恋の駆け出し記念日 ~23歳の地味処女にやたら優しいイケメンは、誰よりも真面目なワケありプレイボーイでした~

生津直

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第1章 天下の遊び人

10 サシ飲み

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 七時五十分。遅刻するのが怖くて早めに蔵崎駅にやってきた悦子は、改札を出て構内の白い柱の前に落ち着いた。

 後になって考えれば考えるほど不可解だった。美人でスタイルが良く垢抜あかぬけて社交にもけた女性たちをいくらでも渡り歩ける大輝が、悦子ほど三枚目でダサくて暗い女に興味を持つとは信じ難い。これまでの人生に照らせば、大輝ほど経験豊富な男が自分を見下さない理由が思い浮かばなかった。

 悦子にわざわざ慣れないことをさせ、その無様ぶざまな姿を面白がる人なら過去にいくらでもいたし、例えば今日の約束をすっぽかして悦子を傷付けたいとか、そういう動機だとすればありうる話だ。しかし、悦子の記憶の中の大輝はそんな人物ではなかった。

 もちろん口説かれているなんてことはあり得ないのだから、初めて会った時のネガティブトークに同情でもして親切に話を聞いてくれるつもりだろうか。あるいは、彼から見れば悦子は別世界の人間であるだけに、何らかの研究対象として学術的な関心が湧いたとか。そうだそうだそうに違いないそうに決まっている。

 身じろぎもせずその場にたたずみ、背後の柱と同化しかけた頃、横からぽんと肩を叩かれた。

「お待たせ」

 思わずはっと息を呑み胸を押さえた悦子は、大輝の笑顔に言葉を失い、ただ会釈えしゃくした。

「そんなにびっくりしなくても」

と、美しい眉が八の字を描く。ネクタイこそしていないが、紺のスーツ姿だった。つくづく何を着ても様になる。

「何か食べたいものある?」

「いえ、特に……」

「居酒屋かバーだったら?」

「あ、じゃあ、居酒屋で……」

 オッケー、と言って歩き出しながら、大輝は電話をかけ始めた。

「あ、こんばんはー。二名なんですけど、今から個室って入れます?」

(こ、個室……?)

「あ、じゃお願いします。峰岸です。五分ぐらいで着きますんで。はい、どうもー」

 電話をポケットにしまうと、キラキラしたその笑顔が悦子の方を向いた。

「ごめんね、待ちすぎて眠くなっちゃったんじゃない? うまいことつぶせた?」

「あ、はい、大丈夫です。会社の近くの本屋さんとか、うろうろして」

「あ、そういう手があったか。……そういや仕事って何してんの?」

「何ってほどのものでもないんですけど……派遣で事務を」

「ふーん。職場は何系の会社?」

「えっと……医療とか介護とかの人材を育成したり、派遣したり」

「へえ。その中で事務っつったら、やることいっぱいあんでしょ」

「そう……なんですけど、私は一番単純な部分だけを」

「例えば?」

「書類関係が多くて、請求書、領収書とか、あと受講証とか修了証を作ったり、送ったり」

「それが結構な量で肩凝ったり?」

 そのからっとした笑い声に悦子もつられて笑う。ここね、と大輝が指差したビルの階段を上がり、入口で大輝が名前を告げると、すぐに個室へと案内された。悦子は大輝に促され、奥の席に座る。割り箸と取り皿が二人分向かい合っていたが、大輝は悦子の正面を素通りして右隣九十度の位置に腰を下ろした。

「ドリンクお決まりでしたらお伺いします」

「どうする?」

 ジャケットを脱いだ大輝が悦子の目の前にドリンクメニューを掲げる。悦子は特に強い希望があるわけではない。一人の時は店の系統や頼む料理やその日の気分で何となく決めているだけだし、男性と二人でテーブルに着くことなど無論初めてだ。

(どうしよ、早く決めなきゃ、いきなりグズ丸出しじゃない)

 その時、

「ちょっと考えます」

という大輝のにこやかな声が、焦り始めた悦子を救った。決まりましたらボタンでお呼びください、と店員が引き戸を閉め、早足で遠ざかる。

「結構何でもいけちゃうクチ?」

「あ、はい。わりと、そうですね、幅広く」

 悦子はメニューをひと通り目で辿りながら、横目でちらりと大輝の方を見やる。

「もしかして、俺に合わせようとか思ってる?」

 図星だった。

「ダメ……ですか? 合わせちゃ」

「俺はもう決まってるけど、教えない。君が決めるまで」

 この、人を小馬鹿にしたようでいてどこか楽観的な空気をかもす独特の声質とイントネーション。心をかす魔法だ。
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