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第3章 女たちの恋模様
40 餌付け
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気を引きたい気持ちが、このまま盗み見ていたい気持ちを飲み込み始めた時、ブーンという携帯の振動音が聞こえ、大輝がすぐにその電話に出た。いつの間にマナーモードに切り替えたのだろう。
「はい……うん。マジで? あ、塩見さんいないからかな。あの人今シンガポールでね、あさって辺り帰ってくるはずだから来週まで待ってみて。あのね、ついでにちょっと。APの去年の数字ってどこ? ……うん。Jの……、あー、こっちだったか。パスワードは?」
大輝は電話を肩で挟み、両手をキーボードに戻した。電話に耳を傾けながらなぜか笑いを噛み殺す大輝に、再び悦子のジェラシーが燃えた。
「何だそれ。やだなあ、こんなんで開くレポート。……オッケー、サンキュー」
電話を切り、笑い皺を伸ばすように縦に頬を撫でた指が、再びキーボードに戻る。次の瞬間、悦子は自分の声を聞いていた。
「パスワード?」
仕事の邪魔をしてはいけないし、盗み聞きすべきでないとは知りつつ、姿の見えぬマリちゃんに大輝を取られたくなくて、ついちょっかいを出してしまった。大輝は悦子の声にパッと顔を上げ、こちらにやってきた。これ飲んでないじゃん、と床にあったスポーツドリンクを拾い、悦子が起き上がると目の前にストローを構えた。悦子は素直にそれをくわえ、喉を潤す。
しかし……。ベッドの脇に佇む大輝と、このボトルの高さ。その図式に、良からぬ妄想が悦子の脳内を駆け巡る。一人赤面しながらこっそり上目遣いに見やると、大輝は意味深なウィンクを送ってきた。
(もしかして……確信犯?)
大輝は何食わぬ顔で、
「いっぱい飲んだ方がいいよ」
などとのたまう。笑い飛ばすタイミングを逃した悦子は、己の喉がゴキュゴキュと音を立てるのも顧みず、必要以上に熱心にそれを飲み続けた。相手が違ったならセクハラ以外の何ものでもないだろうが、大輝にかかれば、それは心地良くも遠回りな前戯の様相を帯びる。これまでさんざん辱めに遭い、そんな経験を呪いながら生きてきた悦子だが、全てを受け入れてくれる大輝の前では何を恥じる必要もなく、むしろ少しいたぶられてみたいとすら感じてしまう自分がいた。
間もなくストローの先が抵抗から解放され、ボトルの底がズズッと鳴った。悦子は、名残惜しさを隠してストローを吐き出した。大輝も満足げに頷く。
「トイレは?」
「うん。行ってくる」
「一人で平気?」
口説くように囁かれ、ドキッとする。
「平気です」
と、プライド半分照れ半分で答えたものの、平気じゃないと言ったら一体何をしてくれるのだろうと余計な妄想が膨らんでしまう。
悦子が用を済ませてトイレから出てくると、大輝は机に戻り、すっかり佳境といった体でパソコンを操っている。悦子はおとなしくベッドに入りはしたものの、構ってほしい寂しさが湧く。さすがに本格的な行為に及ぼうというコンディションではないが、大輝と一緒にいながらろくにいちゃいちゃすらしないのは思いのほか歯痒いことだった。しかし風邪をひいている身でベタベタ甘えるのも気が引ける。大輝から求められない時間がこんなにもどかしいとは……。
大輝の手が頬に触れて目が覚める。いつの間にか寝入っていたらしい。
「そろそろ出るね。これからちょっと行くとこあって。寒気は?」
「うん……治まったかも」
「汗かいたら、ちゃんと着替えてね」
「……お母さんみたい」
と笑うと、大輝は一瞬空を見つめ、悦子の額にキスした。
玄関で大輝を見送り、キッチンに寄ると、コンロに鍋が二つ並んでいた。蓋を開けると、一つは先ほどのお粥の残り。もう一つはコンソメ色の液体の中に、美しくスライスされた人参、じゃがいも、玉葱、トマトが入った野菜スープだ。いつの間に作ったのだろう。グリーンのつぶつぶは少しだけ残っていたブロッコリーだろう。お玉で味見すると、先ほどのお粥に負けずたっぷりのニンニクと生姜が香った。塩気もちょうどいい。たまには風邪も悪くないな、と悦子は一人ニヤけた。
「はい……うん。マジで? あ、塩見さんいないからかな。あの人今シンガポールでね、あさって辺り帰ってくるはずだから来週まで待ってみて。あのね、ついでにちょっと。APの去年の数字ってどこ? ……うん。Jの……、あー、こっちだったか。パスワードは?」
大輝は電話を肩で挟み、両手をキーボードに戻した。電話に耳を傾けながらなぜか笑いを噛み殺す大輝に、再び悦子のジェラシーが燃えた。
「何だそれ。やだなあ、こんなんで開くレポート。……オッケー、サンキュー」
電話を切り、笑い皺を伸ばすように縦に頬を撫でた指が、再びキーボードに戻る。次の瞬間、悦子は自分の声を聞いていた。
「パスワード?」
仕事の邪魔をしてはいけないし、盗み聞きすべきでないとは知りつつ、姿の見えぬマリちゃんに大輝を取られたくなくて、ついちょっかいを出してしまった。大輝は悦子の声にパッと顔を上げ、こちらにやってきた。これ飲んでないじゃん、と床にあったスポーツドリンクを拾い、悦子が起き上がると目の前にストローを構えた。悦子は素直にそれをくわえ、喉を潤す。
しかし……。ベッドの脇に佇む大輝と、このボトルの高さ。その図式に、良からぬ妄想が悦子の脳内を駆け巡る。一人赤面しながらこっそり上目遣いに見やると、大輝は意味深なウィンクを送ってきた。
(もしかして……確信犯?)
大輝は何食わぬ顔で、
「いっぱい飲んだ方がいいよ」
などとのたまう。笑い飛ばすタイミングを逃した悦子は、己の喉がゴキュゴキュと音を立てるのも顧みず、必要以上に熱心にそれを飲み続けた。相手が違ったならセクハラ以外の何ものでもないだろうが、大輝にかかれば、それは心地良くも遠回りな前戯の様相を帯びる。これまでさんざん辱めに遭い、そんな経験を呪いながら生きてきた悦子だが、全てを受け入れてくれる大輝の前では何を恥じる必要もなく、むしろ少しいたぶられてみたいとすら感じてしまう自分がいた。
間もなくストローの先が抵抗から解放され、ボトルの底がズズッと鳴った。悦子は、名残惜しさを隠してストローを吐き出した。大輝も満足げに頷く。
「トイレは?」
「うん。行ってくる」
「一人で平気?」
口説くように囁かれ、ドキッとする。
「平気です」
と、プライド半分照れ半分で答えたものの、平気じゃないと言ったら一体何をしてくれるのだろうと余計な妄想が膨らんでしまう。
悦子が用を済ませてトイレから出てくると、大輝は机に戻り、すっかり佳境といった体でパソコンを操っている。悦子はおとなしくベッドに入りはしたものの、構ってほしい寂しさが湧く。さすがに本格的な行為に及ぼうというコンディションではないが、大輝と一緒にいながらろくにいちゃいちゃすらしないのは思いのほか歯痒いことだった。しかし風邪をひいている身でベタベタ甘えるのも気が引ける。大輝から求められない時間がこんなにもどかしいとは……。
大輝の手が頬に触れて目が覚める。いつの間にか寝入っていたらしい。
「そろそろ出るね。これからちょっと行くとこあって。寒気は?」
「うん……治まったかも」
「汗かいたら、ちゃんと着替えてね」
「……お母さんみたい」
と笑うと、大輝は一瞬空を見つめ、悦子の額にキスした。
玄関で大輝を見送り、キッチンに寄ると、コンロに鍋が二つ並んでいた。蓋を開けると、一つは先ほどのお粥の残り。もう一つはコンソメ色の液体の中に、美しくスライスされた人参、じゃがいも、玉葱、トマトが入った野菜スープだ。いつの間に作ったのだろう。グリーンのつぶつぶは少しだけ残っていたブロッコリーだろう。お玉で味見すると、先ほどのお粥に負けずたっぷりのニンニクと生姜が香った。塩気もちょうどいい。たまには風邪も悪くないな、と悦子は一人ニヤけた。
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