主婦、王になる?

鷲野ユキ

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イリーヌ王妃とロロ王

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「おい、碓井。俺たちも逃げるぞ!」
いよいよ本格的に崩れてきた。天井を支えていたコンクリの塊とグラウンドの土くれがごちゃまぜになって彼らの周りに落ちてくる。いつまでもこんなところに留まっている場合ではなかった。いくら出力を最小限にして、照射位置をギリギリまで絞り込んだとはいえ少なくともこのあたり一帯はかなり揺れているはずだ。外に出ても安全とは言い難かったが、少なくともここで大人しく押しつぶされるよりはマシだろう。
そう思い唐澤はしゃがみ込む碓井を急きたてるが、彼は鉛のように動かない。
「いや……俺は残る。シャンポリオンのない世界に俺の居場所はもうないさ」
「なに言ってんだ、せっかく大学教授なんて地位まで上り詰めたのに、シャンポリオンのおかげで。それで充分じゃないか」
唐澤が無理に碓井の身体を起こす。体格では碓井に及ばない唐澤だが、背丈は彼の方が上だ。背を伸ばす反動でその手を引けば、碓井の身体が起き上がる。腕を肩に回し、出口へと向かうべく彼の身体を支えるが、しかし彼は脚を動かそうとしない。
「だが俺はお前の捏造を見過ごしてしまった。俺もお前も未来はないさ」
まるで抜け殻のような身体だった。唐沢が引きずるには重すぎて、遅々として出口までの道のりは縮まらない。くそ、どうすればいい?
「それに関しては本当に申し訳ないことをした、でも今はそれどころじゃ」
焦る気持ちから唐沢が無理やりに腕を引っ張るが、彼はまるで駄々をこねる子供の様にぐずぐずとしか歩みを進めない。早く、あと少し。あと少しだ。早く外に出なければ。
「頼む、俺は彼女と最後まで一緒にいたいんだ」
「……ルクレティウスか?」
「ああ」
「まさか、心中でもするつもりか?」
「まあ、そうなるな」
「そんなことさせるか」
「頼む、どうかお前だけで逃げてくれ」
そう言って碓井は笑った。彼女の為に捧げた人生みたいなものだった。ならばともに朽ちるまで。覚悟を決め静かに語る彼の言葉を「そんなこと」唐沢は否定しようとした。だが、それを遮る者がいた。
「許さん、許さんぞ……ルクレティウスにフュオンティヌス。私の王国を、よくも」
その声に二人が振り向けば、そこには額から血を流しながら憤怒の形相で迫りくる入江の姿があった。頭を打ち倒れたその後、執拗に彼らを追いかけてきたようだった。あるいは彼も出口を目指していたのか。しかしその青い瞳は高温の炎を宿しているようでもあった。嫉妬に狂うルクレティウスにも劣らない、憎しみの瞳。
「私の王国?お前、まさか本気で総理大臣にでもなったつもりか?」
唐澤が冷めた瞳で問う。すべてこいつが元凶だ、この国をまるで自分のもののようかに扱いやがって。それこそまるで自分が「王」かのように。
「総理大臣?笑わせるな。私は愚昧なサピエンスどもとは違う。私こそがこの国の主だというのに、わからないかルクレティウスよ」
どうやら彼はすんなり二人を逃がしてくれるつもりはないようだった。出口のある側を背に、彼らに向かって銃口を向ける。
「主?何を言っている。王は陽子さんだろ、フュオンティヌス王。だがあの国が実存したかはわからない、なにせ証拠とされるものたちはすべて俺が作った偽物だからな」
問われた碓井の代わりに唐澤が答えた。そうだ、すべては偽りの上に成り立っていた虚構の王国だ。
「いや、あの国は確かに在った。私たちが築いたのだから。それをフュオンティヌスとルクレティウスが下らぬ理由で破滅へと導いた」
「築いた?何を……」
そこで碓井が何かに気が付いたようだった。
「まさか、お前がシャンポリオンの初めの王だとでも?」
「一万八千年前のシャンポリオン。私たちの手によって築かれた美しい国。この国は我々の手に帰らねばならない。まずは関東地方、次いで阪神地方。さらには東北地方。最後は東海地方だ、一度すべて壊し、富士を中心とした美しい国を建てなおす」
「今までの震災もお前が起こしたっていうのか!?」
入江の発言に驚いた唐澤が声を上げた。この計画はずっと前から立てられていたのか?
「さて、それはご想像にお任せするよ。しかしいかにこの国が島国とはいえ、こんなに頻繁に大きな地震が起こるのも不思議だがね」
そう言って入江がにやりと笑う。
「この兵器……まさか、開発したのは」
「軍事産業と言うのはなかなかにうまい市場でね。この国も外貨を稼ぐのに必死さ。なに、古生物学は地質学にも造詣が深い。流用するのは容易いことだ、なあ唐澤君。君ならわかるだろ?」
「だが、日本政府がそんなことを許すもんか、兵器の輸出はともかく、自国でそれを使用するだなんて」
この唐澤の反論を、肩を竦める素振りで入江は受け流す。
「しかしまさか売りこむ国に被害を与えるわけにもいかないだろう、そんなことをしたらそれこそ本当に戦争だ。だから実験はあくまでも国内でしなければならない。なに、経済損失は出るが、その分購入国からの「援助」という名目の損失分を上回る金がたくさん入ってくる。古い建物やら、金のかかる人間どもも一掃できて新たなものを作り出せる。一石二鳥だろ?」
「なぜそんなことを」
「ルクレティウス、君と同じさ。愚かなサピエンスを滅ぼして、ネアンデルタールによる統治を」
「それを政府も望んでいるっていうのか?」
「さあ。たまたま目的が同じだっただけだ、私が政府に力を貸したのは。政府が何を思ってそうしてるのかは知らん。だが、特に弱い存在を排除したがるお国柄だ、サピエンスどもの作ったこの国は。ふるいにかけているつもりなのかな?」
「ふるい……だと?」
「そうだろう?生きている限り何度も掛けられる。そこを通過できなければ存在する価値がない」
「しかし、災害はサピエンスもネアンデルタールも関係なく殺すぞ?それをどうやって」
「君たちは、いや、唐澤君はただのサピエンスだったな。なら碓井君。君は本当に自分をネアンデルタール属だと思っているのかい?」
「当り前だろう、俺はルクレティウスの記憶を持っている。ネアンデルタールのゲノムだって通常の人間より割合が多いのは実証済だ」
「だがあくまでもほかのサピエンスと比較してなだけだろう。君が100%ネアンデルタール人なわけではない。君のその身体は、サピエンスの骨格を持ち、サピエンスと変わらぬ容量の脳を搭載している」
「それはそうだが、けれど俺の中には確かにルクレティウスがいるんだ」
「それは単に君の妄想が生んだ存在にすぎない」
「何を言っている」
「結局は劣勢種のサピエンスにしかなりえなかったはるか太古の遺伝子が、そう夢を見させただけだ」
自分の今までの人生を否定され、碓井が悲痛な声で叫んだ。
「馬鹿な、他にも覚醒者はいるんだぞ、陽子さんや粕川だって」
「滅亡への道を辿るしかないサピエンスどもの遺伝子が、その脅威に怯えた。現に彼らのせいでこの国は、いやこの世界は破滅への道を辿るばかりだ。このままではいけない、ダーヴィンの言葉を借りるならば生き延びるために進化しなければならない」
「だからこそ、こいつらのような覚醒者が現れたんじゃないのか」
半信半疑ながら唐澤が意見する。言うなれば突然変異だ、まだそう説明された方が納得がいく。
「わずか一代、数十年でサピエンス類からネアンデルタール属に突然変異しただと?ふん、生物学的にありえん。遺伝子工学の倉木に聞いてみろ、鼻で笑われるだけだ」
「ではなぜ覚醒者が現れたっていうんだ」
「そうだね、たとえば、自身をあたかも優性遺伝子であると思い込むが為に、DNAに操作されたのだとしたら?」
気味の悪い笑みを浮かべて入江が言った。
「サピエンスのDNAがネアンデルタールのDNAに成りすまして、俺たちを騙し操ってるとでも?」
「その通り。案外思い込みの力といのは強くてね、自分は優れていると思うことによって、生き物はふだん出来ないようなことをやってのけたりもする。たとえば、富士噴火を目論んだりだとか」
「それはお前が起こしたことだろう、お前こそそう思い込んでいるだけなんじゃないのか?自分はネアンデルタール人で、この国の起源であると思い込んでるだけだろう」
確かに、それはまるで碓井の行動そのものだった。しかしそれを認めたくない彼は、声を振り絞って叫ぶ。
「そう思いたければ結構。そっくりその言葉を君に返すがね。だが、ネアンデルタール人の体格を覚えているか?骨太の身体に、青い瞳、赤みがかかった髪の毛」
その言葉に唐澤は、自分がかつて上野の博物館で見たネアンデルタールの再現像を思い浮かべた。今の碓井らに似ても似つかないその姿。けれど目の前のこの男はどうだ?まるでその体つきそっくりじゃないか!
「お前は、本当にネアンデルタールの生き残りなのか?」
「そうだと言ったら?」
「あり得ない、少なくともサピエンスと混血していなければ子孫を残すことはできなかったはずだ。フュオンがその道を選択したように」
碓井は唸った。いや、ルクレティウスが、だったかもしれない。結局はネアンデルタールだけでは存続できなかったのだ。ネアンデルタールが子孫を残すには、混血するしかなかった。縄文系ホモ=サピエンスのDNAが東北の人々に多いことがそれを証明している。寒さに強いサピエンスが残ったのは自然の理だった。それが愛のある交わりか略奪による交わりの差なだけだった、アナトリアとルクレティウスは。
「そうだ、結局は単独では存続できなかったんだ、ネアンデルタールは。確かにサピエンスにあの国は襲われ奪われた。だがネアンデルタールは滅ぼされたわけではない、混血することによって細々とDNAを残してきたんだ。それなのに純血種が存在などするはずがない!」
「じゃあ私はいったい何者か?君たちにわかるかね?」
入江が唇の端をゆがませた。額から流れ出た血は止まったらしい、しかし地肌の白いのもあいまって、その赤黒に彩られた顔面は不気味なピエロの様だった。幼いころに見た悪夢のような。揺れる大地などものともせず、ふてぶてしく笑うその姿はこの世のものとは思えなかった。
思わず喉の奥で悲鳴が漏れる。俺はこんなやつの言いなりになっていたのか。唐澤は吐き気を覚える。こんな化け物じみたものと呑気に話している場合じゃない、早く逃げなければ。
「知るか、お前のことなんざ。こんなやつにかまうな碓井、早く逃げるんだ」
「だが」
「そいつが言ってただろ、すべては遺伝子の見せた夢だと」
「けれど」
「とにかく検証は後からだ!倉木教授に聞かなきゃいけないこともある、恐らく倉木も一枚噛んでいるはずだ。そこからだ、真実はどうだったかを考えるのは。そのためにはまず生き延びないと」
「逃げられるとでも?」
その言葉に入江が唇を裂いた。出口は彼の背だ、そして彼は銃を持っている。これでは入江をすり抜ける前に、撃たれてしまう。どうすれば?
その時、ついに不安定な天井が耐えられなくなった。先よりの崩壊とは比にならない勢いで、様々なものが上から降ってくる。
「うわっ!」
「ちっ。ふん、せいぜい土に埋もれて朽ちるがいい!」
破壊音に交じって入江がそう叫ぶのが聞こえた気がした。次の瞬間、崩れ落ちたがれきが入江との間に壁を作った。つまり、出口への道を絶たれてしまったのだ。いったいどうすれば。入江の言うとおり、俺たちは土に埋もれて死ぬしかないのか?
くそ、ここまできてルクレティウスの思い通りになるしかないなんて。心中なんてさせてたまるか!唐澤が歯ぎしりする中、「すまない、お前まで……」と碓井が弱々しくつぶやく。
俺だってお前を巻き込みたくなかったのに、なぜお前はここまで俺に優しくしてくれるんだ?
「言っただろ、心中なんてさせないからな!」
唐澤が叫ぶ。その遠くで。
「おーい、碓井先生!!」
かすかに、少し幼さの残る声が耳に響いた。どこだ?音のする方に意識を集中すれば、なぜだかぼんやりと光る板のようなものに守られて、こちらに向かってくる男の子と陽子の姿が見えた。
「こっちだ、陽子さん!」
まさかこの状況で助けが来るとも思っていなかった。この時ばかりは唐澤も、陽子を神と崇めたい気持ちでいっぱいだった。
「わかった!」
光る板に守られながら、彼女は足もとのがれきを無造作につかんでは投げ、こちらへと近づいてくる。そうか、あの時開けた穴から俺たちを助けに戻ってきてくれたのか。
「しかしなんだ、あの盾みたいなのは。それに陽子さんがあんな怪力だとは思わなかった」
その光景に唖然としながら唐澤がつぶやく。
「ああ、あれこそが王だ。あの国の、逞しく力強い王と〈王の盾〉」
唐澤の肩を借りながら歩く碓井はほほえんだ。ああ、やっぱりあったんだ、あの国は。フュオン王も、〈王の盾〉クーファも〈王の目〉カスティリオーネも。じゃなければこんな現象起こりえるものか。そして、ルクレティウス、あなたも。遺伝子が見せた幻などではなかったのだ。
碓井は自分の中の彼女に語りかける。今回はちゃんと王はあなたを助けてくれた。アナトリアではなく、あなたのもとに戻ってきてくれた。どうかそれで許してはくれまいか。
それにルクレティウス。どうやら俺はまだこの世で必要とされているらしい。あなたと共に死ぬことは許されないようだ、それも許してほしい。俺はともに生きなければならない人がいる。碓井瑛士として生を全うすることをどうか許してくれ、と。

落ち来るがれきに足をとられつつ、入江は地下から外へと脱出した。その途端、その出口は決壊したダムのように土煙を吐き出し崩れ落ちていく。
「ふん、大して役に立たなかったな、ルクレティウスめ」
言い捨て彼はある場所を目指そうとした。早くあれを守らなければ。愚か者どもの相手などしている場合ではなかったのに、おしゃべりが過ぎてしまったようだった。目的地は存外に遠い。なにせ構内の端と端だ。ただでさえ距離があるというのに、ましてこの騒ぎ。揺れは最初よりはだいぶ収まってきたものの、散乱する建物の破片やら、右往左往する人々やらに行く手を阻まれ思うように進まない。
思わず舌打ちした時だった。入江に、冷ややかな声が掛けられたのは。
「お前は、なぜそこまでする?」
黒いフードつきのコートに身を包んだ、いかにも魔女然な小柄な老婆。
「お前こそなぜ平気でいられる。ロロ王よ」
青い目がギロリと見返したのは、フードに隠れたその瞳。よく見れば彼女の瞳も青みがかかっていた。入江の瞳が荒波の日本海のような暗さを湛えているのに対し、南海の美しい青だった。
「なぜ?そんな愚かなことを聞くのかい?」
血にまみれた男の顔をまじまじと見つめながら、この状況にも関わらず老婆は面白そうに問い返した。
「我々の国ではないか。なあ、ロロよ」
「そうさ、わしの国に違いない。なにせ今もこうして住んでるんだ、わしもこの国の一員としての自覚をもたにゃならんね」
「そうではない、なぜ奪われて平気でいられる。愚かな末裔によって滅ぼされたというのに、なぜそいつらに加担した?」
「愚かな末裔?だがあの子たちはサピエンスの遺伝子とやらに操られてただけなんだろう?お前の言い分では」
飄々と落下物を躱しながらロロが言う。息が切れる様子もなかった。
「そうだ、碓井はルクレティウスに操られていたただのサピエンスにすぎない。あいつらにすべての憎悪を負わせれば完璧だった。人を動かすのに一番効果的なのは悪の存在だ。それを滅ぼすためにヒトは一致団結する」
「さらには日本政府が、秘密裏にこんな兵器を売買していたことを世に知らしめる。とうぜん国民はお冠だろうね、こんなものがなけりゃ震災は起こらなかったんだから」
「そこで王たるあなたが現れる。この国の主導権を真に握るのは誰か、それを愚かな民に知らしめればいい」
少し揺れが収まってきた。兵器の作動時間を唐澤が何分に設定したのかは知らないが、極力威力を弱めたのは本当らしい。
「ふん、結局考えてることは滝沢と一緒じゃないか。わしを傀儡にしたいだけだろう。それに前から言ってるだろう、わたしゃ王なんて願い下げだよ」
吐き捨てるようにロロは言った。
「あんな小物と一緒にされるとは心外だな。それにいい加減あなたには王としての自覚を持っていただかないと。そのための王妃の力だ。あなたを呼び覚ます義務が私にはある。だがあなたはなかなか信じない。だからあなたの身の回りを整理してさしあげたというのに」
その言葉に、ロロの瞳が一瞬赤く燃えた。しかしそれも僅か、すぐに諦めたように口を開く。そうだ、失われたものはもう返ってこない。それより、これ以上失わないようにしなければ。
「お前もこの計画に荷担していたじゃないか、それはどう言い訳するんだい?」
「なに、今の私は哀れな老人だ。脅され仕方なくやっていたと言えば同情を得られるだろう?その私が平和を説くことに意義があるのだから」
「お前もルクレティウスと一緒だな、計算高い女だこと。なあイリーヌ王妃」
南海の青が炎を宿す青い瞳に向けられた。若干の憐みの色を乗せて。
「懐かしい名だ。その名を思いだしたときのことを、まるで昨日起きたことのように覚えている」
「1962年か」
浜北人骨が初めて発見された年。今まで沖縄でしか発掘されなかった人骨の、本土での初出土に国中が湧いていた。発掘したのは、入江と星川という学者たち。
「ああ、あれを掘り起こしてからだ、おかしな夢を見るようになったのは。だがあれは夢ではないと確信した。なにせ私のこの風貌だ。本当に日本人かと馬鹿にされて生きてきたぐらいだからな。けれど自分はほかのものと違うんだと思って生きてきた。その結果があれだ。私はそもそもサピエンス属ではなく、優れたネアンデルタール属だったのだと」
「しかし発掘された時点では、あの骨は旧石器時代の人類だとしか判明してなかったじゃないか」
記憶を頼りにロロは問いかける。
「仕方あるまい、私の中のイリーヌがそれを知っていても、それを証明するほどの技術力が当時はなかった」
「そのために碓井を利用したと?」
「ああ、あいつも私の教え子だった。向こうはさして私のことを覚えていなかったようだったがね。当時学生だったあいつから変な夢を見るとこぼされたとき、これを使用しない手はないと考えた。しかしまさか、一万四千年前の骨がルクレティウスのものだったとはな」
「なぜ自分でやらなかったんだ?」
「記憶を頼りに自分が王だったことを証明すると?それこそ碓井とあの女の二の舞だ。あくまでも隠れ蓑が必要だった。私が秘密裏にうまく立ち回るための」
「ずいぶんと壮大な計画だこと」
鼻で笑うかのごとく、ロロが受け流す。
「私たちこそが、偉大なネアンデルタールの末裔なのだから。それを示すためには慎重に事を起こす必要がある」
「本当に、あんたは自分をネアンデルタールの末裔だと思っているのか?」
「ああ、なにせ私の身体の一部がここ東大にあるのだから。私は碓井とは違う。あいつのDNAとルクレティウスの骨のDNA型は一致しなかった。しかし私は本物だ、あれは私の一部なのだから」
そう言って入江はどこか遠くを見つめる。北東、赤門から入ってすぐ。ああ、早く私はそこに向かわなければならないのに。入江の中の王妃が騒ぐ。それを遮るのは、たとえロロとも許さぬと。
その入江の言葉にロロは構内案内図を思い返す。そうか、あそこには。
「東大総合研究博物館か」
「そうだ、あの遺骨はまさに私のもの。一万八千年前のあの骨は、イリーヌのものだ」
恍惚とした表情で入江が唇を開く。まるでルクレティウスが乗り移った碓井の姿そのものだった。だが碓井が自分のなかの彼女を愛してしまったのとは異なり、入江はまるで自分自身がイリーヌであると信じているようだった。
「馬鹿なことを。あの骨もイリーヌも女性だ、だのに今のお前は男じゃないか。どだい同一人物のはずなどないだろう」
「性差など些細な問題に過ぎない。あの遺骨のDNAと私のDNAはXY染色型以外は完璧に一致する」
「ふむ、だがね、同じ型のDNAを持つ人間がごくごくまれに存在することを知らないわけじゃないだろう?」
「もちろん。だが偶然に偶然が重なって必然となる。同じDNAを持つ私がイリーヌの夢を見る。碓井のそれとは違う、確固たる証拠がある。あの浜北人骨が私のルーツを示してくれている」
それは本当だろうか。ロロは疑問を禁じ得なかった。今のこの入江の様相。碓井と同じく、あの骨に呪われているだけなんじゃないのか。
「ならばなぜそれを公言しなかったんだ。陽子さんより自分の方が正当なネアンデルタールなのだと言えばよかったじゃないか。実際そうだったんだろ?お前さんの遺伝子とやらは」
「それだけでこの国が手に落ちると思うほど、私は愚かではないのでね」
入江が馬鹿にしたような表情で言い放つ。それだけでは弱い。絶対的な悪を作り出さなければ。たとえば兵器悪用を目論むテロリストや、そんな恐ろしい兵器の保有を許した政府。それを弑してやれば。
「なら政治家でも目指せばよかったじゃないか」
「滝沢のようにか?ふん、政治家ごときに何が出来る」
「だからといってこんな手段でうまくいったかね」
「いくさ、混乱に乗じて乗っ取るのは常套手段だろう。あとは恐怖による統治だ。昔のあなたもやっていたではないか。同じようにこの兵器を利用して、刃向う者どもは静粛すればよい」
「そんなことをしたら諸外国も黙ってないだろうに」
「ふん、販売した兵器はここにある物の劣化版だ。威力も低い。自国のものより強力な兵器など売るものか。あいつらなぞ核を無力化してやれば大したこともない。それこそ保有基地に局地地震を起こして、自滅させてやる」
「戦争でも起こす気かい?」
「まさか。あくまでも攻撃された場合のみだ、だが晴れてこの国すべてを掌中に収めた暁には、それも検討するがね。サピエンスどもの好き勝手にして良い星ではないのだよ、ここは」
「けれど純血のネアンデルタールはアンタだけなんだろ?サピエンスを滅ぼして、人間のいない星でも作るつもりか?」
「だからこそあなたが必要なのだよ、ロロ。あなたもネアンデルタールの末裔だ、あなたの遺伝子と私の遺伝子さえあれば、人工的にヒトを作ることも可能だろう。現に倉木はその方法に着手している」
「こんなババアとジジイの遺伝子で子作りなんて。ぞっとするね」
ロロはおおいやだ、とばかりに自分の腕を抱きしめる。あと少しだ、コイツの話は聞くだけでぞっとするが、あと少し。あと少し我慢さえすれば。
「だが、サピエンスどもの画策こんなことになってしまった。せめてあの骨は回収しなければ」
「やけにあれに固執するじゃないか。じゃあなんだ、あの骨が無くなればお前はお前自身を証明するものがなくなるとでも?」
「そうだな、なにせあれはわたし自身だ。だからわざわざ手元に持ってきたのだ、災害に巻き込まれぬように、静岡からここ東大に。しかし唐澤め、なんてことを」
「だが、このあたり一帯はこのザマだ、博物館が倒れるのも時間の問題だよ」
「ああ、あれだけは死守しなければ。愚か者どもめがすべて私の邪魔をする。お前もだ、ロロ。くそ、そこをどけ」
「嫌だと言ったら?」
「例え王とも許さぬ。邪魔者は排除するまでだ」
よろよろと入江が手にした銃をロロに向かって構えた。その時。
ズドォォォン!遠くの方で建物の倒れる音が響く。
「な、まさか」
「そのまさかだろう」
〈王の目〉よりもはるかに高い能力を誇る呪術師、もとい初代国王は、静かに口を開いた。どうやら足止めに成功したらしい。あれはヒトの手に余る存在なのだから。
「本堂もすでに半壊だ。どちらかというと地盤沈下に近いね、この地震は。どうやらこのあたりだけ、他と比べて地盤のバランスが悪いようだ」
「お前、私を足止めしたつもりか?くそ、今からでも掘り起こせば……」
落ち来る瓦礫をものともせず、例えそれが当たろうとも入江は歩みを進めていく。だが、噴煙のせいだろうか?なんだか入江の姿が霞んでいく。
「私はまだ消えるわけにはいかぬ……」
「だが、どうやら手遅れのようだね」
「か、身体が……私の身体がぁぁぁっ!」
叫ぶその声はふつりと止み、そこには乾いた骨が一つ落ちていただけであった。奇しくも、発掘されたイリーヌの骨と同じ個所、上腕骨の一部。
「かわいそうに、イリーヌの呪いに当てられたんだろう、お前は。碓井先生がルクレティウスに呪われたのと同じだよ。まったく、女の執念とはおそろしくて敵わんね」
ロロは残された入江の骨を拾うと、それにふっと息を吹き掛けた。とたん、それは白い粉へと変わり、空へと帰っていく。ようやくあんたはあんた自身に戻れたんだ。これで彼女の役割も終わった。呪いの根元であるあの骨たちが地下深く埋もれた今、碓井もじきに正気に戻るだろう。
さて、また自由気ままな占い師に戻るとするか。ロロではない、星川露子として残された生を全うするだけだ。イリーヌによって奪われてしまった伴侶の分も。そして、入江が出来なかった、彼自身の生の分も。
あの時彼らがあの骨を見つけなければこんなことにはなっていなかったのだろうか。しかし、それは今更考えても虚しいだけだった。
「あんたは確かに本物のネアンデルタールだったんだろうよ」
去り際、虚空に向かってロロが呟いた。
「幻の、ね」
そうして彼女は身軽に落下物を避けながら、光の指す方へと向かっていった。
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