傀儡といしの蜃気楼 ~消えた王女を捜す旅から始まる、夢の世界のものがたり~

遠野月

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重い未来

風の警告からはじまる

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 黒い石畳の道が、上に折れ曲がっていた。
 折れ曲がった先は、さらに曲がっていて、道がひっくり返っていた。

 悪夢の回廊は、縦も横も関係なく道が延びている。ひっくり返った道はめずらしくなかった。ところが、ひっくり返った道の先は途切れていて、そこに出入り口となる不思議な泉があるようだった。
 泉からは、水がこぼれ落ちてきていた。こぼえ落ちる水は、薄暗い空間の中に溶けるように消えていく。あれでは水の輪ができないのではないかと心配したが、セウラザは問題ないと一蹴した。

「逆さまの道、嫌なんですよね……。落ちそうで……」

 泉までたどり着くと、メリーが顔をゆがめて言った。
 メリーの長い総髪が、垂れ上がっている。メリーだけではなく、他の三人も髪が逆立っていた。足は石畳の道に吸い付いているのに、重力だけはどこを歩いていても同じ方向なのだ。その場で飛び跳ねたら、道からはなれて宙に落ちてしまうのではという恐怖がよぎる。

「早く、ここを出よう。俺もここには長居したくないからな」

 逆立った髪に触れながら、ラトスが言った。
 心なしか、頭に血が上っていくような感覚がある。長話したい雰囲気でもなかった。

 セウラザが泉に触れる。流れ上がる水が黒く染まり、人の目が見えた。目は、ぎょろりと周囲をうかがうように動き回る。二度目なのでラトスとメリーは驚かなかったが、フィノアは小さく悲鳴をあげた。メリーの背に隠れて、小さくなる。
 目は、回廊の番人のものなのだろう。泉の周りに夢魔などがいないのか、見ているのかもしれない。

 やがて、流れ上がる水の中から目が消えた。滝のように流れる水に、小さな穴が開いていく。みるみるうちに穴は大きくなり、人がとおれるほどの大きさまで広がった。

「女の子優先! 先に行っていいよー!」

 ペルゥが言う。
 メリーとフィノアは頭を下げると、大きく飛びあがった。二人の身体は、穴に吸いこまれていく。柱に触れてからの転送もそうだが、水の輪に飛びこむ転送も奇妙なものだと、ラトスは思った。どうにも慣れそうにない。

 二人が転送されると、わずかな緊張感が走った。夢魔が現れたわけではない。ラトスの肩の上にいるペルゥが、小さく、冷たい息を吐いたからだ。

「ラトス」

 冷たい声で、ペルゥが言う。時々見せる、ペルゥの素の表情と声だ。メリーたちは嫌がるが、ペルゥの素の表情が、ラトスはそれほど嫌ではなかった。

「左手、黒いままだろう?」
「そうだな」
「もう分っていると思うけど、それは夢魔だ」
「……そうだろうな」

 ペルゥの言葉に、ラトスはうなずいた。
 悲嘆の夢魔の時も、貪食の夢魔の時も、黒い靄が左手に移るのが見えた。その直後に左手から感じた力は、人間の力とは別物だと、ラトスは分かっていた。夢魔だと確信したのは、貪食の夢魔と戦っている時だった。

「分かっているなら、話は早い。それ以上、その夢魔を成長させないことだ」
「成長を抑えられるのか?」
「少しは抑えられる。理性を失わないこと。祓う力を使い切らないことだ」
「無理するなってことか。セウラザも、そう言っていたな」

 ラトスがうなずくと、セウラザも静かにうなずいてみせた。自分の分身だというからには、セウラザも気付いていたのだろう。時々ラトスの身体を気にかけているように見えたが、なるほどと、ラトスは合点した。

「出来るだけ、気を付けはするさ」
「そうしてくれると、助かる。夢魔に乗っ取られてしまったら、どうにも出来ないからね」
「分かった」

 そう言ってラトスは、もう一度うなずいた。するとペルゥは険しい表情を消して、いつものお気楽な表情にもどった。

「よーし! じゃあ、行こう! メリーが待ってるもんね!」
「お前、メリー大好きだな」
「もちろんさ! 友達だからね!」

 先ほどまでの冷たい雰囲気などなかったかのように、ペルゥは明るく振舞った。仕方ないと、ラトスもペルゥの嘘っぽい雰囲気に合わせた。ついでセウラザに苦笑いを向けると、彼は無表情に小さく息を吐いてうなずき返した。

 ひるがえったセウラザが、水の輪に飛び込む。
 音もなく輪に吸いこまれていくのを見てから、ラトスも泉の淵に足をかけた。

「ペルゥ」
「なにー?」
「お前は、意外といい奴だな」
「え。なに。気持ち悪ーい」
「ははっ、そうだな。気持ち悪いことを言った」

 笑って、泉の淵を蹴る。水の輪をくぐると、薄暗い石室に入った。石の床に着地し、手を突く。ひやりと冷たい感触が伝わってきた。やっと悪夢の回廊をぬけだしたのだと、ラトスは安堵の息をこぼした。

 周りを見ると、三人が回廊の番人の近くに集まっていた。
 ラトスとペルゥも、三人のそばに寄る。セウラザが、回廊の番人に礼をしていた。番人の老人はやはりいつもと同じ老人のようで、石室もまたいつもと同じ場所のようだった。

「本来の目的は果たせなかったが、このまま国王の夢の世界に行くか?」

 番人から目線をはずして、セウラザが言った。
 確かに本来の目的は、悪夢の回廊の最奥に行くことだった。それは、鉄の扉があって叶わなかった。できるかぎり早く現の世界にもどるのであれば、国王の夢の世界に行く必要はない。ラトスは一瞬考えたが、ふとフィノアの顔を見ると悩むのをやめた。

「せっかく来たんだ。入ってもいいだろう」
「そうか」
「このまま帰っては、王女様が拗ねる」
「……な!」

 ラトスの言葉に、フィノアが大声をあげた。無礼者と言いたげな表情だったが、一瞬前までは明らかに困惑した表情だった。ここで帰るとなれば、がっかりでは済まないだろう。下手をすれば、恨まれるかもしれない。

 フィノアがその気なのであれば、ラトスも調べておきたいことがあった。妹の死を、国王が把握しているかどうかだ。
 王がもし知っていれば、国の意思が働いて宝石を奪い、妹の命まで奪った可能性が高くなる。そうなれば大臣は、依頼の報酬として犯人の名を明かさないかもしれないのだ。ならばここで妹を手にかけた者の名を知っておけば、現の世界にもどった時にやりやすくなる。

「だが、王女さん。覚悟したほうがいい」
「している、つもりです」
「そうか」

 フィノアが顔をこわばらせると、ラトスは静かにうなずいた。
 国王の夢の世界を見るだけではない。フィノアは、国王である父の考えを知りたいのだ。他人の心をのぞきこんで、意図したものだけを知ることなどできるはずがない。見たくないもの、見られたくないものまで、必ず見ることになる。
 もちろんラトスも同様に、見たくないものを見ることになるだろう。フィノアに言いながら、自身の覚悟の再確認をするのかと、ラトスは内心自嘲した。

 緊張気味のフィノアの肩を、メリーがそっと支える。
 少女はかすかに肩をふるわせたが、メリーの顔を見ると口元をわずかにゆるませた。

 石室の隅にある、黒い柱に触れていく。
 目の前が暗くなり、全身の感覚が途絶えた。
 転送中のこの時間は、やはり慣れなかった。意識だけのこの空間で、他の三人と一匹も近くを飛んでいるのだろうか。気になって、ラトスは辺りを見回してみた。しかし、それらしいものは見当たらなかった。

 やがて暗闇からぬける。
 革靴の底に、硬い岩の感覚が伝わってきた。肌には、冷たい風が当たった。

「寒いな」

 視力が元にもどると、ラトスは辺りを見回した。足元の岩は、妙に汚れていた。岩の隙間には、一本も草花が生えていない。まるで荒れ地のような光景だった。見あげると空は薄暗く、夕暮れのような色を浮かべていた。

「他の岩山が、見当たらないな」

 ラトスと同じように辺りを見回すセウラザが、ぽつりと言った。
 改めてラトスが空に目を移すと、確かに周囲には、他の岩山が浮いていなかった。不思議に思って岩山の淵まで歩いていく。すると眼下に広がっているはずの草原が、ぼんやりとしか見えなくなっていた。

「離れているのか」
「……そうみたいですね」

 追いかけてきたメリーが、ラトスの隣で下をのぞきこみながら言った。
 草原に浮いている他の岩山は、いくつか眼下に浮いているようだった。それらもやはり、ずいぶん下のほうをただよっていた。

「これは、まずいんじゃないか」
「まずいねー。この夢の世界の主が、だいぶ弱っているかも」
「陛下が、ですか?」
「まあ、そう」
「そんな……!」

 ぼやけた草原を見下ろしてメリーが叫ぶと、ラトスの後ろで小さな足音が鳴った。ラトスの代わりにメリーが振り返る。フィノアだった。少女は呆然とした表情でメリーの隣まで歩いてくると、そっと下をのぞきこんだ。その眼にたたえる光は弱かった。いつの間にか、呆然というよりは無表情な顔になっていた。

「行かないと」
「行ってどうするんだ」
「どうって」
「ここは夢の世界だぞ。何も出来やしない」

 フィノアの様子を見て焦りだすメリーに、ラトスが静かに言った。
 酷なことだが、実際できることはほとんどないはずだ。弱っているのは現の世界の身体であって、夢の世界ではない。

 ラトスの言葉に、メリーはにがい顔をして黙った。危険な状態だと分かっているのに、なにもできないというのは歯痒いことだ。ここがラトスの友人の夢の世界なら、彼女と同じように多少焦ったかもしれない。

「とにかく、あまり長居は出来ないからね。これ、もうすぐ消えるかもしれないし」

 ペルゥが足元を指差しながら言った。
 主を失えば、この夢の世界も消える。中に侵入したラトスたちも、消滅に巻き込まれるということだろうか。

「もちろん、長居はしない。それでいいな、王女さん」

 ラトスは、フィノアに向かって言った。
 少女は動かなかった。虚ろな瞳で、ぼんやりと宙を見ていた。つづけてメリーが声をかけても、少女は無表情のままだった。

「大丈夫か」

 ラトスは、フィノアの肩を叩いた。
 少女はびくりと肩をふるわせて、ラトスの顔をじっと見る。その瞳には力が感じられなかった。人形のように、思考が停止しているかのようだった。

「フィノア?」
「……え、あ……何ですか……?」

 メリーの再三の呼びかけに、ようやくフィノアは瞳に光を取りもどした。
 呆然としていたことに、気付いてもいなかったようだ。フィノアはメリーの顔を見て、首をかしげた。彼女がもう一度呼びかけると、少女は、なんですか? と、もう一度返事した。

「ここには、あまり長居できないという話だ」
「そうですか。とにかく、父のセウラザに会えれば多くを知ることが出来るかもしれません」
「それは良い。時間を短縮できそうだ」

 フィノアの提案に、ラトスがうなずいてみせる。
 先ほどとは打って変わって、少女はいつも通りの王女様にもどっていた。なにか思うところがあって、ぼうっとしていたのだろうか。たずねようとしてみると、メリーがラトスの服を軽くつまんで止めた。
 なんだと、眉根を寄せてメリーの顔を見ると、彼女は頭を横に振って、フィノアのほうをちらりと見た。少女を見る彼女の顔は、少し苦しそうにも見えた。

 メリーは、フィノアの呆然としてしまう理由を知っているようだった。彼女の様子を見るかぎり、あまり触れないで欲しいことなのだろう。ラトスは仕方なく、黙ってメリーにうなずいてみせた。意思疎通に大きな影響がないのなら、過度に気にかける必要はない。

「向こうに転送石がある。急ごう」

 遠くからセウラザの声が聞こえた。振り返ると、岩山の高いところからセウラザがこちらを見下ろしていた。ラトスは彼に手を振る。そして、隣にいる二人と一匹に、行こうと、声をかけた。

 登っていくために手をかけた岩肌は、風化しているように崩れやすかった。色はくすんでいて、どことなく萎れているようにも見えた。気を抜けば滑落しそうだと、ラトスは皆の最後尾から登っていくことにした。
 軽々と登っていくメリーはともかく、フィノアの足取りは重かった。か細い身体は、時々大きくよろめいた。いつでも下で受け止められるようにしようと、ラトスはさらにゆっくりと登っていく。

「王女さん、ゆっくりでいいぞ」
「……はい」

 フィノアの声は暗かった。よく見ると、全身がかすかにふるえているようだった。
 山登りが苦手なだけで、よろめいているのではない。もうすぐ、父親の夢の世界に入るのだ。臆したとしても、おかしくはないだろう。

 なんとか全員登りきると、岩山の一番高いところに白い柱が建っているのが見えた。
 勇むように、誰よりも先にペルゥが柱に向かって飛んでいく。追いかけるようにして、メリーが走っていった。一人と一匹を見送ったセウラザが、少し遅れて歩くラトスとフィノアに振り返った。大丈夫かと声をかけたが、フィノアは小さくうなずくだけだった。

「とりあえず、ボクはここで待つよ。いつも通り」

 柱の前に四人がそろうと、ペルゥが小さな前足を組みながら言った。

「悪いな」
「岩山の様子が変になったら、すぐに連絡するよ。そのときはすぐに脱出してね」
「わかった」

 ラトスがうなずくと、ペルゥはくるくると回りながら飛びあがった。そしてメリーとフィノアの前に、ふわりと降りたつ。またワイワイと騒ぐのかと思ったが、ペルゥの瞳は静かだった。

「メリー。フィノア。いいかい? ここから先、出来るだけ魔法を使ってはダメだ」
「どうしてですか?」
「……個の夢の世界は、別属性を異物と判断する。覚えているかい?」
「い、一応」

 真面目なペルゥに気圧されたのか、メリーは戸惑いながらうなずいた。
 うなずいた彼女を見て、ペルゥもうなずくと、ふわりとフィノアの前へ移動した。

「ここの夢の世界は弱っている。生きながらえるために、異物を反射的に排除するはずだ」
「……はい」
「魔法を使えば、君たちはすぐに追い出される。それどころか」
「それどころか?」
「排除するために力を使い切って、夢の世界が崩れるかもしれない」

 淡々と話すペルゥの言葉に、フィノアの身体はびくりとふるえた。
 個の夢の世界が崩れるということは、死ぬということだろう。できることなら救いたい父親を殺してしまっては、後悔しきれない。脅すつもりはなかっただろうが、強い牽制になったとラトスは思った。

「……わかりました」

 フィノアが静かに言う。メリーも黙ってうなずいた。
 二人を見て、ペルゥは寄り添うように近付く。フィノアの頭を軽くなでると、頑張ってねと小さくこぼした。

「じゃあ、行ってくる」
「気を付けてねー」

 ラトスの言葉に、ペルゥが明るい声で返事した。
 白い柱に向き直り、ラトスは手をかざした。ならうように、三人も柱に手をかざす。

 指先が、柱の表面に触れる。風のささやき声が、指先からひびいた。同時に、怒鳴るような声も聞こえた。
 今までにない、鋭い振動が指先から駆けあがってくる。
 隣を見ると、メリーとフィノアの顔が引きつっていた。セウラザもかすかに目をほそめていた。

 まるで警告のようだ。
 風の怒鳴り声を聞きながら、全身が光につつまれていった。
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