主婦、王になる?

鷲野ユキ

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富士山麓の神殿

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それは富士の麓、緑広がる裾野にあった。はじめこそどこにでもあるような寺院だったその建物は、やがて人々の好意と言う名の売名行為によって、かつてのあの国を彷彿とさせる、現代日本にはあまり見られない建築物となっていった。
パルテノンのような大理石の柱に、吹き抜けの高い天井。しかも全面ガラス張りだ。あんな急ピッチで建てていたけれど大丈夫かしら。陽子は少し不安になる。その美しくも不安定なその天井からは神々しい白く輝く富士を望み、まるで一大リゾート地のよう。
円形のその建物はコロッセオをイメージするようでもあり、けれどだだっ広い展示場のような殺風景さも持っていた。中央にはひときわピカピカとした――さすがに本物の金銀ダイヤではなかろうが、やたらと光を反射するさまざまな装飾品によってこれでもかと飾り立てられた祭壇があり、みな人々はそちらを向いてしきりに祈りを捧げている。その中心には、これまた着飾った人物が一人。
この場を初めて目にしたものは、なんの撮影だろうと思ったに違いない。それほどまでに浮世離れした場所だった。ここ日本において、テーマパークじゃなければありえなさそうなこの施設は、優人会という名を越えてこの国を象徴する神聖な場へと姿を変えていた。
シャンポリオンの復興を願い、王を崇める神殿に。
「でも、あんまりにけばけばしくない?」
不満の声を上げたのは、つい先程までピカピカの祭壇に立ち、優雅な微笑みで人々を見下ろしていた陽子、いやフュオンティヌスだった。
「いくらシャンポリオンがやたらと着飾るのが好きな国だって言っても、こんなにギラギラはしてなかったわよ」
そうだ、せいぜい翡翠だの水晶だの瑪瑙だの。思えばそのセンスは台頭する日本人に受け継がれていたのかもしれない。さして光らない石ころたちを技巧をもって加工し、装飾性を高めたペンダントやイヤリング。陽子は胸元にしまった翡翠の首飾りを思い浮かべる。それに、草花の染料で染めた絹の衣。だというのに今のわたしのケバケバしいこと!本当にこのわたしの姿を見て、みんなあの国を思い出すのかしら。
「なに、王とは象徴ですから。とにかく目立ってもらわなければ話にならない。確かに過去ではそれが持てる技術の最先端であったでしょう。けれどもあれから一万年以上の月日が経っているのです。今持てる技術をもってして、王にふさわしい場とお召し物を用意すべきだと思うのは、愛国心の現れでしょうに」
そう恭しく答えたのは黒崎だった。まさに神に仕える神官かの如くに、手を合わせ礼をするその姿はなかなか様になっていた。さすが人に仕えてのしあがって来ただけのことはある。
「そうなの?」
「そうですとも。現世の政に詳しい先生もおっしゃっている。思っている以上に見た目というものは人々に影響を与えるのですよ。悲しいかな、現世のあなた様は政治には疎い。ですから、ぜひ詳しいものを使ってくださればいいのです」
「使うだなんて、そんな」
「少々言葉が足りませんでした。我ら民はみなフュオンティヌス王の手足にございます。そうなることを我々は望んでいたのですから気にすることはありません」
 この突如としての最上級の扱いに、戸惑いがなかったわけではない。誰しもが自分を下にも置かない扱いをしてくれている。それは今までの人生で陽子が受けたことのない扱いであり、それはより一層今までのあの家での自分の立ち位置を認識させるものでもあった。
 けれど彼女を虐げていた家族、という言葉で表現するのも不本意なあの人たちは、陽子がかつての王だと知るやいなや手のひらを返し下手に出てきた。曰く、あなた様のおかげで今の私たちがある、あなた様と家族だなんてありがたき幸せにございます。
 その白々しいセリフに陽子は歯が浮くような気持ち悪さを覚えたが、それでもあいつらが自分を敬っているのだと思うと快哉を叫びたい気持ちでいっぱいだった。
 そう、ようやく目に物を見せてやれた。わたしが願って止まなかった思いが今こうして叶っている。わたしがただの女だと思って馬鹿にしてきたあの人たち。それが逆にわたしにすがるしかできないなんて。陽子のなかの、どす黒い感情がどんどん膨れ上がっていく。
じゃあ今のわたしがどこそこを掃除しろって言ったらあの義母は言うとおりにしてくれるんでしょう?金を寄越せと言えば、良一さんは喜んでわたしに寄付という名で与えてくれるんでしょう?
自分が今までされたことを反芻し、陽子は舌なめずりするような気持でいっぱいだった。まだ足りない、だって事実あの人たちはわたしの栄光にあやかっているのだもの。これ以上無償で与えてなどやるものか。奪われたものを今こそ取り戻さなければ。
「フュオンティヌス様。この後はテレビと雑誌の取材が入っております。あなた様のことを信じず、中傷されることもあるかもしれませんがお心を強く持ってください。あの国は本当にあったのですから」
そこで陽子は現実に呼び戻された。現実?時折すべてが夢なんじゃないかと陽子も思ったが、けれど起きれば現実は常に続いていた。ゆえに陽子は日々噛みしめていたのだ。ああ、あれは夢などではない。わたしこそが、正統な王なのだと。
「ええ、大丈夫。クローヴィスも来てくれるの?」
「いえ、申し訳ございませんが、私にはほかの仕事がございまして。代わりにシニフィとレティマシーをお付けしておきますが」
「ええ、そうね、ありがとう」
まるで黒崎の声を合図に現れたのは、これといって特徴のない男たちだった。黒いスーツに身を包み、まるでSPよろしくインカムを付けている。彼らももちろん覚醒者だとのことだったが、いまいち陽子は彼らに馴染みを覚えることが出来なかった。
「よろしくね、シニフィ、レティマシー」
『は』
 正直陽子にはどちらがどちらかわからなかったのだけれど、それは彼らにとってもどうでも良いようだった。これはあくまでも仕事だから。そういう印象を彼らから受けた。
ここでの決まり事はただひとつ。お互いに過去の名前で呼びあうこと。現世での自分は関係ない。その立ち回りも過去に縛られていた。たとえばシャンポリオンでただの平民ならこの神殿内においてはただの信者だったし、官吏だったならばやはり運営に携わる幹部だった。黒崎がやたらと陽子の身の回りを世話するのはやはり彼が役人だったからで、それはそのさらに上役の滝沢ことタキトゥスから指示が出ていたからだった。
けれどその肩書というのもおかしな話で、自己申告制なのだ。さすがに王妃や王の目に盾と身近な存在はなんとなくわかったけれど、いくら王でも民すべてを知り得るはずもなく、ゆえにその人が何者だったのかを判断する手立てもなく。
結局彼らの主張する『過去の自分』を信ずるより他なかったのだ。だが、ここまであの国の中枢に関わっていた者ばかりが多いのも不自然ではあったが。
ただの平民で。そう言う人は少なかった。一番多いはずのその層は大昔のことなど思い出さないのだろうか。たとえばあの義母なぞ恥ずかしげもなく『あたしはかつて王妃にも劣らぬ美しい踊り子でした』などと言っていた。そんなことあるものか。陽子は思う。あの王妃に劣らぬものなどいないだろうし、仮にいたとしたら王の自分の耳に届いていたはずだ。なにせ王妃以外の女も抱くような人物だ、フュオン王は。
赤い布を身にまとったあの女。時折夢に出るその人物を陽子は思い出したが、とてもじゃないがそれが義母とは結びつかなかったし、結びついてなど欲しくなかった。だからフュオンティヌスの関心を買いたくて嘘をついているのだろう。嘘でもつかなければもはや王には近づけないからだ。哀れなこと。そう陽子は思って聞き流していた。
けれど強欲な義母だけに飽きたらず、現世でひとかどの人物さえもが自分を頼ってくるのには驚いた。まずは政治家の滝沢。選挙ポスターで見たことのある顔が自分の目の前に現れて目を疑ったものだった。悪そうな顔のポスター。それはわたしの偏見かもしれないけれど、もっと他の写真使えばよかったのに。その顔を見る度に思ってしまう。
しかし滝沢のことを悪く言うのは失礼だ、そう思うほどの分別はあった。なにせこの場を用意してくれたのは彼で、彼の配下の黒崎があれこれ気を回してくれている。とてもじゃないが陽子一人では、いや碓井先生がいたところでもこんな大規模に人を集めるのは不可能だった。それにあの人はタキトゥスとかいう官吏だったって言うじゃない。きっとシャンポリオンでもフュオンティヌスを補佐してくれた有能な人物だったに違いない。残念ながら自分が王権を振るっていた肝心の記憶がいまだあやふやな陽子は、漠然とそう思うしかなかった。
だから、そのタキトゥス繋がりなのかも知れなかった。この神殿にあの国の政に深いものが集まったのは。そう考えれば自然な気もしたし、妥当にも思えた。だって碓井先生はシャンポリオンの再建を願っているんだもの。そのためには、国政に明るいものを集めなければ。
王であってもお飾りにすぎない陽子は内心歯がゆい思いをしたが、残念ながら都合よくポンと記憶がよみがえるでもなし、まして現世においては政治になどまったく興味がなかった。選挙だって、ポスターを見て気に入った顔があれば投票するか、ぐらいの体たらくだった。
そのわたしが今更付け焼き刃で首を突っ込むくらいなら、王らしく堂々と振る舞っていた方がみな喜ぶだろうだろうということは明らかだった。だから、ごてごてした衣装が重くて苦しくても我慢していたのだ。碓井と前ほど会うことも出来なくなっていても。
きっとあの人はあの国を取り戻すのに必死なんだわ。そう思って慣れぬ権威を着込んでいた。
けれど気になるのは息子の勇樹だった。神殿に来るよう声をかけてもやってこない。あの子はわたしの実の息子で、しかも〈王の盾〉なんだから来るのが当たり前でしょうに。
内心憤慨しながらも心配を装って碓井に言えば、「反抗期なんじゃないか?」の一言だ。そりゃあ中学生で多感な時期だ、いきなり母親が王になったら驚くだろうけれど、でも。
「勇樹君にはカスティリオーネについてもらっているから心配ないだろう」
碓井が続けたのはこんな言葉だった。カスティリオーネね、そりゃあ、粕川さんなら信頼も置けるでしょうけど。
なんだか陽子はつまらない気持ちになってきた。せっかくこうして多くの人に、かつてわたしを虐げたあの人たちでさえ、わたしに傅くようになったのに。わたしの神殿が、わたしのいるべき場所が出来たというのに。なぜ今までわたしの手元にいたあの子を他の誰かに取られなくてはならないんだろう、と。
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