主婦、王になる?

鷲野ユキ

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勇者とラーメン

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「まさか、先生から誘ってもらえるなんて思ってもなかったよ」
塾帰り、大通り沿いのラーメン屋。意外や意外、いかにもイタリアンだのが好きそうなお年頃の粕川が優樹を連れて入ったのは、年期の入ったラーメン屋だった。のれんはボロボロだし、床も油でギトギトだ。ほんと、意外。勇樹は食事に誘われた嬉しさよりも、思ったことをすぐに口に出してしまった。
「それに、先生の好物がラーメンだなんても思ってもみなかった」
「なに、私がラーメン好きだといけないの」
ずるずると麺をすするのに全神経を向けつつ、横並びの二人は他愛もない会話をやりとりする。
「そんなこと言ってないよ、でもそれなら早く教えてくれればよかったのに。駅むかいの『いまだや』知ってる?俺あそこの塩ラーメン好きなんだよね」
「え、知らない。なにそこ今度連れてってよ」
「急に先生がご飯誘ってくれたの、俺がラーメン好きなの知ったからなの?」
その質問に、まさかあなたのお母さんと碓井先生の浮気をフォローするためだからよ、とは答えるわけにもいかず、あやうくむせかけた粕川は「ちょっと楠木……いえ、勇樹君と話したいことがあって」と返しておいた。
「珍しい。先生がファーストネームで俺のこと呼んでくれるだなんて」
だが彼は粕川の狼狽に気付かなかったらしい。他人行儀な呼び方から一歩踏み入れた親しげなその呼び名に満足したようで、嬉しそうに笑っている。
「だって。お母さんを陽子さんって呼んでるのに、その息子さんを楠木君っていうのもなんか変かなって」
「それは確かに」
ずるずるとラーメンを掬う手を止めず、何やら納得した様子で勇樹はうなずいた。
「で、俺に話って?まさか成績の話とか?このままじゃ志望校は無理だとか?」
「それはないと思う、それどころか塾長、わが塾の生徒の合格校のランクをあげるべくもっと上位校を狙ってほしいって愚痴ってたけど」
「やだよ、遠いとこまで行くの面倒だもん」
さすがは成長期の男の子だ。あっという間に完食すると、それでも物足りないのかスープをずるずるとすすっている。
「気持ちはわかるけど、塩分過多は身体に悪いよ」
そう粕川が注意すると、それでも物欲しそうに勇樹がしているものだから、「じゃあこれで味玉でも食べな」と小銭を彼に手渡した。
「でも、おごってもらうのは」
「いいのいいの。子供はおとなしく大人の言うことを聞いてなさい」
「またそうやって子供扱いする」
不満げではあるが、それでも食欲には敵わなかったらしい。今度ちゃんと返すからね、そう言いながら彼は食券機へと向かっていく。
まあ、実際食費を出してくれるのは碓井だ。自身の財布が痛むわけではないので、このくらいどうってことないだろう。だってあろうことかその支払い主は今ごろ、この子の母親をたぶらかしているんだもの。
その事実は、粕川の良心を傷つけなかったと言えば嘘になる。ましてや自分がそれに荷担していることも。
けれども、碓井の思惑はどうであれ、きっと陽子さんにとっては至福の時であったに違いない。同じ女として粕川はそう思わずにはいられなかった。
けれども裏でそんなことが行われていることなど知らない勇樹はのんきなものだった。
「で、俺に話って?」
どうやら味玉どころか小チャーシュー丼までしっかり頼んだ彼は、もぐもぐと口を動かしながらそう聞いてきた。
勇樹君に話。とっさにでた嘘などではない。話ならあった。いったい、どこまで思い出しているのかを。
先日陽子に会ったとき、息子の夢に赤子を抱いた女の人が出てくるらしい、と言っていた。でも詳しく聞いてもよく覚えていないと。
その話に感化されたのかもしれない。新しく見るようになった夢のバリエーションに、勇ましく戦う勇者と、それを悲しげに見ている女の姿が加わった。女の正体はカスティリオーネにもわからなかった。けれど、あの先陣きって駆けていく姿は、横で玉子を頬張る彼の姿に重なりやしなかったか。
考え込む粕川をよそに、食べ物を平らげた彼は「そうそう、俺最近変な夢見るんだよ。前にも言ったかもだけど、勇者になって戦う夢。なんか意味あるのかなってクラスの女子に聞いたらさ、勇者とかヤバくねって返されちゃったけど」と首をひねりながら切り出してきた。
「勇者?」
「確かにさぁ、ちょっと自分でもやばいなって思うんだけど。だって勇者様だよ?どんなオタクじゃんって思うじゃん?」
「まあ、確かに」
そう思いたい年頃なのは確かだろうけど。中学二年生。なにしろ多感な時期だもの。
「でもさ、その夢の中にさ、ぜんぜん似てないって自分でも思うんだけどさ、先生が出てる気がするんだよね」
「私が?」
「うん、だから先生、初めて会った気がしないっていうか」
そこで彼はいちどうつむくと、意を決したように顔を上げて言った。
「なんか、運命みたいじゃん?これって」
運命だなんて、大げさな。粕川はそう思いつつも、その事例がいるのでうかつに投げ捨てられない。現に彼の母と先生は過去に引き寄せられてついにくっついてしまった。では、私はこの子と何かゆかりがあるとでも?そんな、やめてほしい、だって相手は中学生の男の子じゃない、私にそんな趣味はないんだけれど。
「運命ねぇ。勇樹君にはもっと運命の人がいるんだけど、気付いてる?」
だから粕川は投げやりに言った。ごめんね勇樹君。けれどあなたにはもっと身近な運命の人がいるじゃない。
「え、誰?」
「あなたのお母さん。なにか思い出さない?」
「え、母さん?やめてよ先生、そんな冗談笑えないって」
「冗談じゃない。あなたの見る夢が本物なら、あなたは誰よりも陽子さんと密接な関係にあるはずなのに」
「母さんは母さんだよ。親以外のなんでもない」
その言葉を聞いて、粕川はひらめくものがあった。なぜ勇樹君の面影に王を見つけたのか。
「そうそれ。まさにそれよ」
粕川はメンマをつまんでいた箸を持ち上げいきり立った。
「そうよ、〈王の盾〉の勇者クーファよ!」
不意に彼女は思い出した。シャンポリオンにおける勇者。ギリシャ神話においてやたらと出てくる勇者の存在は、古代の人類が普遍的にあこがれていた存在だ。それはシャンポリオンも例外ではない。国の威厳をより神格化させるために生まれた存在。それがクーファではなかったか。
「はぁ、クーファ?」
けれどもいきり立つ粕川を、勇樹は冷静に見るばかりだった。
「それより先生、目立つから座りなよ」
中学生にたしなめられるなんて。忸怩たる思いが胸を去来したものの、お行儀も悪いしなにより回りのポカンとした目で見られるのも不快だった。おとなしく彼女は席に戻ると、
「今、私のこと変なやつだって思ったでしょ」
とうなだれる。
「そんなことはないけど……ただ驚いただけで。うーん、クーファかぁ。覚えがあるような、ないような」
「たしかクーファはフュオンティヌス王とルクレティウス王妃の子で、国を守る英雄だったと思う」
「へえ、すごい。夢の中の俺ちょうカッコいいじゃん。しかも王様の息子とか」
「あれは夢じゃなくて、遥か過去に本当にあったことなんだって碓井先生は思ってる」
「粕川先生も?」
その問いに、粕川はすぐには返答が出来ず少し間を置いて答えた。
「……うん。夢にしては共通点が多すぎる。いろんな人間が同じ夢を見るとも思えない」
「じゃあもしかして、先生って俺の夢に出てくる目付きの鋭い女の人かな」
「たぶん、そう。その夢の中で私は〈王の目〉カスティリオーネって呼ばれてる」
「王の目?」
「なんか、予知能力とかあったらしいけど、今の私にはそんな変な力なんてないし」
「だよねぇ、仮に俺が〈王の盾〉とやらだったとしても、勇者って言われるほど強くないもんな。こないだも県大会で負けちゃったし」
「県大会?」
「そ。俺剣道部なんだよ。練習試合じゃ絶対負けないのに。〈王の盾〉じゃなくて〈王の剣〉とかならよかったのに。強そうじゃない?」
「へぇ、剣道部ね。知らなかった」そういえば確かに運動部特有の青春の匂いみたいのがしたけれど。でも剣道部とは渋いわね。粕川はスープに沈んだネギをすくいながら思った。
「だって、塾でそんなにおしゃべりなんかできないじゃん」
「そりゃそうだけど。塾長に怒られちゃう」
「じゃあそれだけでも不思議な夢を見た甲斐あったかも」
さっきまで冷静だったくせに、勇樹は急に眼を輝かせて興奮気味に言った。一方、冷めていくのは粕川の方だった。だってそうじゃない、所詮夢なんだから。
「そうかな。別にだから何ってわけでもないけれど」
「そりゃそうだけど。過去は過去、今は今だもん、でも」
そうじゃなくてこうして先生と会えて。そう言おうとした勇樹を遮り、
「でも、その過去が今も関係してるっていったら?」と意味深に粕川が口を開いた。
「どういうこと?」
「さっき言ったよね、クーファはフュオンティヌスとルクレティウスの間の子だって」
「うん」
「フュオンティヌスはあの夢に出てくる国の王様」
「うん、クーファはその息子なんだろ。すごいよな」
「あなたのお母さん、陽子さん。実はフュオンティヌスの記憶を持ってるのよ」
「えええええっ!?」
今度は勇樹が大声をあげて飛び上がる番だった。
「母さんが王様?てか、なんで男が女に生まれ変わってんだよ」
「そんなの知らないよ。で、碓井先生がルクレティウス」
「はぁぁぁぁぁっ!?碓井先生って男だよね?あれ、じゃあ俺はあの二人の子供なの?え、俺の親父は良一じゃなくって碓井先生なの?ん?母親が碓井先生?」
混乱する勇樹にかけられたのは、「あの、他のお客様にご迷惑ですので……」という店主の声だった。気づけば周りの客の視線も突き刺さっている。
「あ、すみません……」
騒ぐ二人は、こうしてひとつお気に入りのお店を出禁になってしまったのだった。
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