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わたしの本当の姿を
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今日はさすがに遅くなってしまったかもしれない。
碓井と肌を重ねるようになってから、日に日に陽子の帰りが遅いのは明らかだった。ただ勇樹だけは粕川に何か言われたのか、それとも覚醒したからなのだろうか。なにか言いたげな顔で陽子のことを見るものの、特に言及してくる気配もない。
それもそうだろう。母さんだって外で遊んできなよ。そういってくれたのは他ならぬ勇樹だ。まあ、遊ぶの内容が違かったかもしれないが。
けれどすんなり流せないのは夫と義母だ。はじめの頃こそあいつは偉大な仕事に携わっているのだから、と寛大な姿勢を見せていたものの、あまり頻繁に遅くなるものだから疑問を持ち始めてきたらしい。加えて、だんだんと若々しさを取り戻している陽子になにかを感じたのだ。
一番分かりやすい原因は、男だ。やたらと陽子を監視したがる義母らがそう考えるのも無理はなかった。とはいえそれは事実であるので、そんなあらぬ疑いをかけるだなんてと憤慨する権利も陽子にはなかったのだけれど。
「おいお前、また遅くなるのか?なんでお前ごときがそんな仕事で遅くなるんだ。お前がやってるのなんてせいぜい土をほじくりかえす、誰にでも出来る単純作業だろうに」
「そうだ、アイロンも満足にかけられない陽子さんに繊細な作業なんてできるもんか。あたしと違って、家事もろくにできない嫁に」
「その、すみません、人手が足りないらしくって、帰ろうと思っても引き留められちゃって」
苦しい言い訳だとは思った。本当はわたしこそがあの場所で必要とされる存在なのに、そう言えたらなんて楽だろう。でも実際、誰よりも功績を上げているのに。そう言ってやりたかった。わたしはあの国の王だったから、たぶんどこに何があるのかわかるのだ。だから面白いほど遺物を発掘できた。自分の王国の片鱗を探しているのだと言えたならば。
けれど、そんなことを言ってもバカにされるだけだ。今は、まだ。
「仕事を言い訳に、そのバイト先で会った男と浮気でもしてるんじゃないのか?」
仕事を言い訳にしているのはどっちよ!そう叫んでやりたかったが、そう言い切ってしまえば自分もそうしていることを見透かされるような気がして我慢する。
「そんなこと……みんなそれどころじゃないわよ、泥まみれで、汗くさくって。だからごめんなさい、今日も帰りに現場で会った人と一緒に銭湯に寄ってきたの。え?もちろん女の人よ。大学生の女の子でね、史学専攻なんですって」
「そうか、それならいいんだが」
けれどまったく納得していない顔で良一が苦々しげに息を吐いた。
「でも陽子さん、床がベタベタして気持ち悪いから早く掃除してちょうだいね」
義母に至っては、まるで帰りが遅くなるのを罪かのように、その罰としてか仕事を押し付けてくる。
床なんて二日前に拭いたばかりなのに。お義母さんが食べ物をボロボロこぼすからすぐ汚れるんじゃない、踊る元気があるならそれくらい自分でやってちょうだい!
だがここでキレる訳にもいかなかった。勢いで結婚こそしてしまったものの、勢いで離婚するわけにもいくまい。なにしろ陽子には一人で生活できるほどの経済力もなかった。一応アルバイトはしているものの、コネで得た職だ。それに仕事が仕事で長期間働けるものでもなかったし、まして勇樹を引き取ってと考えればなおさら。
耐えるしかないのだ。なに、少し我慢するだけ。今のわたしには碓井さんがいるんだから。少なくとも、その関係だけはこの人たちに壊されないように気を付けなければ。
けれど。陽子はこうも考える。
こんな人たちの顔色なんてうかがわないで、もっと自由に生きれたら。ここはわたしのいるべき場所じゃない。例えばそう、わたしが偉大な王であることを確実に証明さえできたならば。今こうしてわたしに嫌みを言ってくるこの人たちも、わたしのことを改めてくれるのかしら、とも。
翌日陽子が現場へ向かうと、そこにはまるで場に似つかわしくないスーツ姿の男がにこやかに立っていた。赤いネクタイが妙に目を引く、眼鏡姿の男性。
誰かしらあの人。先生の大学の偉い人かしら。けれどせっかくの良さそうなスーツと革靴なのに、こんな砂まみれなところを歩いていいのかしら。クリーニングが大変そう。陽子はついそんなことを思ってしまう。
夫より断然いい格好をしたその男が、あろうことか陽子の方に向かってきた。親しげに笑みを浮かべて。疑問に思った陽子が後ろに誰かいるのかとでも思い振り向くもそこには誰もいなかった。どうやら、男は陽子に用があるらしい。
「どうも、お忙しいところ申し訳ありません」
その男は慇懃な態度で彼女に礼をした。
「いえ、忙しい訳じゃ」
いぶかしがる陽子に、男は「いや、王自ら作業にご参加されるとは。まったく脱帽の思いです」と続けた。
どうやら彼は覚醒者らしかった。なるほど確かに、そう言われるとなんだか馴染みがあるような気がするから不思議だ。けれどこの人は誰だろう。そう陽子が思いを巡らせば、
「さしもの王とてすべての民を覚えていらっしゃらないでしょう。申し遅れました、私は黒崎兼人。シャンポリオンではクローヴィスという者でして」と片手を伸ばしてきた。
「どうも。ええと……フュオンティヌスです。その、今はただの楠木陽子ですが」
と仕方なしに陽子は黒崎の手を軽く握り離した。
「いえ、このプロジェクトに少しばかり資金を提供しておりましてね、こうして進捗状況を見に来てみれば、まさか王に出会えるとは」
わざわざ来た甲斐がありました。そうニコニコする40代前後の身なりのよい男に陽子は納得がいった。強力な後ろ楯。碓井さんたちが言っていたスポンサーって、この人のことだったのね。
けれど、その人まで覚醒者だったなんて。でも確かに、覚醒者だからこそお金を出してでも確かめたかったというのはあるのかもしれない、確かにあの国はここにあったのだという証拠を。
「しかし、早く確実な遺物が見つかると良いのですが」
にこやかだった笑みは一転、曇ったものへと変わる。
「でも、いろいろ出てきてるみたいじゃないですか。わたしには詳しくはわからないけれど、お皿とか、何かの骨とか。今、先生たちが大学に戻って調べているみたいです、年代とかそういうの」
「それはそうですが。けれど道のりは長いですな、私の生きているうちに結果は出るのやら」
「え、調査ってそんなにかかるんですか?」
意外だった。てっきり、いろんなものを発掘さえすれば、ここに王国があったことを証明できると思っていたのに!
「幻の都市、アトランティスしかり、ムー大陸しかり。ただ不思議なものが出土しただけでは、それはまだ眉唾の謎の遺物として処理されるだけです。せめて文字や文献が出ればいいんでしょうが、そううまくいくか。さすがに記憶だけではあなた様の正当性を証明できますまい」
「そうなんですか……」
「ええ、仮に文献があったとしても、いまだに卑弥呼が築いた国はどこにあったかが特定できていない。やれ九州だの近畿だの。そんな現状で、ここにシャンポリオンがあり、確かにあなたが王だったことを証明できるのはいつになると思います?」
「そんな、こんなみんな覚えているのに、過去のことを」
「ええ、嘆かわしいことですな」
陽子は落胆を隠せなかった。いつの日かあの人たちに自分を認めさせるんだ、その気概をもって日々に耐えていたというのに、そんな。
「ですが、王の、いえあなたの偉大さを知らしめたいのは覚醒者の誰もが同じこと。現に碓井教授も唐澤先生も必死に働いてくれている。けれどそれだけでは足りないのではないかと、私の懇意にしているとある先生がおっしゃっておりましてね」
「先生?大学のですか?」
「いや、失礼。先生という呼び方はふさわしくありませんな。その方は、過去において信仰を司る大司祭様」
「司祭?あの、教会とかにいる?」
「そう思っていただいて結構です。シャンポリオンにおいて、神とはすなわちあなたのことでした、フュオンティヌス王。覚えていらっしゃいませんか?火の山富士を操るご自身のお力を」
そういえば碓井もそのようなことを言っていた。王は、富士を操る力を持ち、人々に恐れられ、敬われていたのだと。
「そう、みたいですけど、くわしくはまだ。王って言っても、具体的に何をしていたのか詳しく思いだせていないの」
「なに、じきに思い出されるでしょう。かの王国と王の正当性をまだ声を大にして言えない現状、司祭様はそれを憂いて祈りの場をもうけたのです。つまり、あなたさまを神と崇める神聖な場を」
「わたしを?」
「勝手なことをしてしまったのは申し訳ありません。けれどそこではあなたは神だ。日常をいちいち杞憂する、あわれな主婦などではなく」
「わたしが、神?」
まさかの展開に、あり得ないと思うと同時にそれはひどく甘美な響きのように聞こえた。そうよ、あり得ないって思ってたけれど、事実わたしは王だった。その王が、今度は神と崇められている。でもそりゃそうよ、天皇は神だって戦争の前まで信じてこられたんでしょう、この国で。そんなことを碓井さんも言っていた。それならその前身であるシャンポリオンでそういうことが起こっていたって不思議じゃない。
「であるからして、できるならばあなたさまをぜひ優人会にお招きしたいのですが」
夢想に耽る陽子に、黒崎はそう誘いをかけた。
「形だけでもいいのです、けれどお姿を現してくれれば、民は皆喜びましょう」
「民?覚醒した人たちがそこにはたくさんいるっていうの?」
「ええ。みな理解者を求めているのです」
「でも、宗教だなんて」
あまり良いイメージを陽子は持っていなかった。キリスト教や仏教ならともかく。
「シャンポリオンの民でないものに、あの国のことを話したところで悲しいかな、信じてなどもらえません。彼らは純粋に話し相手を求めているだけの無害な信者ですよ。過激な思想集団などと思われたなら、民もさぞかし悲しみましょう」
「そうなんですか、それなら……」
それなら、顔を出してみてもいいのかもしれない。陽子はそう考えた。仲間が増えるのはいいことだ、碓井もそう言っていたではないか。協力者が増えるのなら、彼も喜んでくれるのでは?
「でも、一度碓井さん……いえ、碓井先生に相談してみます。でも、わたしなんかが姿を現したら、みなさんがっかりしちゃうかも」
「そんなことはありません、陽子さん、あなたはもっとご自分に自信を持つべきだ。あなたは姿は違えど王なのですから、もっと威厳を持っていただかないと」
「威厳なんて、そんなの」
持てるわけない、そう言おうとした口を陽子は閉じる。
持ってもいいのかもしれない。現に、その優人会とやらにはわたしを求めてくれる人がいるのだから。
「もちろん、ご無理にとは言いません。碓井先生とご相談の上で構いませんとも。けれど協賛者は多ければ多いほど良いでしょう。きっと先生も喜んでいただけると思いますがね」
では、私はこれで。そうにこやかに会釈をして、黒崎は去っていってしまった。人に優しい会、優人会。別に怪しい宗教団体とも思えなかった。これが宇宙神秘の会とか、なんだか怪しい名前なら陽子だって警戒したかもしれないけれど。
けれど陽子は知らなかったのだ。優人会は人に優しい会などではなく、人より優れていている会、の意だなんてことは。それより、早く家族に見せつけてやりたかった。自身の本当の姿を。
碓井と肌を重ねるようになってから、日に日に陽子の帰りが遅いのは明らかだった。ただ勇樹だけは粕川に何か言われたのか、それとも覚醒したからなのだろうか。なにか言いたげな顔で陽子のことを見るものの、特に言及してくる気配もない。
それもそうだろう。母さんだって外で遊んできなよ。そういってくれたのは他ならぬ勇樹だ。まあ、遊ぶの内容が違かったかもしれないが。
けれどすんなり流せないのは夫と義母だ。はじめの頃こそあいつは偉大な仕事に携わっているのだから、と寛大な姿勢を見せていたものの、あまり頻繁に遅くなるものだから疑問を持ち始めてきたらしい。加えて、だんだんと若々しさを取り戻している陽子になにかを感じたのだ。
一番分かりやすい原因は、男だ。やたらと陽子を監視したがる義母らがそう考えるのも無理はなかった。とはいえそれは事実であるので、そんなあらぬ疑いをかけるだなんてと憤慨する権利も陽子にはなかったのだけれど。
「おいお前、また遅くなるのか?なんでお前ごときがそんな仕事で遅くなるんだ。お前がやってるのなんてせいぜい土をほじくりかえす、誰にでも出来る単純作業だろうに」
「そうだ、アイロンも満足にかけられない陽子さんに繊細な作業なんてできるもんか。あたしと違って、家事もろくにできない嫁に」
「その、すみません、人手が足りないらしくって、帰ろうと思っても引き留められちゃって」
苦しい言い訳だとは思った。本当はわたしこそがあの場所で必要とされる存在なのに、そう言えたらなんて楽だろう。でも実際、誰よりも功績を上げているのに。そう言ってやりたかった。わたしはあの国の王だったから、たぶんどこに何があるのかわかるのだ。だから面白いほど遺物を発掘できた。自分の王国の片鱗を探しているのだと言えたならば。
けれど、そんなことを言ってもバカにされるだけだ。今は、まだ。
「仕事を言い訳に、そのバイト先で会った男と浮気でもしてるんじゃないのか?」
仕事を言い訳にしているのはどっちよ!そう叫んでやりたかったが、そう言い切ってしまえば自分もそうしていることを見透かされるような気がして我慢する。
「そんなこと……みんなそれどころじゃないわよ、泥まみれで、汗くさくって。だからごめんなさい、今日も帰りに現場で会った人と一緒に銭湯に寄ってきたの。え?もちろん女の人よ。大学生の女の子でね、史学専攻なんですって」
「そうか、それならいいんだが」
けれどまったく納得していない顔で良一が苦々しげに息を吐いた。
「でも陽子さん、床がベタベタして気持ち悪いから早く掃除してちょうだいね」
義母に至っては、まるで帰りが遅くなるのを罪かのように、その罰としてか仕事を押し付けてくる。
床なんて二日前に拭いたばかりなのに。お義母さんが食べ物をボロボロこぼすからすぐ汚れるんじゃない、踊る元気があるならそれくらい自分でやってちょうだい!
だがここでキレる訳にもいかなかった。勢いで結婚こそしてしまったものの、勢いで離婚するわけにもいくまい。なにしろ陽子には一人で生活できるほどの経済力もなかった。一応アルバイトはしているものの、コネで得た職だ。それに仕事が仕事で長期間働けるものでもなかったし、まして勇樹を引き取ってと考えればなおさら。
耐えるしかないのだ。なに、少し我慢するだけ。今のわたしには碓井さんがいるんだから。少なくとも、その関係だけはこの人たちに壊されないように気を付けなければ。
けれど。陽子はこうも考える。
こんな人たちの顔色なんてうかがわないで、もっと自由に生きれたら。ここはわたしのいるべき場所じゃない。例えばそう、わたしが偉大な王であることを確実に証明さえできたならば。今こうしてわたしに嫌みを言ってくるこの人たちも、わたしのことを改めてくれるのかしら、とも。
翌日陽子が現場へ向かうと、そこにはまるで場に似つかわしくないスーツ姿の男がにこやかに立っていた。赤いネクタイが妙に目を引く、眼鏡姿の男性。
誰かしらあの人。先生の大学の偉い人かしら。けれどせっかくの良さそうなスーツと革靴なのに、こんな砂まみれなところを歩いていいのかしら。クリーニングが大変そう。陽子はついそんなことを思ってしまう。
夫より断然いい格好をしたその男が、あろうことか陽子の方に向かってきた。親しげに笑みを浮かべて。疑問に思った陽子が後ろに誰かいるのかとでも思い振り向くもそこには誰もいなかった。どうやら、男は陽子に用があるらしい。
「どうも、お忙しいところ申し訳ありません」
その男は慇懃な態度で彼女に礼をした。
「いえ、忙しい訳じゃ」
いぶかしがる陽子に、男は「いや、王自ら作業にご参加されるとは。まったく脱帽の思いです」と続けた。
どうやら彼は覚醒者らしかった。なるほど確かに、そう言われるとなんだか馴染みがあるような気がするから不思議だ。けれどこの人は誰だろう。そう陽子が思いを巡らせば、
「さしもの王とてすべての民を覚えていらっしゃらないでしょう。申し遅れました、私は黒崎兼人。シャンポリオンではクローヴィスという者でして」と片手を伸ばしてきた。
「どうも。ええと……フュオンティヌスです。その、今はただの楠木陽子ですが」
と仕方なしに陽子は黒崎の手を軽く握り離した。
「いえ、このプロジェクトに少しばかり資金を提供しておりましてね、こうして進捗状況を見に来てみれば、まさか王に出会えるとは」
わざわざ来た甲斐がありました。そうニコニコする40代前後の身なりのよい男に陽子は納得がいった。強力な後ろ楯。碓井さんたちが言っていたスポンサーって、この人のことだったのね。
けれど、その人まで覚醒者だったなんて。でも確かに、覚醒者だからこそお金を出してでも確かめたかったというのはあるのかもしれない、確かにあの国はここにあったのだという証拠を。
「しかし、早く確実な遺物が見つかると良いのですが」
にこやかだった笑みは一転、曇ったものへと変わる。
「でも、いろいろ出てきてるみたいじゃないですか。わたしには詳しくはわからないけれど、お皿とか、何かの骨とか。今、先生たちが大学に戻って調べているみたいです、年代とかそういうの」
「それはそうですが。けれど道のりは長いですな、私の生きているうちに結果は出るのやら」
「え、調査ってそんなにかかるんですか?」
意外だった。てっきり、いろんなものを発掘さえすれば、ここに王国があったことを証明できると思っていたのに!
「幻の都市、アトランティスしかり、ムー大陸しかり。ただ不思議なものが出土しただけでは、それはまだ眉唾の謎の遺物として処理されるだけです。せめて文字や文献が出ればいいんでしょうが、そううまくいくか。さすがに記憶だけではあなた様の正当性を証明できますまい」
「そうなんですか……」
「ええ、仮に文献があったとしても、いまだに卑弥呼が築いた国はどこにあったかが特定できていない。やれ九州だの近畿だの。そんな現状で、ここにシャンポリオンがあり、確かにあなたが王だったことを証明できるのはいつになると思います?」
「そんな、こんなみんな覚えているのに、過去のことを」
「ええ、嘆かわしいことですな」
陽子は落胆を隠せなかった。いつの日かあの人たちに自分を認めさせるんだ、その気概をもって日々に耐えていたというのに、そんな。
「ですが、王の、いえあなたの偉大さを知らしめたいのは覚醒者の誰もが同じこと。現に碓井教授も唐澤先生も必死に働いてくれている。けれどそれだけでは足りないのではないかと、私の懇意にしているとある先生がおっしゃっておりましてね」
「先生?大学のですか?」
「いや、失礼。先生という呼び方はふさわしくありませんな。その方は、過去において信仰を司る大司祭様」
「司祭?あの、教会とかにいる?」
「そう思っていただいて結構です。シャンポリオンにおいて、神とはすなわちあなたのことでした、フュオンティヌス王。覚えていらっしゃいませんか?火の山富士を操るご自身のお力を」
そういえば碓井もそのようなことを言っていた。王は、富士を操る力を持ち、人々に恐れられ、敬われていたのだと。
「そう、みたいですけど、くわしくはまだ。王って言っても、具体的に何をしていたのか詳しく思いだせていないの」
「なに、じきに思い出されるでしょう。かの王国と王の正当性をまだ声を大にして言えない現状、司祭様はそれを憂いて祈りの場をもうけたのです。つまり、あなたさまを神と崇める神聖な場を」
「わたしを?」
「勝手なことをしてしまったのは申し訳ありません。けれどそこではあなたは神だ。日常をいちいち杞憂する、あわれな主婦などではなく」
「わたしが、神?」
まさかの展開に、あり得ないと思うと同時にそれはひどく甘美な響きのように聞こえた。そうよ、あり得ないって思ってたけれど、事実わたしは王だった。その王が、今度は神と崇められている。でもそりゃそうよ、天皇は神だって戦争の前まで信じてこられたんでしょう、この国で。そんなことを碓井さんも言っていた。それならその前身であるシャンポリオンでそういうことが起こっていたって不思議じゃない。
「であるからして、できるならばあなたさまをぜひ優人会にお招きしたいのですが」
夢想に耽る陽子に、黒崎はそう誘いをかけた。
「形だけでもいいのです、けれどお姿を現してくれれば、民は皆喜びましょう」
「民?覚醒した人たちがそこにはたくさんいるっていうの?」
「ええ。みな理解者を求めているのです」
「でも、宗教だなんて」
あまり良いイメージを陽子は持っていなかった。キリスト教や仏教ならともかく。
「シャンポリオンの民でないものに、あの国のことを話したところで悲しいかな、信じてなどもらえません。彼らは純粋に話し相手を求めているだけの無害な信者ですよ。過激な思想集団などと思われたなら、民もさぞかし悲しみましょう」
「そうなんですか、それなら……」
それなら、顔を出してみてもいいのかもしれない。陽子はそう考えた。仲間が増えるのはいいことだ、碓井もそう言っていたではないか。協力者が増えるのなら、彼も喜んでくれるのでは?
「でも、一度碓井さん……いえ、碓井先生に相談してみます。でも、わたしなんかが姿を現したら、みなさんがっかりしちゃうかも」
「そんなことはありません、陽子さん、あなたはもっとご自分に自信を持つべきだ。あなたは姿は違えど王なのですから、もっと威厳を持っていただかないと」
「威厳なんて、そんなの」
持てるわけない、そう言おうとした口を陽子は閉じる。
持ってもいいのかもしれない。現に、その優人会とやらにはわたしを求めてくれる人がいるのだから。
「もちろん、ご無理にとは言いません。碓井先生とご相談の上で構いませんとも。けれど協賛者は多ければ多いほど良いでしょう。きっと先生も喜んでいただけると思いますがね」
では、私はこれで。そうにこやかに会釈をして、黒崎は去っていってしまった。人に優しい会、優人会。別に怪しい宗教団体とも思えなかった。これが宇宙神秘の会とか、なんだか怪しい名前なら陽子だって警戒したかもしれないけれど。
けれど陽子は知らなかったのだ。優人会は人に優しい会などではなく、人より優れていている会、の意だなんてことは。それより、早く家族に見せつけてやりたかった。自身の本当の姿を。
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