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第3章 加速する執着
静かなる緊張
しおりを挟む夜の宮廷。
昼間の喧騒が去り、静寂が支配する時間。
長い廊下の奥、
燭台の灯りが届かない隅の空間。
その薄暗がりの中で、
ヴィクトルとカトリーナは密かに唇を重ねていた。
「……少し、こっち来い」
ヴィクトルがカトリーナの手を取り、
人目を避けるように、廊下の奥へと連れ込んだ。
「ここなら誰にも邪魔されねぇ」
カトリーナは一瞬だけ周囲を確認したが、
ヴィクトルの腕の中に引き寄せられると、
抗うことなく身を委ねた。
ヴィクトルは、カトリーナの頬をそっと撫でる。
「……最近、あの王子にずっと囲われてたよな」
「仕事よ」
即答するカトリーナに、ヴィクトルはフッと笑う。
「へぇ……じゃあ、今ここでこうしてんのも”仕事”か?」
意地悪く言いながら、
ヴィクトルはカトリーナの顎を軽く持ち上げ、
そのまま唇を落とした。
——深く、甘く。
舌が絡み合い、熱を吸い取るような口づけ。
カトリーナはヴィクトルの襟元を掴みながら、
静かに目を閉じた。
(……仕事じゃないわね)
誰に命じられたわけでもない。
ただ、ヴィクトルの温もりを感じたくて、こうしている。
——その光景を、遠くから見つめる者がいた。
王子だった。
廊下の向こう側、燭台の陰に立ち尽くし、
じっとヴィクトルとカトリーナを見つめていた。
カトリーナがヴィクトルの腕に抱かれ、
ヴィクトルが彼女の唇を深く奪う光景を。
それは、王子にとって”見たくなかったもの”だった。
王子は、静かに拳を握り締める。
(……やはり、そういう関係だったか)
胸の奥が、嫌なほどざわつく。
(僕のそばにいる時は、いつも冷静で……)
(ヴィクトルの前では、あんな表情をするのか……)
カトリーナが、ヴィクトルの唇を受け入れる瞬間。
彼女の細い指が、ヴィクトルの肩にしがみつく姿。
そのすべてが、王子の目に焼き付く。
(……僕がどれだけ手を伸ばしても、カトリーナは……)
王子の視線が、ふっと冷たく沈む。
ヴィクトルは、カトリーナの唇を離しながら、
彼女の頬を軽く撫でる。
「……お前、ほんとに俺といるときは素直だよな」
「……っ、そんなことないわ」
カトリーナは息を整えながら答えたが、
ヴィクトルは楽しそうに口角を上げた。
「へぇ? じゃあ、俺じゃなくて王子の前で、こういう顔してんのか?」
「……バカ言わないで」
カトリーナが僅かに眉を寄せると、
ヴィクトルは満足げに微笑み、彼女の髪を撫でた。
しかし——
(……誰かに見られてるか?)
ヴィクトルの勘が働く。
ほんの僅かだが、
遠くからの視線を感じる気がした。
(……いや、気のせいか)
気にしすぎかもしれない。
だが、ヴィクトルは無意識のうちに、警戒の色を瞳に宿した。
王子は、その場を静かに離れた。
しかし、その目には、
今までにない冷ややかな光が宿っていた。
(……もう、黙っているつもりはない)
カトリーナが、ヴィクトルと関係を持っていることを確信した。
ヴィクトルが、カトリーナを完全に手に入れようとしていることも。
(……僕のそばにいたカトリーナを、ヴィクトルに奪われるわけにはいかない)
胸の奥に、じわじわと広がる焦燥と嫉妬。
それを押し殺しながら、王子は静かに歩を進めた。
次に会う時は——
「カトリーナ、お前は僕のものだ」と、はっきり伝えるつもりだった。
来賓館に戻ったカトリーナは、何事もなかったかのように振る舞った。
王子にヴィクトルとのことを知られたかもしれない、という疑念は頭の片隅にあった。
だが、それを考え始めればキリがない。
(……とにかく、いつも通りに仕事をするだけ)
冷静さを保ち、
予定されていたルイとの打ち合わせのため、彼の寝室を訪れた。
「お待たせしました」
カトリーナは淡々とした声で言い、
机に並べられた書類を整える。
ルイは、寝室のソファに腰をかけ、
彼女の動きをじっと見つめていた。
「……今日は少し、話すことが多いね」
「ええ。外交の準備が本格化していますから」
カトリーナは、ルイの向かいに座り、
手際よく書類をめくりながら説明を始めた。
——表面上は、いつもと変わらない会話。
けれど、王子の視線は、
以前よりもじっとりとカトリーナを捉えて離さなかった。
打ち合わせがひと段落すると、
次は「この国での正式なマナー」の説明に移る。
カトリーナは、手元のグラスを取り、
「この場合の持ち方は——」と説明を始めた。
王子は、黙ってカトリーナの動きを眺めていたが、
ふと、意地の悪い微笑を浮かべた。
「……カトリーナ、君は本当に、優秀な指導者だね」
「当然です。私は殿下の側近ですから」
即答するカトリーナに、王子は一瞬だけ表情を曇らせる。
「……“仕事”として、ね」
その言葉には、わずかに冷たい色が滲んでいた。
(……?)
カトリーナが違和感を覚えた瞬間——
王子の手が、カトリーナの手首を捉えた。
「っ……殿下?」
驚く間もなく、強い力で引かれる。
バランスを崩したカトリーナの身体が、
ふわりと宙を舞い——
——次の瞬間、ベッドの上に倒れ込んでいた。
王子の影が、上から覆いかぶさるように落ちる。
「……カトリーナ」
掠れた声が、耳元で響く。
王子の手は、彼女の肩を押さえ、
まるでこのまま閉じ込めるつもりのようだった。
「……どういうつもりですか?」
カトリーナは冷静に問うが、
王子の瞳には、冷静ではない何かが宿っていた。
「……君は、僕の側近だと言ったね」
「ええ」
「じゃあ、僕の言うことを聞いてくれる?」
カトリーナは、一瞬だけ言葉に詰まる。
王子は、ゆっくりとカトリーナの頬に手を伸ばした。
「……僕のそばにいてくれ」
「殿下、それは——」
「“仕事”として、じゃなくて」
王子の指が、カトリーナの頬を撫でる。
「“僕の女”として」
その言葉に、カトリーナの胸がざわついた。
(……気づかれた?)
ヴィクトルと密かに関係を持っていること。
それを王子が見ていた可能性。
王子は、カトリーナの表情をじっと見つめ、
ゆっくりと身を寄せた。
「……僕じゃ、ダメ?」
その問いには、
“ヴィクトルの方を選ぶのか”という意味が含まれている。
カトリーナは、静かに目を閉じ、
冷静に言葉を選びながら口を開いた。
「……申し訳ありません」
王子の身体が、僅かに固まる。
「……そうか」
その一言の中に、
王子の滲むほどの悔しさが込められていた。
ルイの手が、ゆっくりとカトリーナの肩から離れる。
カトリーナはそっと身を起こし、
静かにルイを見つめた。
「……仕事に戻りましょう」
王子は、笑って誤魔化すこともせず、
ただ静かに目を伏せた。
カトリーナがベッドから離れる瞬間、
ルイは最後に一言だけ、呟いた。
「……ヴィクトルとは、そうやって拒まなかったのに」
カトリーナの足が、ピタリと止まる。
ルイの言葉には、
明らかに嫉妬と執着の色が滲んでいた。
(……やはり、気づかれていたのね)
それでも、カトリーナは振り返らずに、
静かに扉へと向かった。
——このままでは終わらない。
そう確信しながら、カトリーナは静かに息を吐いた。
王子の青い瞳が、
静かに、しかし確実にカトリーナを捉えていた。
それは、これまでの甘さとは違う、
執着と独占の色を帯びた視線だった——。
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