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第5章 もう一つの卒業
79 マリちゃん
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廊下の突き当たりで若い女性看護師二人が立ち話をしている。悦子がその手前を折れて給湯室に入り、花瓶の水を流しに空けていると、彼女たちの話し声が聞こえてきた。
「珍事といえば、救急から聞いたんだけどさ、患者さん意識不明で家族の連絡先探すじゃん。本人の名刺がすぐ見付かって、代表取締役ってなってるから、じゃあ最悪家族がつかまらなかったら会社に連絡してあげようか、って、そこまではいいんだけどね。名刺の裏に緊急連絡先として二つ番号書かれてんだけど、名前がないんだって。一つはなぜかお寺で」
「寺! 何それ、死ぬ気満々じゃん。超ウケる」
「なんかワケありだったみたいで、警察がかけたらしいけどね。実家か何かだったのかなあ。でね、もう一個がすごいの。『僕のとても大事な人』」
「うわ、寒っ。彼女ってこと? でも『一番大事』じゃないんだ。で、誰だったの?」
「そこを見届けてないって言うのよ。ま、あとは警察の判断でどうにかしたんじゃない?」
「ま、手掛かりないよりはいいけどね。最近みんな携帯は暗証番号とかでロックしてるしさ。手帳って時代でもないし……」
どこかのお寺出身の社長さんが事故にでも遭って運ばれてきたのだろうか。案外身近な大野氏辺りのことだったりして、と密かに笑みを浮かべながら悦子は病室に戻った。
水を入れ替えたばかりの花瓶を窓際に置く。花は先日病室でささやかにクリスマスを祝った時の名残だ。悦子は雑誌をめくっている大輝に尋ねた。
「ねえ、こないだのお客さんって、誰だったの? 大野さんと三人で話したって」
「ああ、会社のお客さん」
「会社の、って……その格好で会ったわけ?」
あの日も今と同じ、病院のパジャマ姿だったはずだ。
「しょうがないじゃん入院してんだもん。ま、あの人はもともとスーツな仲じゃないけど」
大輝はめきめきと回復していた。食事は普通食になり、顔色も普段と変わりない。
「あれ? パソコンなんて、どこから?」
「さっきうちのパートナーが来てね。いつまで休んでんだって怒られちった。煙草吸い終わったらまた戻ってくると思うけど。あ、ほら、噂をすれば」
入口を振り返ると、チノパンにジャケットという服装に黒縁の眼鏡をかけた小柄な男性が入ってきたところだ。悦子の姿を見て、軽く頭を下げる。
「あ、どうもこんにちは。峰岸君の右腕の、藤崎と申します」
(藤崎さんって、あの……)
大輝が仕事の電話で以前口にした名だ。さすがに口内炎はもう治っているだろうが。
「右腕? 随分謙虚じゃん」
と大輝が茶化す。
「どうも、はじめまして、柿村と申します」
仕事の打ち合わせはすでに終わっていたようで、二人の間では雑談が続いた。
「サトシがさすがに年末年始は休むぞ、って凄んでたけど」
「ああ、いいよ。藤崎君がカバーするんで」
「あのさ、マジで倒れていい?」
「ウソウソ、この週末から三日までは取ってもらっていいよ。俺ももうじき完全復帰するし」
「マリコもさすがにヤバいだろ。さっさと産休入らせないと、ブラックとか言われんぞ」
(産休……)
悦子は思わず聞き耳を立てる。
「そうだね。本人は上二人ん時も直前まで働いてたから大丈夫とは言ってるけど、旦那さんは心配してるみたいだし、会社で産まれちゃったりしたらシャレにならんもんな」
「予定日まであと三週間って時に、どっかの怪我人が病院まで呼び付けたりするし」
「いや、来てくれるって言ってくだすったの。メールも電話もできないんじゃ話になんないっつって。ほら、まだ手術翌朝だったから動こうにも動けないし、病室で長々電話すんのもあれだしさ。あん時はもうね、メール三行打つだけでフラッフラだったのよ」
「マリコって……」
と悦子はつい口を挟んだ。
「うちの秘書兼、プロジェクト管理兼、実質何でも屋のスーパーマリちゃん。お陰様で全部丸投げさせてもらって、俺はたっぷり休養できたわけよ」
「できた? じゃもう稼働扱いでいいのね。その丸投げほとんど俺んとこ来てんだからさ」
「だからナベさんのアポは俺、予定通り受けたじゃん。いいよ、病院まで来てくれてパジャマオッケーな人ならどんどん回してくれて」
なんと、手術翌日に面会に来た妊婦の正体がマリちゃんだったとは……。悦子は勝手な勘違いで泣き喚いたことを恥じ、大輝の丸投げを処理してくれた臨月の妊婦に感謝した。
「珍事といえば、救急から聞いたんだけどさ、患者さん意識不明で家族の連絡先探すじゃん。本人の名刺がすぐ見付かって、代表取締役ってなってるから、じゃあ最悪家族がつかまらなかったら会社に連絡してあげようか、って、そこまではいいんだけどね。名刺の裏に緊急連絡先として二つ番号書かれてんだけど、名前がないんだって。一つはなぜかお寺で」
「寺! 何それ、死ぬ気満々じゃん。超ウケる」
「なんかワケありだったみたいで、警察がかけたらしいけどね。実家か何かだったのかなあ。でね、もう一個がすごいの。『僕のとても大事な人』」
「うわ、寒っ。彼女ってこと? でも『一番大事』じゃないんだ。で、誰だったの?」
「そこを見届けてないって言うのよ。ま、あとは警察の判断でどうにかしたんじゃない?」
「ま、手掛かりないよりはいいけどね。最近みんな携帯は暗証番号とかでロックしてるしさ。手帳って時代でもないし……」
どこかのお寺出身の社長さんが事故にでも遭って運ばれてきたのだろうか。案外身近な大野氏辺りのことだったりして、と密かに笑みを浮かべながら悦子は病室に戻った。
水を入れ替えたばかりの花瓶を窓際に置く。花は先日病室でささやかにクリスマスを祝った時の名残だ。悦子は雑誌をめくっている大輝に尋ねた。
「ねえ、こないだのお客さんって、誰だったの? 大野さんと三人で話したって」
「ああ、会社のお客さん」
「会社の、って……その格好で会ったわけ?」
あの日も今と同じ、病院のパジャマ姿だったはずだ。
「しょうがないじゃん入院してんだもん。ま、あの人はもともとスーツな仲じゃないけど」
大輝はめきめきと回復していた。食事は普通食になり、顔色も普段と変わりない。
「あれ? パソコンなんて、どこから?」
「さっきうちのパートナーが来てね。いつまで休んでんだって怒られちった。煙草吸い終わったらまた戻ってくると思うけど。あ、ほら、噂をすれば」
入口を振り返ると、チノパンにジャケットという服装に黒縁の眼鏡をかけた小柄な男性が入ってきたところだ。悦子の姿を見て、軽く頭を下げる。
「あ、どうもこんにちは。峰岸君の右腕の、藤崎と申します」
(藤崎さんって、あの……)
大輝が仕事の電話で以前口にした名だ。さすがに口内炎はもう治っているだろうが。
「右腕? 随分謙虚じゃん」
と大輝が茶化す。
「どうも、はじめまして、柿村と申します」
仕事の打ち合わせはすでに終わっていたようで、二人の間では雑談が続いた。
「サトシがさすがに年末年始は休むぞ、って凄んでたけど」
「ああ、いいよ。藤崎君がカバーするんで」
「あのさ、マジで倒れていい?」
「ウソウソ、この週末から三日までは取ってもらっていいよ。俺ももうじき完全復帰するし」
「マリコもさすがにヤバいだろ。さっさと産休入らせないと、ブラックとか言われんぞ」
(産休……)
悦子は思わず聞き耳を立てる。
「そうだね。本人は上二人ん時も直前まで働いてたから大丈夫とは言ってるけど、旦那さんは心配してるみたいだし、会社で産まれちゃったりしたらシャレにならんもんな」
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「マリコって……」
と悦子はつい口を挟んだ。
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「できた? じゃもう稼働扱いでいいのね。その丸投げほとんど俺んとこ来てんだからさ」
「だからナベさんのアポは俺、予定通り受けたじゃん。いいよ、病院まで来てくれてパジャマオッケーな人ならどんどん回してくれて」
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