主婦、王になる?

鷲野ユキ

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覚醒

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碓井が家にいたのは時間にしてわずか30分位だったのだろう。けれどその後の陽子はなんだか夢見心地で、家事がろくに手につかなかった。
それもそうだろう、陽子の頭のなかにはまさに覚醒といって相応しいほどの、未知の記憶が沸々とわいて出たのだから。
獣を狩る猟師に、果樹や麦を育てる農民。彼らはチェルと呼ばれる岩作りの建物に住み、炎を焚いて生活していた。絹や綿の繊維で織物をし、革をなめし装飾性に富んだ衣類を着て。遠くに見えるのは、あれは何の山だろう。火を噴き噴煙をまき散らすその山を人々は恐れ敬っていた。神の山だと。
まるで世界史で見たギリシャとかローマみたい。華やかな衣装を思い出し、陽子は疑問に思う。
なぜあの先生は、日本にそんな国があっただなんて言うのだろう。しかも、大昔に。勉強はさして好きではなかった彼女さえおかしいと思う。一万四千年前?じゃあ、縄文時代とかより前にあったってこと?そんな世界が?
「いけない、お義母さんが帰ってきちゃう」
そこで陽子はようやく我に返った。気づけば外は夕暮れの様相を呈している。夕飯の買い出しを何一つしていなかったので、陽子は仕方なくへそくりから義母の好きなデパートの総菜類を買い集めた。わざわざ浜松駅まで電車で行って。別に近くのスーパーのものとそう変わらないのに値段だけ高いそれの良さが陽子にはわからなかったが、義母は「やっぱり陽子さんの料理なんぞより、ここの料理はおいしいねぇ」とご機嫌だ。いじらしくも息子の勇樹は「母さんの料理もうまいけど」とは言ってくれたけれど。
一見家族団らんの平和な食卓で、唯一不機嫌だったのは良一だった。聞けば朝家を出てから変な男に声をかけられ、気持ちが悪かったのだという。
「変な男?」
「ああ、丸いメガネに無精髭の、若い男だ。そいつが俺を捕まえて、あなたはナントカ王ではありませんかと言うんだ」
ナントカ王。恐らく碓井のことに違いあるまい。陽子は内心ドキリとした。
「やだねぇ、あれかい、宗教の勧誘かなんかじゃないのかね」
義母が口に食べ物を入れたまま喋るものだからひどく汚い。嫌悪感から陽子が箸をおけば、「まさかお前の浮気相手じゃないだろうな」などと良一があらぬ疑いをかけてくる。
浮気してるのはどっちよ。思わず叫びたかったが子供の前だ。怒りを飲み込み「やだ、そんな怪しい人知らないわよ」と返すにとどめておく。
それより碓井はなぜ良一に声をかけたのだろう。疑問に思ったがその謎はすぐに解けた。
そりゃそうだわ。だってフュオン王は男の人だったもの。まさかルクレティウスが男に生まれ変わってたとしても、それでも王は男だって思うほうが自然じゃない。
けれど。更なる疑問が陽子の脳裏に浮かんだ。
どうやってあの人は、わたしがフュオン王の記憶を持っていると知ったのだろう。
いやおそらく、楠木家の誰かが王だってことまではつきつめていたのだろう。だから良一に真っ先に声をかけた。でも記憶が覚醒したのはまさに今朝のことなのに。ただの偶然なのか、それとも。
夕食後さっさと自室に帰っていった良一と義母にほっとしつつ、片付けもそこそこに陽子は碓井について調べることにした。だって、本当に教授かどうかなんて怪しいじゃない。まさかのタイミングに現れた碓井のことを、疑わずにはいられなかった。
だが彼の言っていたことは本当のようだった。
碓井はわずか27歳ながらにその道を究め、考古学に関する著書を数冊出しているほどの天才教授だった。そして、その彼が浜北区にある根堅遺跡の浜北人の骨が見つかった地層から、高度な文明を示すもの――たとえば装飾品と思われるものの一部や、岩でできた住居のようなものなどを新たに発掘したと。
そこから浜北人の骨を再度最新技術で検分すれば、それまで滅んでいたとされるネアンデルタール人のDNAを色濃く継いだ、現在世界にいる人類、いわゆるホモ=サピエンス類とは異なる種族の人類であるのが判明したという。
故に、脳の容量が現生人類より多かったであろうネアンデルタール属の浜北人が、ここに古代文明、例えば旧石器時代より数千年も後に起こるメソポタミアやギリシャ文明と比べても遜色のない、高度な文明をすでに築いていてもおかしくないという。
その国の王が、よりによってわたし?
そんなバカなこと。でも相手は偉い先生だ、その先生が変な嘘などつくだろうか。
よくわからなくなってきた。思わずため息が口からこぼしてしまったらしい。夕飯を食べたはずなのにまだ食べ足りなかったのだろうか、成長期の勇樹が冷蔵庫を漁りに来たところそれを聞きとめたようだった。
「どうしたの母さん。ため息なんてついて」
ついこないだまで届かなかったのに、180センチ高の冷蔵庫の奥の方まで手が届くようになったらしい。それでも若干背伸びをして、だが、子供の成長とは恐ろしいものである。陽子の背を越すのもあとわずかだ。その息子は発掘した、賞味期限がいつか怪しいチーズケーキを取り出して鼻をクンクンさせる。しばらくの後、どうやら大丈夫だと判断したのだろう。それをぱくぱくと口に入れながら声をかけてきた。
「ばーさんの嫌みなんていちいち気にしてたらキリがないよ」
「うん、そうなんだけど」
どうやら勇樹は陽子のため息を、夕食時の義母の嫌味が原因だったと思ったらしい。
「母さんも少しは外で習い事とかさ、してみたら?ばーさんだって遊んでるんだし、ずるいじゃん。もっと自由に生きなよ。洗濯ぐらいならさ、俺にも手伝えるし」
「ありがと。でも、お父さんのお金だもの。わたしが好き勝手に使えないし」
「じゃあさ、バイトとかどう?自分で働いた金ぐらい好きにさせてくれるだろ」
「バイト?でもわたし、働いたこと一度もないし……」
「大丈夫、誰でも出来るって。ほらやってるじゃん、浜北人が高度な文明を築いていた、ってやつ。あれの発掘作業でたくさん人手がいるんだって」
「発掘作業?」
まさに今、陽子がスマホで調べていた事柄だ。中学生でさえ知っていることを知らないなんて。これからはニュースも見よう、そう陽子が胸に誓っていると、
「俺の塾の先生が、その発見者の大先生の教え子なんだって。で、バイトに駆り出されて大変ってぼやいてた」
と勇樹が続けた。
「え、勇樹の塾の先生、碓井先生の教え子なの?」
「そうそう、碓井先生。母さんよく知ってるね。考古学興味あったの?」
「そういうわけじゃなけど」
知ってるもなにも、今日会ったばかりの人だ。
「塾の先生、粕川先生っていう大学生のお姉さんなんだけど、すっごい美人だからなにか役に立ちたいなって思っててさ。けど中学生じゃバイトできないじゃん、代わりに母さん行ってきてよ」
「勇樹……別にお父さんの女好きなところ、見習わなくていいのよ?」
「そんなんじゃないって!なんていうかこう……運命、っていうか?」
「運命?」
「なんかこう、粕川先生、はじめて会った気がしないんだよ。先生もそうらしくって、これってもう運命ってやつじゃないの?」
どうやら冷蔵庫内の食べられそうなものはあらかた食べ尽くしてしまったらしい。まさかの爆弾発言をしていった勇樹は、じゃあおやすみ、でもバイトの件考えておいてよ、なんていいながら部屋へと戻っていった。
中学生のくせに、大学生のお姉さんに好意を寄せるとは。若い娘好きの良一も大概だが、あの子の将来が心配だわ。
息子の背を見送りつつ、けれども陽子は合点がいった。勇樹と初めて会った気がしないと言うそのお姉さん、もしかしたら過去を思い出した覚醒者なんじゃないかしら。その予測に陽子は自分の記憶に自信が持てた。きっとわたしだけじゃないんだ、大昔のことを思いだしたのは。もしかしたら勇樹も、そのうち目覚めるのかもしれない。
ふふ。陽子は内心おかしくなる。まさかあの子だって、自分の母親がかつての王だなんて思わないだろう。
けれどバイト先のお姉さんは気がついたのかもしれない。過去の記憶がよくお話に出てくる転生によるものなのか、それとも遺伝的なものなのかはよくわからない。けれど勇樹にわたしの面影を見たというならば、それはおそらく遺伝なのではなかろうか。
そう、ネアンデルタール属浜北人とかいう人種の血を受け継いだのがわたしたちだ。ならばその息子の面影に、王の姿を見つけるのは不自然ではなかったのかもしれない。わたしが碓井先生の瞳にルクレティウスを見たように。
そして、そのことを粕川は碓井に報告し、そうして碓井が楠木夫婦のもとに現れた――。
ならば他にも、過去の記憶を思い出した人がいるのかもしれない。陽子はその人たちに会ってみたい、と思った。他にも同じことを証言する人間がいれば、それはただの誰かの妄想ではなくて事実だと、つまりはあれも単なるわたしの想像ではなくて、こんなわたしが実は王だってことを、認められるような気がしたから。
わたしは本当はシャンポリオンの偉大な王で、間違ってもあんな義母や夫に虐げられていていい存在ではないということを、知らしめられるような気がしたから。その考えは陽子の人生をひどく明るく照らすもののように思えた。LED電球なんかより、目も眩むほどのまばゆい光に。
それと、今日はあんな形で帰してしまったけれど、陽子は碓井にももう一度会いたかった。過去を思い出して一層、見知らぬ他人であるはずの碓井のことがだんだんと愛おしくなってきたのだった。
勇樹と粕川先生の出会い以上に、これこそが運命ではないか。碓井の、端正な顔立ちを彼女は思い浮かべる。
かつての王国で、互いの運命を誓いあった者同士。その二人が、遥か時を越えて再会する。まるで絵に描いたようなラブロマンス。ドラマのなかでしか起こり得ないと思っていた展開。それがわたしの身に起こるだなんて。陽子は胸が高鳴るのを止められなかった。
その夜、陽子はなかなか寝付けなかった。明日は、この連絡先に電話してみよう。ベッドのなかで陽子は碓井から渡された名刺をそっと握りしめた。うるさい夫のイビキさえ気にならぬほど、陽子はその思いで頭が一杯だった。
それと、勇樹の言っていた発掘作業のアルバイト。それに加われば、陽子が碓井と会うのになんら不自然はない。義母と夫はどう思うだろうか、いきなり働きたいだなんて、しかも肉体労働だ。不思議に思うだろうか?
いや、結局彼らにとってわたしはただの召使いだもの。今まで通り家事さえこなしておけば文句はあるまい。まして外に出て金を稼いできてくれるならば。
稼いだお金はお家に入れます、勇樹の学費もあることだし。そう言えば大丈夫だろう。良一の稼ぎが不況のあおりをうけて、年々減っているのはみな承知済みだ。
何度かの寝返りをうって、陽子はようやく眠りについたのだった。
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