22 / 118
第1章 弟子入り
20 始動
しおりを挟む
新藤邸に迎えられた一希の最初の仕事は、自分が使う布団を干すことだった。
一希が居候することになる「奥の四畳半」は洋間だった。「空けてやる」と簡単に言うぐらいだから物置にでもしていたのかと思えば、新藤が寝室として使っていたのだそうだ。確かに、正面の窓際にはシングルベッド。新藤自身はこれからどうするのかと聞けば、座敷で寝るという。
三和土仕上げの土間より一段高い廊下が奥へと伸び、左手に風呂とトイレ、右手にはまずその座敷がある。その隣が台所で、廊下からの入口は別になっているが、入ってみると座敷との間は曇りガラスの入った格子戸で仕切られ、続き間のようになっていた。
廊下は常に土足で歩くというわけではなく、引っ越し当日のあれは、すぐにまた土間に下りるとわかっている時に限った行動だったらしい。
住み込み初日早々、やることは山ほどあった。まずは長らく滞っていたらしき居住空間の掃除。車の荷台の工具類はきれいに片付いていたし、ちょっとした作業場になっているらしき土間を取り巻く棚も見事に整頓されている割に、仕事以外を目的とする部屋の汚れようには目を見張るものがあった。
いや、片付けは決して苦手ではないらしく、新聞は新聞、雑誌は雑誌でまとめられ、衣類もまだ着るつもりなのであろうものと洗うべきものは一応分けてある。しかし、埃やクモの巣はちょっとした見世物のレベルだ。
浴室と台所に至っては、細部に目をつぶり、とりあえず使えるようにするのが精一杯だった。空腹を感じる余裕もなかったが、昼に出前が届くと、一希も新藤とあまり変わらないスピードで平らげてしまった。
「お食事は普段どうされてるんですか?」
「どうって?」
「お台所はあまり……使われていないのかなと思いまして」
埃の積もったコンロが、つい先ほどまでその事実を切なげに訴えていた。
「調理にという意味なら、使うことはほぼ皆無だ。大抵はここの出前だからな。まあ、たまには店を変えることもあるが、他はどうしても割高でな」
「ここの出前」というのは、しっかりと鶏出汁の利いた芋粥と、外はこんがり中はふっくらの焼き鱒、そして多彩で飽きの来ない山菜のおひたし。それらに新藤の冷蔵庫から出てきた漬物を添えて食べた。献立は質素ながら、出前にしては栄養バランスはできすぎなぐらいだし、味も文句なし。これで他より安上がりなら、確かに習慣になってしまうのも頷ける。
しかし、独身男の家に転がり込んでおいて、毎日毎晩出前を取らせるというのはいかがなものか。それに、一希は家事の中でも料理には特に自信があった。
流しに皿を下げに向かう新藤の後ろ姿に声をかける。
「もしよかったら、明日から私、作ります」
「ん? 炊事をするとは言ってなかったと思うが」
「そう、でしたっけ?」
そうか、あの時点ではまさか居候することになるとは思ってもみなかったから……。
「でも、出前ばかりじゃ飽きるでしょうし、長期的にはきっと自炊の方が安く済みますよね」
「まあ、余裕があるならそうしてくれ」
「ちなみに、どういうものがお好きですか?」
「別に何でも構わん」
と言い残して去っていきそうになる新藤を慌てて呼び止める。
「あの、お買い物はどうすれば……」
振り向いた新藤は無言でしばし考えていたが、間もなく結論を一希に告げた。
「生活費の収支はお前に任せる。月ごとに二人分、現金で渡すことにしよう。その範囲でやりくりしてくれ。そうだ、こいつを……」
と、テレビ台の引き出しを探り出す。取り出されたのは、鍵。
「玄関の鍵だ。金は明日の晩までには用意しておく」
「あ、はい。ありがとうございます」
急遽重大な責任を負うことになった一希は、新藤流の家計簿を引き継ぎ、光熱費の目安や期日、支払い方法などの説明を受けた。
家事以外で一希に予定されているのは、契約書や領収書の整理、新藤の出動記録と今後の予定の確認、その合間に電話の取り次ぎ、備品の発注。
晩は昼食とともに鍋ごと届いていたらしき出前の豚汁を温め、大皿に並べられたお握りと一緒に食べた。梅にシャケにおかか。外側にも少し具が付いているのは中身がわかるようにという配慮だろう。なかなか気の利いた食堂だ。豚汁もごま油とにんにくの香りが絶妙で、何杯でも食べられそうなおいしさ。領収書には「食事処ナガイ」とある。
新藤は立ったまま豚汁を一杯掻き込んだだけで、台所から出ていこうとする。お腹はもう……と言いかけた一希と目が合うと、一歩下がり、頭から足元までしげしげと眺めた。一希は赤面してうつむく。
(まさか……本当にねんごろな展開に!?)
一希が居候することになる「奥の四畳半」は洋間だった。「空けてやる」と簡単に言うぐらいだから物置にでもしていたのかと思えば、新藤が寝室として使っていたのだそうだ。確かに、正面の窓際にはシングルベッド。新藤自身はこれからどうするのかと聞けば、座敷で寝るという。
三和土仕上げの土間より一段高い廊下が奥へと伸び、左手に風呂とトイレ、右手にはまずその座敷がある。その隣が台所で、廊下からの入口は別になっているが、入ってみると座敷との間は曇りガラスの入った格子戸で仕切られ、続き間のようになっていた。
廊下は常に土足で歩くというわけではなく、引っ越し当日のあれは、すぐにまた土間に下りるとわかっている時に限った行動だったらしい。
住み込み初日早々、やることは山ほどあった。まずは長らく滞っていたらしき居住空間の掃除。車の荷台の工具類はきれいに片付いていたし、ちょっとした作業場になっているらしき土間を取り巻く棚も見事に整頓されている割に、仕事以外を目的とする部屋の汚れようには目を見張るものがあった。
いや、片付けは決して苦手ではないらしく、新聞は新聞、雑誌は雑誌でまとめられ、衣類もまだ着るつもりなのであろうものと洗うべきものは一応分けてある。しかし、埃やクモの巣はちょっとした見世物のレベルだ。
浴室と台所に至っては、細部に目をつぶり、とりあえず使えるようにするのが精一杯だった。空腹を感じる余裕もなかったが、昼に出前が届くと、一希も新藤とあまり変わらないスピードで平らげてしまった。
「お食事は普段どうされてるんですか?」
「どうって?」
「お台所はあまり……使われていないのかなと思いまして」
埃の積もったコンロが、つい先ほどまでその事実を切なげに訴えていた。
「調理にという意味なら、使うことはほぼ皆無だ。大抵はここの出前だからな。まあ、たまには店を変えることもあるが、他はどうしても割高でな」
「ここの出前」というのは、しっかりと鶏出汁の利いた芋粥と、外はこんがり中はふっくらの焼き鱒、そして多彩で飽きの来ない山菜のおひたし。それらに新藤の冷蔵庫から出てきた漬物を添えて食べた。献立は質素ながら、出前にしては栄養バランスはできすぎなぐらいだし、味も文句なし。これで他より安上がりなら、確かに習慣になってしまうのも頷ける。
しかし、独身男の家に転がり込んでおいて、毎日毎晩出前を取らせるというのはいかがなものか。それに、一希は家事の中でも料理には特に自信があった。
流しに皿を下げに向かう新藤の後ろ姿に声をかける。
「もしよかったら、明日から私、作ります」
「ん? 炊事をするとは言ってなかったと思うが」
「そう、でしたっけ?」
そうか、あの時点ではまさか居候することになるとは思ってもみなかったから……。
「でも、出前ばかりじゃ飽きるでしょうし、長期的にはきっと自炊の方が安く済みますよね」
「まあ、余裕があるならそうしてくれ」
「ちなみに、どういうものがお好きですか?」
「別に何でも構わん」
と言い残して去っていきそうになる新藤を慌てて呼び止める。
「あの、お買い物はどうすれば……」
振り向いた新藤は無言でしばし考えていたが、間もなく結論を一希に告げた。
「生活費の収支はお前に任せる。月ごとに二人分、現金で渡すことにしよう。その範囲でやりくりしてくれ。そうだ、こいつを……」
と、テレビ台の引き出しを探り出す。取り出されたのは、鍵。
「玄関の鍵だ。金は明日の晩までには用意しておく」
「あ、はい。ありがとうございます」
急遽重大な責任を負うことになった一希は、新藤流の家計簿を引き継ぎ、光熱費の目安や期日、支払い方法などの説明を受けた。
家事以外で一希に予定されているのは、契約書や領収書の整理、新藤の出動記録と今後の予定の確認、その合間に電話の取り次ぎ、備品の発注。
晩は昼食とともに鍋ごと届いていたらしき出前の豚汁を温め、大皿に並べられたお握りと一緒に食べた。梅にシャケにおかか。外側にも少し具が付いているのは中身がわかるようにという配慮だろう。なかなか気の利いた食堂だ。豚汁もごま油とにんにくの香りが絶妙で、何杯でも食べられそうなおいしさ。領収書には「食事処ナガイ」とある。
新藤は立ったまま豚汁を一杯掻き込んだだけで、台所から出ていこうとする。お腹はもう……と言いかけた一希と目が合うと、一歩下がり、頭から足元までしげしげと眺めた。一希は赤面してうつむく。
(まさか……本当にねんごろな展開に!?)
0
あなたにおすすめの小説
罪悪と愛情
暦海
恋愛
地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。
だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる