探偵王ダーニット三世の推理録

鷲野ユキ

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探偵王は密室がお好き4

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 メープルの努力の甲斐あって、ようやく話が本題に入った。

「あの講堂で講演を終えると、シャンロック殿はこのご自身の研究室へと戻られました。部屋にこもって研究に専念したいと。なんでも演説の最中になにか閃いたようですよ。それが12時頃。彼は集中すると、食事も忘れて没頭するのはわれわれの間では周知の事実です。その間も講堂では研究員らの研究成果を市井の方々に説明していて、常にこの辺りには人の出入りがありました。もちろんここの研究員と、観客の皆さまです。100人くらいの方が講演を聞きに来てくださっていました。熱心な方々ばかりで、ええ。

 そろそろ講演も終わろうかという15時頃になっても、シャンロック殿は部屋から出られません。え、研究に没頭してたんだろう、食べるのを忘れるのも日常茶飯事だろうって?いかにもそうですが、彼はトイレが近いのでも有名なのです。少なくとも1時間に1度は行っているでしょう。あの部屋にはトイレがありませんからね、催したら部屋を1度出て共有トイレに行かなければなりません。そんなに頻尿なら部屋にトイレを付けたらって?そうしたいのはやまやまですが、予算の都合上仕方がなくて。それで」

 シャンロックの膀胱事情が良く分かったところで、
「それで、さすがにトイレに出てこないシャンロック殿を心配して、扉を開けたと」
 とダーニット三世はうなずいた。無事犯人を見つけて彼が国外追放にならずに済めば、トイレを増設してあげよう。というかその責任が多分私にはある。そう思いながら。

「つまり、死亡推定時刻は12時から15時までの間ということになる」
「そうなりますわね。けれどその間、この部屋は誰も出入りしなかったと。何か、音とかも聞いてないんですの?ほら、ぎゃあ、とか、助けてくれ、とか。あるいは、何かが倒れる音だとか」

 被害者はクロロホルムを嗅がされている以上、叫び声を上げることはできなかった可能性が高い。けれど気を失って倒れ込んだとしたら?あるいは、こんなに床に物が散らかったのはその時かもしれない。そう思ってメープルは聞いたのだが、
「さあ、特に何か聞いた者はいないようですね」
 とあっけなく返される。

「人が多かったですからね。始終ざわざわしていて、仮に音がしたとしても気づかなかったかもしれません。ちなみに、この部屋はもともとこんな感じです。シャンロック殿はやたらと床に物を置きたがりまして」
「そうですの」 
「ええ、そのとおり。気づいていれば、社会的には助かっていたかもしれないのに非常に残念です」
 そう悲しそうにうつむいて見せてから、彼はこうも付け加えた。

「ちなみにこの扉は外開き、あらかじめ部屋に潜みドアの影に隠れ、どさくさに紛れて犯人が逃げるとかいうよくあるアレはできません」
「そうか、そういうアレはできないのか」
 どうやらその可能性を考えていたのか、リキュールが肩を落とした。

「ええ。窓もなければ煙突もない。非常に息苦しい部屋であります。それもこれも予算がないためで。皆さまが科学技術発展のために寄付してくだされば、話は別ですが」

「で、話は戻るが」
 再びセールストークが始まってはたまらない。ダーニット三世はかねてからの話題をむりやり切り出した。
「あの床の模様は?」

 あの、いかにも怪しげな模様!事件をより摩訶不思議なものへと昇華させる素敵なスパイス!まさかすごい面白そうですねとも言えず、溢れる好奇心を押さえつつダーニットが問えば、
「ああ、あれは集中して考えるための儀式と言いますか」
 との声。興奮してダーニット三世は声をあげた。
「儀式!それはそれはおも……いえ、また不思議な」

「まあ、不思議と思われるのも当然でしょう。ご存じですか?中世の魔女たちが描いた魔法円。あれは術者の身を守ったり、その力を高めるために描かれたものだということを。決して、あそこから何かを呼び出したりするのではないのです」

「そ、そんなことは知ってるよ」
 そう言いつつも狼狽していたように見えたのは気のせいか。動揺を隠そうと、リキュールは鼻を鳴らす。
「けれどscience science科学科学と騒ぐあなた方の研究室には、ひどく不似合いに見えるね」
 普段はとにかく相手を否定してばかりのメープルも、この時ばかりはリキュールの言葉を肯定するように口を挟んだ。
「こんなオカルトなんて、らしくないわ」

「でも、よく見てください」
 メープルの言葉にうなずきながら、カーガックは床を指差した。
「これは実は魔法円ではなく、正確に言うと化学式円なのです」
「化学式、とな?」
 ダーニット三世は床をじっと見つめた。ただの模様に見えたそれは、確かによく見れば亀の甲羅をつなげたような、不思議な文様であった。

「アセトンプロパンメチルエチルケトンCH₃(CO)CH₃C₃H₈CH₃(CO)C₂H₅……」
 カーガックが呟くのは、まるで怪しい呪文のような言葉。

「すべての物質は原子が結合してできているとわかってきております。それはまるで複雑に絡んだ謎を紐解くのと同じこと。これはその結合を分析するためのものでして」
「なるほど。けれど、なぜ床に?」
「それはまあ、ごらんのように机があの有様ですからね」

 呆れたようにカーガックは机を指差した。どうやら彼も、この部屋の惨憺たる有様を良いとは思っていないのだろう。

「コンクリートの床に、筆で細々と書いていくのです。ペン先では床を傷つけるだけですからね。一度試して、あまりにギーギーうるさくて筆に変えたそうです。なんでも考え事をするのにそれがちょうど良いそうで。え、もちろん止めましたよ。ものを書くために机があるのですと説明しましたが理解してもらえませんでした。シャンロック殿いわく、毎日のように書き散らすのだから、紙なんて使うのももったいない。床なら水で流してしまえばいいだろうとのことでして」

「なるほど。あれはそのための筆だったのだな」
 ようやくここにきて、遺体の傍の筆の謎が解けたのだった。乾きの遅い粗悪なインクを使っていたのも、ケチ、いえ倹約家だったからなのだろう。

「それにしても、きれいに円が描けている」
 感心したようにダーニット三世は息を漏らした。
「フリーハンドでこんなに丸く円を描けるのかい?」
「それはそうですね、たとえばあの紐なんかを使えば」
 そ言って、カーガックが床に転がるまだらの紐を指差した。

「円の中心に棒……まあ、あの扇子でもいいでしょう、を立て、それに紐を結びつけます。結び付けた紐を引っ張って、それに沿って筆を走らせればあら簡単、きれいな円が描けるというわけです」
 原始的な方法ですよ、とこちらを小バカにしたように肩をすくめるカーガック。
「これくらい、探偵殿らにはすぐお分かりになったかと思いましたが」

「うむ、まあ、そうだ。もちろんわかっておったとも」
 動揺を誤魔化すように、ダーニット三世はカーガックをまねて肩をすくめてみせた。
「ということは、あのまだら模様はそうやって円を描いているうちについたインクの汚れなのかな?」
「さあ。恐らくは、そうかと思いますが」
「ではあれは、事件とは関係がないのですね」
 なぜか得意げにリキュールがうなずいた。
「あの怪しい円の中からmonstre怪物が現れたわけではない、と」

「当り前じゃない」馬鹿にしたようにメープルが声をたてて笑った。「仮に怪物が呼び出されたなら、きっと本当にシャンロックを殺してるわ」
 なるほど、怪物がマーダーゲーム法を遵守する理由などないだろう。犯人は人間に他ならないのだ。
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