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第3章 女たちの恋模様
38 お見舞い
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翌朝、バナナを食べて薬を飲み終えると、大輝から電話がかかってきた。
「具合どう?」
「うん、そんなにひどくはないんだけどね。なんか、だるいのと、微妙に寒気っていうか」
「やっぱりね。今日休みますって会社に電話した頃かなあと思って」
「どうしてそれを……」
「昨日の時点でもう熱あったよ。今は? 測った?」
「あ、今ちょうど……、えっと、七度八分」
「結構あるね。ねえ、行っていい? お見舞い」
「え? ちょっと、なんで?」
思いがけない展開に、感激と焦りで声が上ずった。今日辺り掃除しなければと思っていたところだから、部屋はきれいとは言い難い。
「俺の責任でもあるし……実はもう駅まで来てんだよね。ていうか着いたわ。これどうやんの? 部屋番号の後に呼出ボタンを押してください……」
「あ……五〇二」
すぐに階下からの呼び鈴が鳴り、画面に大輝の姿が映る。
(行っていい、って、来ちゃってから言われても……)
しかし追い返す気などないことは自分でもわかっている。解錠すると、間もなく部屋の呼び鈴が鳴った。うつしては申し訳ないと、マスクを着けてドアを開ける。大輝は、
「あれ、どちら様?」
とおどけて首を傾げるなり、悦子のマスクをひょいと下げて、チュッとキスした。風邪うつるよ、と言おうとした悦子の目の前で、コンビニの袋が振り子のように揺れた。
「お腹は平気? 適当にプリン系買ってきてみたけど」
「あ……わざわざありがとう。後でもらうね」
中へ案内しながら、今日の大輝の装いを眺める。第一ボタンの開いた紺のワイシャツに、下はベージュのスラックスと焦げ茶の革靴だ。そこへ、大輝の携帯が鳴りだした。
「あ、ごめん、ちょっと出るね」
そういえば、一緒にいる時に大輝の電話が鳴るのは初めてだ。
「もしもーし。ああ、そうそう、ちょっとね、急用で。セミナーは予定通り行くから。何かあったら電話して。ほーい。じゃあね」
電話を切ると、悦子をベッドに座らせる。
「これ飲む?」
と大輝が差し出したのは、ペットボトルのスポーツドリンクだ。適度に冷えた甘みのある柑橘系の味が腫れた喉に心地よかった。
「これ、冷蔵庫入れとく?」
「あ、うん、ありがと」
冷蔵庫に「プリン系」を入れて戻ってきた大輝は、悦子の髪を撫でて言った。
「ちょっとここで仕事してもいい?」
「あ、うん。なんか……ごめんね」
「机借りるね。あと、椅子も。あと、インターネットも」
と、鞄からノートパソコンを取り出し、コードを繋ぎ始める。
「あ、ネット使うの、パスワードがね、確かその辺に……」
固定電話の隣に何やら機械があり、引っ越しを手伝ってくれた従妹が設定を済ませた時にパスワードもメモしてくれているはずだが、悦子にはよくわかっていない。
「あ、これかな」
大輝がそれを打ち込む。
「オッケ、繋がった。サンキュ」
と言うなり、パソコンの画面を見ながら電話をかけ始める。
「もしもし? ごめんね。さっきの続き、いい?」
(仕事中にわざわざ来てくれるなんて……)
俺の責任、という言葉を思い出し、まあ確かにそうとも言えるけど、と呟いてみる。
「メールは見れそうだから。うん」
仕事をしている大輝の姿は新鮮だった。しかし、電話の口調はいつもの大輝のままだ。
「あと、明日ね、俺、いないかもしんない。……えっ、ウッソ、それ来週でしょ?」
(仕事でしょ? そんないい加減な態度……)
「今見てるけどさ、俺のカレンダー来週の水曜ってなってるよ。え、ちょっと、どっち?」
大輝は背もたれに寄りかかり、困ったように指先で髪を一房引っ張った。
「そしたらさ、もう本人に聞いちゃうわ。ちょっとかけ直すね」
そう言うなり、他のところへ電話をかけている。
「おはようございます、ステポラの峰岸です。こちらこそ大変お世話になっております」
大輝が丁寧な口を利くというシーンは貴重だ。と思ったのも束の間。
「お陰様で、もうサイッコー。今度一緒に行きましょうよ。どうすか最近? ……うん、そうですね、積もる話は……十時でしたよね? 予定通り伺います。はい失礼しまーす」
大輝は、すぐにまた電話をかけ始めた。
「マリちゃーん、明日じゃん」
(マリちゃん? 私のことは……私たちのことは名前でなんか呼ばないくせに……)
「できてるわけないじゃん、これ入れたの彼女だもん。来週だと思ってんでしょ?」
大輝はキーボードのタッチパッドを人差し指でくるくると弄びながら続けた。
「いいや、今回はもう俺作っちゃう。これ系はまだ来るからそん時で。ちょっとカレンダーひと通り見といてあげて。彼女大丈夫そう? ……そうだね、次の波来ちゃう前に」
新人か何かがミスをしたのだろう。彼女の尻拭いを引き受けた上で気にかけてやる大輝。悦子はその人物に自分を重ねた。どこまでも鈍臭く誰からも疎まれてきた自分に、ここまで情けをかけてくれたのは大輝ぐらいだ。
「具合どう?」
「うん、そんなにひどくはないんだけどね。なんか、だるいのと、微妙に寒気っていうか」
「やっぱりね。今日休みますって会社に電話した頃かなあと思って」
「どうしてそれを……」
「昨日の時点でもう熱あったよ。今は? 測った?」
「あ、今ちょうど……、えっと、七度八分」
「結構あるね。ねえ、行っていい? お見舞い」
「え? ちょっと、なんで?」
思いがけない展開に、感激と焦りで声が上ずった。今日辺り掃除しなければと思っていたところだから、部屋はきれいとは言い難い。
「俺の責任でもあるし……実はもう駅まで来てんだよね。ていうか着いたわ。これどうやんの? 部屋番号の後に呼出ボタンを押してください……」
「あ……五〇二」
すぐに階下からの呼び鈴が鳴り、画面に大輝の姿が映る。
(行っていい、って、来ちゃってから言われても……)
しかし追い返す気などないことは自分でもわかっている。解錠すると、間もなく部屋の呼び鈴が鳴った。うつしては申し訳ないと、マスクを着けてドアを開ける。大輝は、
「あれ、どちら様?」
とおどけて首を傾げるなり、悦子のマスクをひょいと下げて、チュッとキスした。風邪うつるよ、と言おうとした悦子の目の前で、コンビニの袋が振り子のように揺れた。
「お腹は平気? 適当にプリン系買ってきてみたけど」
「あ……わざわざありがとう。後でもらうね」
中へ案内しながら、今日の大輝の装いを眺める。第一ボタンの開いた紺のワイシャツに、下はベージュのスラックスと焦げ茶の革靴だ。そこへ、大輝の携帯が鳴りだした。
「あ、ごめん、ちょっと出るね」
そういえば、一緒にいる時に大輝の電話が鳴るのは初めてだ。
「もしもーし。ああ、そうそう、ちょっとね、急用で。セミナーは予定通り行くから。何かあったら電話して。ほーい。じゃあね」
電話を切ると、悦子をベッドに座らせる。
「これ飲む?」
と大輝が差し出したのは、ペットボトルのスポーツドリンクだ。適度に冷えた甘みのある柑橘系の味が腫れた喉に心地よかった。
「これ、冷蔵庫入れとく?」
「あ、うん、ありがと」
冷蔵庫に「プリン系」を入れて戻ってきた大輝は、悦子の髪を撫でて言った。
「ちょっとここで仕事してもいい?」
「あ、うん。なんか……ごめんね」
「机借りるね。あと、椅子も。あと、インターネットも」
と、鞄からノートパソコンを取り出し、コードを繋ぎ始める。
「あ、ネット使うの、パスワードがね、確かその辺に……」
固定電話の隣に何やら機械があり、引っ越しを手伝ってくれた従妹が設定を済ませた時にパスワードもメモしてくれているはずだが、悦子にはよくわかっていない。
「あ、これかな」
大輝がそれを打ち込む。
「オッケ、繋がった。サンキュ」
と言うなり、パソコンの画面を見ながら電話をかけ始める。
「もしもし? ごめんね。さっきの続き、いい?」
(仕事中にわざわざ来てくれるなんて……)
俺の責任、という言葉を思い出し、まあ確かにそうとも言えるけど、と呟いてみる。
「メールは見れそうだから。うん」
仕事をしている大輝の姿は新鮮だった。しかし、電話の口調はいつもの大輝のままだ。
「あと、明日ね、俺、いないかもしんない。……えっ、ウッソ、それ来週でしょ?」
(仕事でしょ? そんないい加減な態度……)
「今見てるけどさ、俺のカレンダー来週の水曜ってなってるよ。え、ちょっと、どっち?」
大輝は背もたれに寄りかかり、困ったように指先で髪を一房引っ張った。
「そしたらさ、もう本人に聞いちゃうわ。ちょっとかけ直すね」
そう言うなり、他のところへ電話をかけている。
「おはようございます、ステポラの峰岸です。こちらこそ大変お世話になっております」
大輝が丁寧な口を利くというシーンは貴重だ。と思ったのも束の間。
「お陰様で、もうサイッコー。今度一緒に行きましょうよ。どうすか最近? ……うん、そうですね、積もる話は……十時でしたよね? 予定通り伺います。はい失礼しまーす」
大輝は、すぐにまた電話をかけ始めた。
「マリちゃーん、明日じゃん」
(マリちゃん? 私のことは……私たちのことは名前でなんか呼ばないくせに……)
「できてるわけないじゃん、これ入れたの彼女だもん。来週だと思ってんでしょ?」
大輝はキーボードのタッチパッドを人差し指でくるくると弄びながら続けた。
「いいや、今回はもう俺作っちゃう。これ系はまだ来るからそん時で。ちょっとカレンダーひと通り見といてあげて。彼女大丈夫そう? ……そうだね、次の波来ちゃう前に」
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