80 / 80
第5章 もう一つの卒業
80 記念日(最終話)
しおりを挟む
退院を前に、大輝は悦子に自宅の鍵を預け、保険証と着替えの調達を頼んだ。入院当日の服は緊急処置のためことごとく切られてしまい、無事だったのは靴と靴下だけだという。
また待ち伏せしている人でもいたら悦子が危ない、ということで、大家さん夫妻が駅まで迎えに来るよう大輝が手配した。悦子は夫妻が繰り広げる夫婦漫才のようなやりとりにお腹をよじりながら、新妻気分で本人不在の大輝邸に上がり込み、必要物を集めた。
大野氏はおととい退院し、迎えに来た奥さんに悦子も挨拶を果たした。今日はいよいよ大輝の番。明日の大晦日にギリギリ間に合った。
身支度を整え、財布を開いた大輝が呟く。
「あれ、もう一回もらってもいい?」
「あれ、って?」
「あの写真。デジカメだよね?」
「ああ……」
サタケのライブを見にいった後、打ち上げの飲み会で渡した写真。大輝からのお土産のアロハシャツを着て、三人揃って実家の庭で撮ったものだった。
大輝は財布から何かを取り出して悦子に手渡す。名刺大のビニールケースの中に、水色のアロハシャツを着た悦子がいた。悦子だけが、悦子の形に切り抜かれて。以前だったら、せっかく三人で撮ったのに、と文句を言っただろうが、今は大輝がどんな思いでこのブロマイドをこしらえたのか少し想像がつくだけに、胸の奥がきゅんと痛んだ。また泣き出してしまわぬようにと、悦子はわざと意地悪を言った。
「どこに保存したか忘れちゃった」
「そしたら、も一回撮ってくれる?」
「どうだろ。アロハ洗っちゃったから、色落ちてるかも」
「じゃあ……行こっか、ハワイ」
悦子は思わず吹き出した瞬間、抱き寄せられた。
「いや、マジで。そのためにずーっと大事に取っといたんだから。誰も連れてかずに」
「それは大変光栄ですこと。でも、あっちにもいるんでしょ? 一緒に行ったはいいけど、夜ホテルでぼっちとか嫌だからね」
とふくれてみせると、大輝は真顔で言う。
「ちょっ……全部終わらせたって言ったよね?」
「あ……ハワイも?」
「ちょっとちょっと、何のためにわざわざこないだ行ってきたと思ってんの?」
「え? あれってもしかして……別れ話のため?」
「まあ……まだ今後のこと完全には決意できてなかったけどね、あの時は。でも、とりあえず遠方から徐々に始めとこうと思ったわけよ。そしたらなんと、メアド変わっちゃってて連絡つかない子ばっかでさ。いやあ参った。知り合い総動員で、探した探した。最終的には何とか全員会えたからよかったけど、ほとんどが子持ちになっちゃっててさ。迷惑がられるかと思いきや、離乳食作り手伝わされたりなんかして結構役立っちゃった」
「へぇ、さすが大輝ね」
全員というのは一体何人だったのだろうと、悦子は苦笑する。しかし大輝の断捨離がまさかそんなに早くから始まり、しかも国際的に行われていたとは驚きだった。
病院を出ると、文句なしの晴天が二人を迎えた。その抜けるような青に、並んで歩いた岳原駅までの道が思い出された。初めて、大輝の家で、目を覚ました朝。
「ね、ピクニックしない? お腹空いてるでしょ?」
「おっ、いいね。何、快気祝い? ゴチっすー。あ、どうせなら牛丼がいいな」
「ゴチって、ちょっと何言ってんの。第六条……」
言いかけた唇がきっちり塞がれた。長い、長い間。
「残念でした。恋にルールはないの」
澄み渡る空よりもまぶしい笑顔がそこにあった。
「あら、そう。いいこと聞いた」
悦子は周囲に人がいないのを確かめると、大輝の第二ボタンを外し、V字の谷底に覗いた塩辛い肌に気の済むまで吸い付いた。
「で、ここどこ?」
大輝は右も左もわからぬ様子で、慣れぬ環境を見回している。できたてほやほやの愛の印を胸に宿して。
(了)
また待ち伏せしている人でもいたら悦子が危ない、ということで、大家さん夫妻が駅まで迎えに来るよう大輝が手配した。悦子は夫妻が繰り広げる夫婦漫才のようなやりとりにお腹をよじりながら、新妻気分で本人不在の大輝邸に上がり込み、必要物を集めた。
大野氏はおととい退院し、迎えに来た奥さんに悦子も挨拶を果たした。今日はいよいよ大輝の番。明日の大晦日にギリギリ間に合った。
身支度を整え、財布を開いた大輝が呟く。
「あれ、もう一回もらってもいい?」
「あれ、って?」
「あの写真。デジカメだよね?」
「ああ……」
サタケのライブを見にいった後、打ち上げの飲み会で渡した写真。大輝からのお土産のアロハシャツを着て、三人揃って実家の庭で撮ったものだった。
大輝は財布から何かを取り出して悦子に手渡す。名刺大のビニールケースの中に、水色のアロハシャツを着た悦子がいた。悦子だけが、悦子の形に切り抜かれて。以前だったら、せっかく三人で撮ったのに、と文句を言っただろうが、今は大輝がどんな思いでこのブロマイドをこしらえたのか少し想像がつくだけに、胸の奥がきゅんと痛んだ。また泣き出してしまわぬようにと、悦子はわざと意地悪を言った。
「どこに保存したか忘れちゃった」
「そしたら、も一回撮ってくれる?」
「どうだろ。アロハ洗っちゃったから、色落ちてるかも」
「じゃあ……行こっか、ハワイ」
悦子は思わず吹き出した瞬間、抱き寄せられた。
「いや、マジで。そのためにずーっと大事に取っといたんだから。誰も連れてかずに」
「それは大変光栄ですこと。でも、あっちにもいるんでしょ? 一緒に行ったはいいけど、夜ホテルでぼっちとか嫌だからね」
とふくれてみせると、大輝は真顔で言う。
「ちょっ……全部終わらせたって言ったよね?」
「あ……ハワイも?」
「ちょっとちょっと、何のためにわざわざこないだ行ってきたと思ってんの?」
「え? あれってもしかして……別れ話のため?」
「まあ……まだ今後のこと完全には決意できてなかったけどね、あの時は。でも、とりあえず遠方から徐々に始めとこうと思ったわけよ。そしたらなんと、メアド変わっちゃってて連絡つかない子ばっかでさ。いやあ参った。知り合い総動員で、探した探した。最終的には何とか全員会えたからよかったけど、ほとんどが子持ちになっちゃっててさ。迷惑がられるかと思いきや、離乳食作り手伝わされたりなんかして結構役立っちゃった」
「へぇ、さすが大輝ね」
全員というのは一体何人だったのだろうと、悦子は苦笑する。しかし大輝の断捨離がまさかそんなに早くから始まり、しかも国際的に行われていたとは驚きだった。
病院を出ると、文句なしの晴天が二人を迎えた。その抜けるような青に、並んで歩いた岳原駅までの道が思い出された。初めて、大輝の家で、目を覚ました朝。
「ね、ピクニックしない? お腹空いてるでしょ?」
「おっ、いいね。何、快気祝い? ゴチっすー。あ、どうせなら牛丼がいいな」
「ゴチって、ちょっと何言ってんの。第六条……」
言いかけた唇がきっちり塞がれた。長い、長い間。
「残念でした。恋にルールはないの」
澄み渡る空よりもまぶしい笑顔がそこにあった。
「あら、そう。いいこと聞いた」
悦子は周囲に人がいないのを確かめると、大輝の第二ボタンを外し、V字の谷底に覗いた塩辛い肌に気の済むまで吸い付いた。
「で、ここどこ?」
大輝は右も左もわからぬ様子で、慣れぬ環境を見回している。できたてほやほやの愛の印を胸に宿して。
(了)
10
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(2件)
あなたにおすすめの小説
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
恋は、やさしく
美凪ましろ
恋愛
失恋したばかりの彼女はひょんなことから新橋の街中で上司にお姫様抱っこされ……!? ――俺様な美形上司と彼女とのじんわりとした恋物語。
性描写の入る章には*マークをつけています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
読了しました。大輝さんの描写が素晴らしく、モテるという設定にとても説得力がありました。イケメンとはこういうことなのか……!悦子ちゃんが等身大の普通の女の子なので、自分だったらこの人との恋をどうするだろう?と考えながら読みました。
右左山桃様
ご感想どうもありがとうございます!
しかも「素晴らしい」とのお言葉まで…… 恐縮です!
ストーリー上、地味な処女をプレイボーイとのセフレ関係に飛び込ませるだけの何かが必要でしたので、二人の出会いから契約成立までの流れにはかなり苦心しました。その結果、親しみやすいイケメンというキャラが生まれた感じです。「そりゃモテるわ」と言っていただけるような男を目指していたので、大輝のモテ要因に説得力を感じていただけて光栄です!
お名前を見つけて読み始め、話が進むにつれて、物語の中にぐいぐい引き込まれました。丁寧な展開と心理描写で最後まで楽しませていただきました。
その後の2人も気になります。悦ちゃんの実家訪問とか!
ちよこ様
ご感想どうもありがとうございます!
引き込まれたとのお言葉、感激です! 丁寧さに関しても、自己満足に終わっているのではという懸念が常にありますので、気に入っていただけて嬉しいです!
二人のその後については、やっぱり甘々なのかな~、この感じだと多分ケンカもするだろうな~などと番外編の可能性をあれこれ妄想中です☆