8 / 9
2 小箱の中のぼろ雑巾
8 小さな音
しおりを挟む
突風が突き抜け、私の髪を揺さぶる。
魔力の壁が分断され、私の足元には剣が刺さっていた。
何が起きた?
「アレン?」
思い出のアレンはいない。空気に溶け込むように形を崩して消えた。
現状を把握するのに時間を要した。
勇者アレンが私の前にいた。勇者が持つ聖気で魔力の壁を斬り裂いたのか、ならば納得がいく。
そうか、お前との記憶をお前自身が断ち切ってくれるか。
ならば思い残すことは何もない。
あの森の出来事から、しばらくの間、私は魔王の娘であることを忘れた。お前が隣にいたからだ。
だからお前が、小箱の中の変色した袖を、ただの雑巾に戻すというのなら、お前は敵だ。過去を捨て、完璧な皇女として、お前と出会う前の私に戻ろう。
お前ごと全員消し飛ばしてやる。そのあとは次代の魔王として君臨し、勇者の痕跡など残らぬように焼き払ってくれるわ。
「よく来たな、勇者よ。これは、褒美だ。私の全魔力を受け止めるがいい」
他の誰でもない。
私自身が終止符を打ってやる。
腕をアレンに突き出す。発動すれば、こんな感情ともお別れだ。
手首を掴まれた。間近に迫った顔が、あの時の笑顔と重なる。
『分かった、アストレア』
時間が、逆行する。
意識が揺らいだ。
唇に、歯が当たり皮膚が裂けた。舌先に血の味を感じた。
目の前に、アレンがいた。
反射的に唇をなぞってアレンを突き飛ばす。
「な……何をした!」
分からん。
想像できるが、確信が持てない。
推論を肯定できる経験がない。
この痛み。膨らんだ唇の裏を舌で触れる。
こいつ、私に歯をぶつけなかったか?
「何って……分かるだろ」
「分かるか! あっ……くそ」
集中力が持続しない。収束させた魔力を保てない。
読めない。アレンの思考を追えない。起点で既に躓いてる。
椅子を蹴り飛ばして、内面に生じたもどかしさを発散する。
配下たちの気配が変わった。
「動いたものから殺す」
私の行動を攻撃命令の予兆とでも捉えたか。
これ以上、些事で私の心を煩わせるな。
確認すべきはアレンの意図だ。
「言い訳する時間くらいなら、くれてやる。してみろ。その後でゆっくり殺してやろう」
せいぜい私の機嫌を損ねないように理屈を並べてみろ。
そうすれば、ほんの少しくらいなら寿命が延びるかもしれんぞ。
アレンが一歩、歩み寄る。
思いついたか。さて、どんな顔で、どんな言い訳をする。
アレンが顔を寄せる。手が届く距離、いやこれは腕で引き寄せられるほどの距離。
目を閉じそうになった。
唇の痛みを思い出し、瞳をアレンから逃がした。人間たちの姿が視界に入る。後ろには配下たちも控えている。
顎を突いて、アレンを押しのけた。
「この状況で何をしようとしてるんだ、お前は。周りを見ろ」
「耳打ち、だけど」
「は? 耳打ちだと?」
紛らわしいヤツだ。だったら、それを先に言え。
こいつらの前で今さら内緒話なんぞできるか。
「お前はいちいち私を苛立たせるな。人前で言えないことか? コソコソしないで堂々と言え。じれったいヤツだな」
何で、こいつは平然としてて、私ばかりイライラせねばならんのだ。
顔面を力任せに引っぱたいてやりたい。さぞかしすっきりするだろう。
そんな感情を理解する様子もなく、アレンは正面から私を見据えた。その瞳に携えた黒い輝きは、アレンの意志の強さを示しているようであった。
「オレと逃げよう」
たった一言の言葉が、石ころを投げたように、私の中で音を立てた。
だがその音は、まだ小さな、聞こえない程度ものだった。
「逃げる……この私が? 人間ごときに背をむけて?」
魔力の壁が分断され、私の足元には剣が刺さっていた。
何が起きた?
「アレン?」
思い出のアレンはいない。空気に溶け込むように形を崩して消えた。
現状を把握するのに時間を要した。
勇者アレンが私の前にいた。勇者が持つ聖気で魔力の壁を斬り裂いたのか、ならば納得がいく。
そうか、お前との記憶をお前自身が断ち切ってくれるか。
ならば思い残すことは何もない。
あの森の出来事から、しばらくの間、私は魔王の娘であることを忘れた。お前が隣にいたからだ。
だからお前が、小箱の中の変色した袖を、ただの雑巾に戻すというのなら、お前は敵だ。過去を捨て、完璧な皇女として、お前と出会う前の私に戻ろう。
お前ごと全員消し飛ばしてやる。そのあとは次代の魔王として君臨し、勇者の痕跡など残らぬように焼き払ってくれるわ。
「よく来たな、勇者よ。これは、褒美だ。私の全魔力を受け止めるがいい」
他の誰でもない。
私自身が終止符を打ってやる。
腕をアレンに突き出す。発動すれば、こんな感情ともお別れだ。
手首を掴まれた。間近に迫った顔が、あの時の笑顔と重なる。
『分かった、アストレア』
時間が、逆行する。
意識が揺らいだ。
唇に、歯が当たり皮膚が裂けた。舌先に血の味を感じた。
目の前に、アレンがいた。
反射的に唇をなぞってアレンを突き飛ばす。
「な……何をした!」
分からん。
想像できるが、確信が持てない。
推論を肯定できる経験がない。
この痛み。膨らんだ唇の裏を舌で触れる。
こいつ、私に歯をぶつけなかったか?
「何って……分かるだろ」
「分かるか! あっ……くそ」
集中力が持続しない。収束させた魔力を保てない。
読めない。アレンの思考を追えない。起点で既に躓いてる。
椅子を蹴り飛ばして、内面に生じたもどかしさを発散する。
配下たちの気配が変わった。
「動いたものから殺す」
私の行動を攻撃命令の予兆とでも捉えたか。
これ以上、些事で私の心を煩わせるな。
確認すべきはアレンの意図だ。
「言い訳する時間くらいなら、くれてやる。してみろ。その後でゆっくり殺してやろう」
せいぜい私の機嫌を損ねないように理屈を並べてみろ。
そうすれば、ほんの少しくらいなら寿命が延びるかもしれんぞ。
アレンが一歩、歩み寄る。
思いついたか。さて、どんな顔で、どんな言い訳をする。
アレンが顔を寄せる。手が届く距離、いやこれは腕で引き寄せられるほどの距離。
目を閉じそうになった。
唇の痛みを思い出し、瞳をアレンから逃がした。人間たちの姿が視界に入る。後ろには配下たちも控えている。
顎を突いて、アレンを押しのけた。
「この状況で何をしようとしてるんだ、お前は。周りを見ろ」
「耳打ち、だけど」
「は? 耳打ちだと?」
紛らわしいヤツだ。だったら、それを先に言え。
こいつらの前で今さら内緒話なんぞできるか。
「お前はいちいち私を苛立たせるな。人前で言えないことか? コソコソしないで堂々と言え。じれったいヤツだな」
何で、こいつは平然としてて、私ばかりイライラせねばならんのだ。
顔面を力任せに引っぱたいてやりたい。さぞかしすっきりするだろう。
そんな感情を理解する様子もなく、アレンは正面から私を見据えた。その瞳に携えた黒い輝きは、アレンの意志の強さを示しているようであった。
「オレと逃げよう」
たった一言の言葉が、石ころを投げたように、私の中で音を立てた。
だがその音は、まだ小さな、聞こえない程度ものだった。
「逃げる……この私が? 人間ごときに背をむけて?」
0
あなたにおすすめの小説
絞首刑まっしぐらの『醜い悪役令嬢』が『美しい聖女』と呼ばれるようになるまでの24時間
夕景あき
ファンタジー
ガリガリに痩せて肌も髪もボロボロの『醜い悪役令嬢』と呼ばれたオリビアは、ある日婚約者であるトムス王子と義妹のアイラの会話を聞いてしまう。義妹はオリビアが放火犯だとトムス王子に訴え、トムス王子はそれを信じオリビアを明日の卒業パーティーで断罪して婚約破棄するという。
卒業パーティーまで、残り時間は24時間!!
果たしてオリビアは放火犯の冤罪で断罪され絞首刑となる運命から、逃れることが出来るのか!?
宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました
悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。
クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。
婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。
そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。
そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯
王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。
シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯
悪役令嬢ですが、兄たちが過保護すぎて恋ができません
由香
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢・セレフィーナに転生した私。
破滅回避のため、目立たず静かに生きる――はずだった。
しかし現実は、三人の兄による全力溺愛&完全監視生活。
外出には護衛、交友関係は管理制、笑顔すら規制対象!?
さらに兄の親友である最強騎士・カインが護衛として加わり、
静かで誠実な優しさに、次第に心が揺れていく。
「恋をすると破滅する」
そう信じて避けてきた想いの先で待っていたのは、
断罪も修羅場もない、安心で騒がしい未来だった――。
主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します
白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。
あなたは【真実の愛】を信じますか?
そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。
だって・・・そうでしょ?
ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
悪役令嬢の名誉を挽回いたします!
みすずメイリン
恋愛
いじめと家庭崩壊に屈して自ら命を経ってしまったけれど、なんとノーブル・プリンセスという選択式の女性向けノベルゲームの中の悪役令嬢リリアンナとして、転生してしまった主人公。
同時に、ノーブル・プリンセスという女性向けノベルゲームの主人公のルイーゼに転生した女の子はまるで女王のようで……?
悪役令嬢リリアンナとして転生してしまった主人公は悪役令嬢を脱却できるのか?!
そして、転生してしまったリリアンナを自分の新たな人生として幸せを掴み取れるのだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる