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第3章 血の叫び
65 好き?
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食事が済むと、ミレイは自ら洗い物を買って出た。一希はありがたくそれに甘えさせてもらい、その間に風呂を沸かして、デザートにとさくらんぼを出してやった。新藤と先を争うようにそれをつまみながら、ミレイが言う。
「ねえ、お風呂、泡ブクにしていい?」
「ダメだ」
「ケチぃ」
「ケチとは何の関係もないだろ」
ミレイはぶつくさ言いながら浴室に向かい、ひときわ甲高い声を上げた。
「あれっ? ドア直ったんだ」
「直ったんじゃない。俺が直したんだ」
一希には全く心当たりのない話だった。
「直したって……何か壊れてましたっけ?」
「お前が来る前の話だ」
ミレイがその後を引き継いでしゃべり出す。
「ドア傾いて閉まんなくなっちゃっててね。でっかい隙間が開いてて丸見えでさ」
「丸見えなわけないだろ。せいぜい三センチぐらいなもんだ」
「だから、外から椅子で押しといてもらってやっと入れるみたいな」
「それは大変だったね」
一希はその光景を思い浮かべて苦笑する。誰が覗くわけでもないとはいえ、十四歳のミレイにとって三センチの隙間は死活問題だったろう。
すごーい、と歓声を上げながらひとしきり脱衣所のドアを開け閉めしていたミレイが、ふと顔を出し、冷やかすような流し目を新藤に送った。
「そっか、一希ちゃんのためだ。やっさしーい! 私が何回言っても無視したくせに」
どうやらミレイの「家出」経験は一度や二度ではないようだ。
「お前はここに住んでないだろ。いいから早く入れ」
新藤がミレイを脱衣所に押し込んでドアを閉めると、今度は鍵を開閉する音が続く。
「壊すなよ」
と新藤が声を上げると、何十回目かで鍵が閉まり、ようやく静まった。
「面白いですね、ミレイちゃん」
「いちいち大げさで困る」
「あの……トイレの鍵も、もしかして私のために?」
年季の入ったドアに対して、鍵だけが新しそうだなという気はしていた。
「別にお前のためってわけじゃ……」
もちろんお互いのためであり、平穏な共同生活のためだろう。それでも、一希が越してくるからと新藤が手間をかけて準備をしてくれたことが嬉しかった。
一希は、風呂から出てきたミレイを台所に迎え、デザートの追加でびわを出してやった。テーブルを挟み、コツを教えてやりながらびわを剥いては口に入れ、芸能人の噂話で盛り上がっていると、途中で新藤が顔を出した。
「ミレイ、奥の洋室は冴島の部屋になったからな。お前は座敷で寝ろ」
「えー? 一希ちゃん一緒に寝ようよ」
「あ、うん、ミレイちゃんさえよければ」
ミレイは嬉々として布団を運び込み、一希の部屋の床に落ち着いた。豆電球の下で床に就くと、ミレイはその瞬間を待ち構えていたかのように口を開いた。
「ね、一希ちゃん、ケンケンのこと好き?」
「え?」
先ほどの新藤のように「アホか」で済ませられれば楽なのだが。
「好きって……そりゃ、先生として尊敬してはいるけど……」
「けど?」
一希は言葉に詰まった。
「私にとっては……ほら、あくまで先生だから」
「いいじゃん、生徒が先生のこと好きだって。相手が何者かとか、年がどうとか、そんなの関係ないよ。好きは好きだもん」
(括りを……忘れる?)
新藤の言葉を思い出した。いや、こういう文脈について言われたわけではない。でも、ほんの一瞬、今なら括りを忘れられそうな気がした。あの時はとてつもなく難しいことに思えたのに。今だって、少しもそんな境地に近付けた気はしないのに。でも、人が属する括りに一切囚われず、純粋に一人の人間として見ることができたら、それは一体どれほど甘美だろう。
「ねえ、お風呂、泡ブクにしていい?」
「ダメだ」
「ケチぃ」
「ケチとは何の関係もないだろ」
ミレイはぶつくさ言いながら浴室に向かい、ひときわ甲高い声を上げた。
「あれっ? ドア直ったんだ」
「直ったんじゃない。俺が直したんだ」
一希には全く心当たりのない話だった。
「直したって……何か壊れてましたっけ?」
「お前が来る前の話だ」
ミレイがその後を引き継いでしゃべり出す。
「ドア傾いて閉まんなくなっちゃっててね。でっかい隙間が開いてて丸見えでさ」
「丸見えなわけないだろ。せいぜい三センチぐらいなもんだ」
「だから、外から椅子で押しといてもらってやっと入れるみたいな」
「それは大変だったね」
一希はその光景を思い浮かべて苦笑する。誰が覗くわけでもないとはいえ、十四歳のミレイにとって三センチの隙間は死活問題だったろう。
すごーい、と歓声を上げながらひとしきり脱衣所のドアを開け閉めしていたミレイが、ふと顔を出し、冷やかすような流し目を新藤に送った。
「そっか、一希ちゃんのためだ。やっさしーい! 私が何回言っても無視したくせに」
どうやらミレイの「家出」経験は一度や二度ではないようだ。
「お前はここに住んでないだろ。いいから早く入れ」
新藤がミレイを脱衣所に押し込んでドアを閉めると、今度は鍵を開閉する音が続く。
「壊すなよ」
と新藤が声を上げると、何十回目かで鍵が閉まり、ようやく静まった。
「面白いですね、ミレイちゃん」
「いちいち大げさで困る」
「あの……トイレの鍵も、もしかして私のために?」
年季の入ったドアに対して、鍵だけが新しそうだなという気はしていた。
「別にお前のためってわけじゃ……」
もちろんお互いのためであり、平穏な共同生活のためだろう。それでも、一希が越してくるからと新藤が手間をかけて準備をしてくれたことが嬉しかった。
一希は、風呂から出てきたミレイを台所に迎え、デザートの追加でびわを出してやった。テーブルを挟み、コツを教えてやりながらびわを剥いては口に入れ、芸能人の噂話で盛り上がっていると、途中で新藤が顔を出した。
「ミレイ、奥の洋室は冴島の部屋になったからな。お前は座敷で寝ろ」
「えー? 一希ちゃん一緒に寝ようよ」
「あ、うん、ミレイちゃんさえよければ」
ミレイは嬉々として布団を運び込み、一希の部屋の床に落ち着いた。豆電球の下で床に就くと、ミレイはその瞬間を待ち構えていたかのように口を開いた。
「ね、一希ちゃん、ケンケンのこと好き?」
「え?」
先ほどの新藤のように「アホか」で済ませられれば楽なのだが。
「好きって……そりゃ、先生として尊敬してはいるけど……」
「けど?」
一希は言葉に詰まった。
「私にとっては……ほら、あくまで先生だから」
「いいじゃん、生徒が先生のこと好きだって。相手が何者かとか、年がどうとか、そんなの関係ないよ。好きは好きだもん」
(括りを……忘れる?)
新藤の言葉を思い出した。いや、こういう文脈について言われたわけではない。でも、ほんの一瞬、今なら括りを忘れられそうな気がした。あの時はとてつもなく難しいことに思えたのに。今だって、少しもそんな境地に近付けた気はしないのに。でも、人が属する括りに一切囚われず、純粋に一人の人間として見ることができたら、それは一体どれほど甘美だろう。
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