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第4章 命賭す者
113 誓い
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「わかりました。謹んでお引き受けします。その違法行為」
「まあ、そう言うなって。心配いらん。捕まるようなヘマをする連中じゃない。お前が言いふらしさえしなきゃそれでいい。ただし……」
新藤が言い淀む。
「言うまでもないが、俺がスムであることはほぼ間違いないぞ。しかも、それを確かめる術は今のところない。まあ、そっちの技術も鋭意開発中だとは言ってたが、いつになるかわからん」
「もちろん構いません。実は、以前ある人に言われたんです。括りを忘れろって」
新藤の片頬がひゅっとへこむ。
「でも、敢えて忘れようとするまでもないっていうか……括りなんて自動的に吹っ飛ぶものですね。恋をすると」
床に目を落とした新藤は一瞬涙ぐんだように見え、それをごまかすように後頭部をポリポリと掻く。
「……そうだな」
と、答えた声はかすれていた。
一希は今さら悟った。想い人を一度完全に諦めざるを得なかった己の強さを。
未練だけはずっと引きずっていたけれど、もう叶うことはないのだと自分に言い聞かせ続けた甲斐あって、これは一希にとっては、一度は失った恋。いわば拾い物だ。
一方、新藤はこの二年間、きっと手を尽くして探し回ったに違いない。自分の実親の行方や、一希との繋がりの裏付けを。一希がいつ誰に嫁いでいってしまうかもわからない中で、無駄になるかもしれない心血を注いだことだろう。その成果が、この遺伝子検査という選択肢だ。
「それから、もう一つ問題というか……」
「はい、何でしょう?」
「親子関係を調べるのと兄弟関係を調べるのでは、解析方法が違うらしくてな。親子の方は結果も早いが、兄弟の場合は今の技術では不明瞭な結果しか出ないと言われてる。それが異母兄弟となればなおさらで、血縁の有無を結論付けるだけの精度にたどり着くのが……一年から三年後だそうで」
一瞬、気が遠くなりそうになる。なんと長い待ち時間だろう。しかし、一希の意思は明白だった。
「じゃあ……今すぐお願いして、急いでもらいましょう、その研究」
「ん」
しかし、新藤は今ひとつすっきりしない面持ちだ。
「まあ、そうは言っても……あれだな。まあ、わからんよりわかった方がいい、ぐらいに考えとけばいいんじゃないか?」
「つまり?」
「つまり、検査を受けるからといって、お前の行動は……何ら制限を受けない」
そう来ると思った。
「要するに?」
「要するに……お前には結果を待つ義務はない、ってことに……なるな、まあ、一応」
露骨に歯切れが悪くなる新藤の気持ちは、痛いほどわかった。残念ながら今はまだ、契りを交わす時ではない。
「それはまあ、お互い様、ってことで……」
それぞれが自分自身に誓いを立てる以外に、何ができよう。ふと見つめ合った数秒の間に、新藤の疲労と憂いがじわりと滲み出してくる。
どうにかして労ってやりたい。元気づけてやりたい。できることなら抱き締めてやりたい。
「お前今いくつだ?」
「二十三になりました」
「三年経ったら?」
「しわくちゃのお婆ちゃんです」
新藤が露骨に青ざめる。
「冗談ですよ。……わかってます。何も気にせず好きにしますからご安心を。でも、結果が出るまで……出てからも、どうなっても、他人同士だなんて言わないでくださいね」
先日新藤から電話をもらうまでの二年の空白を思った。一方的に手紙を送り、ただ無事を祈ることしかできなかった長い長い二年を。
「たまには電話で仕事の相談ぐらいさせてください。結果がどうであれ、先生は……私の先生なんですから」
もちろん、できれば先生で終わってほしくはない。そんな自分の心の声に、照れ臭くなってうつむく。新藤の視線を感じるが、顔を上げることができなかった。
新藤が低く呟く。
「例のカルサ六の時にな」
「はい」
誰もが初めて目にした希少な兵器。新藤と檜垣が最終的に爆破処理したあの案件だ。
「檜垣に見捨てられた」
「えっ?」
一希は一瞬耳を疑ったが、新藤の表情はなぜか幸福そうにすら見える。
「お前がやるなら俺も付き合う、と、あいつなら言うだろうと思った。そう言われちまえば、こっちだって巻き込むのは嫌だから安全策の方を取るだろ」
「そうですね」
危険な選択肢を諦めさせるには、それが一番手っ取り早い。
「しかし、実際にはな」
新藤はあの日を懐かしむように目を細める。
「悔いのないようにしろ。……そう言われたんだ」
一希は言葉を失った。
「責任者交代の署名をしてやるから、やりたきゃ一人でやれ、と」
あれほどにこやかで優しい檜垣が、そんな冷たいことを?
新藤があのカルサの安全化に未練を残していたのは、後日映像で見ただけでも一目瞭然だった。そんな様子の親しい同僚にかけたのがその言葉とは、確かに見捨てたとしか思えない。いくら相手の実力を信頼しているとはいっても……。
「まあ、あいつがそんなことを言うとは驚きだったが、それ以上に……俺は自分が迷ってることに驚いた」
一希はあの現場映像を思い出す。長い迷いだった。一体何分かかっただろう。眉をぎゅっと寄せたまま佇む新藤の姿を見つめ、一希は結末を知りながらも祈らずにはいられなかった。
「よくわからんが、迷いがある以上はやめだと決めた」
一希は改めて安堵に震える思いだった。新藤を突き放して選択を委ねた檜垣を恨みたくなる。
「爆破を終えて家に帰ってみたら……」
新藤の目がこちらを向いた。
「お前が泣いてた」
一希はあの日に引き戻されたような錯覚を覚え、思わず涙ぐむ。
「それを見て……ああ、これだったのか、と」
「え?」
不意に手を握られ、一希は息を呑んだ。
「俺の死ねない理由だ」
艶を帯びた新藤の瞳に、吸い込まれそうになる。繋がれた手をそっと握り返すと、新藤の鼓動が伝わってきた。
この温もりを、今度こそ信じよう。一希はそう決意した。
病室の窓から見える西の空には、桃色に染まった雲。奔放に浮かぶその姿は、明日の晴天を予感させた。
「まあ、そう言うなって。心配いらん。捕まるようなヘマをする連中じゃない。お前が言いふらしさえしなきゃそれでいい。ただし……」
新藤が言い淀む。
「言うまでもないが、俺がスムであることはほぼ間違いないぞ。しかも、それを確かめる術は今のところない。まあ、そっちの技術も鋭意開発中だとは言ってたが、いつになるかわからん」
「もちろん構いません。実は、以前ある人に言われたんです。括りを忘れろって」
新藤の片頬がひゅっとへこむ。
「でも、敢えて忘れようとするまでもないっていうか……括りなんて自動的に吹っ飛ぶものですね。恋をすると」
床に目を落とした新藤は一瞬涙ぐんだように見え、それをごまかすように後頭部をポリポリと掻く。
「……そうだな」
と、答えた声はかすれていた。
一希は今さら悟った。想い人を一度完全に諦めざるを得なかった己の強さを。
未練だけはずっと引きずっていたけれど、もう叶うことはないのだと自分に言い聞かせ続けた甲斐あって、これは一希にとっては、一度は失った恋。いわば拾い物だ。
一方、新藤はこの二年間、きっと手を尽くして探し回ったに違いない。自分の実親の行方や、一希との繋がりの裏付けを。一希がいつ誰に嫁いでいってしまうかもわからない中で、無駄になるかもしれない心血を注いだことだろう。その成果が、この遺伝子検査という選択肢だ。
「それから、もう一つ問題というか……」
「はい、何でしょう?」
「親子関係を調べるのと兄弟関係を調べるのでは、解析方法が違うらしくてな。親子の方は結果も早いが、兄弟の場合は今の技術では不明瞭な結果しか出ないと言われてる。それが異母兄弟となればなおさらで、血縁の有無を結論付けるだけの精度にたどり着くのが……一年から三年後だそうで」
一瞬、気が遠くなりそうになる。なんと長い待ち時間だろう。しかし、一希の意思は明白だった。
「じゃあ……今すぐお願いして、急いでもらいましょう、その研究」
「ん」
しかし、新藤は今ひとつすっきりしない面持ちだ。
「まあ、そうは言っても……あれだな。まあ、わからんよりわかった方がいい、ぐらいに考えとけばいいんじゃないか?」
「つまり?」
「つまり、検査を受けるからといって、お前の行動は……何ら制限を受けない」
そう来ると思った。
「要するに?」
「要するに……お前には結果を待つ義務はない、ってことに……なるな、まあ、一応」
露骨に歯切れが悪くなる新藤の気持ちは、痛いほどわかった。残念ながら今はまだ、契りを交わす時ではない。
「それはまあ、お互い様、ってことで……」
それぞれが自分自身に誓いを立てる以外に、何ができよう。ふと見つめ合った数秒の間に、新藤の疲労と憂いがじわりと滲み出してくる。
どうにかして労ってやりたい。元気づけてやりたい。できることなら抱き締めてやりたい。
「お前今いくつだ?」
「二十三になりました」
「三年経ったら?」
「しわくちゃのお婆ちゃんです」
新藤が露骨に青ざめる。
「冗談ですよ。……わかってます。何も気にせず好きにしますからご安心を。でも、結果が出るまで……出てからも、どうなっても、他人同士だなんて言わないでくださいね」
先日新藤から電話をもらうまでの二年の空白を思った。一方的に手紙を送り、ただ無事を祈ることしかできなかった長い長い二年を。
「たまには電話で仕事の相談ぐらいさせてください。結果がどうであれ、先生は……私の先生なんですから」
もちろん、できれば先生で終わってほしくはない。そんな自分の心の声に、照れ臭くなってうつむく。新藤の視線を感じるが、顔を上げることができなかった。
新藤が低く呟く。
「例のカルサ六の時にな」
「はい」
誰もが初めて目にした希少な兵器。新藤と檜垣が最終的に爆破処理したあの案件だ。
「檜垣に見捨てられた」
「えっ?」
一希は一瞬耳を疑ったが、新藤の表情はなぜか幸福そうにすら見える。
「お前がやるなら俺も付き合う、と、あいつなら言うだろうと思った。そう言われちまえば、こっちだって巻き込むのは嫌だから安全策の方を取るだろ」
「そうですね」
危険な選択肢を諦めさせるには、それが一番手っ取り早い。
「しかし、実際にはな」
新藤はあの日を懐かしむように目を細める。
「悔いのないようにしろ。……そう言われたんだ」
一希は言葉を失った。
「責任者交代の署名をしてやるから、やりたきゃ一人でやれ、と」
あれほどにこやかで優しい檜垣が、そんな冷たいことを?
新藤があのカルサの安全化に未練を残していたのは、後日映像で見ただけでも一目瞭然だった。そんな様子の親しい同僚にかけたのがその言葉とは、確かに見捨てたとしか思えない。いくら相手の実力を信頼しているとはいっても……。
「まあ、あいつがそんなことを言うとは驚きだったが、それ以上に……俺は自分が迷ってることに驚いた」
一希はあの現場映像を思い出す。長い迷いだった。一体何分かかっただろう。眉をぎゅっと寄せたまま佇む新藤の姿を見つめ、一希は結末を知りながらも祈らずにはいられなかった。
「よくわからんが、迷いがある以上はやめだと決めた」
一希は改めて安堵に震える思いだった。新藤を突き放して選択を委ねた檜垣を恨みたくなる。
「爆破を終えて家に帰ってみたら……」
新藤の目がこちらを向いた。
「お前が泣いてた」
一希はあの日に引き戻されたような錯覚を覚え、思わず涙ぐむ。
「それを見て……ああ、これだったのか、と」
「え?」
不意に手を握られ、一希は息を呑んだ。
「俺の死ねない理由だ」
艶を帯びた新藤の瞳に、吸い込まれそうになる。繋がれた手をそっと握り返すと、新藤の鼓動が伝わってきた。
この温もりを、今度こそ信じよう。一希はそう決意した。
病室の窓から見える西の空には、桃色に染まった雲。奔放に浮かぶその姿は、明日の晴天を予感させた。
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