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第一章 最初の街、はじめての歌

閑話 宿屋の看板娘シェリーと思い出の歌

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 うちのおじいちゃんは、人助けが生き甲斐みたいな人だ。困っている人がいたら放っておけなくて、どんな相手にでも全力で力になろうとする。

 商売人としては甘すぎるんだろうけれど、そんな優しいおじいちゃんの周りにはいつも温かい人が自然と集まってくる。これまでも様々な事情で困った人をうちの宿で受け入れてきたけれど、そんな人たちは決まって生活が落ち着いたらお礼を言いに来てくれたり、定期的にうちへ遊びに来てくれたりと、今でも良い関係が続いている。これはおじいちゃんの人徳だと私は思う。

 そして私たち家族は、なぜおじいちゃんがそれほど優しい人なのかを知っている。若い頃におじいちゃんは、この世界とは別の世界からやってきたんだって。そしてそんなおじいちゃんを助けてくれたのがおばあちゃんとその家族で、おじいちゃんはそのときの恩を忘れず、「今度は自分が誰かの力になるんだ」と決めて生きている。最愛のおばあちゃんが亡くなった今でもずっと。

 別の世界から飛ばされてくるなんて、そんなおとぎ話のようなことが現実に起こるのかと疑問に思うことさえなく、幼い頃からその話を聞いて育った私は、ごく自然に事実として受け止めていた。むしろ、いつか私の運命の相手が遠いどこかの世界から現れるのかもしれないと思うとワクワクしたものだった。
 さすがに二十歳を迎えた今は、そんな夢を見てないで、現実の男性を探した方が良いとは思ってるんだけどね。


「やはり例の女の子は来なかったのだね。今日はわしが街に出て探してみるとするよ」

 街の門番さんから「言葉の通じない黒髪黒目の少女を街に入れた」という連絡を受けた翌朝、おじいちゃんはそう言って出かけて行った。

 この国で黒髪黒目というのはとても珍しい。黒髪の人は他の国の民族には多少はいるから、宿のお客さんで見かけたことはある。でも、瞳が黒い人は滅多にいないので、私は一度も会ったことがない。そんな珍しい髪と瞳の色を両方備えているなんて、一体どんな女の子なんだろう。

 それに、門番さんはその子が荷物を持っていなかったと言っていたから、お金もない可能性が高い。昨夜はどこで過ごしたんだろう。とても心配だし、おじいちゃんも同じ気持ちなんだと思う。


 このインスの街はそれほど大きくはないけれど、南東の国へと続く街道の拠点になっているので、外国人は別に珍しくない。海の向こうのドワーフの国の人もたまに見かけるくらいなので、たぶんその女の子も見た目が珍しいからと言って危害を受けるようなことはないはずだ。夜も当番の兵士さんたちが見回りをしているし、この街の治安は良い。

 でも、例え危険が少なくたって、知らない街で言葉も通じず、不安な夜を過ごした女の子を思うと、なんとか早く見つけて力になってあげたいと思う。

 今すぐに私にできることがないので、とりあえずその子が見つかったときのために、屋根裏にある私の隣の部屋の準備をしておく。他の街へお嫁に行ったお姉ちゃんが数年前まで使っていた部屋だ。定期的に風は通していたから、ベッドカバーを替えて軽く掃除をすればすぐに使えるはずだ。

 あとは、荷物がなかったと言っていたから何か着られそうな服を探すのと、言葉の勉強用に昔お姉ちゃんと一緒に読んでいた絵本を出しておこうと思う。


 お昼時になり、おじいちゃんが帰って来たけれど、女の子は一緒ではなく、まだ見つからないと言っていた。午後も捜索のために街に出たおじいちゃんは、夕方近くなってから戻って来た。

「おじいちゃん、おかえりなさい。…女の子、やっぱり見つからなかったの?」

 不安になって尋ねると、おじいちゃんは笑顔で答えた。


「いや、見つかったよ。元気そうだった。なんと公園で歌をうたっておった」

「歌?なんで?」

「彼女なりにお金を稼ぐ方法を考えたんだろうな。頭の良い子だよ」

 愉快そうに笑ったおじいちゃんは、愛用のリュターを背負って再度出て行こうとする。


「え?おじいちゃんも歌いに行くの?」

「ああ!あの子の歌を聴いていたらウズウズしてしまってな。夕飯には連れて帰ってくるとするよ」



 夕飯の時間になって戻って来たおじいちゃんは、言葉通り女の子を連れて来た。

 変わった服装をしていて、この街へ来るまでに苦労をしたのか、ズボンの裾が汚れてしまっていた。青みがかった珍しい丸い眼鏡をかけているけれど、門番さんの言っていたとおり、レンズの向こう側の目はクリクリとした黒い瞳。肩につく長さの髪は、「暗い」とか「黒っぽい」といった色ではなく、「漆黒」と言える色だった。

 おじいちゃんに促されて席につき、珍しそうにあたりをキョロキョロと見回している姿が可愛いらしい。私より三歳くらい年下かなと思う。

「シェリー、ジャンに言って米料理を出してやってくれ。それと、ハチミツミルクを頼む」

「お米料理?他の国ではあまり食べられないから嫌がられないかな?」

「ハッハッハ、たぶんこの子は気に入るよ。あ、わしのエールも忘れないでくれよ」

「はいはい、分かってますよ。一杯だけだからね!」

 おじいちゃんに言われたとおりハチミツミルクを用意する。体も小さいし、栄養が足りていないのかもしれないと思って、少し普段よりも甘めに作った。女の子は嬉しそうな顔でゴクゴク飲んでいる。可愛いなあ。

 そしておじいちゃんに言われたとおり、ひき肉と季節野菜の煮込み料理にお米を盛り付けたプレートを出した。お米はこの国の家庭料理ではよく使うけれど、他の国ではめったに食べられていない。この国でも屋台やレストランではパンや薄焼きパンの方が一般的だ。

 本当に気に入ってもらえるのか心配で見ていると、女の子は食べる前から目をキラキラと輝かせだした。

「…!~~~~~!?」

 女の子は知らない言葉で興奮しながら何かを喋っている。お米を見て喜んでいるみたいだ。どこかで食べたことがあるのかな?どう見てもこの国の人じゃないのに珍しい。

「……!~~~~ーーーー!!」

 スプーンで勢いよく食べ始めた女の子は、先ほどよりさらに瞳を輝かせておじいちゃんにしきりに話しかけている。言葉はまったく分からないけれど、あの顔は分かる。絶対に「おいしいーーーー!!」って言ってくれてるわね。あんなに喜んでくれるなら、明日の夕飯もお米料理にするようにお父さんに言っておかなきゃ。


 食事を終えたおじいちゃんは女の子を連れていつものライブを始めた。女の子は最初は少し戸惑っているみたいだったけれど、おじいちゃんのリュターに合わせて楽しそうに歌い始めた。

 …なんて優しい声なんだろう。それに、どこか懐かしさを感じさせる不思議な声。

 この国の人なら誰もが知っている歌をおじいちゃんから習い、彼女はラララ~と歌っているだけなのに、情景が目に浮かんで来る。雪深い冬を越えた後の、春の喜びの歌。その意味を知らないはずの異国から来た女の子の声で、目の前にレンゲの花が一面に咲いてどこまでも広がっていくような感覚。

 私だけかと驚いたけれど、厨房から顔を出したお父さんも、食堂にいたお客さんたちも、誰もが彼女の声に聞き惚れて、優しい顔で彼女を見つめていた。特別歌がうまいとか、声量があるというわけでもないのに、彼女の声にはなぜか胸の奥に沁み込んでくるような魅力がある。

 その後は彼女の母国語なのか、知らない言語が使われた歌をうたったり、おじいちゃんと一緒に陽気な歌をうたったりと、食堂でのライブはいつになく盛り上がった。

 いつもおじいちゃんが決まって最後に歌う『おやすみの歌』を披露し、今日のライブは終わりだと思ったとき、なぜかおじいちゃんがもう一曲弾き始めた。

 女の子は一瞬不思議そうな顔をしたけれど、彼女の国の言葉で歌い出した。私は、息が止まるかと思うほど驚いた。

 この歌は、おじいちゃんの思い出の歌。どこかにある遠い世界の、おじいちゃんが生まれた故郷の歌。当然この国でこの曲を知っている人はいない。

 私は子どもの頃おじいちゃんが聴かせてくれたその歌が大好きで、おじいちゃんに教わって一緒に歌っていた。三年前に亡くなったおばあちゃんも、おじいちゃんが歌うこの歌がとっても好きで、お父さんお母さんも、お嫁に行ったお姉ちゃんも、家族はみんなこの歌が大好きだった。

 おじいちゃんはこの曲を家族の宝物のように大事にしていて、お客さんの前では披露したことがなかった。そして、大切な故郷や家族を思い出すこの歌は、おばあちゃんが亡くなってからは一度も歌われなくなった。それほどおじいちゃんにとっておばあちゃんは特別で、この歌にも特別な思い入れがあるのだと理解していた。

 今、おじいちゃんは三年ぶりにこの曲を弾いた。優しい声で歌う女の子を見て、女の子を見つめるおじいちゃんの柔らかな眼差しを見て、私は分かった。

 この子は、おじいちゃんの故郷がある世界と、同じ場所からやって来たんだって。

 いろんな思いが胸の奥底から込み上げて、うまく言葉にできない。どんな気持ちでおじいちゃんはこの曲を弾いているのか。どんな思いで、女の子はこの街にやってきたのか。

 演奏を終えたふたりに、お客さんの拍手はなかなか鳴り止まなかった。私も涙をこらえながら、必死で手を叩いた。

 そして私は決意した。何があっても、この女の子の味方になろうと。昔おじいちゃんを助けたおばあちゃん一家と同じように、遠い場所からやってきたこの子のことは、私が支えようと。

 
 昼間準備しておいた屋根裏の空き部屋に女の子を通して、どこまで伝わったか分からない説明を終え、肝心のことを忘れていたことに気付く。

「あなたの名前、教えてもらえる?私はシェリー」

 自分を指差しながらながら、何度か繰り返すと、彼女は理解してくれたようだ。

「シェリー!~~~~~~、チヨ!チ・ヨ!」

「チ、チヨ?」

 私が呼ぶと、うんうんと頷きながら嬉しそうな笑顔を返してくれる。私も数回彼女の名前を繰り返して覚える。

「うん、よろしくね!チヨ!」

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