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晶の記憶

柘榴とミント

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新宿高野で沢山食べるだけ食べ、
隣で不満言われてるのはガン無視して、
地下から伊勢丹に入り、
1階から新宿三丁目に出て、
隣の小さなお家みたいな店に入る。

マリアージュフレールと看板に書いてある。
フランス風の紅茶を出す店舗だ。

ウッドの門構えから中に入ると沢山の香りが全身を包み込み、全身白コーディネートの見目麗しい店員の男性が待っていた。
男にサロンの空席の確認を取り、格調高い階段を上ると、ライトベージュと木目のドールハウスの様なティールームが待っていた。

そのまま窓際の席にふたりでちょこんと座る。
窓から見えるのはゲロを吐いて捨てたようないつも通りの街並み。
今いる場所とは異世界に感じる。
まるで中世の貴族が馬車から庶民を眺める様な違和感だ。

ボーイがメニューを出してきた。
何種類あるのかわからない、沢山の細かい文字が何ページにも渡る。
和歌は多すぎるメニューに目を回す。

正直、俺もこの種類の多さはどうかとは思う。
フランス人どうかしてる。

「わかんないーなにこれー」

「俺が選んでやる、アイスでいいな?」

「うん」

「いまは夏限定飲むのが一番だから…柑橘系とヴァニラ系と果実系どちらがいい?」

「んんー果実系かなあ」

それを聞き、直ぐ店員を呼び、注文した。

暫くすると2つのでかいグラスがテーブルに置かれた。
ここのアイスティーは通常のグラスの数倍の大きさなので和歌はびっくりする。
目を白黒しながらグラスから覗き込む黒い瞳と
日に焼けた焦げ茶色の髪、
それとは対照的な雪の様に白い肌が、
紅茶色になり氷にゆがんでプリズムのように見える。

美しい…

夏の暑さとアイスティーのひんやりとした冷気に目眩をしたと信じたかった。
心を奪われたのが幻であってほしい。

「…みてないで飲んでみたらどうだ」

そう言って紅茶を勧めると、彼女はストローで琥珀色の液体を吸い込む。
唇が咥えている姿…
この口で色んなものを咥えてきたのか…
そう思うと胸がチリチリとしてくると同時に、なにを考えてるんだと思いながら自分のルイボスティーを飲む。

ーテオサハラ
サン=テグジュペリ「夜間飛行」イマージュされたルイボスティー。
ルイボス茶にミント、バラの花びらが調合され、乾いた身体に染み渡る。
ベトウィン族によって差し出された水もこんな味におもえたのだろうか?
そう思いながら口に広がるミントを味わっていた。

一方で和歌を覗くと目をキラキラ輝かせながら笑顔でいた。

「なにこれ…美味しい!花が咲いている!」

「キーマン紅茶にザクロなどのフルーツと、
オレンジピールなどの柑橘で香り着けされたフレーバードティーだ。
茶葉と共に様々なドライフルーツも入っているから砂糖がいらないだろ?」

「本当に素敵…この紅茶の名前は?」

「バビロニア…古代バビロニアの空中庭園をイメージして作ったのだそうだ。」

「私、これほしい!買って買って!」

和歌が初めて強請る品、断る理由がない。

「…いいよ、後で俺にも淹れてくれ。」

和歌はうん!と笑顔で答えた。

バビロニア…
バビロニアにはバベルの塔があった。
実現不可能な天にも届く塔を建設しようとして、神の怒りに触れ、崩れてしまった。

彼女に触れる俺は…神の怒りを買うだろうか…

そう思いながら紅茶をストローから吸い込む和歌の後毛を軽く触れる。

「どうしたの?」

彼女はストローから口を離し顔を上げる。
嗚呼…そんな目で見つめないでくれ。

「これを飲んだら紅茶を買って、散歩に付き合ってくれ」

「良いけど」

遠目から見た彼女は温室にいる可愛げな少女にみえた。
まるで観葉植物の様な細くて美しい、
しかし刺のあるただ綺麗なだけではない薔薇のようだ。

「しかし相変わらずだけど、でかいな」

そう言ってルイボスティーを一気に吸い上げた。



新宿御苑
都内の穴場のスポットで、入場料故か人が少なく、大きい庭園なので空が高い。

「ここは俺が数少ないお気に入りの場所だ。リスが沢山いるのでも有名だ。」

「リス!ほんと!みてみたーい!」

「リスの機嫌次第かな」

そう言って木陰のベンチに座る。

「森林浴は好きか?」

「初めてだけど…わかんないけど悪くは無いと思う」

「それは常套」

「……正直いうとね、こんな余裕なく、ずっと食べてセックスと寝るだけの生活だったから…
快楽漬けといえば簡単だけど、こんなにゆっくりする余裕なかったよ。
生きるので精一杯。
如何に愛されて、裏オプでお金もらうか、食費削って脱出するためのお金貯めるか、それで精一杯だった。」

「そうか…それは…いきなりこんなに静かだと戸惑うしわからんよな」

「でしょ?だから幸せ過ぎて戸惑ってる。
うん…森林浴…悪くない。
いまのこの気持ち、これが幸せなのかもわからないけど
何が楽なの……心が…体が…」

「それは良かった」

「だから晶にも幸せになってほしい…どうすればいいかな?」

「2人で三食食べて、寝て起きて、平均体重よりちょっと健康ならそれで充分幸せだ。」

「え?それでいいの?」

「親としてはな」

「……恋人としては?」

風がサアアアアッと流れ、沈黙が流れる。

和歌の顎をクイッと上げ、俺は屈んで顔を近づけ、ひんやりとした唇を重ねた。
彼女の唇を啄み、舌でなぞった後、そのまま唇をこじ開ける。
抵抗は無い。
ならば、そのまま舌を奥ににゅるりと入れ、和歌の長く小さな舌を絡める。
和歌も力を抜いて絡めた。グミの様に柔らかく弾力がある。
やはり和歌は慣れている。
慣れている舌の経験に心がチリチリと痛み、憎しむ。
そのまま歯茎を添い、舌を絡め、涎を啜り、吸いきれない涎を顎にたらした。

味わうだけ味わって、俺達はそっと唇を離し、お互いの舌から涎の糸を繋いだ。

「ミント…いい香り」

「柘榴の香りも良かったよ」

和歌は蕩けた顔で今にもむしゃぶりたかったが、
我慢をした。
いや、親としては失格だ、キスを我慢できなかった。

そして
初めてのキスはマリアージュの味がした。
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