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◇本気の恋を教えます②

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 今日はまだ営業時間中で、店内に灯りが煌々とついている。
 なんとなく、あの女性がいるかどうか確かめたくなり、店の外からそっと中の様子をうかがった。
 すると、カウンターの中でにこにこと笑って接客をしている女性の姿があった。

 やはりこの店で間違いなかった。
 彼女はふんわりと柔らかそうで、癒し系な笑顔が印象的だ。ひとことで表現するならば“かわいい”。
 入り口に背を向けて立っている男性客を相手に、カウンターを挟んでやけに親しそうに話していた。
 彼女のほうばかりを注視していたせいで、すぐに気がつかなかったけれど、あの後姿には見覚えがある。
 ふたりが会話の途中で笑いあい、チラリと男性の横顔が僅かに見えた。

 ――― 和久井さんだ。

 どうして和久井さんがここにいるのだろう。
 なぜそんなに仲良さそうに笑いあっているの?
 この店に通いたくなるほど、彼女のことがまだ好きなの?

 ……忘れられないの?

 次々と、頭の中にそんなことばかりが浮かんできて、それは容易く消えてはくれなかった。
 自分の中で暴れる複雑な気持ちを抑えようとすれば、代わりに目に涙がにじむ。
 感情をどうすることもできなくて、笑顔で語り合うふたりをただ見つめ続けてしまった。

 しばらくすると、彼女が私の視線に気づき、すぐに和久井さんも私のほうへと振り返る。
 私はバカだ。なにを動揺しているのだろう。
 和久井さんと一瞬目が合った気がするが、私は咄嗟にその場から走り去ってしまった。
 こんな顔を見られるわけにもいかないし、他にどんな顔をして会えばいいかわからない。
 とうとう堪えていた涙が頬を伝って零れ落ちたけれど、それを無視し、あてもなくただやみくもに全速力で走った。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 息が切れて、限界になったところで私は立ち止まった。肺が痛い。
 昼間に和久井さんに会ったときは、バカみたいに期待して浮かれていたのに、天国から地獄に落ちたみたいだ。

 先ほどのふたりを見てしまっては、もう諦めざるをえないと思った。
 私は彼女がしていたように、和久井さんを笑顔にはできない気がする。……とても悔しいけれど。
 元々私に勝ち目などなかったのだろう。

 再びとぼとぼと歩き出すと、左足のかかとがやけに痛くて、見ると靴ずれをして血が出ていた。
 このパンプスはあいにく新品で、まだ馴染んでいないのに、かまわずに勢いよく走ったせいだ。
 ガードレールに背中を預けつつ、声を出さずに静かに涙を流した。
 靴擦れは痛いが、今は心のほうがもっと痛い。
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