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第2章 再会
社交界の再会——侯爵令嬢との対峙
しおりを挟むカトリーナ・エーレンベルクの帰国は、本国の社交界に大きな波紋を呼んでいた。
異国の外交官としての彼女の存在は、貴族たちの興味を引きつけると同時に、様々な思惑を生み出していた。
——そして、その中には、13年前の亡霊もいた。
「お久しぶりね、カトリーナ・エーレンベルク」
カトリーナが社交界の会場で仕事をしている最中、背後から艶やかな声が響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは、13年前にヴィクトル・フォン・ヴァルトハイムとの婚約の噂が流れていた侯爵家の令嬢——
いや、今では侯爵夫人の座を経て、未亡人となった女だった。
カトリーナは、その姿を見ても表情を変えなかった。
「……お久しぶりですね、侯爵夫人」
彼女は穏やかに微笑みながら、適切な距離を取る。
しかし、侯爵夫人は扇を揺らしながら、意味深な笑みを浮かべて近づいてきた。
「異国の貴族として、本国に戻ってきたですって? ふふ、まるで亡霊のようね」
「亡霊とは、また風流な表現ですね」
カトリーナは、冷静に言葉を返す。
しかし、侯爵夫人は、ふっと唇を歪めた。
「……そうね。でも、本当の亡霊は、あなたではなく——過去の関係のことかしら?」
カトリーナの指先が、一瞬だけ止まる。
——過去の関係。
それが、何を指しているのか、すぐに理解した。
「ヴィクトル・フォン・ヴァルトハイム」
侯爵夫人は、その名を口にする。
「あなたと彼が、学園時代に成績を競い合っていたことは、社交界でも有名だったわ。でも……ふふ、あなた、知らないでしょう?」
「何を、でしょうか?」
カトリーナが問い返すと、侯爵夫人はわざとらしくため息をついた。
「……昔、私とヴィクトルが、そういう関係だったことよ」
カトリーナの心臓が、一瞬だけ跳ねた。
侯爵夫人は、彼女の反応を楽しむかのように、ゆっくりと続ける。
「キスも、肌を重ねることも、すべて……ええ、あなたが知らないだけで、私と彼の間には、確かにあったのよ」
周囲の貴族たちは会話に夢中で、ここで交わされている言葉に耳を傾ける者はいなかった。
それでも、侯爵夫人はわざと甘やかに声を落とし、カトリーナを煽るように話す。
「……だから、あなたももう、彼に付き纏わないでちょうだい?」
カトリーナは、静かに侯爵夫人を見つめた。
彼女の瞳は、まるで相手の本質を見透かすかのように、冷静で研ぎ澄まされている。
——でも、私は知っている。
13年前、ヴィクトルは言った。
「俺は、あの女とは何もなかった」
侯爵夫人が何を言おうとも、それを信じることはできない。
——だから、私は追い詰める。
「……そうですか」
カトリーナは、ふっと微笑んだ。
「侯爵夫人がそうおっしゃるのなら、私が何か言うことではありませんね」
「そうね。なら——」
「ですが」
侯爵夫人が言葉を続けようとした瞬間、カトリーナは彼女の目を真っ直ぐに見据えた。
「ヴィクトルは、そうは言いませんでした」
侯爵夫人の表情が、僅かに引き締まる。
カトリーナは静かに続けた。
「彼は、はっきりと言いました。“あの女とは何もなかった”と」
侯爵夫人の指が、扇を握る力を強めた。
「……そう。ヴィクトルは、そう言ったのね」
「ええ。つまり、どちらかが嘘をついていることになりますね?」
カトリーナは、淡々とした口調で問いかけた。
「それとも、彼が何もなかったと言ったのは……あなたとの関係が、それほど価値のないものだったからでしょうか?」
侯爵夫人の瞳が、僅かに揺れた。
彼女は、すぐに取り繕うように笑う。
「……ヴィクトルも男よ? そう言ったからといって、本当に何もなかったとは限らないわ」
「では、彼は嘘をついたと?」
「そうとは言っていないわ。ただ、彼も貴族の男としての立場があるでしょう?」
「……そうでしょうか」
カトリーナは、ゆっくりと扇を広げる侯爵夫人を見つめる。
「いずれにせよ、どちらの言葉を信じるかは、私の自由です」
「……」
「侯爵夫人、あなたが言った“肌を重ねる行為”とやらが、どれほどの真実を含んでいるのか……」
カトリーナは、わずかに微笑んだ。
「あなたご自身が、一番よく分かっているのではありませんか?」
侯爵夫人の顔色が、僅かに強張った。
貴族の間では、“関係を持った”という噂が流れることは珍しくない。
しかし、それが本当にあったのか、あるいは単なる虚勢なのか——
——そんなことは、当人たちにしか分からない。
だからこそ、カトリーナは静かに笑いながら言った。
「いずれにせよ、私はもう、13年前のあなたの言葉で動揺するほど子供ではありませんので」
侯爵夫人は、何かを言いかけたが、そのまま口を閉じた。
「……そう」
彼女は、一瞬だけカトリーナを睨むように見つめ——
「ふふ、あなたも随分と強くなったのね」
そう言い残し、踵を返した。
カトリーナは、その背中を静かに見送る。
——私はもう、13年前の私じゃない。
誰かの言葉で動揺するほど、弱くはない。
——でも。
心のどこかで、“本当にヴィクトルの言葉を信じていいのか”という疑問が浮かぶ。
“あの女とは何もなかった”
その言葉の真実を、私はどこまで確信できるのだろう?
カトリーナは、静かに息を吐き、社交の場へと戻っていった。
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