場の露天とは反対側を向いているらしく、眼下の明かりもだいぶ少ない。
千尋はわずかな街の灯を眺め、浅葉とこれまで辿ってきた道を振り返った。何だかできすぎているような気がしなくもない。ある日突然警察に呼ばれ、護衛の刑事と恋に落ちるなんて。それに……。
(こんなに魅力的な人が本当に私と?)
額に汗が浮くのを感じ、湯から半身を乗り出す。冷たい風を受けていると、あの庭園での浅葉の言葉が思い出された。理由がわかるぐらいなら苦労しない……。それは千尋だって同じだ。
どこが好きか、と問うなら、今となってはとにかく全部だった。まず単純にかっこいいし、命懸けで守ってくれた上に、蓋を開けてみればこんなに優しくて居心地のいい人。そういう誰もが惚れる要素に千尋もまた好意を抱いた、それだけのことかもしれない。
ただ、千尋の直感的な部分が、その単純な図式に当てはまらない何かを訴えていた。浅葉の何かに途方もない力で惹き付けられている気がする。まるでこうなることがあらかじめ決まってでもいたかのように……。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる