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閉ざされた城12

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昔?いや、つい最近の話だろ。なんだか記憶が混濁しているのは疲れているからかもしれない。なにしろ今日一日ロクな目に遭ってない。 
「それにしても修のやつ。こんなところに厨房があったんじゃ、見つけられるはずないじゃないか」
 無事冷蔵庫からビール缶を数本取り出しつつ社は文句を垂れた。
「まさかあいつ、厨房がわかりにくいところにあるって知ってたんじゃないか?」
「どうでしょうかね。分家の皆様は時折遊びに来られる程度でしたから。けれど城内を普通に回ると厨房なんて見つかりませんから、よほど変な位置にあるのかな、とぐらいは思っていたのかもしれません」
「やっぱり!」
 ビールを持ちます、と言ってくれた四十八願さんの申し出を断り、社は缶を両手に持って盛大に腕を振りながら橄欖の間へと戻った。これできっと、プルタブを開けた瞬間に中身が噴き出るだろう。
 そんなささやかな嫌がらせを企んでいると、廊下でちょうど華ちゃんに出会った。
「あ、華ちゃん。首尾はどう?」
「犬尾さんと誠一さんは終わったよ。修さんのところは、中でなんだかもめてるみたいだからパス。これから茉緒さんのところに行くところ」
「茉緒さんの?」
 茉緒さんは、誰か来たようだとは言っていたけれど。それは華ちゃんではなかったのだろうか。
「さっき行ったんじゃないの?」
「まだだけど」
 じゃあ茉緒さんは何を勘違いしたのだろう。他に、誰かと会っていたのだろうか。
「修の部屋は行かないほうがいいよ。アイツ、難癖つけていやがらせしてくるから」
「嫌がらせ?」
「あいつにパシリらされてさ。あれそれより華ちゃん、佐倉さんのところは行った?」
 結局部屋にすら入れてもらえなかったことを彼女に伝えると、
「行ってないよ」
「ノックぐらいはしたんだろ?」
 ならばしつこく扉を叩かれて言われた言葉なのだと思って聞くと、
「最初から行く気もなかったから。それにちょっとだけだけど、佐倉さんには聞いたからね、十年前のこと」
「そうなの?」初耳だ。さすがは華ちゃん、行動が早い。
「お風呂で停電になったときね。昔も停電が起こったみたいなんだけど、起こったのが早朝で、朝シャンしてたら電気が消えて困ったって言ってた」
「ずいぶん早い朝シャンだな。じゃあ、その時もドライヤー使えなくて怒ってたのかな」
「かもね」
やはり停電は事故と関係ないだろう。けれど茉緒さんは停電のことを妙に気にしていた。ただの停電か、だなんて。ただ強風で煽られた木の枝が電線に当たっただけじゃないか。それ以外に理由などあるもんか。例えば誰かが、吹雪く外に出て行って電線を切るだなんて、そんな危ないことするもんか。
そんなことを思っていたら突然、話す社らのすぐ後ろ、犬尾さんの碧玉の間の扉がバアン!と勢いよく開け放たれた。
「あかん、苦しい!こりゃガスだ!中でガスが漏れとるようなんや!」
 死ぬー、と大声で叫んだ後、ばたりと犬尾さんがその場に倒れた。
「犬尾さま!」
「うそ、ガス漏れ?」
「そんなバカな」
 一体部屋のどこにガスが漏れる器具などあるのだろう。ユニットバスは各部屋設置されているけれど、普通こういうところって、どこかで一括管理してるものなんじゃないのか。
 どうやら犬尾さんの声に気が付いたのだろう、橄欖の間から馬虎さんが飛び出してきた。その後ろから、この騒ぎにつられて修も部屋を出てきたようだったが、ちらと見ただけで興味もないのだろうか。そのまま扉を閉めて部屋に戻ってしまった。人が倒れてるっていうのに、なんて冷たいやつなのだろう。
「どうなさいました!?」
「あの、犬尾さんの部屋からガスが漏れてるって」
「ガス?そんなのあり得ませんよ、大浴場の地下のボイラー室で一括管理しているんですから」
 馬虎さんはしきりに首を傾げている。けれど万一を懸念してか、ポケットから出したハンカチを口元に当て犬尾さんの部屋を覗き見た。
暖炉では炎が燃えてはいるがあまり元気はない。ちょっと煙いがこれは犬尾さんの吸っていたタバコのせいかもしれない。事実、サイドテーブルに置かれた灰皿には、吸い殻が何本も刺さっている。
本当にガスが漏れていたのだとしたら、今頃桜水晶の間の二の舞だっただろう。けれどそのようなこともなく、これといって何か害があるように見えなかった。
「でも、なんだかガス臭い気がするのは確かだよね」
 本当にガス漏れしているわけではないようだったので、華ちゃんが部屋に入っていく馬虎さんの後に続いていく。一方、ガス中毒ではなさそうだが倒れた人間を放っておくことも出来ず、四十八願さんが倒れた犬尾さんのところに駆け寄った。心音を確認するとどうやら大丈夫だったらしい。
「大丈夫です、息はあります。けれどどこかに横にした方が……」
 と四十八願さんは犬尾さんの身体を懸命に起こそうとするものの、いくら細身とはいえ男性の身体を動かすのは難儀しているようだった。
社も助け起こすのに力を貸すが、それにしても意識のない人間というのは本当に重い。
「とりあえず、近くのレストランに運びましょう。あそこなら一応、ソファーがありますから」
「はい、わかりました」
どうやら今回のパーティーでは使うつもりがなかったのか、扉を開けたそこはテーブルと椅子やソファーが点々と置かれているだけだった。レストランだというのに厨房も見当たらない。だがやはり円形のこの部屋を見回せば、隅の方にホールで見たのと同じ料理用のエレベーターがあるのを確認できた。さらにその脇には地下への階段。こちらは地下収納のような出入口ではなく普通の階段だった。
どうやら、地下の厨房は思っていた以上に広いらしい。
 ようやく犬尾さんを運び込み、介抱を四十八願さんにお願いして社が碧玉の間に戻ると、今度はなぜだか華ちゃんがぐったりしていた。
「華ちゃん、どうしたの!?」
 部屋から出た華ちゃんはこめかみを押さえ、橄欖の間寄りの壁際に寄りかかっている。
「口元も覆わないで中に入ってった私がいけないんだけど、なんだかガスじゃないのが部屋に充満してるかもって、今馬虎さんが窓を開けて換気しているところ」
「それで、華ちゃんは大丈夫なの?」
「うん、部屋に入ってたのは少しだし、しばらくしたら良くなると思う」
「それならいいけど……でも少し、華ちゃんも隣で休んできなよ」
「うん、そうするね」
 そう言って歩いていく姿はしっかりしているようだったので社は安心した。けれどガス臭いのに、ガスが原因ではなく体調不良になるとは。
「これでとりあえず大丈夫かと思います」
 窓を開け放ったせいだろう、雪を伴った冷気が廊下にまで流れ込んでくる。その気流に押されたかのように馬虎さんが部屋から出てきた。
「暖炉の薪が少し湿っているようでした。もしかしたら不完全燃焼を起こして、犬尾さんは軽い一酸化炭素中毒になったのかもしれません」
「一酸化炭素?」
「ええ。ごくまれに、湿った薪を使うと起こるのです。けれどその場合通常よりは煙が出るので気が付きそうなものですが……」
「タバコを吸ってたから煙には気付かなかったんですかね?」
「かもしれません。だからむしろ、ガス臭いにおいがして助かったのかもしれませんね」
「でも、その臭いはどこから来たんでしょうか」
「それが……」
 そう言って、馬虎さんが再び犬尾さんの部屋に入る。しばらくして出てきた馬虎さんの片手には、なにやら臭う大きな物体があった。
「何ですか?それ」
 社は思わず馬虎さんから距離を取り聞いた。それほど臭いのだ。黄土色っぽいイガイガした塊を睨みながら馬虎さんが答えてくれた。
「これは、ドリアンです」そう言う声は鼻をつまんでいるせいか、ちょっとくぐもってきて聞き取りづらい。
「ドリアン?」
「ええ、暖炉の中に落ちていました」
 確か、果物の王様とか言うやつだったか。食べたことはないけれど、とにかくおいしいらしい。けれど欠点がその臭いで、その臭さは日本の誇るクサヤにも匹敵するという。
 でもなんでこんなもんがそんなところにあるんだ。
「ドリアン、ですか。……なんだかこれちょっと焦げてますね。ドリアンって焼くと美味しいのかな?」
「それは分かりませんが……」
「でも、なんで暖炉なんかに?」
「さあ……」
いったい、誰がこんなことを?
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